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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

掃除~心を磨く~

 2024年、令和6年がスタートしました。
 今年もよろしくお願い致します。
 地震、航空機事故と悲惨なニュースが続いて心痛む年明けとなってしまいました。
 まずは大変な被害にあわれた皆様とそして今も過酷な避難生活を余儀なくされている多くの方々に心からお見舞いを申し上げます。
 一刻も早く復旧が遂げられて、平安な日々が戻ってくることを願うばかりです。

 さて、今日はテレビ番組のお話をしようかと思います。
 昨年の暮れにNHK BSで放映された「スピリチュアルジャパン 掃除~心を磨く~」という番組が心に残りました。
 一時、話題になっていたサッカーワールドカップ試合後の日本人サポーターの掃除の話題。これに不思議さを感じたイタリア人のアンドレアという青年がこの番組の案内役を務めます。

 日本在住のアンドレア、近くの神社の境内を毎朝、一般の人たちまで加わって丹念に掃き清めている情景に彼はまず興味を持ちます。
 毎日こんなに丁寧に掃除をするのは大変ではないのかと神主さんに問うのですが、「神の住まいする神域であるから心を込めて綺麗にしたいと思って行っているのであり、一般の方たちも同じ気持ちで、自らの心も掃き清める意味合いで、自主的に集まってきているのだと思う。」と答えます。
 これを聞いているうちに、彼は日本人にとって掃除とは何か、それはイタリア人である自分がこれまで思ってもみなかったことなのではないか、と考え始めます。

   放課後の掃除
 ここから、二つの場所をレポートすることになるのですが、まず初めは学校中で積極的に掃除に取り組んでいるという長野県立豊野中学校です。
 週4回、放課後の15分間、学校の至る所を生徒たちが掃除するということです。
 でも、これはさほど珍しいことでもないと思ってしまいました。
 昔とはいえ、自分自身も生徒だった時、普通にやっていましたし、私が教職についていた時もやはり同じように生徒が掃除をし、私も共に手伝いながらその監督をしていたものでした。特別な事ではない・・・と最初は思いました。
 けれど、この学校の生徒たちの気合いは大したもので、映像が進むにつれ、その清々しい気概に思わず見入ってしまいました。
 掃除をする前には、まず身支度から。手拭いで女の子も男の子も姉さんかぶりをきりっとして、円陣を構え、その中で「隅から隅まで綺麗にするぞ」という今日の目標を班長らしき生徒が代表で語り、そしてしばらくの黙想。・・・・・こうすると心が落ち着いてさあ頑張ろうという気構えができるのだそうです。
 テレビはそれを見守るアンドレアと共に、その小気味の良い掃除っぷりを映し出していました。
 無駄のない箒の使い方、固く絞った雑巾をリズミカルに動かす拭き掃除の丹念さ、廊下の隅々、ドアのさん、階段の手すりに至るまで、軽やかに、おしゃべりもせず黙々と掃除し続けます。

 アンドレアも感服した表情で見入っていましたが、私もあまりの甲斐甲斐しさにすっかり感動してしまいました。
 「役割分担をあらかじめ決めているのですか」とのアンドレアの質問に、担任の先生は、「特に決めてはいませんが、各自が全体を見渡して、ここがまだだと思う所を見つけて率先してやっているようです」と答えておられました。
 更に、掃除をしている生徒たちへの彼からの質問が続きます。
 「毎日こういう掃除をするのは面倒臭くないのですか?」
 「毎日習慣にしてやり切る、という考え方が勉強やその他のことにも役立っていると思うから嫌ではないです」
 「15分しかない時間の中でどれだけ綺麗にすることに集中できたか、集中力を養って生活に生かしてゆけるから自分にプラスになっています」
 「心を込めて掃除ができるのってかっこいいです。」

 「勉強ができるできないは関係なく、一生懸命やって頑張る生徒に育っていることがうれしい」との先生の言葉に、アンドレアは「日本の教育って本当にすごい。イタリアではこんな風に子供たちが自ら教室を掃除をすることなどは全くないし、掃除に対するこういう考えは日本だけのものだと思う」とひたすら感心。
 そう言えば前に、日本の学校の掃除が今世界で注目されているというニュースを見たことがありました。
 確か、エジプトの教育者たちも日本の学校を視察しに来て驚嘆したことがあり、その結果、現在エジプトの学校では日本風の掃除を取り入れて実践し、その結果、学力においても躾や生活習慣についても著しい成果を上げ始めているということでした。

   禅の教え 和尚様の言葉
 続いてアンドレアはもう一つの場所に向かいます。
 東京にある禅寺、観音寺。和尚様に掃除とは何なのかとまず問います。
 掃除は禅の教えで、自分を高める修行なのだとの答え。
 彼が、では、禅寺の掃除の極意を教えて欲しいと乞うと、「「座禅」は静の修行、「掃除」は動の修行」なので、まずは座禅の後で掃除を行おうという事になります。
 曰く。「座禅はただ座っているだけだが、でもそれこそが難しく、じっと座るというのは自我を忘れ自然体に戻る事に他ならない。」

 アンドレアの座禅の時が続き、やがて太鼓の音が聞こえてきました。
 これは掃除の時刻を告げる合図で、この太鼓の音と共に、これまで彼と共に、じっと黙し座禅していた僧たちが、やおら箒や雑巾を携え、掃除に取り掛かります。変わらぬ静寂の中で各自黙々と動き続けます。
 学校での掃除と全く同じ。
 生徒たちのあの黙想の時間は、まさに座禅そのものだったのでしょう。

 和尚様は更にトイレ掃除の大切さを語り始めました。
 「隠徳を積む」と言って、「人間はとかく表を好み影の部分を大切にしようとしない。でも実はその努力こそが大切なのだ。そうすることによって初めて表の部分も綺麗になってくる。
 そういうバランスの良い修行を体得することが「隠徳」を積むことに他ならない。」

 部屋の掃き掃除は畳の目に添ってリズミカルに。拭き掃除は腰をかがめて一気に、畳のヘリでは一回一回手を止めて。
 アンドレアには、それが空手や柔道にも見えてきたと言います。
 和尚様曰く。「威儀即仏法 作法是宗旨」・・・・先人の考えたバランスの良い自然な姿を学ぶことが威儀。それが身に着けば無駄のない良い生活が基本になる。そのように一日一日を生きる姿勢が大事なのだと説いておられました。

 そして次には外掃除の極意に。
 落葉もちゃんと掃き清めれば、その後には雑草の姿が出てきて、雑草すらも輝いてくる。そして雑草も絵になるのだ。
 皆それぞれが生きているのだから生きているものを生かしてあげないといけない。そうやって掃除をすると庭もまた温かい庭になる。
 我々の行いが温かい場所を作る。掃除はお互いが良い姿を見合っているということではないか。

 この番組の締めくくりに語られるアンドレアの考察は以下のようです。

 「掃除は日本の文化と密接につながっていて、周囲の環境や他の人への敬意に満ちています。私は掃除をしているときに心に平和を見つけたように感じました。
 この平和は他の人々への思いやりの気持ちを意味しています。
 この心の優しさは強い平和の希求に繋がっていくと思います。もし誰もが掃除の真の意味を学ぶならもっと平和な世界となるでしょう。」


 日本人としてとても誇らしいです。
 そして、この番組、新年にあたって、心に刻んでゆくべきことを多く含んでいるように感じました。
 横着の中で流されてしまわず、日々自分の身を正してゆくことの大切さと、そして平和の対極にあるような昨今の世界情勢の中で、自分たちの身の回りから良きものを見失わず発信する眼差しを持ち続けることの大切さを思う今年の幕開けです。



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