
長過ぎた三月が終わり、ようやく四月になりましたね。
カレンダーを一枚めくり、新しい月に掛け替える、そんな普通のことがこんなにも意識されたことはないような気がします・・・・
そうだ!中間報告を!!・・・・前にこのブログでご紹介した日めくりカレンダーですが、何と今のところ毎日欠かさずめくっているんです。<ほお~~でも、いつまで続くんだか・・・>って呟いているちょっとシニカルな自分の声に抵抗しながら・・・です。
でももしかしたら、日の経つのもあまり気付かず、ぽわんと過ごしている時の方が平和で幸せなのかもしれないなとも、ふと思います。
どうか、四月は落ち着きを少しでも取り戻せる月でありますように。
皆に、平穏な時間が戻ってきますように。
今年は確か3月25日前後が、京都の開花の予想日と聞いていたのですが、寒気が戻ったためか突然凍りついてしまったように、固く閉ざしていた花芽が、この数日の温かさでようやく膨らみ始めました。
この地震と大津波との大災害の傷跡を桜の黒い枝が、嘆き悼んでいるように見えて、今年はこのまま花を咲かせることはないのでは、という気さえしていました。季節になっても咲かない花は、喪失感を増し悲しげでした。
昨日東京からMさんが訪ねてくれました。
言うに言われぬ思いをそっと飲み込むような時間の中に、毎日居たためでしょうか、こんな時は殊のほか人恋しく感じられて、旧知の彼女との再会は、固まっていた気持ちが溶けてゆくような嬉しさがありました。
ものすごく長いこと会わないでいたかのように、そんな時間を埋めるかのように、この災害の日々の事、見聞きした沢山の事、考えた事、近況報告の中に色々な事を混ぜこぜにしながら話し続けました。
一緒に鴨川べり、そして白川沿い、哲学の道、京都の街をただ話しながらひたすらに歩き続けたのですが、汗ばむほど暖かい日、抜けるような青空を久しぶりに見上げた気がします。
ちらほらと桜が咲き始めていて、とても綺麗でした。
やはり咲くのね 咲かないと思っても季節がくれば必ず咲くのね
やはり桜は綺麗ね 桜は青空の下が似会うわね
歩き続けていると、人の思考って自然と歩調に合ってシンプルになってくるみたいで、気がつくと二人共、そんな同じ言葉を何度も何度も繰り返していて、ちょっと可笑しくなってしまいましたが。
何があっても季節は巡ってきます。 そして花をつけます。
当たり前のことですが、そんなことが今は、色々なことを示唆しているようで、思わず身を正す気分になります。
こんな時にお花見なんて! と自粛する声が自然と起こっていますが、勿論ばか騒ぎする気にはなれないし、それは大いに顰蹙(ひんしゅく)でしょうが、でも、今年の桜を日本中の方たちがそれぞれ、どこで、どんな気持ちで眺めることでしょう。
白川沿いで見た一本だけ満開のしだれ桜。
華やか過ぎて少し恥ずかしそうに、でも、すべてを吹き飛ばすくらい美しく咲き誇って道行く人の心を奪っているように見えました。
いつもの年なら今頃は、人で埋め尽くされる哲学の道の桜並木。
ここはほとんど開花していなくて人がまばらでした。でも、雪柳の綿みたいな白、レンギョウの鮮やかな黄色、・・・春の色です。
固い蕾も陽の中で今にも花開いてきそうです。
詩人の大岡信氏が著書『言葉の力』の中で、染色家志村ふくみさんから聞いた言葉を取り上げ、このように語っていたのを思い出します。
「美しい桜色に染色された糸・・・・この桜色は桜の花びらを煮詰めて色を取り出す
のではなく、実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつ
ごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いて
こう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が
咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えも
いわれぬ色が取り出せるのだ、と。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「春先、間もなく花になって咲き出ようとしている桜の木が、花びらだけではなく、木
全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしているのが私の脳裡に揺らめい
た」
昨日一日中、蕾のほころび始めた桜を眺めながら志村さんのこの言葉が、思い出されてなりませんでした。
命の営み、自然の力は本当に不思議ですね。
厳冬だった今年の桜は、その寒さに耐え、それでもなお、黒い幹に、その桜花を咲かせるために、樹全体に命を宿すようにピンクの樹液をみなぎらせ、今、美しい桜色に開花しようとしているのでしょうか?
厳しい寒気にさらされればそれだけきっと、鮮やかに美しい花を付けるに違いありません。
何があっても、何かあるから、なお美しくありたい。
とても大切なことを、そして勇気を貰ったような気がした、心に残る桜を巡る一日でした。
カレンダーを一枚めくり、新しい月に掛け替える、そんな普通のことがこんなにも意識されたことはないような気がします・・・・
そうだ!中間報告を!!・・・・前にこのブログでご紹介した日めくりカレンダーですが、何と今のところ毎日欠かさずめくっているんです。<ほお~~でも、いつまで続くんだか・・・>って呟いているちょっとシニカルな自分の声に抵抗しながら・・・です。
でももしかしたら、日の経つのもあまり気付かず、ぽわんと過ごしている時の方が平和で幸せなのかもしれないなとも、ふと思います。
どうか、四月は落ち着きを少しでも取り戻せる月でありますように。
皆に、平穏な時間が戻ってきますように。
今年は確か3月25日前後が、京都の開花の予想日と聞いていたのですが、寒気が戻ったためか突然凍りついてしまったように、固く閉ざしていた花芽が、この数日の温かさでようやく膨らみ始めました。
この地震と大津波との大災害の傷跡を桜の黒い枝が、嘆き悼んでいるように見えて、今年はこのまま花を咲かせることはないのでは、という気さえしていました。季節になっても咲かない花は、喪失感を増し悲しげでした。
昨日東京からMさんが訪ねてくれました。
言うに言われぬ思いをそっと飲み込むような時間の中に、毎日居たためでしょうか、こんな時は殊のほか人恋しく感じられて、旧知の彼女との再会は、固まっていた気持ちが溶けてゆくような嬉しさがありました。
ものすごく長いこと会わないでいたかのように、そんな時間を埋めるかのように、この災害の日々の事、見聞きした沢山の事、考えた事、近況報告の中に色々な事を混ぜこぜにしながら話し続けました。
一緒に鴨川べり、そして白川沿い、哲学の道、京都の街をただ話しながらひたすらに歩き続けたのですが、汗ばむほど暖かい日、抜けるような青空を久しぶりに見上げた気がします。
ちらほらと桜が咲き始めていて、とても綺麗でした。
やはり咲くのね 咲かないと思っても季節がくれば必ず咲くのね
やはり桜は綺麗ね 桜は青空の下が似会うわね
歩き続けていると、人の思考って自然と歩調に合ってシンプルになってくるみたいで、気がつくと二人共、そんな同じ言葉を何度も何度も繰り返していて、ちょっと可笑しくなってしまいましたが。
何があっても季節は巡ってきます。 そして花をつけます。
当たり前のことですが、そんなことが今は、色々なことを示唆しているようで、思わず身を正す気分になります。
こんな時にお花見なんて! と自粛する声が自然と起こっていますが、勿論ばか騒ぎする気にはなれないし、それは大いに顰蹙(ひんしゅく)でしょうが、でも、今年の桜を日本中の方たちがそれぞれ、どこで、どんな気持ちで眺めることでしょう。

白川沿いで見た一本だけ満開のしだれ桜。
華やか過ぎて少し恥ずかしそうに、でも、すべてを吹き飛ばすくらい美しく咲き誇って道行く人の心を奪っているように見えました。


いつもの年なら今頃は、人で埋め尽くされる哲学の道の桜並木。
ここはほとんど開花していなくて人がまばらでした。でも、雪柳の綿みたいな白、レンギョウの鮮やかな黄色、・・・春の色です。
固い蕾も陽の中で今にも花開いてきそうです。
詩人の大岡信氏が著書『言葉の力』の中で、染色家志村ふくみさんから聞いた言葉を取り上げ、このように語っていたのを思い出します。
「美しい桜色に染色された糸・・・・この桜色は桜の花びらを煮詰めて色を取り出す
のではなく、実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつ
ごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いて
こう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が
咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えも
いわれぬ色が取り出せるのだ、と。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「春先、間もなく花になって咲き出ようとしている桜の木が、花びらだけではなく、木
全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしているのが私の脳裡に揺らめい
た」
昨日一日中、蕾のほころび始めた桜を眺めながら志村さんのこの言葉が、思い出されてなりませんでした。
命の営み、自然の力は本当に不思議ですね。
厳冬だった今年の桜は、その寒さに耐え、それでもなお、黒い幹に、その桜花を咲かせるために、樹全体に命を宿すようにピンクの樹液をみなぎらせ、今、美しい桜色に開花しようとしているのでしょうか?
厳しい寒気にさらされればそれだけきっと、鮮やかに美しい花を付けるに違いありません。
何があっても、何かあるから、なお美しくありたい。
とても大切なことを、そして勇気を貰ったような気がした、心に残る桜を巡る一日でした。


