
写真を整理しようと決心する
GWの爽やかな日々、どのようにお過ごしでしたか。
私は整理整頓・大掃除が大好きで、いつも家の中を眺めまわしては、ほとんど道楽のように楽しんでいます。
我が家の大掃除は年末ではなく、梅雨入り前のこの時期と秋晴れの10月なのです。
これまで何度か片付けへのうんちくを記した記事を書いてきましたが、その中の一つ、随分前の「『断捨離』と『片付けの魔法』」など、先日懐かしく読み返してみました。
持って生まれた性分、今年の私のGWはこれまで手を付けずにいた写真の整理、今これがようやく一段落したところです。
写真はかなりの量が箱に詰まって積み上げられており、アルバムもどっさり、湿ったような昔の匂いを放ちつつ戸棚の奥深くしまってあります。
これが一番古いアルバム。

誕生の時から小学校入学までの写真を父がまとめてくれたものです。
布地に型押しで染めつけをした豪華で凝った表紙、厚い台紙に写真を糊付けしながら、言葉を書き込んでゆくタイプです。
昔のアルバムは皆このようでしたね。そしてサイズ・デザイン・材質も多様で、アルバム自体が粋を凝らし、一つのアートのように美しかった気がします。

どこの家でも子供への愛情の証のように大事にアルバムを完成させ、それを受け渡してゆくような文化があった時代かもしれません。
それが、糊で貼るタイプではなく、台紙に写真を乗せてビニールで挟み込む方式に変わり、更に一枚ずつポケットに入れていくファイル式に変わりました。
更にそれも今や昔の話になり、写真をプリントすることもよほどでなければなくなり、データとしてスマホなどに取り込むのが普通になりつつあります。
思えば隔世の感ですが。
実は、アルバムというものはかなり重量があり場所も取りますので、保管に往生するのですよね。月日を経ると写真も色褪せてきますし、整理することも難儀ですので、PC等にデータとして保管するのがずっと合理的であることは否定できません。大量の写真を自由に操作し、何時でも取り出すことが可能なので、かく言う私も最近は基本的にはデジタルでの保存を大いに活用しています。
死蔵したまま場所だけを取るのもよろしくないのではと、このGW、20冊以上あるこれまでのアルバムを減らし、更に、いつかはと思いつつあと延ばしにしていた写真の整理をしようと思い立ちました。
子供時代のものなどはアルバム自体も黄ばんで汚れてきていますし、写真をただ散漫に貼って冊数ばかり増やしてしまったものを選別して、アルバム数を大幅に減らしたいと思ったのです。
アルバムが手に入らない
で、新しいアルバムをまず購入しようと文具店やデパートなどに探しに行ったのですが、アルバムと称して売っているのは写真を差し込むだけのポケットファイルばかり。ひと時代前は選ぶのに迷うほど、様々なデザインがあったのに、アルバムの需要のなさを痛感させられた次第でした。
自由にレイアウトしながら、コメントなど所々に記載しつつ新たな「写真帳」を作ろうとスイッチが入ってしまった私、何としてもちょうどよいものを手に入れたいと、ネットでようやく探し出しました。
でもかつてのような大きな正方形ではなくA4版、きっと収納を考えてこのサイズで、更に軽量化されて、扱いやすいようになっているのでしょう。
いつか、テレビで或る評論家が、一生のすべての写真をアルバム3冊までにまとめるのも大事な終活なのだと話していたのを思い出しました。
3冊というわけにはいきませんが、気合を入れて作業に取り掛かりました。
大事な写真は変わっていく
結果としては20冊以上あったアルバムが現在6冊に生まれ変わりました。
父の作ってくれたアルバムは私の物心つく前のもので特別なので、そのまま手をつけず保管することとし、後は新しい台紙の上に厳選しながら乗せていきました。
こういう作業は、ある一定の基準を定めてブレずに進めてゆくことがコツなのではと思うのですが、それがまず大変でした。
写真のどれもが懐かしい。
自分が過ごしてきた時間そのものがそこから蘇ってくるのです。
棄てる作業をしているのではなく、埋もれていたものを見出す作業をしていたのだとふと気づきました。
どうして同じ場面の写真がたくさん貼ってあるのか不思議で、当時のこだわりが今すっかり薄れていることもあり、反対に何気なく残しておいた一枚が、今思うと自分にとってとても大事なもの、懐かしいものになっていたりします。
でも反対に、そっと全てを大事にしまっておくことも大事かもしれませんし、何でも片付けてしまうことが良いこととも言えないのでしょう。
一枚一枚、・・・言い換えると人生の中の一場面一場面が鮮明に意識されてきて、忘れ物を見出したような気がすることがあるのです。
今までまとめずに溜めてきた何回分かのコンサートの写真もアルバムに載せてみました。

自分のステージ上でのスナップもさることながら、その時々に力を貸してくれたスタッフや友人、会場の様子、お客様など、大事な一枚として蘇ります。
そうして出来上がった6冊のアルバム。
大切にしたいもの、大切にしてきたもの、忘れたくないものが、一ページ一ページに新たに再生され詰まっています。
データで管理することの大きなメリットは充分理解していますが、すべてにアナログ派の私、写真も例外ではなく、プリントして手に取り、アルバムに貼ってずっしりとした重さを感じ、古ぼけて褪せてきた写真も愛しく感じながら「ページを繰る」という行為が好きです。
更に歳月を経ると、ただ一冊だけに凝縮されたアルバムが本当に出来上がるのかもしれません。
それまでは、アルバムの数を増やしてゆこうかなと考えています。
片付けの法則からは矛盾するかもしれませんが、しまいきれないほど増えても、それはどれも「心ときめく宝物」ですから素敵なことなのではとも思うのです。
GWの爽やかな日々、どのようにお過ごしでしたか。
私は整理整頓・大掃除が大好きで、いつも家の中を眺めまわしては、ほとんど道楽のように楽しんでいます。
我が家の大掃除は年末ではなく、梅雨入り前のこの時期と秋晴れの10月なのです。
これまで何度か片付けへのうんちくを記した記事を書いてきましたが、その中の一つ、随分前の「『断捨離』と『片付けの魔法』」など、先日懐かしく読み返してみました。
持って生まれた性分、今年の私のGWはこれまで手を付けずにいた写真の整理、今これがようやく一段落したところです。
写真はかなりの量が箱に詰まって積み上げられており、アルバムもどっさり、湿ったような昔の匂いを放ちつつ戸棚の奥深くしまってあります。
これが一番古いアルバム。

誕生の時から小学校入学までの写真を父がまとめてくれたものです。
布地に型押しで染めつけをした豪華で凝った表紙、厚い台紙に写真を糊付けしながら、言葉を書き込んでゆくタイプです。
昔のアルバムは皆このようでしたね。そしてサイズ・デザイン・材質も多様で、アルバム自体が粋を凝らし、一つのアートのように美しかった気がします。

どこの家でも子供への愛情の証のように大事にアルバムを完成させ、それを受け渡してゆくような文化があった時代かもしれません。
それが、糊で貼るタイプではなく、台紙に写真を乗せてビニールで挟み込む方式に変わり、更に一枚ずつポケットに入れていくファイル式に変わりました。
更にそれも今や昔の話になり、写真をプリントすることもよほどでなければなくなり、データとしてスマホなどに取り込むのが普通になりつつあります。
思えば隔世の感ですが。
実は、アルバムというものはかなり重量があり場所も取りますので、保管に往生するのですよね。月日を経ると写真も色褪せてきますし、整理することも難儀ですので、PC等にデータとして保管するのがずっと合理的であることは否定できません。大量の写真を自由に操作し、何時でも取り出すことが可能なので、かく言う私も最近は基本的にはデジタルでの保存を大いに活用しています。
死蔵したまま場所だけを取るのもよろしくないのではと、このGW、20冊以上あるこれまでのアルバムを減らし、更に、いつかはと思いつつあと延ばしにしていた写真の整理をしようと思い立ちました。
子供時代のものなどはアルバム自体も黄ばんで汚れてきていますし、写真をただ散漫に貼って冊数ばかり増やしてしまったものを選別して、アルバム数を大幅に減らしたいと思ったのです。
アルバムが手に入らない
で、新しいアルバムをまず購入しようと文具店やデパートなどに探しに行ったのですが、アルバムと称して売っているのは写真を差し込むだけのポケットファイルばかり。ひと時代前は選ぶのに迷うほど、様々なデザインがあったのに、アルバムの需要のなさを痛感させられた次第でした。
自由にレイアウトしながら、コメントなど所々に記載しつつ新たな「写真帳」を作ろうとスイッチが入ってしまった私、何としてもちょうどよいものを手に入れたいと、ネットでようやく探し出しました。
でもかつてのような大きな正方形ではなくA4版、きっと収納を考えてこのサイズで、更に軽量化されて、扱いやすいようになっているのでしょう。
いつか、テレビで或る評論家が、一生のすべての写真をアルバム3冊までにまとめるのも大事な終活なのだと話していたのを思い出しました。
3冊というわけにはいきませんが、気合を入れて作業に取り掛かりました。
大事な写真は変わっていく
結果としては20冊以上あったアルバムが現在6冊に生まれ変わりました。
父の作ってくれたアルバムは私の物心つく前のもので特別なので、そのまま手をつけず保管することとし、後は新しい台紙の上に厳選しながら乗せていきました。
こういう作業は、ある一定の基準を定めてブレずに進めてゆくことがコツなのではと思うのですが、それがまず大変でした。
写真のどれもが懐かしい。
自分が過ごしてきた時間そのものがそこから蘇ってくるのです。
棄てる作業をしているのではなく、埋もれていたものを見出す作業をしていたのだとふと気づきました。
どうして同じ場面の写真がたくさん貼ってあるのか不思議で、当時のこだわりが今すっかり薄れていることもあり、反対に何気なく残しておいた一枚が、今思うと自分にとってとても大事なもの、懐かしいものになっていたりします。
でも反対に、そっと全てを大事にしまっておくことも大事かもしれませんし、何でも片付けてしまうことが良いこととも言えないのでしょう。
一枚一枚、・・・言い換えると人生の中の一場面一場面が鮮明に意識されてきて、忘れ物を見出したような気がすることがあるのです。
今までまとめずに溜めてきた何回分かのコンサートの写真もアルバムに載せてみました。

自分のステージ上でのスナップもさることながら、その時々に力を貸してくれたスタッフや友人、会場の様子、お客様など、大事な一枚として蘇ります。
そうして出来上がった6冊のアルバム。
大切にしたいもの、大切にしてきたもの、忘れたくないものが、一ページ一ページに新たに再生され詰まっています。
データで管理することの大きなメリットは充分理解していますが、すべてにアナログ派の私、写真も例外ではなく、プリントして手に取り、アルバムに貼ってずっしりとした重さを感じ、古ぼけて褪せてきた写真も愛しく感じながら「ページを繰る」という行為が好きです。
更に歳月を経ると、ただ一冊だけに凝縮されたアルバムが本当に出来上がるのかもしれません。
それまでは、アルバムの数を増やしてゆこうかなと考えています。
片付けの法則からは矛盾するかもしれませんが、しまいきれないほど増えても、それはどれも「心ときめく宝物」ですから素敵なことなのではとも思うのです。


