
奈良に仮住まいを始めました
さて、突然ですが、京都の家をリフォームすることとなり、10日ほど前、奈良に引っ越してきました。7月中旬まで、二か月半の仮住まいです。
気が付くと身の回りの荷物って増えているものですね。この際と思い、かなり大胆に整理し処分したつもりですが、でもまだまだ・・一応落ち着いたとはいえ、パンダの段ボールが山積みの中で毎日暮らしています。
リフォームが完成したら、元の家に戻るわけなので、荷物はできるだけそのままにし、最小限しか箱を開けない覚悟の耐久生活となりましたが、でも、食器も、衣類も、その他諸々も、とてもシンプルで潔い暮らしぶりになった気もしています。本当に必要なものは、そんなにたくさんあるわけではないのかもしれません。・・・
窓の外は大きく広がる空、吹き抜ける風と眩しい光、心地よいGW。
嘗て、国語の教師だった私、京都も奈良も修学旅行の引率で毎年のように来ていましたし、大和三山を背に、現地での歴史・古典文学の解説を行っていました。でも、引率という立場ですから、常に緊張して生徒たちの動向に目を配らねばならず、自由に旅情を楽しむという気分とは程遠いものがありました。
今回の二か月半、改めて奈良を楽しんでみようかなと思っています。
奈良探訪記も時々お届けしたいです。
若草山の春
で、早速なのですが。
まずは奈良を俯瞰するところから始めようと思い立ち、「若草山」へ。
若草山は、奈良公園の東側に位置する標高約342mのなだらかな山で、三つの笠を重ねたように見えることから、別名「三笠山」とも呼ばれるようになったと聞きました。下から一重目・二重目・三重目と数えられ、「順に登るのがハイキングの醍醐味」とあったのですが、まずは今回はドライブで。
奈良奥山ドライブウエイに入るとすぐに、東大寺の全景が眼下に見えてきます。

新緑が山全体に柔らかく伸びやかに広がります。
道の両側の馬酔木(あせび・あしび)が殊の外美しく、さ緑色の葉を広げていました。
関東では箱根の山などに美しく生息していますが、何と言っても奈良には馬酔木の木が多いのです。

馬がその葉を食べると痺れて麻痺してしまうと言われる「馬が酔う」灌木。スズランのような可憐な白い花をつけ何とも優雅な風情を感じ、春の訪れを告げる花木の中でも私は特に大好きな木です。
昔、よく聴いていたさだまさしの『まほろば』という曲をふと思い出しました。
春日山から飛火野あたり ゆらゆらと影ばかり泥む夕暮れ
馬酔木(あせび)の森の馬酔木(まよいぎ)に たずねたずねた帰り道
遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った別れ道
恋人同士の心のすれ違いと別れを歌った曲なのですが、『まほろば』というタイトルと、歌詞から浮かんでくる春日大社の参道を覆うように広がる馬酔木の森の霊気のようなものに非常に心惹かれて、よく口ずさんでいた歌でした。
日は昇り 日は沈み振り向けば 何もかも移ろいさって
青丹よし平城山(ならやま)の空に満月
と締めくくられます。平城山の馬酔木を一度見たいとずっと思っていて、大学の時に初めて、一人で奈良を訪ねたことなど、思い出します。

さて、若草山の駐車場に車を置き、頂上に向かいます。大木の間に満開の馬酔木が続く道を少し行くと、突然視界がひらけ、鹿たちに出逢いました。

奈良公園の鹿は、人間を見るとすぐ寄ってきて鹿せんべいをねだりますが、ここに生息する鹿は揺るがず悠然と自分たちの時間だけを生きています。

逃げもせずおもねりもせず。
奈良の人々にとっては、鹿は神の使いであり、人間と共存する存在なのだと聞いたことがありますが、まさにその言葉通りの、美しく端然とした佇まいです。

三重目の頂上から奈良の街が一望でき、遠くには生駒、金剛の山々、大和三山が連なります。広大な奈良盆地、どこにも高層ビルはなく、変わることないいにしえの風情を保ち続けているようです。
ここまでの「新若草山コース」で戻ってしまう車が殆どなのですが、今回は更に「奈良奥山コース」へと進みました。ここは世界遺産の「春日山原始林」の中を貫く細い砂利道です。

深い森の中を探索すると、遠い日の万葉人に出逢うことがてきそうです。

原始林とはいえ、春日大社の神山ですから、朽ちた木は丁寧に伐採されて、管理が行き届いており、散在する石窟仏には散策道が作られていますので、上級者ハイキングにもってこいなのでしょうね。
でも、ここは深入りせず・・・・。しばらく車を走らせると「高円山コース」に至りました。

高円山は万葉歌にも多く詠まれていて、二上山や大和三山が望めます。
高円宮家のお名前はこの地から生まれたことを初めて知りました。
故高円宮殿下のお手植えの柊の木と並んだ枝垂桜。

その傍らに大伴家持の歌碑がありました。
高円の秋野のうへの朝霧に妻呼ぶ牡鹿出で立つらむか

麗らかな五月の日差しの中の奈良は全てがゆったりと流れて心が穏やかに溶けてゆくようでした。
さて、突然ですが、京都の家をリフォームすることとなり、10日ほど前、奈良に引っ越してきました。7月中旬まで、二か月半の仮住まいです。
気が付くと身の回りの荷物って増えているものですね。この際と思い、かなり大胆に整理し処分したつもりですが、でもまだまだ・・一応落ち着いたとはいえ、パンダの段ボールが山積みの中で毎日暮らしています。
リフォームが完成したら、元の家に戻るわけなので、荷物はできるだけそのままにし、最小限しか箱を開けない覚悟の耐久生活となりましたが、でも、食器も、衣類も、その他諸々も、とてもシンプルで潔い暮らしぶりになった気もしています。本当に必要なものは、そんなにたくさんあるわけではないのかもしれません。・・・
窓の外は大きく広がる空、吹き抜ける風と眩しい光、心地よいGW。
嘗て、国語の教師だった私、京都も奈良も修学旅行の引率で毎年のように来ていましたし、大和三山を背に、現地での歴史・古典文学の解説を行っていました。でも、引率という立場ですから、常に緊張して生徒たちの動向に目を配らねばならず、自由に旅情を楽しむという気分とは程遠いものがありました。
今回の二か月半、改めて奈良を楽しんでみようかなと思っています。
奈良探訪記も時々お届けしたいです。
若草山の春
で、早速なのですが。
まずは奈良を俯瞰するところから始めようと思い立ち、「若草山」へ。
若草山は、奈良公園の東側に位置する標高約342mのなだらかな山で、三つの笠を重ねたように見えることから、別名「三笠山」とも呼ばれるようになったと聞きました。下から一重目・二重目・三重目と数えられ、「順に登るのがハイキングの醍醐味」とあったのですが、まずは今回はドライブで。
奈良奥山ドライブウエイに入るとすぐに、東大寺の全景が眼下に見えてきます。

新緑が山全体に柔らかく伸びやかに広がります。
道の両側の馬酔木(あせび・あしび)が殊の外美しく、さ緑色の葉を広げていました。
関東では箱根の山などに美しく生息していますが、何と言っても奈良には馬酔木の木が多いのです。


馬がその葉を食べると痺れて麻痺してしまうと言われる「馬が酔う」灌木。スズランのような可憐な白い花をつけ何とも優雅な風情を感じ、春の訪れを告げる花木の中でも私は特に大好きな木です。
昔、よく聴いていたさだまさしの『まほろば』という曲をふと思い出しました。
春日山から飛火野あたり ゆらゆらと影ばかり泥む夕暮れ
馬酔木(あせび)の森の馬酔木(まよいぎ)に たずねたずねた帰り道
遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った別れ道
恋人同士の心のすれ違いと別れを歌った曲なのですが、『まほろば』というタイトルと、歌詞から浮かんでくる春日大社の参道を覆うように広がる馬酔木の森の霊気のようなものに非常に心惹かれて、よく口ずさんでいた歌でした。
日は昇り 日は沈み振り向けば 何もかも移ろいさって
青丹よし平城山(ならやま)の空に満月
と締めくくられます。平城山の馬酔木を一度見たいとずっと思っていて、大学の時に初めて、一人で奈良を訪ねたことなど、思い出します。

さて、若草山の駐車場に車を置き、頂上に向かいます。大木の間に満開の馬酔木が続く道を少し行くと、突然視界がひらけ、鹿たちに出逢いました。

奈良公園の鹿は、人間を見るとすぐ寄ってきて鹿せんべいをねだりますが、ここに生息する鹿は揺るがず悠然と自分たちの時間だけを生きています。

逃げもせずおもねりもせず。
奈良の人々にとっては、鹿は神の使いであり、人間と共存する存在なのだと聞いたことがありますが、まさにその言葉通りの、美しく端然とした佇まいです。

三重目の頂上から奈良の街が一望でき、遠くには生駒、金剛の山々、大和三山が連なります。広大な奈良盆地、どこにも高層ビルはなく、変わることないいにしえの風情を保ち続けているようです。
ここまでの「新若草山コース」で戻ってしまう車が殆どなのですが、今回は更に「奈良奥山コース」へと進みました。ここは世界遺産の「春日山原始林」の中を貫く細い砂利道です。


深い森の中を探索すると、遠い日の万葉人に出逢うことがてきそうです。

原始林とはいえ、春日大社の神山ですから、朽ちた木は丁寧に伐採されて、管理が行き届いており、散在する石窟仏には散策道が作られていますので、上級者ハイキングにもってこいなのでしょうね。
でも、ここは深入りせず・・・・。しばらく車を走らせると「高円山コース」に至りました。

高円山は万葉歌にも多く詠まれていて、二上山や大和三山が望めます。
高円宮家のお名前はこの地から生まれたことを初めて知りました。
故高円宮殿下のお手植えの柊の木と並んだ枝垂桜。

その傍らに大伴家持の歌碑がありました。
高円の秋野のうへの朝霧に妻呼ぶ牡鹿出で立つらむか

麗らかな五月の日差しの中の奈良は全てがゆったりと流れて心が穏やかに溶けてゆくようでした。


