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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『紋次郎物語』母猫に学ぶ

友人から寒桜、梅の便りが届きました。
寒桜2
黒々とした冬枯れ色の幹が、心なしか明度を増して春の訪れを告げているようです。今年も美しい初春のお裾分けです。
寒梅1


   母猫にみる節操と矜持
 『紋次郎物語』のご感想を色々な方から頂き、とても嬉しく思っています。
 主人公の紋次郎もさることながら、母猫に人気と共感が集まっているようです。確かに我が家で紋次郎たち兄弟猫を飼うことになったのも母猫の存在があったからで、この物語の陰の立役者ともいえるかも知れません。

 今日は紋次郎物語母猫編をお送りしてみたいと思います。

 お向かいの家でエサをもらっていた一匹ののら猫が、いつの間にか毎日、我が家の庭にも顔を出すようになったという所から物語は始まります。
 よくみると猫はメス猫でお腹のあたりがでっぷりとして、どうやら子供を宿しているらしいのです。

 元々、のらには珍しくおっとりとした優雅な雰囲気を漂わせていた猫でした。
 庭を荒らすこともせず、池の魚たちにも手を出さず、ただじっと静かに遠巻きに眺めているだけで、どことなく達観した風情を醸し出していました。

 身体の具合が悪そうでもあったので、縁の下に段ボールの箱を入れ寝床代わりに用意したのですが、そこに静かにうずくまり、やがて家を離れしばらくすると無事出産して仔猫たちを連れて再び姿を現したのでした。

 人に甘えすぎず寄りかからず
 のら猫とは、所詮しがない浮草で、生きるためには手段を択ばない身の定めなのでしょうが、この猫は、昔タイプの律儀な性格だったようで、「軒下を借りて母屋を乗っ取る」ような粗暴なことは決してしませんでした。
 一宿一飯の恩義、仁義をわきまえて生きることが身についている猫だったのだと思います。
 真に自然と共に生きるものには、このような矜持があるのかもしれませんが、この母猫のはっとするような美しい佇まいが今も目に焼き付いています。

   母猫にみる子育ての極意
 それから生まれたばかりの4匹の仔猫たちへの躾が始まりました。
 私の勝手な思い込みかもしれませんが、仔猫たちにこの母猫が教えようとした究極のところは、のら猫であるにもかかわらず、追い払われることもなく寝食の場が与えられる恩恵に感謝し、そういう「自分たちの置かれている状況」、「身の程」をわきまえるということだったのではと思っています。

 人間社会の現代の子育てセオリーからすると、とんでもなく時代錯誤で真逆といえるかもしれません。
 親は子供に自由な可能性こそを信じさせるべきで、自らの身の程や限界を教え込むなどもってのほかと非難されるでしょう。
 (強い自制心が、強い自己発露のエネルギー源になることもありますが)

 母猫は、自らの遠慮がちにふるまう所作を仔猫たちに伝授していたように見えました。
 例えばご飯の食べ方。・・・・兄弟で均等に分け合って食べること。食事の後に挨拶をすること。(母猫は食べ終わると必ず一声「ごちそうさまでした」とでもいうような鳴き声を発していました。ほどなくして仔猫たちも皆真似をしてその様子が何とも愛らしかったです。)
 自分たちに許された範囲以上は人間の世界に踏み込んではいけないこと。

 寿命自体が人と動物とでは大いに違うので、猫はかなりのハイペースで一人前に仔猫を自立させなければならないわけで、しかも親と子が共に居て面倒を見ることができるのも限られた時間しかなく、その中で生きる術を授けて、何があっても生き延びてゆけるよう逞しく自立させることが急務なのでしょう。
 そういう教育を徹底して施す一方で、この母猫は、仔猫たちを本当に可愛がっていました。「猫かわいがり」という言葉は、実はこのことかと思うほどでした。おそらくそのために、仔猫たちはどんなに厳しくしつけられても母猫が大好きで、実に天真爛漫、躾すらも楽しい遊びででもあるように受け入れていたようです
 赤ちゃん猫の頃に親から離される仔猫は、その分、人にはなつくでしょうけれど、本当に愛されたという記憶が身体の中に備わりにくいのではないでしょうか。飼い主が母猫同様の愛情の深さで可愛がり、それをベースにしてきちんとしつけることができるなら良いのですが。

 「優れた子供に育てるために」のような様々な子育ての本を昨今目にします。

  *自分を客観的にとらえる目と自制心を養うこと
  *しつけるべきはしっかりしつけて、逞しく自立させること
  *本当に愛しく思って心からの愛情を注ぐこと

 人も動物も自然の本質としてさほど変わらないとするならば、子育ての極意とは、母猫の示したこんな三か条に尽きるのではと、今、私は感じています。

   母猫にみる献身
 第三章の「母子の別れ」に記したのですが。
 この章には、病身でおそらく自らの死を悟ったと思われる母猫が、仔猫たちを託しに来る場面を書いています。
 最近見たyoutubeに、同様に仔猫を託す母猫の姿というのがUPされていてアクセス数が800万回にも上って大反響を得ていることを知りました。
 紋次郎の母だけではなく、よんどころない状況に置かれると、猫にはそういう習性というか心の働き方があるようです。

 紋次郎の母もまさにそうでした。
 のら猫であるにもかかわらず、最後はごろんと寝転んで人にお腹を見せて、最大の恭順を示したのは、すべて、残された子を思う親の気持ちからだったのでしょう。
 自分の危険も省みず、仔猫の行く末を託しにきた健気さ、自らを棄てる覚悟と愛情に心深く動かされました。

 複雑に想いが錯綜するのは人間独自のもので、猫には育児ノイローゼなどないでしょうし、期待や見返りなどなく、子育てはもっと単純で自然の摂理なのでしょう。

 今は、のら猫の存在自体が否定される時代です。この『紋次郎物語』に記した、私と私の家族の紋次郎たちの当時の育て方,飼い方が既に、ペット愛護の観点からは、時代遅れで、眉をひそめる部分も多くあるのではと思うのです。
 反論するつもりは全くないのですが、ただ昔それが普通だった時代があって、そんな中で猫を育てたことがあり、母猫の姿もその中であったからこそ見えてきた一つのかけがえのない幸せな出会いだったと言えるかもしれません。

 『紋次郎物語』を書きながら、私自身が思ったことをまたお話できたらと思っています。



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紋次郎の旅

 昨年末に出版致しました『紋次郎物語』ですが、「書店で購入できないのですか?」というお問い合わせが多く寄せられています。
 私家本として、是非、本の形に残しておきたいと作ったものですので、書店扱いにはしていなかったのです。
 ご面倒をお掛け致しますが、まずはWEB経由でお申込み頂ければと思います。
 ただ、そのお蔭で、ご感想なども生で伺うことが多いですし、またそこから、共通の動物観、家族観など様々なお話に発展することもあって、まさに紋次郎が結んでくれた温かい絆が生まれ、思わぬ幸せを味わっています。

  『紋次郎』は我が家に迷い込んできた雌猫の忘れ形見である仔猫三匹のうちの一匹です。
  三匹とも我が家で暮らすこととなり、家猫として家族の一員となり、その一方で、野生味たっぷりの逞しい野良猫魂を持ったまま外の世界を自由に謳歌して、その寿命を全うしたのでした。
  この本は、「愛情深い母猫」の物語を経て、「紋次郎」「まだら」「ねこきち」という三兄弟の歳月を綴ったエッセイです。
紋次郎
 紋次郎は、もわっと広がった綿みたいな毛並みの中から、少しブラウンがかった大きな目が覗いていて、他の猫とはタイプの違うエキゾチックな風貌です。
 性格は、まさにのら猫そのもの。母親とも兄弟とも似ていなくて、変に敏捷でとんがっている異端児です。
 今度は私が名前をと、弟を制してともかくも発言したら、どこかで聞いたような月並みな名前になってしまいました。
でも、これもなぜかその場で採用となり、即断即決、あっという間に三匹の命名式は終了しました。(第四章)

 「木枯らし紋次郎」から?と、命名の由来を何人かの方に問われましたが・・・。
 確かに風来坊然としていて、荒々しいところを見せるくせに時々ニヒリスティックで寂しそうな眼をすることがあって、無意識にですが「木枯らし紋次郎」とどこか重なったのかもしれません。

 そんな『紋次郎』ですが、今、『紋次郎物語』の中で蘇って、風来坊らしくあちこち旅をし始めたようで、彼になり代わって、少し照れくさく、でも嬉しく感じています。

   <旅その一> 届いたいくつかのお便り
 読者の皆様から寄せられた嬉しいお声です。

 *「紋次郎物語」一気に読み終えました。
 気持ちが暖かくなる優しい文章で、孫娘にも是非読ませようと思っています。続編も期待しています。

 *「紋次郎物語」、猫ちゃん一家と真剣に向き合われた深い愛情、そして二つの家族の命と縁と絆にほっこり癒されました。

 *我が家では子供達が幼少の頃に犬を飼い始め、晩年の介護生活を含め15歳で亡くなるまで泣き笑いの歴史がございます。
 愛犬との暮らしを思い出しながら、少し涙ぐんだり、でもほとんどはニンマリとしながら楽しく拝読いたしました。

 *知り合いの方の第一声は「著者は年配の方ですか?」でした。猫の飼い方で想像したようでした。
 麹町に住む知人は平屋で、今も紋次郎と同じように猫を飼っておいでなので、時代とはかかわりないと思うのですが。

 *私も大の猫好きで、これまで飼っていた猫のことを思い出しながら「そうそう」「あるある!」と相槌をうちながら楽しく、また切なく一気に読みました。外から帰った時に雑巾で足を拭くというのは驚きですね。

 *夢中になって読みました。猫の魅力や個性について何も知らなかったのでとても驚きました。猫の世界を初めて覗かせて頂き、その猫たちを貴女や弟さんが尊重し対等に付き合う様子に新鮮な驚きと感銘を覚えました。

 *一気に読んで綾音さんと紋次郎くんとのやり取りを思い描いています。何とも不思議だけれど温かく、実話なのに「日本昔話」を見たようなホンワカした気持ちになりました。年の初めに心が温まり、この一年も穏やかに過ごせる気がしてきました。

 省略させて頂きながらご紹介しました。たくさんの皆様に温かく受け止めて頂けて本当に幸せです。

   <旅その二>  Y君の居た風景
 Y・Sさんからこんな素敵なお手紙が届きました。全文ではないのですがご紹介させていただきます。

 ・・・・
 私の小学生の頃です。大阪の実家にはささやかな庭があり、動物好きの母がタニーという雑種の牝犬を飼っていました。アメリカ人から譲り受けた犬ですが、実に賢くまるで「まだら」のようでした。ハーモニカを吹くと、うっとりとした顔で歌うように遠吠えをするのです。本人はハーモニカと合唱をしているつもりなのでした。
 そこへ色々なアニマルたちが加わってきました。数羽のチャボ、気まぐれに夜店で買ったヒヨコから想定外に逞しく育ってしまった雄鶏一羽。
 ある時ここにニャンコが加わったのです。茶虎の子猫でしたが、その愛らしい仕草には家族全員が魅了されました。
 やがて子猫はドテッとしたお姐さん猫となり、そのうちお母さん猫となりました。5匹の赤ちゃんたちは皆毛色がバラバラで、まるで「ねこきち」と「紋次郎」のようです。

 『紋次郎物語』は美しくも切ない人と猫との交流物語。
 ご本のお陰で懐かしい少年時代の風景が蘇ってまいりました。
  ・・・・・・

 チャボがいて、けたたましく時を告げる雄鶏がいて、ハーモニカと合唱する
 タニーがいて、そして母猫と仔猫たちがいて、その真ん中に少年Y君が佇んでいる、そんな懐しい風景の中を紋次郎は旅したのだと思いました。

   <旅その三> アメリカへ ウズベキスタンへ
 VT
 
 『紋次郎物語』の記事を読んで下さって、アメリカバーモントに住む仲良しの友人がすぐ連絡してきてくれました。

 海外への荷物発送はコロナ禍のためまだ滞っているのですが、それでも本一冊ならということで、早速航空便で。
先ごろ無事届いたというご連絡を頂きました。

 そうしていた時、今度はウズベキスタンからもお申し込みを頂いて。
 ご主人のお仕事の関係で以前はイスタンブールに住んでいらした友人ですが、ウズベキスタンが急に近い国になりました。
ウズベキスタン 日本人も少なく、コロナということもあり家族以外と接することも少ないですが、元々1人で行動するのが嫌いではなく、最近はウズベキスタンにあるモザイクアートやソ連時代の建造物にはまり、それらを探しに街を散策する日々で、楽しく生活しています。

 紋次郎、バーモント、そして、ウズベキスタンにも参上。
 向こうの皆様にも可愛がってもらえますように。



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