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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

事件です!

 いつの間にか葉桜となり、日一日と季節が柔らかなさみどり色に移ろう頃。

  さて、突然ですが・・・・私、振り込め詐欺に遭遇しました。
  皆様もお気をつけになったほうが良いので、ご参考までに事件の顛末を告白致しますね。

   一本の電話
 数日来、忙しさが重なって、睡眠があまり取れておらず、それがようやく一段落して、ほっと一息ついた昼過ぎ、自宅電話が鳴りました。

  「京都市役所の介護保険課ですが、保険料の還付金の件でご連絡しました。
 申請書類が届いたかと思うのですが、まだこちらにご返送頂いていません。」

  (届いている?・・・手紙チェックはいつも入念にしているので見過ごすはずはないんだけれど・・・?)

 「大変申し訳ありませんが多く徴収しておりましたので、この度過去5年に遡り返金されることになりました。3月31日が書類申請の締め切りだったのですが・・・。」

 「では見過ごしたのかもしれません。参考までに返還される金額はどれくらいなのですか?」

 「32400円です。同じように締め切りに間に合わなかった方が多くいらっしゃるので、そのような皆さんにこうして至急のお電話差し上げています。もう書類を再交付する時間がありませんので、本日中に銀行に行って頂ければ返金の手続きができますが。」

 (今日・・・?銀行に・・・?今から・・?)

 「最寄りの銀行はどちらですか。こちらから事情を話してすぐに手続きできるように交渉します。銀行の了承が取れたら銀行から確認のお電話を入れて頂きます。20分ほどでご連絡があると思いますので、お電話がありましたら、すぐ銀行に入金手続きに行って下さい」

 「最寄りはゆうちょ銀行です」

 とりあえず一言だけそう言って電話を切りました。
 そもそもこういうことの扱いは市役所ではなく区役所なのでは・・・・?
 そしてゆうちょ銀行の支店名もわからずに、一体どうやって先方と連絡を取るつもりなのだろうか?
 電話で言ってくること自体大いに怪しい・・・でも返金があると言うし・・・・?この時点で疑いは90%でした。
 残りの10%はもしや私が、通知を見過ごしていたのではという懸念から・・・・、ともかくも、急いで、改めて市役所の代表番号に確認の電話を入れました。

 「振り込め詐欺なのではないかと思うのですが、大至急確認させてください」と口上を述べたら、市役所のほうでもすぐ担当部署に繋いでくれて、迅速に対応してくれました。
 結論は、「明らかなる振り込め詐欺」
 電話の向こうと熱い会話が続いたのですが、「知らせて下さってありがとうございます。こちらでもしかるべく注意喚起を促します。ともかく引っかからなくて本当に良かったですね」というお話。

 電話を切ったら、今度は「ゆうちょ銀行サービスセンター」と名乗る相手からまた電話があり、「市役所からご連絡があり、お客様の手続きを承ります。すぐに最寄りの支店にいらしてくだされば、還付金払い戻し手続きができます。
 銀行に到着なさったらその旨この番号に折り返しご連絡下さい。ご返金受け取りの方法をご説明致します。ただし、コロナ蔓延防止の意味から対面接客を致しておりませんので、ATMの機械での操作方法をお伝えします。」

 「わかりました。」

 もちろん、この後こちらから電話は一切しませんでしたが、なるほどこんな風にして人を騙すのですね。
 どうしたものか?
 ゆうちょ銀行にもこの事実を伝えた方が今後のためになるだろう。警察にも連絡しようか・・・などと思いながらまずは最寄りの郵便局に直行したのでした。

   警官の聴取 刑事の取り調べ
 郵便局でまずは窓口の受付の方に事の経緯を話したら「よくぞ知らせてくれた」「被害にあわずに済んで良かった」と市役所と異口同音。
 それで、警察に知らせるのが嫌でなければここに来てもらうので状況の報告をしてくれないかということになり、私もその方が今後の役に立つのではと思い、快諾しました。

 5分ほどしたらおまわりさんが二人駆けつけてきました。
 でもそれからが大変。郵便局の別室でと思いきや、人の行き来する窓口での聴取となりました。パーティションを隔てて向かい側におまわりさん二名と郵便局の支店長が同席し、まずは「お名前は?」から始まり、知らない人が見たら明らかに私が容疑者で尋問を受けているように見えたに違いありません。
 小一時間ほど微に入り細に入り説明を求められ、でも最後には通報した事に大いに感謝して頂きました。色々な人に褒められた変な一日でした。

 ようやく解放かと思った時に、刑事さんまで現れ、また最初から説明のやり直し。初めに「こういうものです」と警察手帳(写真入りの二つ折り)を両手で開けて見せた仕草が、刑事ドラマそっくりで、やけに感動してしまいました。そういえば人生の中で警察手帳を見たのも刑事さんと話したのも初めての事でした。
 返金するというので振り込め詐欺ではないと信用させ、電話でATMまで誘導し、操作を指示されて何がなんだかわからなくなったところで、最後に「送金ボタンを押して下さい」という事で、結果的に振り込ませる詐欺の手口だと、教えてくれました。
 なるほど!
 最後にアンケートにご協力をと言われ、いくつかの質問もありました。
 「自分だけは振り込め詐欺などにはかからない。無縁と考えていた」という項目には即頷いたのですが、それは危険だと延々とお説教されました。
 そして、「詐欺にご用心」というチラシを頂いたのですが、なんとその中に、○○市役所を名乗る還付金詐欺の例も載っていました。
 そんなにポピュラーな手口だったのですね。
 これまで知らないでいたことがとても恥ずかしくなりました。刑事さんの言うようにもっと関心を持って情報を集めておくことがとても大切なのでしょう。

 皆様もこんなことには遭遇しないで済むことが一番ですが、くれぐれもご注意ください。


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桜花爛漫 そして悉皆

   桜花爛漫 ざわめき昇る炎

  名残の桜。
桜1 柳
  いつもの散歩道、白川沿いは柳が早緑色に柔らかく揺れていました。

辰巳明神
  辰巳大明神の粋な風情。

桜2



そして季節を謳歌する花々。
咲き誇り絢爛と舞い散る木の下には、坂口安吾や梶井基次郎の言うところの物狂いの壮絶さや妖気さえもが宿る気がしてきます。
桜はやはり格別な花木であるとしみじみ思います。

 古い書類を整理していたら、桜について綴った文章や記事などをまとめたファイルが出てきました。
 聴
 読売新聞1997年3月30日の『絵は風景』のページ。
 20年以上前の新聞なので、紙面はすっかり黄ばんでいますが、近藤弘明氏の絵画『聴』を取りあげ、当時読売新聞の編集委員だった芥川喜好氏が「桜花爛漫 ざわめき昇る炎」と題して解説しています。

 薄紅色に染まる空間を吹きあれるものがある。
 桜花爛漫の枝が騒ぎ、幹がうねる。野から立つ炎がざわめき昇る。
 枝も幹も左回りに強く渦を巻いて幹の腹のあたりに真空を生み出している。
 吹きあれ花を散らすものの正体は何か。風、と答えればいいのか。
 だがどうもここは様子が違う。外から風の吹き込んでくる気配がない。
 この桜花満開の下は外気が遮られた別種の空間だ。そこに花の発する妖気のようなものが充満している。
 むしろ霊気といおう。そう呼ぶほかない強い放射能が、渦となりすべてを巻き込んで自律運動を続けている。そんな風景に見える。
     ・・・・中略・・・・
 宗教的といわれ、いま地上的な透明感を増しつつある彼の世界を貫く、一つの感覚がある。一羽の蝶の内に身をひそめ、絵から絵へ、浄土から現実へと飛び歩く往来自在の霊的な浮遊感だ。この『聴』では、舞い散る花弁の一枚に作者の意識はある。

 古い新聞に載っている色褪せたこの一枚の絵画に心を奪われる気がしました。
 芥川氏の卓見と美しい文章にも深く惹かれ頷くばかりなのですが、桜の広がりの真下に立って桜の内に入り桜の放つ妖気・霊気に  全身全霊を揺さぶられる・・・そんな酩酊感を感じました。
 近藤弘明氏の生家は天台宗の寺社で、自らも6歳で得度し仏門にあったことからも、独自の宗教的香りに包まれているように思います。
 昔読んだ本の中の彼のこんな言葉が不意に思い起こされました。

  実の花、空想の華、いずれにしても、存在感は同一である。 現実の花は現実以上に空想的であり、空想の華は空想以上に現実的でなければならない。

 含蓄がありますね。
 絵画に限らずあらゆる芸術・学問にあてはまる真理なのではないかと私には思われます。

   悉皆(しっかい)さんに連れられて
 「悉皆」は「しっかい」と読みます。
 「一つ残らずことごとく」という意味ですが、着物の世界では、着物に関する相談を全て受けてくれる、言ってみれば、着物総合プロデューサーの意味で使われています。
 京都の街を歩いていると、所々で、この「悉皆」という文字を目にすることがあり、「洗い張り・染替え・誂染・お仕立て直し、着物のご相談何でも承ります」というような添え書があって、大体イメージできていたのですが、先日、ご縁があって、京友禅の工房を悉皆さんのご案内で見学するという機会を得ることができました。
 私の友人に東京の銀座で呉服屋さんを営んでいる女性がいて、彼女は誰でもが思わず振り返ってしまうような着物美人なのですが、数日前お花見に京都来訪。
 着物をいつも素敵に着こなすもう一人の友人と共に、京友禅の卸問屋さんを訪ねました。で、そこで悉皆さんを紹介して頂き、京友禅について様々学ぶことになったのでした。
 
 私は着物の事には疎く、着る機会もほとんどないのですが、昔ながらの伝統の技を脈々と守り続けて、多くの職人さんたちがそれぞれの役割を担いながら、長い時間をかけて一枚の着物を作り上げてゆく、悉皆さんが熱く語る京友禅のその工程と情熱に圧倒されました。
 
 「悉皆業」とは、一般的には次のような役割を担うのがごく普通であるようです。
 「長い間着ていた着物がくたびれてきたので、洗いに出したい」、「若い頃着ていた着物が派手になったので染め替えたい」、「どうしてもしみが落ちないけれど、気に入った着物なのでどうにか着る方法はないものか」などという着る人の話に耳を傾け、どのような変化を望んでいるのかを聞き出すのも悉皆業の大切な仕事になります。

 卸問屋さんや呉服屋さんは自分のセンスやお店の嗜好とぴったりする、相性のよい悉皆さんとタッグを組んでいて、生涯相棒のように寄り添い、切磋琢磨し合ってこれぞという着物を生み出してゆくのだと話されていました。
 悉皆さんは、そういう発注者の希望を実現して一枚の着物を完成するために、様々な職人さんたちを手配し、それぞれに出来上がりのイメージを伝えていくプロデューサーの役割を持っているのだということが良くわかりました。

 たとえば発注者が孔雀の絵柄の着物を注文したとき、孔雀と一口に言ってもデザインは様々あるわけで、まず構想を練ってイメージを明らかにしてゆきます。
 その発注者のイメージを具体的につかみ、好みを尊重しつつ、更に出来上がった時、最も美しくしっくりと着てもらえるように、どのような色合いと図柄が一番しっくりくるのか、まずは下絵師さんに具体的に提案するところからスタートするのだそうです。

 下絵師さんの工房に連れて行って頂きました。
 まさに孔雀の発注を前にして白生地にデッサンをしていらしたところでした。
 足元に積み上げられた鳥類の図鑑・東西の画家たちの多数の画集・・・・動物園などに足を運び、孔雀を観察することはもちろん、陶器や洋食器などの絵付け、絵巻物などに至るまでかなり研究して独自の発想を得る手掛かりにすると語っておいででした。

 下絵を初めとして、京友禅の制作過程は標準的には19の工程を取るのだそうです。
 この日、何人かの職人さんの工房にお伺いし興味深いお話をゆっくりとお伺いすることができましたが、でも、すべての工程をお訪ねするにはかなりな日数を要しそうです。 
工房2
 工房では写真撮影が憚られて、ほとんどシャッターを切ることができなかったのですが、唯一撮らせていただいたこの写真は、印金加工と言われる金箔や金粉を描かれた絵に添って接着加工する金彩(きんさい)という作業をなさっているところです。

 この後刺繍を施す工程が待っているそうですが、刺繍の職人さんがどこに刺繍を入れてくるかを類推しながら、それを邪魔しないように生かすように金を配置しているとおっしゃっていました。


    工房1
 金彩は金彩、刺繍は刺繍、それぞれ別の職人さんが、ごく一部分を請け負っているのに、それぞれが一枚の着物という宇宙を見て生きている、そんな風に感じ、こうして培われてきた日本文化の奥深さ、伝統の力を心底実感したひとときでした。
 時間や労力やお金がかかる伝統が急速に廃れていく時代ではありますが、捨ててはいけないものがあることをしみじみと思います。

 冒頭でご紹介した近藤弘明氏の言葉

 実の花、空想の華、いずれにしても、存在感は同一である。 現実の花は現実以上に空想的であり、空想の華は空想以上に現実的でなければならない。
 
 この言葉の精神を友禅職人さんたちの中にも見た気がしています。




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