

・・・・と言っても、このブログを読んで下さっているごくごく内輪の方々の間での事ですが。
「次はどうなるのですか?」とか、
「ドキドキしながら楽しみに読んでいます」とか、
「何話まで続くのですか?」とか、
「続きが読みたい!早く~~~う」とか。
・・・・色々、有り難いプライベートメールを頂いています。
そうですよね。お待たせし過ぎですよね。
筆者としては、(筆者??!! 突然偉そうです)猫の話が続き過ぎては、退屈なさるのではという深い配慮から、間隔をおいてアップしているつもりなのですが、・・・あまり間が空いては、話もわからなくなってしまいますし、ただのずぼらの言い訳ですよね。
反省して、続きの執筆に勤しもうと思います。
お詫びも兼ねた特別公開ということで、古いアルバムを紐解いて、今まで肖像権を守り公表を控えておりました彼ら三匹のポートレートをぼちぼちと少しずつ公開させていただこうかと思います。
そして、本日の『紋次郎物語 その五 』は「その一」、「その二」、「その三」、「その四」から続いております。よろしかったらもう一度、それぞれをクリックして、内容をご確認頂きますように。
~ その五 <まだら>との日々 ~
深い母性愛に満ちたあの母猫の忘れ形見の、三匹の子猫には、それぞれ<まだら><猫吉><紋次郎>という名がつけられたことは前回お話しましたが、いずれが兄であり弟であるか、その順は全くもって定かではありません。
そもそも同時に生まれているのですから、本当は上も下もないのでしょうけれど、人間の双子に習い、年長の順をつけるならどうだろうという他愛もない話題が我が家では持ち上がりました。
長兄はおそらく<まだら>では、という全員の一致する見解の後、弟は大人しい<猫吉>こそが、私はやんちゃで負けず嫌いな<紋次郎>が、と、末っ子説は二分されました。
兎も角も、まずは、<まだら>について、お話してみようかと思います。
<まだら>
誰もが<長兄>と疑わなかった<まだら>は、前回、
「母猫に一番姿形の似た日本猫、白地のベースに黒と茶の斑点が入っている三毛猫で、ふっくらとした柔和な顔つき、性格も人懐こく温厚で、理解力も抜群に良い優等生タイプの猫です。」
とご紹介してみましたが、まさにこの通りなのです。

ノラの出自を持った猫は、小さい時から飼い猫として育て、どんなに可愛がっても、やはりどうしてもどこかに野良猫としての生れついての性・・・どこか屈折していたり、警戒心が強かったり、もっと言えば、孤独を体で知ってしまったような性が・・・・沁みついて残っている様な気がするのですが、この、<まだら>については、本当に不思議なくらいそういう所がなく、ひたすら人間に親和的で、素直で穏やかで、けれど快活で、誰からも愛される可愛い性格の猫でした。
兄弟への思いやりがあって、そして勇気もあり、猫に知能指数があるならダントツトップと思われるほど、一を教えれば十悟るというくらいの聡明さで、今でも、思い出すと褒め言葉が尽きることなく出てきますし、まず二度と出会えない逸材であったと思います。
<まだちゃん>とか<まだら君>とか皆勝手に呼んでいましたが、どんな適当な愛称でも、速やかに反応し、呼ばれると嬉しそうにすぐ走ってきて、ちょこんと座る、犬みたいな猫でした。
当時、猫達は、昼間だけは茶の間に入って遊ぶ事を許されていたのですが、茶の間に入るには、汚れた足を綺麗にするために、「縁側に置かれた雑巾の上で何度も何度も<よ~~し!>と言われるまで、足踏みをしなければならない」というとんでもなくおかしな取り決めが我が家にはあり、・・・・この方法を考案したのは私なのですが、・・・足踏み体操のような、猫にあるまじき奇妙な訓練も、あっという間に習得したのは他ならぬ<まだら>でした。
これに限らず、何でもパーフェクトに覚え、また継続力もあり、兄弟も仕方なくこれに習うという感じで、まさにリーダーとしての役割をいつも担っていたような気がします。
<足踏み体操>について言うなら、何があっても誠実に規則を遵守するのは、<まだら>で、誰かが見ている時だけ、とりあえずやってる風を装うのが<紋次郎>、いつも失念しては、兄弟の様子を見てはっと気づき、遅れを取って最後にやり始めるのが<猫吉>という、三者三様の姿がありました。

そんなせいか、傍若無人の暴れん坊<紋次郎>も兄貴分には明らかに一目置いて、彼にだけは、意外に従順に従っていましたし、<猫吉>に至っては「寄らば大樹の陰」と言わんばかりに安心して寄り添っている感じさえしました。(写真は<猫吉>(左)と仲良く食べている<まだら>(右)です)
<まだら>は、私には特になついていて、出掛ける時など、どこまでも後を追いかけてきて、「もうお見送りは良いから、気をつけて帰りなさい」というと、聞き分け良く、でもちょっと寂しげに引き返してゆくという、まるで忠犬ハチ公みたいで、思わず抱きしめたくなる猫でした。
犬のような猫がいることを私は<まだら>によって初めて知りましたし、ということはきっと、世の中には、猫のような犬もいるわけでしょう、動物といえどもそれぞれの個性があり、侮ってはいけなくて、命あるものは豊かな感情の機微と、かなり高い精神性を持っているのだと、私はずっと信じています。
そんな<まだら>は、それからまだ一年もしないうちに死んでしまいました。
年の瀬に近い、木枯らしが吹く寒い日の夜でした。
数日前から、いつも元気印の<まだら>がどこか力がなくて、くしゃみをしたり、息が少し荒かったり、目も潤んでいて、風邪でも引いたかな?と心配していた矢先でした。
猫達は、この頃はまだ、昼間家の中で束の間遊ぶ事はあっても、基本的には外猫として飼われていましたので、夜寝るのは、縁の下にそれぞれの寝床として用意された段ボールの中でした。
ただ、子猫たちが迎える初めての冬がやってきて、段々寒くなってくる中で、家の中で寝る体制を考えてやらねばと思い初めていたところでした。
<まだら>の様子が心配で、毛布を一枚余分に入れながら「明日、お父さんとお母さんに相談して家に入れて貰えるようにするから、少しだけ待っててね。」と話しかけたことを、それに応えるように嬉しそうにニャアニャアと甘える声で鳴いたのを今でも思い出します。
翌朝、縁側の上で、<まだら>は、まんまるいいつもの柔和な顔をして亡くなっていました。
後から調べてみると急性肺炎のような症状だったのかと思われます。
心細かったのかな、箱から出て、最期の挨拶をしようとしたのかな、と心が痛くてなりませんでした。
助けてあげられなかったのが、本当に可哀そうで申し訳ない気持ちが今でもしています。
この後、残された猫たちは程なく夜は家の中で寝ることが出来るようになり、具合が悪くなればすぐお医者さんにも連れてゆきましたので、それにつけても、もう少し<まだら>が元気でいてくれたら、どんなにか楽しい時間を共有できたのではと思うのです。
ちなみに付け加えますと、外と家との彼らの出入り口は、茶の間の押し入れの床板をくり抜いた、通称「猫穴」と呼ぶ小さな穴から、縁の下へと通じるように作りました。
外から、縁の下を通ってちょっとジャンプして猫穴に顔を出し、押入れの少しの隙間から茶の間に入ることが出来るというわけです。
これは防犯上も完璧で問題なしと家族も認めてくれました。
例の足拭き雑巾ですが、猫穴の上がり口に置かれることとなり、彼らの足踏み体操も、押入れの入り口で継続されました。
不思議なことに、今度は二匹とも覚えが早く、しかも<まだら>がしていたように、いつもきちんとこの習慣を崩さず全うし通しました。
自分達を快適な生活に導いてくれた<まだら>への、彼らなりのはなむけだったのかなと、またまたおかしなことを私は考えています。
これにて、「第五話 <まだら>との日々」 の完とさせて頂きます。
次回は勿論・・・<猫吉>編と<紋次郎>編に続けたいと思いますので、お楽しみに。


