
アレルギーの方って多いのですね。
<もしかしたら秋の花粉アレルギーになったのかもしれない>と前回のブログで口走ってしまい、皆様にご心配をおかけしてしまいました。
まだ、喘息みたいな咳が少し残っていますが、でもお陰様で喉の調子は殆ど回復致しました。明日のコンサート、大丈夫そうです!!
「ブタクサとかのアレルギーでしょうか?私も目がかゆかったり鼻がおかしくなったりで、もしかしたら?と思っています。」仲良しのMさんからのお見舞いメールです。
彼女はこの夏、<スイカアレルギー>が判明して驚いていらっしゃるとか。
食べ物や大気や様々な複合汚染が重なって、私達現代人の体は、限界を将に越えようとしているのかもしれませんね。
「秋の花粉症だとしたら、ブタクサやヨモギが怪しいかと・・・。どちらにしても厄介なものですね。私はアレルギー性鼻炎で、一年中花粉症のような感じなので、よくわかります。」いつもブログを読んで下さっているYさんからもご心配いただきました。
『花粉症で連帯』というのもなんなのですが、でも<みんな仲間なんだ!私もめげずに頑張ろう!!>と、とても気が楽になって励まして頂けた気がします。有難うございました。
で、明日は「レ・テタール・メランジェ・コンサート」本番です。
今日は割とゆっくりと、明日の準備などして過ごしています。
遠足の前の子供みたいに、持ち物チェックを済ませ、タイムスケジュールを見直したりしていると、<よ~~し>とテンションが高まってきます。
間際で恐縮ですが、コンサートチラシはこちらです。
15日から17日までの三日間。
二部構成で、プロ・セミプロ・アマチュア、色々な形で音楽と関わっていらっしゃる方々がそれぞれ二曲ずつ歌います。
「レ・テタール・メランジェ」の名の通り、<混ぜこぜになったおたまじゃくしたち>が色々な音楽を奏でてゆく・・・ステージに向かう時のエネルギーと、音楽の持つ力が、同じ場と時間を共有している自分自身にも自然に体に沁み入ってくるようで、その一員として今年も参加できるのは幸せです。
さて、私が明日歌う曲ですが。
前に「訳詞への思い」で紹介致しました『愛を失くす時』。
そしてもう一曲は『糸の上』という曲です。少しだけご紹介してみます。
糸の上
「ケレン・アン」というシンガーソングライターをご存知ですか?
以前、このブログでも彼女の曲、『世界の片隅に』や『冬の庭』など、ご紹介したことがありました。
彼女の音楽にとても心を惹かれて、この数年、何曲も訳詞し、コンサートでも頻繁に取り上げてきていますので、記憶して下さっている方もいらっしゃるのではと思います。
イスライル生まれ、オランダ育ち、現在フランスで音楽活動を繰り広げて、人気実力とも高い評価を得ている30代半ばの女性です。イスラエルとオランダの両国籍を持っていて、パリとニューヨークとテルアビブを行き来しながら活動を展開しているという彼女ですが、音楽も非常に複雑な陰影を持つコスモポリタンの香りがするような気がします。
音楽プロデューサーとしても卓越した才能を発揮していて、晩年のアンリ・サルバドールに奇跡的な復帰をもたらすきっかけとなった大ヒット曲『jardin d’hiver(冬の庭)』もケレン・アンの手によるものです。
「糸の上」・・・<sur le fil >という曲ですが。
人生は美しい
私は記憶を失った
糸の上で全ては静かで穏やかだ
糸の上で全てはシンプルで簡単だ
糸の上で人は鎮まる
というような原詩が続き、なかなか難解なのです。
哀切感漂うメロディーに乗せて、終わることなく続く呪文のような響きが、不思議なイメージを誘う曲。
先日の巴里野郎ライブで初めて披露したとき、お客様のお一人が「不思議な歌ですね。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を連想しました」と感想をおっしゃって下さったのですが、確かに、イメージを自由に広げて味わってゆく象徴画のような曲かなと思います。
私の訳詞は、
細い糸の上で 私の愛が震える
と、彷徨う恋の歌として、ほとんど作詞に近いかたちで作ってみました。
光る糸の上で 揺れる 揺れる 揺れる
ゆらゆらと揺れる細い糸の上を目隠ししたまま危うい足取りで進んでゆく、綱渡りのようなイメージが私にはあります。
これからもずっと歌ってゆこうと思っている愛着のある曲ですので、明日お越しになれなかった方もいつか機会があったら是非お聴きになってみて下さいね。
では明日のコンサート、ベストを尽くして参ります。
<もしかしたら秋の花粉アレルギーになったのかもしれない>と前回のブログで口走ってしまい、皆様にご心配をおかけしてしまいました。
まだ、喘息みたいな咳が少し残っていますが、でもお陰様で喉の調子は殆ど回復致しました。明日のコンサート、大丈夫そうです!!
「ブタクサとかのアレルギーでしょうか?私も目がかゆかったり鼻がおかしくなったりで、もしかしたら?と思っています。」仲良しのMさんからのお見舞いメールです。
彼女はこの夏、<スイカアレルギー>が判明して驚いていらっしゃるとか。
食べ物や大気や様々な複合汚染が重なって、私達現代人の体は、限界を将に越えようとしているのかもしれませんね。
「秋の花粉症だとしたら、ブタクサやヨモギが怪しいかと・・・。どちらにしても厄介なものですね。私はアレルギー性鼻炎で、一年中花粉症のような感じなので、よくわかります。」いつもブログを読んで下さっているYさんからもご心配いただきました。
『花粉症で連帯』というのもなんなのですが、でも<みんな仲間なんだ!私もめげずに頑張ろう!!>と、とても気が楽になって励まして頂けた気がします。有難うございました。

で、明日は「レ・テタール・メランジェ・コンサート」本番です。
今日は割とゆっくりと、明日の準備などして過ごしています。
遠足の前の子供みたいに、持ち物チェックを済ませ、タイムスケジュールを見直したりしていると、<よ~~し>とテンションが高まってきます。
間際で恐縮ですが、コンサートチラシはこちらです。
15日から17日までの三日間。
二部構成で、プロ・セミプロ・アマチュア、色々な形で音楽と関わっていらっしゃる方々がそれぞれ二曲ずつ歌います。
「レ・テタール・メランジェ」の名の通り、<混ぜこぜになったおたまじゃくしたち>が色々な音楽を奏でてゆく・・・ステージに向かう時のエネルギーと、音楽の持つ力が、同じ場と時間を共有している自分自身にも自然に体に沁み入ってくるようで、その一員として今年も参加できるのは幸せです。
さて、私が明日歌う曲ですが。
前に「訳詞への思い」で紹介致しました『愛を失くす時』。
そしてもう一曲は『糸の上』という曲です。少しだけご紹介してみます。
糸の上
「ケレン・アン」というシンガーソングライターをご存知ですか?
以前、このブログでも彼女の曲、『世界の片隅に』や『冬の庭』など、ご紹介したことがありました。

彼女の音楽にとても心を惹かれて、この数年、何曲も訳詞し、コンサートでも頻繁に取り上げてきていますので、記憶して下さっている方もいらっしゃるのではと思います。
イスライル生まれ、オランダ育ち、現在フランスで音楽活動を繰り広げて、人気実力とも高い評価を得ている30代半ばの女性です。イスラエルとオランダの両国籍を持っていて、パリとニューヨークとテルアビブを行き来しながら活動を展開しているという彼女ですが、音楽も非常に複雑な陰影を持つコスモポリタンの香りがするような気がします。
音楽プロデューサーとしても卓越した才能を発揮していて、晩年のアンリ・サルバドールに奇跡的な復帰をもたらすきっかけとなった大ヒット曲『jardin d’hiver(冬の庭)』もケレン・アンの手によるものです。
「糸の上」・・・<sur le fil >という曲ですが。
人生は美しい
私は記憶を失った
糸の上で全ては静かで穏やかだ
糸の上で全てはシンプルで簡単だ
糸の上で人は鎮まる
というような原詩が続き、なかなか難解なのです。
哀切感漂うメロディーに乗せて、終わることなく続く呪文のような響きが、不思議なイメージを誘う曲。
先日の巴里野郎ライブで初めて披露したとき、お客様のお一人が「不思議な歌ですね。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を連想しました」と感想をおっしゃって下さったのですが、確かに、イメージを自由に広げて味わってゆく象徴画のような曲かなと思います。
私の訳詞は、
細い糸の上で 私の愛が震える
と、彷徨う恋の歌として、ほとんど作詞に近いかたちで作ってみました。
光る糸の上で 揺れる 揺れる 揺れる
ゆらゆらと揺れる細い糸の上を目隠ししたまま危うい足取りで進んでゆく、綱渡りのようなイメージが私にはあります。
これからもずっと歌ってゆこうと思っている愛着のある曲ですので、明日お越しになれなかった方もいつか機会があったら是非お聴きになってみて下さいね。
では明日のコンサート、ベストを尽くして参ります。


