
巴里野郎30周年記念ソロライブ 『巴里の香り』
来月4月1日に、シャンソンライブハウス『巴里野郎』で、訳詞コンサートを開催することになったことを以前の記事、桜の季節 ~巴里野郎30周年記念月間~ の中でお話しましたが、今日は、その後の進捗状況をご報告させて頂きたいと思います。
京都を代表する老舗シャンソニエ『巴里野郎』はこの4月に30周年を迎えることとなり、4月はその記念月間になります。
「記念すべき4月の幕開け、4月1日のオープニングに、訳詞コンサートを」とのご依頼を頂いて以来、今まさにこれにふさわしい選曲構成等の検討中なのですが、コンサートタイトルが決まりました。
『巴里の香り』
としたいと思います。
正確には、松峰綾音 訳詞コンサート特別編 『巴里の香り』
長いタイトルですね。
1部と2部の二部構成となります。
19時開場 19時30分から1部 休憩をはさんで20時30分から2部の約二時間のコンサートで、ピアノはいつもご一緒いただく坂下文野さんです。
今回の『ゲンズブール・イノセント』のように、一年がかりで準備する自主公演の訳詞コンサートではなく、お店への出演ですので、プログラム冊子を作るというような凝ったことはできませんが、でも構成等に関しても自由に考えさせて頂けますので、ホールとは違うライブハウスならではの、そして『巴里野郎』というお店ならではの心地よい空気感が最大限生かせるような内容にしてゆきたいと、思いは膨らんでゆきます。
『巴里野郎』の記念月間。
ならば、『巴里の香り』を届けたい・・・・というシンプルな発想ですが、奥は意外に深く、<香り>と一口に言っても、微妙にニュアンスを変えた様々な曲が重なり合って次々と浮かんできます。
苦心の末、選曲もほぼ決定したのですが、これは当日までは秘密にしておきます。・・・でも、一曲だけ・・・。
つい先日、ふと閃いて、『パリ・カナイユ』の訳詞を作りました。
この曲は邦名では『巴里野郎』というタイトルが付けられている、よく知られるシャンソンの定番です。
シャンソニエ『巴里野郎』の名もこの曲から採られたのでしょうか。多くの歌手の方たちによって、おそらく開店当初から30年間、お店で一番多く歌われ、愛された曲であろうと思われます。 ちなみに、イヴ・モンタンが歌う原曲は、こちらのYou Tubeでお聞きください。
この曲は これまで、私のレパートリーにはなかったのですが、今回の記念月間への祝意を込めて、綾音ヴァージョンの詩で歌ってみようと考えたのでした。
一般に歌われている訳詞は、実は原詩と随分違っていることもあり、原詩のニュアンスを生かした訳詞に面白く仕上がったと自負しています。
これが、今回のご案内チラシです(クリックすると拡大します)。
楽しんで頂けるコンサートにして参りますので、よろしかったら是非いらしてくださいね。
チラシの中の私のメッセージは、次のようです。
巴里野郎30周年記念月間となる4月、そして老舗シャンソニエの長い歴史に幕を下ろす月ともなってしまいました。
記念月間のオープニングに、心を込めて歌わせて頂きます。
是非お越し下さいませ。
『巴里野郎』閉店
2月1日、『巴里野郎』から、出演者各位として、4月一杯で閉店となる旨のFAXが入りました。
オーナーの宮本氏からの突然のお知らせ、短い文面でしたが、抑制された淡々とした文章の中に、深い思いと覚悟のほどを伺い知ることができました。
前々から考えていらしたことなのか、急遽決意なさったことなのか、知る由もないのですが、『銀巴里』を初めとする、老舗名門シャンソニエが次々とその灯を消してゆく、その中に『巴里野郎』も呑み込まれてゆくこととなったのだという感慨が突然強く襲ってきて、胸を打たれました。
私が『巴里野郎』とご縁を持ったのは、つい昨年からのことですが、それでも、今、何かとても寂しく、喪失感に包まれていますので、もっと、長い時間をお店と共に過ごしてきた歌手の方たちはどれほどの衝撃を持ってこのお知らせを受け止められたのだろうと察するに余りあります。
事実、関西のシャンソン界に、今、波紋が大きく広がっているのを感じます。
『巴里野郎』と関わっていらした関係の方たち、ファンの方たちが、ブログなどで心中を吐露したり、閉店を惜しむ声、存続を願う声も、様々なところで湧き上がっているようです。
あとひと月半の月日、関西のシャンソンの発祥、普及の要となってきた『巴里野郎』の誇り高い有終の美を、静かに見守りたいと思いますし、多くの人が望んでいるように、閉店ではない別の展開が生まれてほしいと、願うばかりです。
8日の京都新聞朝刊に、巴里野郎閉店の記事が載っていました。
この記事は『巴里野郎』のHPに正式にリンクされていますので、よろしかったらお読みになってみてください。
オーナーの宮本氏は、数年前に体調を崩されて、現在ご自宅で療養中でいらっしゃるのですが、30年前に本場のシャンソニエを訪れた時の感動から、日本にも本格的なシャンソニエをという志のもと、『巴里野郎』をオープンさせたのだと伺っています。
お店に出演するようになって、ご縁が出来たわけですが、つい先日、このような写真を、4月1日のコンサートへの励ましの言葉と共に送って下さいました。
『巴里野郎』のステージの立ち位置の写真です。
多くの歌手たちがここで歌って擦り切れてしまった床。
「一番ライトが綺麗にあたる場所です これからのために・・・」との言葉が添えられてありました。
有難うございます。
大切にしたいと思います。
宮本氏は1953年生まれで、これは『パリ・カナイユ(巴里野郎)』がレオ・フェレによって作られた年と同年だと最近偶然知ったともおっしゃっていました。
今回の『パリ・カナイユ』の訳詞はそのことが心にあって作ったものです。
しっかり歌いこんで、コンサートでご披露したいと思います。
来月4月1日に、シャンソンライブハウス『巴里野郎』で、訳詞コンサートを開催することになったことを以前の記事、桜の季節 ~巴里野郎30周年記念月間~ の中でお話しましたが、今日は、その後の進捗状況をご報告させて頂きたいと思います。
京都を代表する老舗シャンソニエ『巴里野郎』はこの4月に30周年を迎えることとなり、4月はその記念月間になります。
「記念すべき4月の幕開け、4月1日のオープニングに、訳詞コンサートを」とのご依頼を頂いて以来、今まさにこれにふさわしい選曲構成等の検討中なのですが、コンサートタイトルが決まりました。
『巴里の香り』
としたいと思います。
正確には、松峰綾音 訳詞コンサート特別編 『巴里の香り』
長いタイトルですね。
1部と2部の二部構成となります。
19時開場 19時30分から1部 休憩をはさんで20時30分から2部の約二時間のコンサートで、ピアノはいつもご一緒いただく坂下文野さんです。
今回の『ゲンズブール・イノセント』のように、一年がかりで準備する自主公演の訳詞コンサートではなく、お店への出演ですので、プログラム冊子を作るというような凝ったことはできませんが、でも構成等に関しても自由に考えさせて頂けますので、ホールとは違うライブハウスならではの、そして『巴里野郎』というお店ならではの心地よい空気感が最大限生かせるような内容にしてゆきたいと、思いは膨らんでゆきます。
『巴里野郎』の記念月間。
ならば、『巴里の香り』を届けたい・・・・というシンプルな発想ですが、奥は意外に深く、<香り>と一口に言っても、微妙にニュアンスを変えた様々な曲が重なり合って次々と浮かんできます。
苦心の末、選曲もほぼ決定したのですが、これは当日までは秘密にしておきます。・・・でも、一曲だけ・・・。
つい先日、ふと閃いて、『パリ・カナイユ』の訳詞を作りました。
この曲は邦名では『巴里野郎』というタイトルが付けられている、よく知られるシャンソンの定番です。
シャンソニエ『巴里野郎』の名もこの曲から採られたのでしょうか。多くの歌手の方たちによって、おそらく開店当初から30年間、お店で一番多く歌われ、愛された曲であろうと思われます。 ちなみに、イヴ・モンタンが歌う原曲は、こちらのYou Tubeでお聞きください。
この曲は これまで、私のレパートリーにはなかったのですが、今回の記念月間への祝意を込めて、綾音ヴァージョンの詩で歌ってみようと考えたのでした。
一般に歌われている訳詞は、実は原詩と随分違っていることもあり、原詩のニュアンスを生かした訳詞に面白く仕上がったと自負しています。

これが、今回のご案内チラシです(クリックすると拡大します)。
楽しんで頂けるコンサートにして参りますので、よろしかったら是非いらしてくださいね。
チラシの中の私のメッセージは、次のようです。
巴里野郎30周年記念月間となる4月、そして老舗シャンソニエの長い歴史に幕を下ろす月ともなってしまいました。
記念月間のオープニングに、心を込めて歌わせて頂きます。
是非お越し下さいませ。
『巴里野郎』閉店
2月1日、『巴里野郎』から、出演者各位として、4月一杯で閉店となる旨のFAXが入りました。
オーナーの宮本氏からの突然のお知らせ、短い文面でしたが、抑制された淡々とした文章の中に、深い思いと覚悟のほどを伺い知ることができました。
前々から考えていらしたことなのか、急遽決意なさったことなのか、知る由もないのですが、『銀巴里』を初めとする、老舗名門シャンソニエが次々とその灯を消してゆく、その中に『巴里野郎』も呑み込まれてゆくこととなったのだという感慨が突然強く襲ってきて、胸を打たれました。
私が『巴里野郎』とご縁を持ったのは、つい昨年からのことですが、それでも、今、何かとても寂しく、喪失感に包まれていますので、もっと、長い時間をお店と共に過ごしてきた歌手の方たちはどれほどの衝撃を持ってこのお知らせを受け止められたのだろうと察するに余りあります。
事実、関西のシャンソン界に、今、波紋が大きく広がっているのを感じます。
『巴里野郎』と関わっていらした関係の方たち、ファンの方たちが、ブログなどで心中を吐露したり、閉店を惜しむ声、存続を願う声も、様々なところで湧き上がっているようです。
あとひと月半の月日、関西のシャンソンの発祥、普及の要となってきた『巴里野郎』の誇り高い有終の美を、静かに見守りたいと思いますし、多くの人が望んでいるように、閉店ではない別の展開が生まれてほしいと、願うばかりです。
8日の京都新聞朝刊に、巴里野郎閉店の記事が載っていました。
この記事は『巴里野郎』のHPに正式にリンクされていますので、よろしかったらお読みになってみてください。
オーナーの宮本氏は、数年前に体調を崩されて、現在ご自宅で療養中でいらっしゃるのですが、30年前に本場のシャンソニエを訪れた時の感動から、日本にも本格的なシャンソニエをという志のもと、『巴里野郎』をオープンさせたのだと伺っています。
お店に出演するようになって、ご縁が出来たわけですが、つい先日、このような写真を、4月1日のコンサートへの励ましの言葉と共に送って下さいました。

『巴里野郎』のステージの立ち位置の写真です。
多くの歌手たちがここで歌って擦り切れてしまった床。
「一番ライトが綺麗にあたる場所です これからのために・・・」との言葉が添えられてありました。
有難うございます。
大切にしたいと思います。
宮本氏は1953年生まれで、これは『パリ・カナイユ(巴里野郎)』がレオ・フェレによって作られた年と同年だと最近偶然知ったともおっしゃっていました。
今回の『パリ・カナイユ』の訳詞はそのことが心にあって作ったものです。
しっかり歌いこんで、コンサートでご披露したいと思います。


