
私の秋、二つの同窓会に出席してきました。
まずは。
教職に就いて、初めて担任した教え子たちの同窓会が、つい先日、テタールコンサートの少し前にありました。
若かりしあの頃・・・考えてみたら、当時中三だった生徒たちと10歳も違わないまだお姉さん先生だったのだなと今になって思います。
ともかく、何もかもが新鮮で、子供たちが可愛くて可愛くて、自分が彼女たちの(女子校ですので)お母さんになったような使命感に燃えて、毎日キラキラと過ごしていました。
教師というのは、実地の場に立って試行錯誤しながら少しずつ経験を積んでいくものですから、あの頃は未熟で至らないことばかりで、導いてゆくというよりは、生徒たちとの日々の中で、自分が教えられ、学んでゆくことの方が多かったように思います。
最初の教え子たち
そんな気持ちの中で、あの頃の自分と再会するような気恥しさもあったのですが、でも、久しぶりの教え子たちの笑顔を見たら、とても懐かしく嬉しい思いで一杯になりました。
制服姿のあどけない少女たちが、仕事をし、結婚し、母親になり、素敵な女性に成長して、目の前に集っている、屈託なく笑い合っていて、それは昔の時間と重なり、感慨深く、何ともいえず幸せな日でした。
同じ時を過ごしてきたはずなのに、それぞれに覚えていることや把握していること、ニュアンスは全く違うようで、「あれ、そうだっけ?」みたいな声がおしゃべりのあちこちから聞こえてきて面白かったです。
私はというと、人の名前と顔を正確に覚えているのは特技の一つで、この日も我が特技を遺憾なく発揮して・・・・「覚えていて下さったんですねえ!」「すご~~いです!!」と、教師たる面目躍如でした。
それにしても人の性格って、いつ形成されるものなのでしょう。
長い月日を経ても、やはり<○ちゃんは○ちゃん>。
同じ笑顔。変わらないのんびりとしたしゃべり方。表情豊かな相槌の打ち方。おしゃべりから滲み出てくる感性や価値観みたいなもの。・・・<皆、子供の頃と同じ、変わってないな>とつくづく思ってしまいます。
「三つ子の魂」とは、よく言ったものだと大いに納得です。
今回の同窓会は、久しぶりの節目の会ということで、当時の先生方も大勢いらしていました。
先輩、同期、後輩・・・・嘗て共に過ごした仲間との再会を果たした私自身の懐かしい同窓会でもありました。
教職にあった日々は、楽しいことだけではなくて、苦しいこと、大変だったこと、色々入り混ざってはいますが、月日を経るとそういうこと全てがくっきりと記憶の中に刻みつけられてきて、むしろ、印象の色が濃ければ濃いほど、その時間の中に生きていたという証にも思え、かけがえのない懐かしいものに感じられる気がします。
私の音楽への転身は、皆様の驚きの的でしたが、でも温かく応援して下さりとても嬉しかったです。
皆、元気で、豊かに人生を重ねて、更に素敵な女性になっていってほしいと心から願った、久しぶりに嘗ての担任に戻った日でもありました。
旧友との再会
もう一つの同窓会。
テタールコンサートの直後、つい数日前ですが、今度は、私自身の同期会に出席してきました。
私自身もまた、中学高校一貫の女子校で過ごしましたので、全員顔見知り、<同じ釜の・・・>仲、和やかで無邪気な時間を共に過ごした友人たちとの再会でした。
10年毎に行う同期会、卒業後初めて出席した方も今回は多く、『おお~~~』と、名乗り合いながら、皆でテンションが上がりっぱなしでした。
教え子の同窓会に招待されると、先生らしい愛情に自然に満たされてくる感じで何だかしっとりとした気分なのですが、いざ、自分のこととなると、すっかり子供返りするようです。
それこそ、いろいろな思い出が蘇ってきて、自分は確かにこういう時間を過ごしていたのだと一つ一つの思い出に改めて感激してしまいます。
中学高校時代の私は、自分で思っていた以上に、物静かに読書に耽っている文学少女だったらしく、ほとんど全員の旧友に、「変わった!貴女は変わった!!」を連呼されてしまいました。
そうかしら?
で、今はシャンソンを・・・などと言い始めると、感無量の面持ちで「よくまあそこまで!」と異口同音に返ってきて、ひょっとしたら、私はあまりに大人しい性格すぎて、皆様に心配をかけ、庇護して頂いていたのかもしれません。
「でも、貴女ってそういうところのある人だと思ってた」と鋭く予見していたらしい友人からの褒め言葉もその中に混ざり、持つべきものは善き友だなと。
今回、シャンソンを歌ってくれないかと幹事さんから依頼されました。
こういう場ですと、どうしても素の顔になってしまいますし、素になると途端にシャイなところが邪魔しますので、これまでは、受けたことはなかったのですが、今回は、「では歌わせていただきます」と答えてしまいました。
卒業後ずっとお会いしたいと思っていた敬愛する恩師が、この同窓会にご出席下さって、何だか心がすっとほぐれて、ささやかながら、自分が進んできた姿を見ていただけたらと思ったためでもあります。
恩師の前で、そして旧友の前で歌うのは、いつもとは違う勇気がいるものではありましたが。
卒業してすぐの頃は、先だけを見ていたく思い、昔の関わりは敢えて避けようという気が働いたりしたこともあったのですが、それは少し未熟な頑なさなのかもしれなくて、自然にすべての絆を受け入れられるようになると心が軽くなって、クリアに広がって見えてくるものがあるような気がします。
二曲歌い、アンコールにさらに一曲。
『シャトネイ・マラブリ ~エリザベートへ~』という曲をアンコールに歌いました。
「音信の途絶えた女学生時代の親友に宛てた手紙」という内容の歌です。
しみじみとした曲ですので、いつか次の機会にご紹介してみますね。
心に残る一日でした。
11月に入ると、今度は、在職中最後の卒業生、高2、高3の担任として卒業を見守った懐かしい教え子たちのクラス会もあります。
離れていた日々を持ち寄り、温かい思いの中で皆で集う時間を共有できる、そんな喜びを感じる今年の秋です。
まずは。
教職に就いて、初めて担任した教え子たちの同窓会が、つい先日、テタールコンサートの少し前にありました。
若かりしあの頃・・・考えてみたら、当時中三だった生徒たちと10歳も違わないまだお姉さん先生だったのだなと今になって思います。
ともかく、何もかもが新鮮で、子供たちが可愛くて可愛くて、自分が彼女たちの(女子校ですので)お母さんになったような使命感に燃えて、毎日キラキラと過ごしていました。
教師というのは、実地の場に立って試行錯誤しながら少しずつ経験を積んでいくものですから、あの頃は未熟で至らないことばかりで、導いてゆくというよりは、生徒たちとの日々の中で、自分が教えられ、学んでゆくことの方が多かったように思います。
最初の教え子たち
そんな気持ちの中で、あの頃の自分と再会するような気恥しさもあったのですが、でも、久しぶりの教え子たちの笑顔を見たら、とても懐かしく嬉しい思いで一杯になりました。
制服姿のあどけない少女たちが、仕事をし、結婚し、母親になり、素敵な女性に成長して、目の前に集っている、屈託なく笑い合っていて、それは昔の時間と重なり、感慨深く、何ともいえず幸せな日でした。
同じ時を過ごしてきたはずなのに、それぞれに覚えていることや把握していること、ニュアンスは全く違うようで、「あれ、そうだっけ?」みたいな声がおしゃべりのあちこちから聞こえてきて面白かったです。
私はというと、人の名前と顔を正確に覚えているのは特技の一つで、この日も我が特技を遺憾なく発揮して・・・・「覚えていて下さったんですねえ!」「すご~~いです!!」と、教師たる面目躍如でした。
それにしても人の性格って、いつ形成されるものなのでしょう。
長い月日を経ても、やはり<○ちゃんは○ちゃん>。
同じ笑顔。変わらないのんびりとしたしゃべり方。表情豊かな相槌の打ち方。おしゃべりから滲み出てくる感性や価値観みたいなもの。・・・<皆、子供の頃と同じ、変わってないな>とつくづく思ってしまいます。
「三つ子の魂」とは、よく言ったものだと大いに納得です。

今回の同窓会は、久しぶりの節目の会ということで、当時の先生方も大勢いらしていました。
先輩、同期、後輩・・・・嘗て共に過ごした仲間との再会を果たした私自身の懐かしい同窓会でもありました。
教職にあった日々は、楽しいことだけではなくて、苦しいこと、大変だったこと、色々入り混ざってはいますが、月日を経るとそういうこと全てがくっきりと記憶の中に刻みつけられてきて、むしろ、印象の色が濃ければ濃いほど、その時間の中に生きていたという証にも思え、かけがえのない懐かしいものに感じられる気がします。
私の音楽への転身は、皆様の驚きの的でしたが、でも温かく応援して下さりとても嬉しかったです。
皆、元気で、豊かに人生を重ねて、更に素敵な女性になっていってほしいと心から願った、久しぶりに嘗ての担任に戻った日でもありました。
旧友との再会
もう一つの同窓会。
テタールコンサートの直後、つい数日前ですが、今度は、私自身の同期会に出席してきました。
私自身もまた、中学高校一貫の女子校で過ごしましたので、全員顔見知り、<同じ釜の・・・>仲、和やかで無邪気な時間を共に過ごした友人たちとの再会でした。
10年毎に行う同期会、卒業後初めて出席した方も今回は多く、『おお~~~』と、名乗り合いながら、皆でテンションが上がりっぱなしでした。
教え子の同窓会に招待されると、先生らしい愛情に自然に満たされてくる感じで何だかしっとりとした気分なのですが、いざ、自分のこととなると、すっかり子供返りするようです。
それこそ、いろいろな思い出が蘇ってきて、自分は確かにこういう時間を過ごしていたのだと一つ一つの思い出に改めて感激してしまいます。
中学高校時代の私は、自分で思っていた以上に、物静かに読書に耽っている文学少女だったらしく、ほとんど全員の旧友に、「変わった!貴女は変わった!!」を連呼されてしまいました。
そうかしら?
で、今はシャンソンを・・・などと言い始めると、感無量の面持ちで「よくまあそこまで!」と異口同音に返ってきて、ひょっとしたら、私はあまりに大人しい性格すぎて、皆様に心配をかけ、庇護して頂いていたのかもしれません。
「でも、貴女ってそういうところのある人だと思ってた」と鋭く予見していたらしい友人からの褒め言葉もその中に混ざり、持つべきものは善き友だなと。
今回、シャンソンを歌ってくれないかと幹事さんから依頼されました。
こういう場ですと、どうしても素の顔になってしまいますし、素になると途端にシャイなところが邪魔しますので、これまでは、受けたことはなかったのですが、今回は、「では歌わせていただきます」と答えてしまいました。
卒業後ずっとお会いしたいと思っていた敬愛する恩師が、この同窓会にご出席下さって、何だか心がすっとほぐれて、ささやかながら、自分が進んできた姿を見ていただけたらと思ったためでもあります。
恩師の前で、そして旧友の前で歌うのは、いつもとは違う勇気がいるものではありましたが。
卒業してすぐの頃は、先だけを見ていたく思い、昔の関わりは敢えて避けようという気が働いたりしたこともあったのですが、それは少し未熟な頑なさなのかもしれなくて、自然にすべての絆を受け入れられるようになると心が軽くなって、クリアに広がって見えてくるものがあるような気がします。
二曲歌い、アンコールにさらに一曲。
『シャトネイ・マラブリ ~エリザベートへ~』という曲をアンコールに歌いました。
「音信の途絶えた女学生時代の親友に宛てた手紙」という内容の歌です。
しみじみとした曲ですので、いつか次の機会にご紹介してみますね。
心に残る一日でした。
11月に入ると、今度は、在職中最後の卒業生、高2、高3の担任として卒業を見守った懐かしい教え子たちのクラス会もあります。
離れていた日々を持ち寄り、温かい思いの中で皆で集う時間を共有できる、そんな喜びを感じる今年の秋です。


