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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『ノートルダム・ド・パリ』3 初演との比較

 お約束通り、昨日の記事の続きを早速、UPさせて頂きたいと思います。
 『ノートルダム・ド・パリ』1 ミュージカルまで『ノートルダム・ド・パリ』2 ミュージカルからの続きとなっていますので、初めてお読み下さる方は順を追ってご覧いただくとわかりやすいかと思います。

   1998年の初演と今回2013年の公演
  <英語訳>
 初演と今回の公演を比べてみると、色々気づくことはあり、とても興味深く感じたのですが、でも、何と言っても最も大きな違いは、今回の劇中の曲、すべてが英語で歌われていることでしょうか。

 『ノートルダム・ド・パリ』は、1998年の初演から大きな反響を巻き起こしたミュージカルで、その後、世界15ヵ国で公演され、800万人の観客動員数を誇る大ヒット作なのですが、(なぜこれまで来日しないのかむしろ不思議に思っていたほどです)これまでは、そのいずれも、フランス語の原詩で歌われていました。
ノートルダム・ド・パリの楽譜集の表紙 私もこの初演以来、CDや楽譜集(左の写真は楽譜集の表紙です)など入手して、52曲のほとんど全部を、そらで歌えるくらいに聴き込んでいましたので、正直言うと、今回の英語の歌詞には違和感が大いにあり、せっかくの特等席に座りながら、言葉の響きや訳語の使い方などが、やたらと気になって、<違うんじゃないか?>と心で呟きつつ、もぞもぞとしていました。
 そのようなわけで、私の感覚は既に、フランス語バージョンのみを本物と認識してしまっていますので、実際はどちらがどうなのか、冷静な判断はもはやできず、大いに偏見に満ちた感想ですので、顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうかもしれません。
でも、その辺を差し引いたとしても、やはり、フランス語の原詩のほうが良いのではという気がしています。
 なぜか?・・・まずは、元のフランス語詩に合わせて、曲は作られているわけですので、当然、本家本元、それが何より自然でしっくりくるからでしょう。
 但し、これは、翻訳の宿命なので、これを言い始めたら、すべての翻訳は、原典に勝ち目がないことになってしまうのでしょうけれど・・・・。

 このミュージカルの劇中歌が、これまで、フランス語の原詩で歌われ、その中で何曲もが大ヒットとなり、そのまま定着してきているにもかかわらず、今回の公演では、なぜ英語版で歌われたのか?という事情は、正確にはわかりませんが、世界的に市民権を得るにはどうしても英語でなければという要請は強いのかもしれません。
 セリーヌ・デイオンやララ・ファビアンなども、英語圏への進出を図るようになってから、昨今、フランス語で歌うことは少なくなってきていますし、ミュージカルに限らず、フランスの音楽が世界に進出するためにはフランス語を脱しなければという流れは無視できないのでしょうね。

 でも、もう一つ、原詩に軍配を上げる理由は、フランス語表現が、詩的で、象徴的に物語る要素というか、そこはかとなく伝わってくる香りを、より強く持っている言語のように思うためです。その特性がこのようなミュージカルの形には、よりしっくりくるのではと。・・・・これも曖昧な直感のようなもので言っているので、実は、あまり根拠はないのですが。
 英語表現になると、曲の持つ意味は、クリアにはなりますが、どこか写実的、直接的過ぎて、即物的な色合いを増してくる気がしてしまいます。

  <パフォーマンス>
 そしてもう一つ、初演と今回の公演との違いなのですが。
 基本的には、脚本も、歌われる曲も、演出も、初演とほぼ同じですので、大きな差異はないのですが、パフォーマンスが初演時よりはかなり派手になっているという印象を受けました。
1998年初演の舞台から 
 装置や、照明、衣装、そして何よりパワーアップしたアクロバティックな舞踊など、視覚的に楽しませる要素を前面に打ち出したのでしょう。初演の時の写真(右)をみると、鐘にからむ踊りも今回の空中ブランコのようではありません。

 「地味で世界に通用しない」と言われ続けた、フランス・ミュージカルが、ブロードウェイ・ミュージカルと肩を並べ、世界のひのき舞台に上るための、今まさに、正念場なのかもしれません。
 実際、1998年の『ノートルダム・ド・パリ』から始まって、『十戒』『ロミオとジュリエット』などフランスのミュージカルが脚光を浴びつつありますし現に、日本でも先日『ロミオとジュリエット』が来日公演して好評を博しています。(実はこれも私、観に行きました!)

 フランス音楽界には、<ブロードウェイ・ミュージカルのような作り方は、娯楽に走って真に芸術性を追求していない。フランス・ミュージカルは安っぽい華やかさを必要としない>というように、長きに渡って、言葉を伝える文化の独自性を矜持してきた節がありますが、それが、昨今の流れの中で急速に変わってきている気がします。
 そういう意識の変化が、今起こりつつあるフランスミュージカルのブームに繋がっているのは喜ばしいことではあるのですが、いつの間にか均質化して、二番煎じになることは避けて欲しいですし、フランス的なこだわりというか、個性を失くすことがないよう、柔軟な中にもフランスらしさを残し続けてほしいかなと思います。

 地味でも曲自体をまずは伝えて行こうとするミュージカル、歌の中の詩語の美しさや広がりを第一義としてゆくフランス的な言葉へのこだわりは、フランスのミュージカルならではの類を見ない独特の味わいを持っている気がしますので、そういう特質と、楽しませてくれるパフォーマンスとのバランスを考えることが今後も必要なのではと思いました。


   『カテドラルの時代』
 もう5年も経ってしまいましたが、2008年9月に、内幸町ホールで、松峰綾音訳詞コンサートVOL.2『もう一つのたびだち』を公演したことを懐かしく思い出します。

 この中で、実はこの『ノートルダム・ド・パリ』の劇中歌を5曲ほどご披露したのでした。
 ナレーションを入れながら、物語全体の流れが大づかみに把握できるよう色々工夫して、その要所要所で代表的な歌を歌い、まさに一人芝居、プチ・ミュージカルのような舞台仕立てにしたのです。
 証明なども、手伝ってくれるスタッフの方と入念に想を練り、なかなかセンス良く仕上げられたのではと思っています。
 カテドラルの時代を歌う
 自画自賛になりますが、ステンドグラスに見立てたこんな照明もなかなか美しかったと評判は上々でした。

 あの時の印象が自分の中でも強烈過ぎて、生半可では歌えないという気分があり、これまで大切にしまいこんであったのですが、今回4月1日の巴里野郎でのソロコンサートで、あの時の曲から2曲歌ってみようかなと思っています。
 『ノートルダム・ド・パリ』の一番のヒット曲である『カテドラルの時代』も歌います。

 三回にわたって『ノートルダム・ド・パリ』のお話を致しましたが、お読み頂きありがとうございました。

 月曜日の巴里野郎ライヴを前に、今、待機しています。
 花粉症の悪化が少しうっとうしいですが、めげず、しっかりと、そして楽しいコンサートにしたいと思います。



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