
はっと気が付いたら、前回から10日余りの空白、申し訳ありません。
・・・・コンサートの準備が始まった途端、身辺が慌ただしくなり、あちこち走り回っておりました。
今一番肝腎なことは、何より、歌い込みのはずなのですが、私の場合はいつも、その他の雑務から固めていく本末転倒タイプなので、一番美味しいものは最後に残して、いざ好物を前にした頃には、お腹が一杯になっていたりします。
・・・突然真夜中にむっくり起き上がって訳詞などもしていました。
コンサートの曲とは違うものばかり、それがなぜか妙にはかどります・・・。
その上、秋のブタクサアレルギーか鼻風邪かよくわからない不快状態まで加わって、最近まで「アレルギーなんて!」と豪語していた私は、今や最先端の現代人です。
(『ブタクサ』って、可哀相な名前ですよね。 Ragweed。 ragは「ぼろきれ・いやしい人間」、weedは「雑草」の意味で、これをだれが『ブタクサ』と命名したのでしょう。ちなみに、『セイタカアワダチソウ』の別名と信じている人が多いですが、これは間違いのようです)
更に故あって、この数日間、京都と東京と長野をガラガラとキャリーバックを引きずりながら、行ったり来たりさすらっておりました。
おまけですが・・・・・、実家の近所で、京都にまで大々的に報道されるような殺人事件が起こりました。
新聞や週刊誌やテレビの報道記者の取材、更には刑事さんたちも聞き込み来たりして、普段は閑静な住宅地が大騒動になっていたらしいのです。この数日、母から頻繁に速報電話が高揚した口調でかかってきております。
そんなこんなの言い訳ですが、その合間を縫って、今年も晩秋の軽井沢に足を延ばしてきました。
枯葉の季節
四季折々の落葉松に心魅かれ、時折訪れてしまいます。
この日は、午後から曇天に変わり、霧雨が降り始めたのですが、午前中、着いた頃はまだこんなに青空で、浅間山がくっきりと映えていました。
気温は5℃。清澄な冷気の中で、思わず身を正します。
くすんだ枯葉色の風景。
落葉松のキラキラとした黄金色の輝きも今は盛りを過ぎて、名残の針の葉が薄い日差しを受けて弱く光っていました。
ゲンズブールのヒット曲の中に、<la chanson de Prevert>(プレヴェールのシャンソン>という曲があります。『枯葉に寄せて』という邦題が付いて、日本でも人気の高い曲なのですが、プレヴェールのシャンソンといえば、<les feuilles mortes>、『枯葉』のことで、「この季節になると、僕は、君がよく口ずさんでいた『枯葉』を懐かしく思い出すんだ」・・・・という、今は戻らぬ恋を回想するしみじみとした内容になっています。
舞い散る落ち葉、道を埋め尽くす枯葉、踏みしめる乾いた音、漂う枯葉の匂いの中で、この曲の旋律が聴こえてくる気がしました。
話が脱線しますが。
そういえば、この<les feuilles mortes>、<mortes>は「死」のことですから、「枯葉」は、フランス人には「死んだ葉」なのですね。
上手に説明できないのですが、『枯葉』という言葉には、衰え移りゆく「生」を慈しみながら眺めるようなかすかな感覚を感じて、単に<mortes>とは違うのでは、などと思ってしまいました。
冬薔薇(ふゆそうび)
夏に立ち寄った「レイク・ガーデン」の近くを通ってみました。
茶色い枯れ枝にほっそりと再び咲く薔薇の花が、鮮やかな季節とは違った不思議な美しさを感じさせていました。
晩秋、そして初冬のこの季節ならではの枯れた中の楚々とした風情です。
軽井沢千住博美術館
鳥瞰図・・・この不思議な形の建物が「軽井沢千住博美術館」です。
昨年の10月に開館して以来、是非一度訪れてみたいと思っていたのです。
玄関までのアプローチは、「カラーリーフガーデン」と名付けられて、様々な色の樹木や多年草が植栽されていて、森の小径を散策するように、いつの間にか美術館に導かれます。
美術館の内部。
緩やかな斜面に建てられて、土地の起伏を生かして、美術館内部のフロアもそのまま傾斜しているという意表を突くデザインなのですが、それが、外と繋がる吹き抜け空間の眺望と調和して、非常に解放感がある素敵な建物です。
世界的建築家の西沢立衛氏の設計による美術館で、この建物にまず驚かされます。
そして千住博氏は50代半ばの若さでありながら、京都造形芸術大学の学長、日本画家として既に世界的名声を得ている方です。詳細については美術館のHPをご覧いただけたらと思います。
斬新で素敵な作品に心を奪われましたが、その中から二つご紹介しようかと。
一つは「クリフ」(崖)と名付けられた作品群。
千住氏自身が書かれた説明の中から抜粋してみます。
岩で岩を描く。日本画は崖を描くのに最もふさわしいと思います。なにしろ絵具自体が岩なのですから。揉(も)み紙という伝統的な手法を使い、画面を揉んで山や谷を作り、そこに絵具を流し込みました。山で山を描き、谷で谷を描く。自然の側に身を置く発想なのです。
もう一つは「星のふる夜に」と名付けられた16枚の絵からなる絵本。
こちらも説明の抜粋をしてみます。
絵巻物を、現代的な形で再現できないか、と考え続けていました。
そして、日本に決定的に足りないイマジネーションを育む絵本を考えました。ストーリーがなく、絵だけで構成されている絵本です。絵本は人類史上最高のメディアのひとつだと感じました。
バンビが主人公で、星のきれいな或る夜、森の中から街に散歩して、やがて道に迷いながらも夜が明ける頃、再び、仲間たちが待つ森に戻ってくるというストーリーが楽しく連想できます。
東山魁夷画伯の白い馬のシリーズを彷彿とさせますが、東山画伯が哲学的な心象風景として馬を描いているのに対し、このバンビはあくまでも絵本の主人公としての個性を持って生かされている気がしました。
千住氏の自由闊達な<創造の世界>の楽しさと力に大いに刺激を受けた、11月、信州の小旅行でした。
・・・・コンサートの準備が始まった途端、身辺が慌ただしくなり、あちこち走り回っておりました。
今一番肝腎なことは、何より、歌い込みのはずなのですが、私の場合はいつも、その他の雑務から固めていく本末転倒タイプなので、一番美味しいものは最後に残して、いざ好物を前にした頃には、お腹が一杯になっていたりします。
・・・突然真夜中にむっくり起き上がって訳詞などもしていました。
コンサートの曲とは違うものばかり、それがなぜか妙にはかどります・・・。
その上、秋のブタクサアレルギーか鼻風邪かよくわからない不快状態まで加わって、最近まで「アレルギーなんて!」と豪語していた私は、今や最先端の現代人です。
(『ブタクサ』って、可哀相な名前ですよね。 Ragweed。 ragは「ぼろきれ・いやしい人間」、weedは「雑草」の意味で、これをだれが『ブタクサ』と命名したのでしょう。ちなみに、『セイタカアワダチソウ』の別名と信じている人が多いですが、これは間違いのようです)
更に故あって、この数日間、京都と東京と長野をガラガラとキャリーバックを引きずりながら、行ったり来たりさすらっておりました。
おまけですが・・・・・、実家の近所で、京都にまで大々的に報道されるような殺人事件が起こりました。
新聞や週刊誌やテレビの報道記者の取材、更には刑事さんたちも聞き込み来たりして、普段は閑静な住宅地が大騒動になっていたらしいのです。この数日、母から頻繁に速報電話が高揚した口調でかかってきております。
そんなこんなの言い訳ですが、その合間を縫って、今年も晩秋の軽井沢に足を延ばしてきました。
枯葉の季節
四季折々の落葉松に心魅かれ、時折訪れてしまいます。
この日は、午後から曇天に変わり、霧雨が降り始めたのですが、午前中、着いた頃はまだこんなに青空で、浅間山がくっきりと映えていました。


気温は5℃。清澄な冷気の中で、思わず身を正します。

くすんだ枯葉色の風景。
落葉松のキラキラとした黄金色の輝きも今は盛りを過ぎて、名残の針の葉が薄い日差しを受けて弱く光っていました。
ゲンズブールのヒット曲の中に、<la chanson de Prevert>(プレヴェールのシャンソン>という曲があります。『枯葉に寄せて』という邦題が付いて、日本でも人気の高い曲なのですが、プレヴェールのシャンソンといえば、<les feuilles mortes>、『枯葉』のことで、「この季節になると、僕は、君がよく口ずさんでいた『枯葉』を懐かしく思い出すんだ」・・・・という、今は戻らぬ恋を回想するしみじみとした内容になっています。

舞い散る落ち葉、道を埋め尽くす枯葉、踏みしめる乾いた音、漂う枯葉の匂いの中で、この曲の旋律が聴こえてくる気がしました。
話が脱線しますが。
そういえば、この<les feuilles mortes>、<mortes>は「死」のことですから、「枯葉」は、フランス人には「死んだ葉」なのですね。
上手に説明できないのですが、『枯葉』という言葉には、衰え移りゆく「生」を慈しみながら眺めるようなかすかな感覚を感じて、単に<mortes>とは違うのでは、などと思ってしまいました。
冬薔薇(ふゆそうび)
夏に立ち寄った「レイク・ガーデン」の近くを通ってみました。


茶色い枯れ枝にほっそりと再び咲く薔薇の花が、鮮やかな季節とは違った不思議な美しさを感じさせていました。
晩秋、そして初冬のこの季節ならではの枯れた中の楚々とした風情です。
軽井沢千住博美術館
鳥瞰図・・・この不思議な形の建物が「軽井沢千住博美術館」です。
昨年の10月に開館して以来、是非一度訪れてみたいと思っていたのです。


玄関までのアプローチは、「カラーリーフガーデン」と名付けられて、様々な色の樹木や多年草が植栽されていて、森の小径を散策するように、いつの間にか美術館に導かれます。
美術館の内部。

緩やかな斜面に建てられて、土地の起伏を生かして、美術館内部のフロアもそのまま傾斜しているという意表を突くデザインなのですが、それが、外と繋がる吹き抜け空間の眺望と調和して、非常に解放感がある素敵な建物です。
世界的建築家の西沢立衛氏の設計による美術館で、この建物にまず驚かされます。
そして千住博氏は50代半ばの若さでありながら、京都造形芸術大学の学長、日本画家として既に世界的名声を得ている方です。詳細については美術館のHPをご覧いただけたらと思います。
斬新で素敵な作品に心を奪われましたが、その中から二つご紹介しようかと。

一つは「クリフ」(崖)と名付けられた作品群。
千住氏自身が書かれた説明の中から抜粋してみます。
岩で岩を描く。日本画は崖を描くのに最もふさわしいと思います。なにしろ絵具自体が岩なのですから。揉(も)み紙という伝統的な手法を使い、画面を揉んで山や谷を作り、そこに絵具を流し込みました。山で山を描き、谷で谷を描く。自然の側に身を置く発想なのです。
もう一つは「星のふる夜に」と名付けられた16枚の絵からなる絵本。
こちらも説明の抜粋をしてみます。


絵巻物を、現代的な形で再現できないか、と考え続けていました。
そして、日本に決定的に足りないイマジネーションを育む絵本を考えました。ストーリーがなく、絵だけで構成されている絵本です。絵本は人類史上最高のメディアのひとつだと感じました。
バンビが主人公で、星のきれいな或る夜、森の中から街に散歩して、やがて道に迷いながらも夜が明ける頃、再び、仲間たちが待つ森に戻ってくるというストーリーが楽しく連想できます。
東山魁夷画伯の白い馬のシリーズを彷彿とさせますが、東山画伯が哲学的な心象風景として馬を描いているのに対し、このバンビはあくまでも絵本の主人公としての個性を持って生かされている気がしました。
千住氏の自由闊達な<創造の世界>の楽しさと力に大いに刺激を受けた、11月、信州の小旅行でした。


