
フランスのクリスマスソング
穏やかなクリスマスをお過ごしでしたか?
私は22日に、新宿ヴィラージュでシャンソン仲間との勉強会があり、自作の訳詞レパートリーの中から二曲、クリスマスソングを歌ってきました。

一曲はバルバラの「joyeux noël(松峰邦題「素敵なクリスマス」)」という曲。この曲は、前にブログでもこんな記事で少しだけご紹介したかと思います。
クリスマスの夜、恋人に会いに行く一人の若者と、同じく愛する人のところに向かう一人の女性とがアルマ橋ですれ違うところから話は始まります。
話はいかにもフランス風の味付けで進んでゆき、びっくりする結末と共に、「祝福あれ 素敵なクリスマス」という言葉で終結します。
いかにもバルバラ的であり、尚且つフランス的な、意表を突く物語の展開、そしてシニカルでお洒落な感覚満載の大好きな曲です。
でも、ミステリー小説のようなこの曲の種明かしをしてしまうと、歌を聴く興味が半減してしまいますので、、いつか是非直接お聴きくださいね。
もう一曲はフランスの代表的なクリスマスソング「petit papa noël (松峰邦題「僕のサンタさん」)」。
子どものためのあどけなく可愛い曲で、これもこの時期、私の一押しです。
でも、日本ではなぜか知名度が低く、やはりフランスの曲は浸透しにくいのでしょうか。残念です。
東京下町探訪<その二> 築地 ~朝食は江戸前寿司を
さて、大変お待たせ致しました。前回の記事の続きを始めましょう。
まだお読みになっていらっしゃらない方は、まずは→『師走東京下町探訪<その一>』からどうぞ。
友人のMさんと、豊洲にある豪華新築マンションのゲストルーム宿泊体験、一日目が無事終了したところまでお話ししたかと思います。
明けて、翌朝。
いつも以上に熟睡して目覚めた早朝、高層マンションの眼下に、空を青紫色に染めて太陽が昇ってきました。夜明けのしじまの中にビル群、くっきりと稜線を現してくる富士山。
豊洲に泊まる地の利を生かして、<移転が決まった築地市場を視察しつつ、そこで朝食を!>という美味しそうな話が昨晩のうちに成立しており、いざ出陣。
エレベーターの中、美しいロビー、ランドセル姿の子供達や通勤通学の人たちが行き交い、ホテルのような高層マンションにも普通に生活が営まれているのだと、当たり前のことに妙に感動してしまいました。
因みに、シャンソンに、『高層ビルの子供』という曲があるのですが、それが何となく口をついて出てきました。
<魚河岸の賑わい ターレ> さて、築地の魚河岸に到着。
8時半くらいでしたが、セリはもう終わった後で、業者の方たちが仕入れた品を整理し積み込んでいるところで、兎に角、人と車の雑踏の中、大変な活気でした。

築地は魚河岸を中心とした場内市場と、それを取り囲むようにして広がっている場外市場に分かれていますが、朝食は臨場感あふれる場内市場でということで、この中に果敢に突入。ここに来ると、お仕事をしていらっしゃる方たちの邪魔をしないよう敏捷な動きが要求されますね。
特に、この乗り物がすごいのです。
操縦者一人が、立ったまま大きなハンドルを自在に操作するちょっとキュートな形なのですが、荷台に一杯の段ボールや発泡スチロールの箱を山積みにして、人でごった返す狭い路地も何のその、躊躇することなくかなりの勢いで突進してきます。

通称「ターレ」という名前の運搬車です。
思わずウィキペディアで調べてしまいました。
動力源となるエンジン、モーター、操舵装置、駆動輪の全てが車台前部に回転可能に保持されたターレットに納められている。そのすぐ後方に運転台があり、運転者はターレット全体を回転させて操舵する。駆動輪となる前輪は360度回転するため最小回転半径は小さく、狭い場所での運用にも適している
<横断は信号機に従って>という守られた生活に、いつの間にか慣れてしまっていたことに愕然とするくらい、道を歩くこと、道を渡ることに全神経を集中させます。
<ここではきっとターレが一番、人はその邪魔をしないよう自己責任で歩く必要がある>、<それが築地の不文律に違いない>と勝手に確信しました。
それにしても、操縦が実に巧みで、スピードを緩めないでスルスルと擦れ違う妙技など、ただただ見とれてしまいます。
食材の品定めの技術、お魚をさばく技術、などと同様にターレを操る技術も長年、築地が培ってきた職人技なのかもしれません。
<マグロ ゴロゴロ>
何と言ってもお江戸の台所、築地ですから、あらゆる種類の鮮魚が半端な量ではありません。
でもマグロ、無造作にそこら辺にゴロゴロ転がっています。

デパートのマグロ解体ショーなんて目じゃない!あっという間に見事にさばいてゆきます。
そして出来上がった切り身はこれ。巨大ビーフステーキの様ですね。
<江戸前寿司 そして 珈琲> 細心の注意を払い市場を偵察しながら、場内の外れにあるお目当ての<魚がし横丁>に辿りつきました。

もう既にそれぞれのお寿司屋さんの前には長蛇の列です。さて、どの店に入ろうか、悩むところで、ガイドブックに載っているお店の行列は半端ではありませんでした。築地のお店はどこも本当に美味しいと聞いていましたので、大行列のお店と、誰も入っていないお店だけは避け、あと少しで番が来そうなお店に決めました。
敷地の関係で、間口が狭く10人くらいで一杯になってしまいますが、清潔で感じがよく、本当に美味しかったです。
いくらなんでも無理かなと思いつつ、15貫もある<おまかせ寿司>を注文しましたが、完食でした。お値段はそれなりですが、でもこの鮮度と美味しさなら納得です。余韻を楽しみたいので、しばらくは私、お寿司断ちするつもりです。

お店の看板に、メニューの写真がわかりやすく載っていて、それぞれにABC・・・とアルファベットが打ってあり、価格も明示されていました。
店内は外人のお客さんが圧倒的に多かったので、これは外国人の方のためのサービス、こうしておけば、日本語がわからなくても安心して注文できますね。
同じ並びに、昭和初期の香りのするレトロな珈琲屋さんがあったので、入ってみました。ウナギの寝床のような狭いスペースですが、若い女性二人で仕切っていて、テキパキとした働きぶりにとても好感が持てました。河岸で働く常連の方が多いみたいですが、気持ちのよいやり取りを聴きながら、幸せな満腹感を味わいました。
<ぶらぶらと場外に>「衣食足りて礼節を知る」・・・余裕を持って視察再開。
こんな本屋さんもありました。『マグロのすべて』『築地 魚 さばき方と料理』さすがです。

そして場外に。八百屋さん。佃煮屋さん。実演販売の卵焼き屋さん。

『吉野家』も。・・・明治32年創業で本家はここ築地なのだそうです。築地で働く人たちのために初代店主が 「はやい・うまい・やすい」を目指して店を開いたと説明がありました。
そして「波除(なみよけ)神社」。・・・江戸時代は元々、築地一帯は海であったものが家綱の時、大規模な埋立事業が完成したのだそうですが、その際に工事と埋立地の安寧を祈願して建立され、以来築地の守護神社として今日に至っています。
こうして歩いてみて、改めて、長い歳月の中で、築地に独特な文化が育まれていることを肌で感じた気がします。
「築地市場」という言葉自体がただの地名ではなく思いが込められていること、それだけに、ここに関わってきた方たちの深い愛着も頷けます。

建物の老朽化、流通、敷地の狭さ、様々な今後への限界から、検討の末、豊洲への移転が決まって、今将来に向けての準備が着々と進んでいるようです。
考えてみると築地も埋立地から始まり、長い月日を経て、今のような文化を作ってきたのですね。
これから豊洲市場もまた、色々な問題をクリアしつつ、未来型の独自な文化が生れて行くのでしょう。
Mさんと、「後10年20年したら、今日一緒にお寿司を食べたことを誰かに話したりするのかしら?」「<新築地市場>と命名して、築地の名前を残したい気もするけれど」とか色々と話しながら築地を後にしました。
六本木 ~サントリーホール オルガン プロムナードコンサート
この日の締めくくりはサントリーホールのパイプオルガンコンサートでした。サントリーホールでは月に一回、お昼に無料オルガンコンサートを行っていますが、この日はクリスマスにちなんだプログラムで編成されていて、とても楽しかったです。
バリトンとのジョイントもあり、大好きなフォーレの『夢のあと』なども素敵なフランス語で歌って下さって大満足。
年の瀬、心に残る一泊二日の東京探訪小さな旅のご報告でした。
穏やかなクリスマスをお過ごしでしたか?
私は22日に、新宿ヴィラージュでシャンソン仲間との勉強会があり、自作の訳詞レパートリーの中から二曲、クリスマスソングを歌ってきました。

一曲はバルバラの「joyeux noël(松峰邦題「素敵なクリスマス」)」という曲。この曲は、前にブログでもこんな記事で少しだけご紹介したかと思います。
クリスマスの夜、恋人に会いに行く一人の若者と、同じく愛する人のところに向かう一人の女性とがアルマ橋ですれ違うところから話は始まります。
話はいかにもフランス風の味付けで進んでゆき、びっくりする結末と共に、「祝福あれ 素敵なクリスマス」という言葉で終結します。
いかにもバルバラ的であり、尚且つフランス的な、意表を突く物語の展開、そしてシニカルでお洒落な感覚満載の大好きな曲です。
でも、ミステリー小説のようなこの曲の種明かしをしてしまうと、歌を聴く興味が半減してしまいますので、、いつか是非直接お聴きくださいね。
もう一曲はフランスの代表的なクリスマスソング「petit papa noël (松峰邦題「僕のサンタさん」)」。
子どものためのあどけなく可愛い曲で、これもこの時期、私の一押しです。
でも、日本ではなぜか知名度が低く、やはりフランスの曲は浸透しにくいのでしょうか。残念です。
東京下町探訪<その二> 築地 ~朝食は江戸前寿司を
さて、大変お待たせ致しました。前回の記事の続きを始めましょう。
まだお読みになっていらっしゃらない方は、まずは→『師走東京下町探訪<その一>』からどうぞ。
友人のMさんと、豊洲にある豪華新築マンションのゲストルーム宿泊体験、一日目が無事終了したところまでお話ししたかと思います。
明けて、翌朝。
いつも以上に熟睡して目覚めた早朝、高層マンションの眼下に、空を青紫色に染めて太陽が昇ってきました。夜明けのしじまの中にビル群、くっきりと稜線を現してくる富士山。
豊洲に泊まる地の利を生かして、<移転が決まった築地市場を視察しつつ、そこで朝食を!>という美味しそうな話が昨晩のうちに成立しており、いざ出陣。
エレベーターの中、美しいロビー、ランドセル姿の子供達や通勤通学の人たちが行き交い、ホテルのような高層マンションにも普通に生活が営まれているのだと、当たり前のことに妙に感動してしまいました。
因みに、シャンソンに、『高層ビルの子供』という曲があるのですが、それが何となく口をついて出てきました。
<魚河岸の賑わい ターレ> さて、築地の魚河岸に到着。
8時半くらいでしたが、セリはもう終わった後で、業者の方たちが仕入れた品を整理し積み込んでいるところで、兎に角、人と車の雑踏の中、大変な活気でした。

築地は魚河岸を中心とした場内市場と、それを取り囲むようにして広がっている場外市場に分かれていますが、朝食は臨場感あふれる場内市場でということで、この中に果敢に突入。ここに来ると、お仕事をしていらっしゃる方たちの邪魔をしないよう敏捷な動きが要求されますね。
特に、この乗り物がすごいのです。
操縦者一人が、立ったまま大きなハンドルを自在に操作するちょっとキュートな形なのですが、荷台に一杯の段ボールや発泡スチロールの箱を山積みにして、人でごった返す狭い路地も何のその、躊躇することなくかなりの勢いで突進してきます。


通称「ターレ」という名前の運搬車です。
思わずウィキペディアで調べてしまいました。
動力源となるエンジン、モーター、操舵装置、駆動輪の全てが車台前部に回転可能に保持されたターレットに納められている。そのすぐ後方に運転台があり、運転者はターレット全体を回転させて操舵する。駆動輪となる前輪は360度回転するため最小回転半径は小さく、狭い場所での運用にも適している
<横断は信号機に従って>という守られた生活に、いつの間にか慣れてしまっていたことに愕然とするくらい、道を歩くこと、道を渡ることに全神経を集中させます。
<ここではきっとターレが一番、人はその邪魔をしないよう自己責任で歩く必要がある>、<それが築地の不文律に違いない>と勝手に確信しました。
それにしても、操縦が実に巧みで、スピードを緩めないでスルスルと擦れ違う妙技など、ただただ見とれてしまいます。
食材の品定めの技術、お魚をさばく技術、などと同様にターレを操る技術も長年、築地が培ってきた職人技なのかもしれません。
<マグロ ゴロゴロ>

何と言ってもお江戸の台所、築地ですから、あらゆる種類の鮮魚が半端な量ではありません。
でもマグロ、無造作にそこら辺にゴロゴロ転がっています。


デパートのマグロ解体ショーなんて目じゃない!あっという間に見事にさばいてゆきます。
そして出来上がった切り身はこれ。巨大ビーフステーキの様ですね。
<江戸前寿司 そして 珈琲> 細心の注意を払い市場を偵察しながら、場内の外れにあるお目当ての<魚がし横丁>に辿りつきました。


もう既にそれぞれのお寿司屋さんの前には長蛇の列です。さて、どの店に入ろうか、悩むところで、ガイドブックに載っているお店の行列は半端ではありませんでした。築地のお店はどこも本当に美味しいと聞いていましたので、大行列のお店と、誰も入っていないお店だけは避け、あと少しで番が来そうなお店に決めました。
敷地の関係で、間口が狭く10人くらいで一杯になってしまいますが、清潔で感じがよく、本当に美味しかったです。
いくらなんでも無理かなと思いつつ、15貫もある<おまかせ寿司>を注文しましたが、完食でした。お値段はそれなりですが、でもこの鮮度と美味しさなら納得です。余韻を楽しみたいので、しばらくは私、お寿司断ちするつもりです。

お店の看板に、メニューの写真がわかりやすく載っていて、それぞれにABC・・・とアルファベットが打ってあり、価格も明示されていました。
店内は外人のお客さんが圧倒的に多かったので、これは外国人の方のためのサービス、こうしておけば、日本語がわからなくても安心して注文できますね。
同じ並びに、昭和初期の香りのするレトロな珈琲屋さんがあったので、入ってみました。ウナギの寝床のような狭いスペースですが、若い女性二人で仕切っていて、テキパキとした働きぶりにとても好感が持てました。河岸で働く常連の方が多いみたいですが、気持ちのよいやり取りを聴きながら、幸せな満腹感を味わいました。
<ぶらぶらと場外に>「衣食足りて礼節を知る」・・・余裕を持って視察再開。
こんな本屋さんもありました。『マグロのすべて』『築地 魚 さばき方と料理』さすがです。


そして場外に。八百屋さん。佃煮屋さん。実演販売の卵焼き屋さん。

『吉野家』も。・・・明治32年創業で本家はここ築地なのだそうです。築地で働く人たちのために初代店主が 「はやい・うまい・やすい」を目指して店を開いたと説明がありました。
そして「波除(なみよけ)神社」。・・・江戸時代は元々、築地一帯は海であったものが家綱の時、大規模な埋立事業が完成したのだそうですが、その際に工事と埋立地の安寧を祈願して建立され、以来築地の守護神社として今日に至っています。
こうして歩いてみて、改めて、長い歳月の中で、築地に独特な文化が育まれていることを肌で感じた気がします。
「築地市場」という言葉自体がただの地名ではなく思いが込められていること、それだけに、ここに関わってきた方たちの深い愛着も頷けます。

建物の老朽化、流通、敷地の狭さ、様々な今後への限界から、検討の末、豊洲への移転が決まって、今将来に向けての準備が着々と進んでいるようです。
考えてみると築地も埋立地から始まり、長い月日を経て、今のような文化を作ってきたのですね。
これから豊洲市場もまた、色々な問題をクリアしつつ、未来型の独自な文化が生れて行くのでしょう。
Mさんと、「後10年20年したら、今日一緒にお寿司を食べたことを誰かに話したりするのかしら?」「<新築地市場>と命名して、築地の名前を残したい気もするけれど」とか色々と話しながら築地を後にしました。
六本木 ~サントリーホール オルガン プロムナードコンサート
この日の締めくくりはサントリーホールのパイプオルガンコンサートでした。サントリーホールでは月に一回、お昼に無料オルガンコンサートを行っていますが、この日はクリスマスにちなんだプログラムで編成されていて、とても楽しかったです。
バリトンとのジョイントもあり、大好きなフォーレの『夢のあと』なども素敵なフランス語で歌って下さって大満足。
年の瀬、心に残る一泊二日の東京探訪小さな旅のご報告でした。


