
8月21日。
ブログを書かせて頂くようになってから、誕生日を迎えるのも三回目となりました。
実は今、信州に来ています。
昨年もそうだったのですが、両親の療養と避暑を兼ねて、8月初旬から共に過ごしていました。
少し体調を取り戻した父母は、一昨日、無事実家へと戻ったので、後数日、今度は一人で過ごそうかなと思っているところです。
昨日、一番に頂いた「Bon anniversaire!」で始まるお祝いのメール。
シャンソンに関わるようになって知り合った素敵な先輩なのですが、「よき一年でありますように」と温かい思いが伝わってくるお言葉を頂いてとても幸せでした。
そして今朝も、仲良しの方たちから嬉しいメールが届きました。
覚えていて下さり、「おめでとう!」と言って頂けること、本当に嬉しいです。有難うございます。
普通に生活している時には特に意識しませんが、でも、恙無く日々を過ごし、人との絆をこんな風に結んで行かれることは、何にもましての恵みなのだと思います。
今朝、木漏れ日の中、大好きな落葉松林を散歩してみました。
昨夜の雨に洗われて、眩しく緑が輝いています。
遠くの梢から風が吹き抜けてくる音が、心にも届いてきます。
朝の光と木々の香りに包まれていると、いつも慌ただしく走ってばかりいる気分がシーンと鎮まってきて、半分物悲しいような心持さえするのですが、でも、この一年間、どうやって過ごしてきたのかしらなどと、改めて思い巡らせたりしてしまいます。
何だかずっと、「一期一会」の言葉の重さを痛感していた気がします。
特に春以後、親しい友人、知人、親族、多くの方たちとの悲しい別れが重なったためかもしれません。
今年は私には、特別なお盆、送りの夏となってしまいました。
その一方で、久しぶりの懐かしい方たちとの再会も不思議な位多くあり、新たに出会った素敵な方たちも沢山いて、それが別れと裏腹に突然やってくる気がして、今、殊更に意味深いものに感じられます。
そして、心通じ合う共演者と共に開催することのできた2月のコンサート、新鮮な刺激と活力を得た5月のフランス旅行・・・・人や出来事との邂逅も、皆何か大きなものの意思に委ねられて動いてゆく・・・・だからこそ、そういう「一期一会」を思いを込めて大切に受け止めてゆきたいものだと改めて思います。
ところで。
一昨年は、「八月生まれ」、昨年は「無事是名馬なり」という記事をそれぞれ8月21日に書いているのですが、改めて先ほど読み返してみました。
嘗て書いた文章に改めて触れると、妙に照れくさかったりすることってありますね。
こんなことを考えていたのかと何だか新鮮な気もしましたし、でもやっていること、考えていることは相変わらずで、格別の発展や進歩もなくて、ちょっと焦りを感じてしまいます。
昨年の「無事是名馬なり」の中で私、こんなことを言っていました。
・・・前半略・・・
けれど、『無事是貴人』という元々の言葉は、臨済宗の法語からきていて、「無事」とはただ<何事もなく>ということではなくて<平常心>という意味合いで使われているようです。
「あらゆる事柄を、当たり前に受け止めて、自然に為すこと」、「いかなる境遇に置かれようとも、見るがまま、聞くがまま、あるがままに受け入れ、すべてを粛々と何気なく処置して行くこと」が、『無事是貴人』の原義なのでしょう。
ウ~~ン!私にはなかなか。
・・・憧れますが、辿りつき難い遠い遠い境地です。
私は、子供の頃から、「精神一到 何事かならざらん」「なせばなる」派で、今に至っても、何でもハチマキをしてがむしゃらに突進するのが、大好きなのですが、でも、実は、こういう人間には落とし穴も多くて、人生はあくまでも短期決戦ではなく、最後に確実に何が実りとなったかが大切なのでしょうから、そうなると、やはりこれは克服すべき弱点でもあると最近痛感している次第です。
そうは言っても、持って生まれた性分はきっと簡単には変えられないのでしょうけど、でも、必死になり過ぎて我を忘れないよう自戒し、ゆとりを持って、もたらされるものを静かに享受しながら、尚、歩みを止めず努力を続けてゆけたらと思っています。
という、昨年の決意表明だったのですね。
今年もやはり「ウ~~ン! 私にはなかなか。」
・・・・未だ克服できずで、恥ずかしいです。
ハチマキは益々きつく締め、何だか気持ちばかり加速度がついている気がします。毎年、同じ目標を口にしながら過ごしてゆくのでしょうか。
「もたらされるものを静かに享受しながら、」心を込めて一つずつ尽くしてゆきたい、本当にそう思います。
そして、・・・矛盾するみたいですが、その場ではジタバタするかもしれないけれど、今できること、やってみたいと思うことは、多少無謀に見えても、恐れず、後に延ばさず、挑戦してゆくことを楽しめたらと思ってしまいます。
きっとまたハチマキ片手に、締めたり外したりのドタバタな日々なのでしょうけれど、自分なりに努力して歩んでゆきたいです。
段々話が混乱、酩酊してきましたね。ごめんなさい。
今年の私のバースディー、拙い初心表明でした。
我が夏の信州風物詩 ~恒例の一枚~
<キャベツ畑にて>
今年も美味しそうな高原のキャベツたちです。
向こうに連なる落葉松の峰。
夏特有の黒みがかった深い色合いにも、落葉松らしい雄々しい生命力を感じます。大好きな風景。
<ブルーベリージャム>
今年も作りました。
これが一回分で約2キロ、8瓶ほど出来上がりました。
これをもう一回作りましたので、総計4キロのブルーベリー、なかなかですよね。相変わらず不ぞろいな瓶で、横着なジャム屋さんみたいですが、甘さ控えめヘルシーで、味は結構いけます。
皆様に講釈を付けてお送りしてみたのですが、喜んで頂けましたでしょうか。
<薔薇の香り ~レイクニュータウン~>
昨年、ご紹介しましたね。
やはり今年も薔薇を見たくなって。
<秋草>
萩。
コスモス。
高原はいつの間にか秋の気配が漂い始めました。
「吾亦紅(われもこう) すすき かるかや 秋草の 寂しき極み 君に送らむ」
若山牧水のロマンチックなこの歌が似合う季節がやってきます。
ブログを書かせて頂くようになってから、誕生日を迎えるのも三回目となりました。
実は今、信州に来ています。
昨年もそうだったのですが、両親の療養と避暑を兼ねて、8月初旬から共に過ごしていました。
少し体調を取り戻した父母は、一昨日、無事実家へと戻ったので、後数日、今度は一人で過ごそうかなと思っているところです。
昨日、一番に頂いた「Bon anniversaire!」で始まるお祝いのメール。
シャンソンに関わるようになって知り合った素敵な先輩なのですが、「よき一年でありますように」と温かい思いが伝わってくるお言葉を頂いてとても幸せでした。
そして今朝も、仲良しの方たちから嬉しいメールが届きました。
覚えていて下さり、「おめでとう!」と言って頂けること、本当に嬉しいです。有難うございます。
普通に生活している時には特に意識しませんが、でも、恙無く日々を過ごし、人との絆をこんな風に結んで行かれることは、何にもましての恵みなのだと思います。

今朝、木漏れ日の中、大好きな落葉松林を散歩してみました。
昨夜の雨に洗われて、眩しく緑が輝いています。
遠くの梢から風が吹き抜けてくる音が、心にも届いてきます。
朝の光と木々の香りに包まれていると、いつも慌ただしく走ってばかりいる気分がシーンと鎮まってきて、半分物悲しいような心持さえするのですが、でも、この一年間、どうやって過ごしてきたのかしらなどと、改めて思い巡らせたりしてしまいます。
何だかずっと、「一期一会」の言葉の重さを痛感していた気がします。
特に春以後、親しい友人、知人、親族、多くの方たちとの悲しい別れが重なったためかもしれません。
今年は私には、特別なお盆、送りの夏となってしまいました。
その一方で、久しぶりの懐かしい方たちとの再会も不思議な位多くあり、新たに出会った素敵な方たちも沢山いて、それが別れと裏腹に突然やってくる気がして、今、殊更に意味深いものに感じられます。
そして、心通じ合う共演者と共に開催することのできた2月のコンサート、新鮮な刺激と活力を得た5月のフランス旅行・・・・人や出来事との邂逅も、皆何か大きなものの意思に委ねられて動いてゆく・・・・だからこそ、そういう「一期一会」を思いを込めて大切に受け止めてゆきたいものだと改めて思います。
ところで。
一昨年は、「八月生まれ」、昨年は「無事是名馬なり」という記事をそれぞれ8月21日に書いているのですが、改めて先ほど読み返してみました。
嘗て書いた文章に改めて触れると、妙に照れくさかったりすることってありますね。
こんなことを考えていたのかと何だか新鮮な気もしましたし、でもやっていること、考えていることは相変わらずで、格別の発展や進歩もなくて、ちょっと焦りを感じてしまいます。
昨年の「無事是名馬なり」の中で私、こんなことを言っていました。
・・・前半略・・・
けれど、『無事是貴人』という元々の言葉は、臨済宗の法語からきていて、「無事」とはただ<何事もなく>ということではなくて<平常心>という意味合いで使われているようです。
「あらゆる事柄を、当たり前に受け止めて、自然に為すこと」、「いかなる境遇に置かれようとも、見るがまま、聞くがまま、あるがままに受け入れ、すべてを粛々と何気なく処置して行くこと」が、『無事是貴人』の原義なのでしょう。
ウ~~ン!私にはなかなか。
・・・憧れますが、辿りつき難い遠い遠い境地です。
私は、子供の頃から、「精神一到 何事かならざらん」「なせばなる」派で、今に至っても、何でもハチマキをしてがむしゃらに突進するのが、大好きなのですが、でも、実は、こういう人間には落とし穴も多くて、人生はあくまでも短期決戦ではなく、最後に確実に何が実りとなったかが大切なのでしょうから、そうなると、やはりこれは克服すべき弱点でもあると最近痛感している次第です。
そうは言っても、持って生まれた性分はきっと簡単には変えられないのでしょうけど、でも、必死になり過ぎて我を忘れないよう自戒し、ゆとりを持って、もたらされるものを静かに享受しながら、尚、歩みを止めず努力を続けてゆけたらと思っています。
という、昨年の決意表明だったのですね。
今年もやはり「ウ~~ン! 私にはなかなか。」
・・・・未だ克服できずで、恥ずかしいです。
ハチマキは益々きつく締め、何だか気持ちばかり加速度がついている気がします。毎年、同じ目標を口にしながら過ごしてゆくのでしょうか。
「もたらされるものを静かに享受しながら、」心を込めて一つずつ尽くしてゆきたい、本当にそう思います。
そして、・・・矛盾するみたいですが、その場ではジタバタするかもしれないけれど、今できること、やってみたいと思うことは、多少無謀に見えても、恐れず、後に延ばさず、挑戦してゆくことを楽しめたらと思ってしまいます。
きっとまたハチマキ片手に、締めたり外したりのドタバタな日々なのでしょうけれど、自分なりに努力して歩んでゆきたいです。
段々話が混乱、酩酊してきましたね。ごめんなさい。
今年の私のバースディー、拙い初心表明でした。
我が夏の信州風物詩 ~恒例の一枚~
<キャベツ畑にて>
今年も美味しそうな高原のキャベツたちです。


向こうに連なる落葉松の峰。
夏特有の黒みがかった深い色合いにも、落葉松らしい雄々しい生命力を感じます。大好きな風景。
<ブルーベリージャム>
今年も作りました。
これが一回分で約2キロ、8瓶ほど出来上がりました。


これをもう一回作りましたので、総計4キロのブルーベリー、なかなかですよね。相変わらず不ぞろいな瓶で、横着なジャム屋さんみたいですが、甘さ控えめヘルシーで、味は結構いけます。
皆様に講釈を付けてお送りしてみたのですが、喜んで頂けましたでしょうか。
<薔薇の香り ~レイクニュータウン~>
昨年、ご紹介しましたね。


やはり今年も薔薇を見たくなって。
<秋草>

萩。
コスモス。
高原はいつの間にか秋の気配が漂い始めました。

「吾亦紅(われもこう) すすき かるかや 秋草の 寂しき極み 君に送らむ」
若山牧水のロマンチックなこの歌が似合う季節がやってきます。


