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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

紋次郎物語 ~その十 別れ~

池の傍の紋次郎 「猫の話を是非!」というリクエストを受け、書き始めてみたこの『紋次郎物語』ですが、いつの間にか十回を重ねることとなりました。
 それでも未だ、語り尽くせず。
 こうして読んで下さる皆様とご一緒に、思い出を懐かしく辿ることが出来て、とても幸せです。
 ここまでお付き合い下さって本当に有難うございます。
 では、今日は最終回、~その十 別れ~ をお読みください。

   ~その十 別れ~
 紋次郎は、当時としてはかなり長寿の15歳で亡くなりました。
 愛情を注がれ、食住を保証される飼い猫生活が半分、後の半分は、野良猫の自由を獲得したまま、近所の野山や、近くの海岸を駆け巡る自然児として、天寿を全うできたことは、幸せだったのではと思います。

 尤も、それが猫冥利に尽きたかどうかは本人に聞いてみないとわからないことで、人間と猫、それぞれと関わる違う顔を持って、二つの世界を生きることは、それなりに大変で、苦労や気遣いも多かったかもしれませんし、少なくとも、相当多忙な日々を過ごしていたのでしょう。
 そういえば、<紋次郎>は、どことなくいつも忙しそうにしている猫で、池のほとりにじっと座っている時でさえ、暇を持て余しているという風ではなく、「今お仕事中だから邪魔しないで!」というちょっと勢い込んだ緊張感をいつも漂わせていました。・・・この点だけは、長年の相棒の私に似ていたのかもしれません。いつも何かしていないと落ち着かない貧乏性の私の性癖が伝染していたとしたら、紋次郎に気の毒だったと思います。
往年の紋次郎 
好日往来
 これも既に記したことですが、<紋次郎>にはファンが多かったようで、色々な牝猫がよく我が家の庭を訪れてきました。
 そういう時の<紋次郎>は割とクールで、「なにか用事でも・・」という感じの応対しかしないので、傍目にも涙ぐましいくらい思慕の情を募らせ寄ってくる牝猫にこちらの方が気の毒になってしまうくらいでした。
 「折角訪ねてきているのだから、もうちょっと優しくしてあげれば・・・」と思わず声をかけても、結構あっさりした顔で「そんな仲でもないからご心配なく」みたいな様子で平然としているのです。
 人間でいえば、<どうしよう、でも思い切って告白します>というような純情可憐なお嬢様タイプの牝猫が多くて、<紋次郎>は猫の世界では結構イケメンだったのでしょうか。
 何しろ言葉が通じ合う私達ですので、牝猫が帰った後、「もんじろう君、隅に置けませんねえ」とからかうと、彼はなんとも照れくさそうな様子で下を向いてしっぽをパタパタさせていました。
 
 ある時、紋次郎の後ろに子猫がついてきたことがありました。
 この猫は紋次郎と瓜二つ。
 誰がどうみても紋次郎の子供であることは明白で、ひとしきり、家族皆で紋次郎をしつこく追求=からかいまくりました。
 もう本当にバツが悪そうで、おろおろそわそわ、あんなに落ち着かない<紋次郎>を見たのは初めてだったかもしれません。
 でも、この頃になると、家族全員、猫というものにすっかり慣れ切っていましたし、<猫吉>がいなくなって、<紋次郎>だけの生活に少し寂しい気もしていた矢先でしたので、当たり前のように、この子猫も面倒見ようということになりました。
 頭の回転は残念ながらさほど良くなかったのですが、おっとりとした人懐こい牝猫で、またまた一瞬で「姫」という名がつけられました。
 「ひめちゃん~」と呼ばれると、一瞬遅れて「フニャー」とちょっとつぶれたような悪声で答えていました。
 そういえば、<紋次郎>の声についてはお話ししていませんでしたが、彼の声は、外見や性格とは全く違って、本当に美しく澄んだ、鈴を鳴らすような高く細い声なのです。声だけ聞いているとどんな絶世の美女かと思うくらい、品格のある涼やかな美声で、外見とのギャップに本当に唖然でした。
 
 <姫>は容貌以外は声も性格も知的能力も<紋次郎>とは全く似ていなくて、とても気の良い子なのに、ドンなところがよほど気に食わなかったのか、<紋次郎>は鬱陶しそうにしていて、父親としての愛情をほとんど示さないのです。
 <姫>はというと、「邪魔だからあっちに行って」みたいな顔を露骨にされても、全然意に介さず、父と慕い(たぶん?!)、どこでもまとわりついて離れず健気でもあったのですが。
 
子猫は母猫が育てるものですよね。なぜ<紋次郎>のところに<姫>が来たのか、今もってよくわかりません。
猫の世界にそういうイレギュラーってあるのでしょうか?もしかしたら<紋次郎>が特別薄情な性格なのではなく、本来の本能とは違う成り行きに戸惑っていたのかもしれないですね。
 
<姫>は半年ほど我が家で暮らし、いつの間にかいなくなりました。
その後、一年位して、首輪をつけて元気に遊びにきましたので、誰か可愛がってくれる人に巡り合ったようです。
<紋次郎>に「早く帰れ」みたいに追い払われても、その後も時々、無邪気な様子で訪れてきました。

   おじいさん先生
 無鉄砲者の<紋次郎>でしたから、生傷が絶えず、私も怪我の治療の腕がどん上がってゆきましたが、幸い体は頑強で、最晩年までお医者様にかかることはありませんでした。
 でも、亡くなる一年ほど前から、段々体調が悪くなり、ものをあまり食べなくなったり、嘔吐したりと具合の悪そうな様子を時折みせるようになってきました。
 ただ黙ってうずくまっている、その様子があまりに心配なので、ついに近くの動物病院に連れてゆこうということになりました。
 ただ、近くと言っても車で20分くらいはかかるので、一体どうやって連れて行ったら良いのか、・・・今ならケージに入れて一緒に旅行にも行ける犬猫は沢山いますけれど、紋次郎にはそういう経験は皆無です。
抱き上げられることも喜ばない風来坊ですので。

 *まずは、恒例の、コンコンと言い含める説得作戦の実行。
 *この後、座布団カバーを頭から被せて顔だけ出してチャックを閉め、<袋入り猫>を作る。(病院に、「これこれしかじかの猫を安全に運んでゆくにはどうしたらよいでしょうか?」と相談したら教えてくれた方法なのです。猫は袋に入れられると落ち着いて大人しくなるのだそうです)
 *座布団カバーから顔だけ出した<紋次郎>を母に助手席で優しく抱きかかえてもらい、私が運転して病院まで連れてゆくことに大成功。
 初めて乗る車、車窓の風景を<紋次郎>はどう思っていたのでしょうか?
 こんなことなら普段から、ドライブにつれてゆく習慣をつけておけばよかったとその時、心底思いました。

 私も緊張していましたが、<紋次郎>も病院初体験で緊張がピークに来ていたみたいです。消え入りそうな声で助けを求め、がたがた体を震わせていました。可哀想だけど仕方ない・・・・「治るからね。大丈夫だからね」と繰り返すばかりでした。幼い子が白衣や消毒の匂いに怯えるのと同じ動物的拒否反応なのでしょうね。
 
 診察して下さった獣医さんは、陽に焼けて深い皺が刻まれたかなり年配のおじいさん先生でした。
 目がとても優しそうで、じっと<紋次郎>を見つめながら、低い響きのあるのんびりとした声で、「どうしたかな。気分が悪いのか。もう大丈夫、すぐ良くなるからね。ちょっと見せてご覧・・・・・・」と、ずっと話しかけながら、ひょいと抱き上げて、造作なく、口の中を診たり、お腹を触ったり、しっぽを上げて体温計を差し入れたり、手品みたいなよどみない動きで、<紋次郎>は為されるが儘、身じろぎもせず催眠術にかかったみたいな目でうっとりとおじいさん先生を見ていました。いつの間にか震えも止まっていました。
 点滴や他の注射などをしたら、見違えるようにみるみる回復して、獣医さんというのはこんなにも凄いものなのだと大感激して帰ってきました。

 でも診断は、結構深刻で、腎不全で、腎盂炎を起しており、回復するのは難しいけれど、兎も角かなり苦しいだろうから、少しでも楽になるように、様子を見ながら注射に通うようにということでした。

 大人になってからは、猫用のバランス食の缶詰めを食べ物に与えていましたが、その昔子供の頃はそれこそ、当時大方の家がそうだったように、残り物の食事を適当にやっていましたので、知らず知らず塩分なども取り過ぎになっていたのかもしれません。もっと気をつけていればと責任を感じますが、今まで病気一つさせず元気で育てたのだからと先生は慰めて下さいました。

 それから、段々病院に通う頻度が多くなってきました。
 病院にはおじいさん先生と、その息子さんの若先生がお二人で診療していらして、若先生の診察の時は、<紋次郎>はブルブル震え出し、断固拒否して大暴れでした。
 失礼のないよう、密かに塩梅して、おじいさん先生にだけ診て頂くようにするのが一苦労でしたが、おじいさん先生は動物と自由に交信できるムツゴロウさんみたいな方だったのでしょうね。
 この先生に最後まで診て戴けて、<紋次郎>は幸せだったと思います。

   最期の時
 それからひと月ほどして、<紋次郎>は亡くなりました。
 最後の頃はかなり苦しそうで、夜も時々発作を起こすことがあったので、私の部屋で、一緒に寝かせていました。
 苦しがって息を切らしているのを見ることは本当に辛かったです。
 夜中ですし、私がしてあげられることは何もないのですが、ただ体をずっとさすったり、話しかけたりして朝まで過ごした時もありました。
 亡くなる前日の夜はかなりひどい発作が起き、それが治まった時、<紋次郎>は涙を流していました。
いろんな思い出話をしたら、段々落ち着いて優しい顔つきになってきて、何となく<紋次郎>が頷き続けてくれたような気がして、この日も明け方まで、ずっと話しながら過ごしました。
 一緒に過ごした日々、色々な出来事、同じ時間を生き共に過ごした縁が<紋次郎>という一つの命と結ばれている気がして、今でも私にはかけがえのない大切な存在です。
 この日、朝早く病院に連れて行ったのですが、それから間もなくして静かに息を引き取りました。

 実は、この十日後、私はアメリカに長期研修に行くことになっていて、紋次郎の事だけが気がかりでならなかったのですが、そんな思いを察して、最後のお別れができるよう、紋次郎は逝ったのではという気がしているのです。

 我が家の近くに、浄土宗の大本山、由緒ある光明寺というお寺があるのですが、光明寺には、当時としては珍しい動物霊堂があって、紋次郎はそこに葬られています。
浄土宗光明寺(鎌倉) 光明寺境内の動物霊堂 
 お彼岸の頃には、大勢の愛犬・愛猫家たちが供養に集まり、人間並みに厳かな読経が行われます。
 母猫とまだらと猫吉と・・・皆の代表としてこのような供養を受けることとなった紋次郎は、空の上で何と思っているのでしょうか。
 そして、期せずして皆様にも知って戴くことになって、恥ずかしがりながらしっぽをパタパタしているのではと思うのです。 


  『紋次郎物語』、これにて完と致します。
これまでお付き合いいただきまして、有難うございました。

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