
9月1日のミニコンサート、お陰様で無事終わりました。
曲想は違うというものの、四曲共、<ア~ヴェ・マリ~ア~♪>と歌い続けましたので、私の次に歌われた方から、「頭にも体にもアヴェ・マリアが鳴り響いてしまって、自分の歌詞が出てくるかどうか・・・」と思わず前置きがあって・・・・ごもっともですよね。・・・確かに歌いにくかったのでは、・・・申し訳なかったです。
たぶん普通のコンサートだったら、ここまで重ねるような曲選びはしないと思うのですが、仲間内の研究会の面白さで、色々な可能性を探りながらの実験的な試みが許されるのではと、勝手に判断したのでした。
でも、いつもマイナーな曲ばかり好んでチョイスする私に、「シャンソンの中に、こんなに色々な<アヴェ・マリア>があるなんて新鮮」とか、「<アヴェ・マリア>を堪能できて楽しかった」とか、嬉しい言葉を頂き、ちょっとだけ今は充実感があります。
それでは、・・・前回の記事の公約に従って、4曲のアヴェ・マリアのご紹介をさせていただきますね。
1曲目 『もう一つのアヴェ・マリア』
この曲は、『もう一つのアヴェ・マリア』訳詞への思い(10)で既にご紹介しましたので、内容については再度ご参照を。
恋の狂おしい炎に身を焦がす、情念の歌です。
<ア~ヴェ マリ~~ア~>のリフレインが終盤はずっと続くのですが、思いっきり不気味な不協和音でピアノの伴奏が入ります。
歌の出来が良い時はそれにつれ、三浦先生の伴奏の不気味さもパワーアップしてきます。
この日は、歌い慣れている筈の私も、うお~~!!と圧倒される迫力満点のピアノでしたので、結構上手くいったのかもしれません。
1曲終わり、ご挨拶と曲紹介のトークを入れました。
「間に、おしゃべりを挟むと次の曲を忘れるのでトークは苦手」とおっしゃる仲間の方は多いのですが、私はお話を入れた方が落ち着いて楽しいです。
<話の合間に歌>でもOK・・・・などと密かに思っています。
教壇に立っていた頃の感覚が無意識に戻るのかもしれません。
2曲目 『異教徒のアヴェ・マリア』
1998年にパリで初演されて大成功を収めたミュージカル、『ノートルダム・ド・パリ』の中からの曲です。
原作はヴィクトル・ユゴーの『ノートルダムの鐘』。
舞台は15世紀の荒んだパリ。ノートルダム聖堂の醜い鐘つき男カジモドが主人公です。
或る日、ジプシーの一団がパリにやってきて、彼は、その中の美しく心優しい踊り子のエスメラルダに密かに恋心を抱きます。
そして・・・・・というわけで、壮大なスペクタクルが繰り広げられて行くのですが。
そのエスメラルダは、ジプシーを弾圧する立場にいる近衛隊長の青年に報われない身分違いの恋をしてしまい、思い悩むのです。
ノートルダム聖堂で、彼女が一人祈る曲がこれです。
アヴェ・マリア 聞き入れ給え
跪く術(ひざまづくすべ)も知らず
御前(みまえ)に佇む 異教のこの身の祈りを
恋する女性のいじらしさや儚さが、マリアへの祈りを通して切々と伝わる美しいメロディーで大好きな曲の一つです。
このミュージカルは全52曲からなり、セリフは用いず、全て歌だけで展開されているのですが、さすが、フランスのミュージカルならではですね。
52曲中、既に三分の一は、訳詞してみました。・・・全曲どれも素敵なので、いずれは・・・と目論んでおります。
3曲目 『レ・ギャルソン・ドゥ・モン・カルティエ~私の街の男の子達~』
「ジュリエット」という歌手をご存知ですか?
まん丸いふちのトンボ眼鏡をかけた、たっぷりとした体格の、現在フランスで活躍中のシンガーソングラーターです。
これまで何回か来日の噂はありましたが、実現せず、でもついにこの7月、巴里祭の頃、初来日したのです。
芦屋(兵庫県)と東京と福岡でコンサートがありましたが、実は、実は、・・・・今まで黙っていましたが、・・・・私は二カ月程前の7月1日、芦屋に行ってジュリエットのコンサートを聴いて参りました。
話題になるずっと前、日本での知名度ほとんどゼロの頃から、私はジュリエットに注目していて、いつかライブが聴ける日が来ないものかと心待ちにしていたのですが、ついに念願叶い、しかも期待以上に素敵で大感激でした。
その彼女の代表曲の一つがこの曲で、7月1日にも聴く事が出来ました。
<私の街の男の子達>は、刺青をして、ピストルを持って、タバコをふかして 街をうろついています。
明日があることを誰も期待していなくて、気持が荒みきっています。
私は、そんな彼らの中の一人を恋人に持っていますが、彼もまた筋金入りの悪党で、密売、売春、転落の日々の中、きっと誰かに殺されてゆくに違いないと思います。
そんな<男の子達>の描写が続いて、私はマリアにこんな言葉で祈ります。
私は祈る 慈悲深きマリア
ベールの下で 心閉ざすマリア
殺人者の聖母よ 見捨てられた子らに あなたの涙を
今年はコンサートやライブで、繰り返しこの歌を歌ってみようかと思いますので、機会があったら是非聴きにいらして下さいね。
4曲目 『アヴェ・マリア』
ここでまた、一言トークを入れて、4曲目へ。
アズナブールが歌っている『アヴェ・マリア』という曲です。
これは、前の3曲と違って、歌詞の内容もメロディーも、屈折した所のない、真っ直ぐな祈りの曲で、彼は美しく伸びやかな声で歌い上げています。
最近、私の親しい友人が長く連れ添った大切な伴侶を失くされました。そのお知らせを受けた時、なぜか、この<アヴェ・マリア>が心にふっと浮かんできて、思わず鎮魂の意を込めて訳詞した曲なのです。
もっともっと歌い込んで、心が伝わっていけばと思っています。
以上、9月1日のミニコンサートのご報告でした。
(注 訳詞については無断転載転用を禁止します。
取り上げたいご希望がある場合は、事前のご連絡をお願いします。)
おまけのお話
ミニコンサートが終わった翌日、お花屋さんの店頭に季節遅れのヒマワリが沢山並んでいて、少し違和感を覚えたのですが、こんな看板が目に留まり、思わず飾ってみたい気がしてしまいました。
「さよならヒマワリ 今年もありがとう」
「2012年最後のさよならヒマワリフェア」
「泣いても笑ってもこれがラストです 夏の終わりに最後のヒマワリを楽しみつくしましょう」
曲想は違うというものの、四曲共、<ア~ヴェ・マリ~ア~♪>と歌い続けましたので、私の次に歌われた方から、「頭にも体にもアヴェ・マリアが鳴り響いてしまって、自分の歌詞が出てくるかどうか・・・」と思わず前置きがあって・・・・ごもっともですよね。・・・確かに歌いにくかったのでは、・・・申し訳なかったです。
たぶん普通のコンサートだったら、ここまで重ねるような曲選びはしないと思うのですが、仲間内の研究会の面白さで、色々な可能性を探りながらの実験的な試みが許されるのではと、勝手に判断したのでした。
でも、いつもマイナーな曲ばかり好んでチョイスする私に、「シャンソンの中に、こんなに色々な<アヴェ・マリア>があるなんて新鮮」とか、「<アヴェ・マリア>を堪能できて楽しかった」とか、嬉しい言葉を頂き、ちょっとだけ今は充実感があります。
それでは、・・・前回の記事の公約に従って、4曲のアヴェ・マリアのご紹介をさせていただきますね。
1曲目 『もう一つのアヴェ・マリア』
この曲は、『もう一つのアヴェ・マリア』訳詞への思い(10)で既にご紹介しましたので、内容については再度ご参照を。
恋の狂おしい炎に身を焦がす、情念の歌です。
<ア~ヴェ マリ~~ア~>のリフレインが終盤はずっと続くのですが、思いっきり不気味な不協和音でピアノの伴奏が入ります。
歌の出来が良い時はそれにつれ、三浦先生の伴奏の不気味さもパワーアップしてきます。
この日は、歌い慣れている筈の私も、うお~~!!と圧倒される迫力満点のピアノでしたので、結構上手くいったのかもしれません。
1曲終わり、ご挨拶と曲紹介のトークを入れました。
「間に、おしゃべりを挟むと次の曲を忘れるのでトークは苦手」とおっしゃる仲間の方は多いのですが、私はお話を入れた方が落ち着いて楽しいです。
<話の合間に歌>でもOK・・・・などと密かに思っています。
教壇に立っていた頃の感覚が無意識に戻るのかもしれません。
2曲目 『異教徒のアヴェ・マリア』
1998年にパリで初演されて大成功を収めたミュージカル、『ノートルダム・ド・パリ』の中からの曲です。
原作はヴィクトル・ユゴーの『ノートルダムの鐘』。
舞台は15世紀の荒んだパリ。ノートルダム聖堂の醜い鐘つき男カジモドが主人公です。
或る日、ジプシーの一団がパリにやってきて、彼は、その中の美しく心優しい踊り子のエスメラルダに密かに恋心を抱きます。
そして・・・・・というわけで、壮大なスペクタクルが繰り広げられて行くのですが。
そのエスメラルダは、ジプシーを弾圧する立場にいる近衛隊長の青年に報われない身分違いの恋をしてしまい、思い悩むのです。
ノートルダム聖堂で、彼女が一人祈る曲がこれです。
アヴェ・マリア 聞き入れ給え
跪く術(ひざまづくすべ)も知らず
御前(みまえ)に佇む 異教のこの身の祈りを
恋する女性のいじらしさや儚さが、マリアへの祈りを通して切々と伝わる美しいメロディーで大好きな曲の一つです。
このミュージカルは全52曲からなり、セリフは用いず、全て歌だけで展開されているのですが、さすが、フランスのミュージカルならではですね。
52曲中、既に三分の一は、訳詞してみました。・・・全曲どれも素敵なので、いずれは・・・と目論んでおります。
3曲目 『レ・ギャルソン・ドゥ・モン・カルティエ~私の街の男の子達~』
「ジュリエット」という歌手をご存知ですか?
まん丸いふちのトンボ眼鏡をかけた、たっぷりとした体格の、現在フランスで活躍中のシンガーソングラーターです。
これまで何回か来日の噂はありましたが、実現せず、でもついにこの7月、巴里祭の頃、初来日したのです。

芦屋(兵庫県)と東京と福岡でコンサートがありましたが、実は、実は、・・・・今まで黙っていましたが、・・・・私は二カ月程前の7月1日、芦屋に行ってジュリエットのコンサートを聴いて参りました。
話題になるずっと前、日本での知名度ほとんどゼロの頃から、私はジュリエットに注目していて、いつかライブが聴ける日が来ないものかと心待ちにしていたのですが、ついに念願叶い、しかも期待以上に素敵で大感激でした。
その彼女の代表曲の一つがこの曲で、7月1日にも聴く事が出来ました。
<私の街の男の子達>は、刺青をして、ピストルを持って、タバコをふかして 街をうろついています。
明日があることを誰も期待していなくて、気持が荒みきっています。
私は、そんな彼らの中の一人を恋人に持っていますが、彼もまた筋金入りの悪党で、密売、売春、転落の日々の中、きっと誰かに殺されてゆくに違いないと思います。
そんな<男の子達>の描写が続いて、私はマリアにこんな言葉で祈ります。
私は祈る 慈悲深きマリア
ベールの下で 心閉ざすマリア
殺人者の聖母よ 見捨てられた子らに あなたの涙を
今年はコンサートやライブで、繰り返しこの歌を歌ってみようかと思いますので、機会があったら是非聴きにいらして下さいね。
4曲目 『アヴェ・マリア』
ここでまた、一言トークを入れて、4曲目へ。
アズナブールが歌っている『アヴェ・マリア』という曲です。
これは、前の3曲と違って、歌詞の内容もメロディーも、屈折した所のない、真っ直ぐな祈りの曲で、彼は美しく伸びやかな声で歌い上げています。
最近、私の親しい友人が長く連れ添った大切な伴侶を失くされました。そのお知らせを受けた時、なぜか、この<アヴェ・マリア>が心にふっと浮かんできて、思わず鎮魂の意を込めて訳詞した曲なのです。
もっともっと歌い込んで、心が伝わっていけばと思っています。
以上、9月1日のミニコンサートのご報告でした。
(注 訳詞については無断転載転用を禁止します。
取り上げたいご希望がある場合は、事前のご連絡をお願いします。)
おまけのお話
ミニコンサートが終わった翌日、お花屋さんの店頭に季節遅れのヒマワリが沢山並んでいて、少し違和感を覚えたのですが、こんな看板が目に留まり、思わず飾ってみたい気がしてしまいました。


「さよならヒマワリ 今年もありがとう」
「2012年最後のさよならヒマワリフェア」
「泣いても笑ってもこれがラストです 夏の終わりに最後のヒマワリを楽しみつくしましょう」


