
目下、体調不良です
何かというとすぐ熱を出すひ弱な子っていますよね。
私は幼い頃は将にそんなで、親にも随分心配をかけていたのですが、今や、疲れ知らずに東へ西へ走り回って暮らしていますので、「風邪も引かない頑強な人ね。」って言われる事が多くなりました。
何かの加減で体質が変わる事ってあるらしいので、子供の頃、病気がちだったりしてもそんなに心配することもないみたいです。
・・・と思っていたら、数年前からついに花粉症デビューしてしまい、これがかなりの重症で往生しています。
それでも、昨年までは春のスギとヒノキだけだったのですが、どうやらこの秋、つい最近、怪しげな何かのアレルギーが起こっている気配で、この間の巴里野郎ライブが終わってからも、どうも体調は今一つ、特に喉周辺に限りなく危険な雰囲気が漂っています。
あと一週間後には、新橋で合同コンサートもありますし、早く回復させなければ・・・どうしよう!!
で、この一週間、ほとんど歌の練習もせず、どうしてもの時以外は出来るだけ話もせずに、マスク、点鼻薬、咳止め、トローチ、スチーマー、・・・・耳鼻科グッツに囲まれて、物静かに、そおっと過ごしています。
郵便局
コンサート関係のご連絡をする時期なのですが、<沈黙は金>・・・こんな時は、電話より手紙で。
筆マメなほうで、手紙を書くのは、昔から大好きです。
で、郵便局も大好きです。
どのポストは回収時間が何時か・・・など、もしかしたら郵便局員さんより詳しく正確に知っているかもしれません。
民営化される前の郵便局は総じて、地味な感じで、ひたむきに粛々と業務をこなしていたという気がします。どのポストも(通りに面していて投函数の多そうなポストも、ほとんど利用がなさそうな辺鄙な場所にあるポストも)回収回数が一緒だったりして、(そういう実直さは、効率から言うと問題はあるかもしれませんが、)私にとってはこれぞ郵便局の本来の姿のように思われて、どこかノスタルジックな香りを感じたものです。
でも、民営化されてからの郵便局も、また違う活気が感じられるようで、嫌いではありません。
いつも行く郵便局には、私はほとんど皆勤賞みたいに毎日、何かしらの郵便を出しに行っていますので、たぶんそのせいでしょうか、結構有名人らしく、局員全員の方が名前を覚えて下さって、ドアを開けると一斉に『あ、〇〇様(私の名前です)、おはようございま~す。』と口を揃えて挨拶して下さいます。で、その後、お天気のこととかちょっとした世間話になることもあり、他のお客様が何事かと、振り向かれるので恥ずかしい時もあるのですが、でも明るくアットホームな感じは悪くありません。
萩原朔太郎の散文詩に『郵便局』というのがあるのですが、その一節が浮かんできました。
『郵便局』
郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢゃの存在である。
局員はあわただしげにスタンプを捺し、人々は窓口に群がってゐる。
中略
いつも急がしく、あわただしく、群衆によってもまれている、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。
後略
「日給の貯金通帳を手にしながら窓口に並ぶ女工の群れ」「遠国へかなしい電報を打とうとする人」「薄暗い片隅で涙を流しながら故郷に手紙を書いている若い女」「代筆を懇願する田舎の老婦」・・・・朔太郎は『郵便局』にやってくる様々な人達の、哀切感漂う人間ドラマをそこにとらえています。
この詩に歌われている情景は、大正から昭和初期の頃のものですから、今とは全く異なる雰囲気だったのでしょうが、手紙というものが媒体となって生み出される一種の郷愁は、今も良くわかるような気がします。
朝のポスト
長年教職に就いていた名残なのでしょうか、私は今でも朝、かなり早起きです。
早朝起きて、食事の支度の前に、机の前に座ってちょっとした仕事をするのは、とても自分が勤勉な人になった気がして、気持ちが良いです。
特に早く目が覚めた時は、大抵、出そうと思っていた手紙を書いたりしています。
今日も、夜明け前に目が覚めてしまいました。
どうせ起きたならと、友人への手紙を何通か書いて、少しだけ離れた三条通りにある本局のポストまで投函がてら散歩に出てみました。
6時少し過ぎ、ようやく夜が明け始めました。
通りすがりの街角のバラ、マンションの玄関口には、門灯と朝の光が混ざり合っていました。
前にブログでご紹介した「イノダコーヒ」の前を通過。
さすがにまだお客さんは入っていませんでしたが、店内は従業員の方達の気配がして、お店周辺に、香り高い挽きたての珈琲の香りが漂ってきて、頭がすっきりと目覚めてゆく感じでした。
そして、近くのお蕎麦屋さんからは、鰹節のお出しの匂い。
さすが、これが街中の朝の香りなのですね。
日が昇ってきました。
前方に京都文化博物館、そしてその向こうに目指す三条の郵便局です。
威風堂々とした京都文化博物館。
レンガ造りの素敵な建物ですね。重要文化財です。
まだ、空に小さな朝の月が残っています。(写真をクリックして大きくして見てください)
郵便局が見えてきました。
このポストの最初の回収は6時30分です。まだ、間に合います。
帰路。
パン屋さんの「進々堂」も早起きです。教授や学生達が熱い議論を戦わせてきた京大近くに古くからあるカフェ、進々堂の支店です。植え込みに水やりをしている姿。お店の中は忙しそうにパンを並べている最中でした。ここでも香ばしいとっても美味しそうな香りがしました。
いつも行く一番近いおなじみの郵便局はここです。
今日は何気なく通過します。
そして、隣は大丸デパート。搬入の車がこんな朝から次々と駐車場に入ってゆきます。ガードマンの方も忙しそうに交通整理の最中です。
正面は、いつも買い物をしている錦市場の入り口です。
既に点灯されて、それぞれのお店の中で立ち働く方達の姿が見えます。市場の朝はやはり早いですね。
時代祭りのポスターが店先に掛っていました。
10月22日、もうすぐです。
もう一つ、詩を思い出しました。
谷川俊太郎さんの『朝のリレー』という可愛い詩です。
「朝のリレー」
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
(中略)
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ
10月の涼やかな朝の風に吹かれながら、体調が戻ってきそうな気持のよい、ご近所散歩でした。
コンサートまであと少し、心穏やかに健康回復に努めようと思います。
何かというとすぐ熱を出すひ弱な子っていますよね。
私は幼い頃は将にそんなで、親にも随分心配をかけていたのですが、今や、疲れ知らずに東へ西へ走り回って暮らしていますので、「風邪も引かない頑強な人ね。」って言われる事が多くなりました。
何かの加減で体質が変わる事ってあるらしいので、子供の頃、病気がちだったりしてもそんなに心配することもないみたいです。
・・・と思っていたら、数年前からついに花粉症デビューしてしまい、これがかなりの重症で往生しています。
それでも、昨年までは春のスギとヒノキだけだったのですが、どうやらこの秋、つい最近、怪しげな何かのアレルギーが起こっている気配で、この間の巴里野郎ライブが終わってからも、どうも体調は今一つ、特に喉周辺に限りなく危険な雰囲気が漂っています。
あと一週間後には、新橋で合同コンサートもありますし、早く回復させなければ・・・どうしよう!!
で、この一週間、ほとんど歌の練習もせず、どうしてもの時以外は出来るだけ話もせずに、マスク、点鼻薬、咳止め、トローチ、スチーマー、・・・・耳鼻科グッツに囲まれて、物静かに、そおっと過ごしています。
郵便局
コンサート関係のご連絡をする時期なのですが、<沈黙は金>・・・こんな時は、電話より手紙で。
筆マメなほうで、手紙を書くのは、昔から大好きです。
で、郵便局も大好きです。
どのポストは回収時間が何時か・・・など、もしかしたら郵便局員さんより詳しく正確に知っているかもしれません。
民営化される前の郵便局は総じて、地味な感じで、ひたむきに粛々と業務をこなしていたという気がします。どのポストも(通りに面していて投函数の多そうなポストも、ほとんど利用がなさそうな辺鄙な場所にあるポストも)回収回数が一緒だったりして、(そういう実直さは、効率から言うと問題はあるかもしれませんが、)私にとってはこれぞ郵便局の本来の姿のように思われて、どこかノスタルジックな香りを感じたものです。
でも、民営化されてからの郵便局も、また違う活気が感じられるようで、嫌いではありません。
いつも行く郵便局には、私はほとんど皆勤賞みたいに毎日、何かしらの郵便を出しに行っていますので、たぶんそのせいでしょうか、結構有名人らしく、局員全員の方が名前を覚えて下さって、ドアを開けると一斉に『あ、〇〇様(私の名前です)、おはようございま~す。』と口を揃えて挨拶して下さいます。で、その後、お天気のこととかちょっとした世間話になることもあり、他のお客様が何事かと、振り向かれるので恥ずかしい時もあるのですが、でも明るくアットホームな感じは悪くありません。
萩原朔太郎の散文詩に『郵便局』というのがあるのですが、その一節が浮かんできました。
『郵便局』
郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢゃの存在である。
局員はあわただしげにスタンプを捺し、人々は窓口に群がってゐる。
中略
いつも急がしく、あわただしく、群衆によってもまれている、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。
後略
「日給の貯金通帳を手にしながら窓口に並ぶ女工の群れ」「遠国へかなしい電報を打とうとする人」「薄暗い片隅で涙を流しながら故郷に手紙を書いている若い女」「代筆を懇願する田舎の老婦」・・・・朔太郎は『郵便局』にやってくる様々な人達の、哀切感漂う人間ドラマをそこにとらえています。
この詩に歌われている情景は、大正から昭和初期の頃のものですから、今とは全く異なる雰囲気だったのでしょうが、手紙というものが媒体となって生み出される一種の郷愁は、今も良くわかるような気がします。
朝のポスト
長年教職に就いていた名残なのでしょうか、私は今でも朝、かなり早起きです。
早朝起きて、食事の支度の前に、机の前に座ってちょっとした仕事をするのは、とても自分が勤勉な人になった気がして、気持ちが良いです。
特に早く目が覚めた時は、大抵、出そうと思っていた手紙を書いたりしています。
今日も、夜明け前に目が覚めてしまいました。
どうせ起きたならと、友人への手紙を何通か書いて、少しだけ離れた三条通りにある本局のポストまで投函がてら散歩に出てみました。
6時少し過ぎ、ようやく夜が明け始めました。


通りすがりの街角のバラ、マンションの玄関口には、門灯と朝の光が混ざり合っていました。

さすがにまだお客さんは入っていませんでしたが、店内は従業員の方達の気配がして、お店周辺に、香り高い挽きたての珈琲の香りが漂ってきて、頭がすっきりと目覚めてゆく感じでした。
そして、近くのお蕎麦屋さんからは、鰹節のお出しの匂い。
さすが、これが街中の朝の香りなのですね。


日が昇ってきました。
前方に京都文化博物館、そしてその向こうに目指す三条の郵便局です。
威風堂々とした京都文化博物館。
レンガ造りの素敵な建物ですね。重要文化財です。
まだ、空に小さな朝の月が残っています。(写真をクリックして大きくして見てください)


郵便局が見えてきました。
このポストの最初の回収は6時30分です。まだ、間に合います。
帰路。
パン屋さんの「進々堂」も早起きです。教授や学生達が熱い議論を戦わせてきた京大近くに古くからあるカフェ、進々堂の支店です。植え込みに水やりをしている姿。お店の中は忙しそうにパンを並べている最中でした。ここでも香ばしいとっても美味しそうな香りがしました。


いつも行く一番近いおなじみの郵便局はここです。
今日は何気なく通過します。
そして、隣は大丸デパート。搬入の車がこんな朝から次々と駐車場に入ってゆきます。ガードマンの方も忙しそうに交通整理の最中です。

正面は、いつも買い物をしている錦市場の入り口です。
既に点灯されて、それぞれのお店の中で立ち働く方達の姿が見えます。市場の朝はやはり早いですね。
時代祭りのポスターが店先に掛っていました。
10月22日、もうすぐです。
もう一つ、詩を思い出しました。
谷川俊太郎さんの『朝のリレー』という可愛い詩です。
「朝のリレー」
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
(中略)
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ
10月の涼やかな朝の風に吹かれながら、体調が戻ってきそうな気持のよい、ご近所散歩でした。
コンサートまであと少し、心穏やかに健康回復に努めようと思います。


