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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『この路地で』

秋の雲 そして木
 早朝。
 ふと見上げると、空・・・雲・・・木。
 夏の終わり。
 久しぶりで爽やかな高い空を見ました。


秋の雲 そして木2
 
両親の健康にひたすら留意しながら共に過ごしたこの夏の名残は、まだ私の身体に刻まれていて、夜明けと共に目覚め、早朝散歩、丁寧な朝食作り・・・・元の生活に戻った今も、毎日、勤勉で模範的な生活が続いています。
 
 さて、今日は久しぶりに「訳詞への思い」を綴ってみようかと思います。
 つい最近、訳詞した『この路地で』です。


   「この路地で」
              訳詞への思い<11>


   dans ma rue  ~ピアフとザーズ~
 1946年にエディット・ピアフによって歌われた曲で、原題は<dans ma rue>である。
エディット ピアフ
rueは、<ストリート・通り>を指す言葉なので、 <dans ma rue>は「私の通りで」という意味になるのだが、そのままタイトルにすると、「私の言うとおり!」のようにも聞こえて、少し紛らわしいし、原曲のイメージからも、<通り>よりはもう少しうらぶれた感じが欲しくて、『この路地で』としてみた。
 1946年というと、67年前。フランスにおいても充分「懐メロ」の範疇に入るのではと思う。
 
 これまで私は、1980年代以降の現代の曲を中心に訳詞してきており、また、ピアフの曲については殆ど取り上げることはなかったので、自分としては、これはかなり例外的な選曲と言える。
 ピアフの数多くの名曲は、日本でも既に充分紹介され尽しているので、敢えて・・・という思いがどこかにあったためかもしれない。
 けれど、今年はピアフ没後50年で、映画や演劇、コンサートなどいくつも鑑賞する機会を得、改めて<ピアフ>がずっと心に刻まれていた。

 そして、この<dans ma rue>は、昨年2012年に来日して、日本でも大ブレークしたZaz(ザーズ)が、CDアルバム「Zaz」(邦名タイトル「モンマルトルからのラブレター」2010年発売)にカヴァーしていて、印象に残っていた曲だった。
ZAZ CDジャケット 
 この曲は、ピアフのレパートリーの中でも、知名度は高くはないし(ピアフファンでも聴いたことがないという人が多いようだ)、まして、誰かがカヴァーすることもこれまでなかったのだが、斬新な現代ポップスの最前線を自由に闊歩しているようなザーズという若い女性シンガーが、この曲に注目したことも大変に興味深い。

 モンマルトルのストリート・ミュージシャンとして路上ライヴを繰り広げてきたザーズが、苦境の中で同じくモンマルトルの街角で歌っていた若かりし頃のピアフと、自らを重ね合わさるものがあったためかもしれない。
 実際、「モンマルトルの歌姫」と彼女は称されて、その個性的なハスキーボイスとエネルギッシュな歌唱力とで、「ピアフの再来」との呼び名も高い。
 そして、<Dans ma rue>曲中の女主人公もまた、モンマルトルに生まれ、苦界に戦っていて、やるせなく響くピアフ、そしてザーズの歌を聴いていると、そういう曲中の世界が繋がって見えてくる気がする。


   「この路地で」
 
  モンマルトルの片隅で 私は生まれた
  飲んだくれの父と 働きづめの母と
  私は いつでも 病気ばかりしてた
  ベッドの窓の下 路地を いつも見てた


 私の訳詞の冒頭は上記のとおりである。
 始まりを一読しただけで、<可哀想>な感じがそこはかとなく漂ってくるのではと思う。
 予想に違わず、主人公の悲劇は続いてゆく。
 
 いつもじっと路地を眺めていた女の子は、時が経ち、やがて、荒んだ生活の中で酒に溺れる父に、「自分の力で食いぶちを稼げ」と命じられる。「他の女と同じように夜の街に立てば済むことなのだ」と言う。

 彼女は街に立つことになるが、その生活を甘受することが出来ない。
 そうしているうちに、一家は離散し、やがて住む家もなく、惨めに落ちぶれて人からの施しを待つ身となる
 そして最後は・・・。

 という、いかにもありそうな往年のシャンソンで、定番のクラシカルな悲劇という気はするが、でも、だからこそ、心を強く揺さぶられる。

 命尽きる最期の時に、彼女はひたすら神に魂の救済を求める。
 <神様の元に導かれて、温めてもらえるように>
 <今、天使たちが自分を連れてゆくのだ>・・・そう感じながら彼女は息を引き取る・・・。

 ゾラの長編小説「居酒屋」を思い出してしまった。
 健気で働き者の洗濯女ジェルヴェーズが、平凡な幸せを夢見て苦境に立ち向かってゆくのだが、過酷な運命と貧困とに翻弄され、ついには自らも自堕落な生活に転落し、絶望の中で、無残に死にゆくという物語で、人間は、その人格も倫理観も幸不幸も、全ては社会環境によっていかようにも変化し得るものだ、というゾラ特有の自然主義哲学が貫かれている作品だ。
 この小説はこれまでに何回も読んでいるが、それにしても話の展開や描写が、余りにも救いがなく悲惨すぎて、いつも最後まで読むのが辛くなってしまう。

 フランスに限らず日本でも、長い歴史の中で、家族を救うため身売りする女の子たちの実話は山の様にあるし、現実は小説より更に悲惨なはずで、戦争や貧困のもたらす悲劇を思うと胸塞がれる。

 <Dans ma rue>の最後のフレーズに、祈りの様に語られている「神様が温めてくれる」という言葉に胸を打たれる。
 「天使」や「神」という言葉に西洋的な匂いを感じるが、私の訳詞では、「神」や「天使」を繰り返すことは敢えて避け、

   神様の元に こうして向かう
 
 の一言だけで万感を表してみた。

   星の流れに・・・・
 終戦記念日が近づくとテレビ、ラジオ、新聞などでも、戦後の歴史を改めて辿り、思いを馳せる様々な特集などが組まれる。
 先日、戦後の歌謡史とその時代背景を重ね合わせて語るテレビ番組を観た。
 その中で、1947年(昭和22年)のヒット曲、「星の流れに」を取り上げていた。
 「終戦で、奉天から単身引き揚げてきた従軍看護婦の女性が、東京の焼け野原の中に一人置かれ、働くすべもなく、飢餓状態に陥った末、ついには娼婦へと身を落としてしまった」・・・その女性が自らの転落の顛末を手記にして新聞に投稿した、その記事に触発され、彼女をモデルに作られた曲なのだそうだ。
 最初は「こんな女に誰がした」というタイトルで発表されたのだが、日本人の反米感情を煽る事になると、GHQからクレームがきたため、急遽「星の流れに」というタイトルに変更されたのだという。
  
  星の流れに 身を占って  何処をねぐらの 今日の宿
  荒(すさ)む心で いるのじゃないが  泣けて涙も 涸れ果てた
  こんな女に誰がした (1番のみ)


 「Dans ma rue」は1946年、そしてこの曲は1947年、ほぼ時を同じくして東西で歌われた曲に、同様の心境を感じるが、しかし一方では、「dans ma rue」には、女性に起こった運命の一部始終を淡々と事実として物語ってゆく客観的な視点があるのに対し、「星の流れに」には、怒りや絶望や喪失感などが、主人公と一つに重なって情感に訴えて語られてゆく、そんな差異もある。
 フランスのシャンソン、日本の歌謡曲のそれぞれが持つ典型的な特徴の一つを見るような気がしてとても興味深く思われる。

 「この路地で」が、古くて新しい、心に沁み入る歌として、共感を持って受け止めていただけるようになればと思う。 

                                          Fin

 
 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)



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