
昨日の記事「百有十歳にしては~小布施 北斎散歩1」の続きです。
では早速!
「百有十歳にしては」
クイズ正解率は如何でしたか?
外側から垣間見ると、相当な奇人変人の類のようですが、その画業についてはまさに天才そのもので、時代を超越して自由自在に芸術の世界に遊び、ジャンルを超えて傑作を生み出していったことが良く理解できます。
何回作品を見てもその度毎に気づかされる感動がありますし、何よりも北斎自身が、森羅万象を喜びを持った目で見詰め、面白がり、その本質を描き出そうとする尽きることのない創造性に満たされていることが感じられます。小布施を彼が訪れたのは83歳の時ですが、ここでの作品も若々しい青年のような気迫と筆勢に溢れていて、圧倒されます。
今回改めて心に迫って来た言葉がありますので、下に引用してみますね。
彼が75歳の時に発表した絵本『冨嶽百景』の文章の抜粋です。(その下は口語訳です)
己六才より物の形状を写の癖ありて
半百の此より数々画図を顕すといえども
七十年前画く所は実に取るに足ものなし
七十三才にして稍 禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
故に八十才にしては益々進み
九十才にして猶其奥意を極め
一百歳にして正に神妙ならん与欠
百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
願くば長寿の君子予言の妄ならざるを見たまふべし
私は6歳の頃から物の形を写生する癖があり
50歳の頃から数々の画図を発表してきたが
70歳以前に描いたものは実に取るに足りないものだった
73歳で鳥獣虫魚 草木の何たるかをようやく悟ることが出来た
であるから、80歳になれば益々向上し
90歳になれば更にその奥意を極めて
100歳で神妙の域に至るのではないか
110歳になれば一点一格が生きているようになることだろう
願わくは長寿を司る神よ 私のこの言葉が偽りでないことを見ていて下さい。
凄いですね。
繰り返しますが、人生50年の時代です。こんな人がいたのですね。
北斎は、いつも今ではないもっと先の優れたもの、美しいものを見続けていたのでしょうか?
絶筆と称される、富士山を越えて龍が昇天する『富士越龍図』という絵がありますが、この龍は北斎自身の理想の姿だったのかもしれません。
そういえば、今年は辰年。この龍の姿が心に焼き付いてゆく気がしました。
110歳か!!
単純な私は「よ~~し!!」などと限りなくその気になっています。
晩年の北斎の肉筆画は、西洋画のような大胆でモダンな構図や意表を突く鮮やかな色彩、命が迸るような躍動感が感じられ圧巻なのですが、そんな中で『西瓜と包丁』と名付けられたこんな優しげな絵にも目を惹かれました。
美味しそう!!切りたての西瓜の瑞々しさが伝わってきます。
薄い和紙が美しく西瓜を覆っていて、何とも言えない風情がありますよね。
帰路。
北斎から元気を貰って記念館を後にすると、小布施の郊外、沿道に林檎畑と葡萄棚が続いているのが目に入ってきました。
硬くて酸っぱそうな青林檎も、夏の色。
葡萄も一房ずつ美味しくと、丹精込められて、実りの時を待っています。
抜ける青空の下、北斎を訪ねた信州の夏の爽やかな一日でした。
では早速!
「百有十歳にしては」
クイズ正解率は如何でしたか?

外側から垣間見ると、相当な奇人変人の類のようですが、その画業についてはまさに天才そのもので、時代を超越して自由自在に芸術の世界に遊び、ジャンルを超えて傑作を生み出していったことが良く理解できます。
何回作品を見てもその度毎に気づかされる感動がありますし、何よりも北斎自身が、森羅万象を喜びを持った目で見詰め、面白がり、その本質を描き出そうとする尽きることのない創造性に満たされていることが感じられます。小布施を彼が訪れたのは83歳の時ですが、ここでの作品も若々しい青年のような気迫と筆勢に溢れていて、圧倒されます。
今回改めて心に迫って来た言葉がありますので、下に引用してみますね。
彼が75歳の時に発表した絵本『冨嶽百景』の文章の抜粋です。(その下は口語訳です)
己六才より物の形状を写の癖ありて
半百の此より数々画図を顕すといえども
七十年前画く所は実に取るに足ものなし
七十三才にして稍 禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
故に八十才にしては益々進み
九十才にして猶其奥意を極め
一百歳にして正に神妙ならん与欠
百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
願くば長寿の君子予言の妄ならざるを見たまふべし
私は6歳の頃から物の形を写生する癖があり
50歳の頃から数々の画図を発表してきたが
70歳以前に描いたものは実に取るに足りないものだった
73歳で鳥獣虫魚 草木の何たるかをようやく悟ることが出来た
であるから、80歳になれば益々向上し
90歳になれば更にその奥意を極めて
100歳で神妙の域に至るのではないか
110歳になれば一点一格が生きているようになることだろう
願わくは長寿を司る神よ 私のこの言葉が偽りでないことを見ていて下さい。

凄いですね。
繰り返しますが、人生50年の時代です。こんな人がいたのですね。
北斎は、いつも今ではないもっと先の優れたもの、美しいものを見続けていたのでしょうか?
絶筆と称される、富士山を越えて龍が昇天する『富士越龍図』という絵がありますが、この龍は北斎自身の理想の姿だったのかもしれません。
そういえば、今年は辰年。この龍の姿が心に焼き付いてゆく気がしました。
110歳か!!
単純な私は「よ~~し!!」などと限りなくその気になっています。

晩年の北斎の肉筆画は、西洋画のような大胆でモダンな構図や意表を突く鮮やかな色彩、命が迸るような躍動感が感じられ圧巻なのですが、そんな中で『西瓜と包丁』と名付けられたこんな優しげな絵にも目を惹かれました。
美味しそう!!切りたての西瓜の瑞々しさが伝わってきます。
薄い和紙が美しく西瓜を覆っていて、何とも言えない風情がありますよね。
帰路。
北斎から元気を貰って記念館を後にすると、小布施の郊外、沿道に林檎畑と葡萄棚が続いているのが目に入ってきました。


硬くて酸っぱそうな青林檎も、夏の色。
葡萄も一房ずつ美味しくと、丹精込められて、実りの時を待っています。
抜ける青空の下、北斎を訪ねた信州の夏の爽やかな一日でした。


