
お彼岸に寄せて
春分の日、そしてお彼岸の中日。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは本当で、季節は日を追って春の気配に包まれてきました。早咲きの桜もちらほらと蕾を付けて、幹も枝も、春を目前に、色を変え、どこか上気し始めてきたという感じがします。
今日は、お墓参りにいらした方も多かったことでしょうね。
私にも、昨年の秋からこの春にかけて、親しい方たちの訃報が相次いで届きました。
親族、友人、知人、教え子。
過ぎてゆく少しの時間の中にさえも、永久の別れがちりばめられて行きます。
今日は、<初彼岸なのだな>と、亡き人に、しみじみと思いを馳せて過ごしています。
シャンソンの研究会でご一緒のお仲間Aさんの急逝が、数日前に知らされました。
私はいつも休むことはないのですが、珍しく今回は所用と重なり出席することが出来ませんでした。Aさんが亡くなられたのはちょうどその会の翌日、突然のことだったそうです。
年輩の穏やかな佇まいの方、キャリアも長く、真摯に歌に向かっていらっしゃることをいつも感じていました。
「前日、数曲のシャンソンを素敵に歌われた声もまだ耳に残っているのに」「『また次回ね』と言って笑顔で別れたのに」、余りにもあっけなく永別の時が訪れる衝撃を、この日の会に同席した仲間達はそれぞれに語っていました。
教え子のEさんから、お便りが届きました。
「桜の季節が近づいてきて、昨年母と一緒に京都の桜を楽しく観たことを思い出します。どうしてもまだ涙が止まらないで困ります」との言葉。
Eさんはお母さん子、仲の良い素敵な母娘でした。
お二人で昨年は京都まで、私の訳詞コンサートを聴きに来て下さいました。
桜の季節、翌日お母様から満開の桜の中でのスナップ写真が届いて、楽しそうなその写真は、今も私の携帯に大事に残っています。
突然まだ若い彼女を残して逝ってしまわれたお母様はどんなにか心残りだったことでしょう。
思い出は、反芻されることによって、時と共に、薄まることなく、より深く鮮やかに刻まれて、生き続けてゆく、そんな気がします。
そして、残り続けるものは、優しい笑顔と、言葉と声なのでしょう。
響いてくる言葉と声が、その人の輪郭をしっかりとなぞって、在りし日の様々な場面をいつまでも思い起こさせてゆくのではないでしょうか。
初彼岸・・・ご冥福を心から祈りながら、「一期一会」の中で逝かれた方達から、沢山の素敵な言葉と笑顔を贈って頂いていたことを思わずにはいられません。
一滴の夕焼け
「ぞうさん」などの童謡で知られる、詩人のまどみちお氏が、104歳の長寿を全うされ、2月28日に他界されたニュースをご存知かと思います。
先日来、報道で取り上げられ、その人となりなど、紹介されていました。
まどさんが100歳になられた4年前、NHKスペシャルでドキュメンタリー特集を放送していて、私はその番組を観たのですが、その時から、高齢であるまどさんの、好奇心に満ちた素晴らしくパワフルな生き方、そして優しさに満ちた生き方に、非常に感銘を受けていたこともあり、まどさんが亡くなられたことに今、とても寂しい気持ちを感じています。
少しうろ覚えのところもありますが、この時の特集で取り上げられていた <まどみちお語録> をご紹介したいと思います。
「お礼を込めて、生きていた痕跡を残したい。それが自分にとって詩を書くということなのだと思います。」
「生涯、自分には完成作というのはないのだと思います。死ぬまで未完成作だけを残して終わった物書きということになるのでしょうね。」
「いつも、本当に自分の書きたいところまでいけないので『今度こそ、今度こそ』と思いながらやり続けているのだから。」
「今まで書かなかった事を今日初めて書く。人の真似は絶対しないけれど、自分の真似もしちゃいけないと思って。とにかく新しいことをやりたくて。」
<自分の真似もしちゃいけない>という言葉が特にずっと私の心の中に残っていました。
すごい言葉ですよね。
この言葉を貫くには、大変な覚悟とエネルギーが要ると思うのです。
そして何にも拘泥しない自由な精神と、いつも自分に安住しない謙虚さと。
100歳であっても、毅然と覚悟しながら、しかも楽しく感謝して生きてゆく生き方を示してくれる素敵な方に出会えた事に・・・勿論実際に会ったわけではありませんが、・・・感謝して、<誰しも明日の事はわからない>そういう中での今を、大事に生きてゆけたら思います。
まどさんの『臨終』という詩があるのですが、最後にご紹介したいと思います。
『臨終』
神様
私という耳かきに
海を
一どだけ掬(すく)わせてくださいまして
ありがとうございました
海
きれいでした
この一滴の
夕焼けを
だいじにだいじに
お届けにまいります
春分の日、そしてお彼岸の中日。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは本当で、季節は日を追って春の気配に包まれてきました。早咲きの桜もちらほらと蕾を付けて、幹も枝も、春を目前に、色を変え、どこか上気し始めてきたという感じがします。
今日は、お墓参りにいらした方も多かったことでしょうね。
私にも、昨年の秋からこの春にかけて、親しい方たちの訃報が相次いで届きました。
親族、友人、知人、教え子。
過ぎてゆく少しの時間の中にさえも、永久の別れがちりばめられて行きます。
今日は、<初彼岸なのだな>と、亡き人に、しみじみと思いを馳せて過ごしています。
シャンソンの研究会でご一緒のお仲間Aさんの急逝が、数日前に知らされました。
私はいつも休むことはないのですが、珍しく今回は所用と重なり出席することが出来ませんでした。Aさんが亡くなられたのはちょうどその会の翌日、突然のことだったそうです。
年輩の穏やかな佇まいの方、キャリアも長く、真摯に歌に向かっていらっしゃることをいつも感じていました。
「前日、数曲のシャンソンを素敵に歌われた声もまだ耳に残っているのに」「『また次回ね』と言って笑顔で別れたのに」、余りにもあっけなく永別の時が訪れる衝撃を、この日の会に同席した仲間達はそれぞれに語っていました。
教え子のEさんから、お便りが届きました。
「桜の季節が近づいてきて、昨年母と一緒に京都の桜を楽しく観たことを思い出します。どうしてもまだ涙が止まらないで困ります」との言葉。
Eさんはお母さん子、仲の良い素敵な母娘でした。
お二人で昨年は京都まで、私の訳詞コンサートを聴きに来て下さいました。
桜の季節、翌日お母様から満開の桜の中でのスナップ写真が届いて、楽しそうなその写真は、今も私の携帯に大事に残っています。
突然まだ若い彼女を残して逝ってしまわれたお母様はどんなにか心残りだったことでしょう。
思い出は、反芻されることによって、時と共に、薄まることなく、より深く鮮やかに刻まれて、生き続けてゆく、そんな気がします。
そして、残り続けるものは、優しい笑顔と、言葉と声なのでしょう。
響いてくる言葉と声が、その人の輪郭をしっかりとなぞって、在りし日の様々な場面をいつまでも思い起こさせてゆくのではないでしょうか。
初彼岸・・・ご冥福を心から祈りながら、「一期一会」の中で逝かれた方達から、沢山の素敵な言葉と笑顔を贈って頂いていたことを思わずにはいられません。
一滴の夕焼け
「ぞうさん」などの童謡で知られる、詩人のまどみちお氏が、104歳の長寿を全うされ、2月28日に他界されたニュースをご存知かと思います。
先日来、報道で取り上げられ、その人となりなど、紹介されていました。
まどさんが100歳になられた4年前、NHKスペシャルでドキュメンタリー特集を放送していて、私はその番組を観たのですが、その時から、高齢であるまどさんの、好奇心に満ちた素晴らしくパワフルな生き方、そして優しさに満ちた生き方に、非常に感銘を受けていたこともあり、まどさんが亡くなられたことに今、とても寂しい気持ちを感じています。
少しうろ覚えのところもありますが、この時の特集で取り上げられていた <まどみちお語録> をご紹介したいと思います。
「お礼を込めて、生きていた痕跡を残したい。それが自分にとって詩を書くということなのだと思います。」
「生涯、自分には完成作というのはないのだと思います。死ぬまで未完成作だけを残して終わった物書きということになるのでしょうね。」
「いつも、本当に自分の書きたいところまでいけないので『今度こそ、今度こそ』と思いながらやり続けているのだから。」
「今まで書かなかった事を今日初めて書く。人の真似は絶対しないけれど、自分の真似もしちゃいけないと思って。とにかく新しいことをやりたくて。」
<自分の真似もしちゃいけない>という言葉が特にずっと私の心の中に残っていました。
すごい言葉ですよね。
この言葉を貫くには、大変な覚悟とエネルギーが要ると思うのです。
そして何にも拘泥しない自由な精神と、いつも自分に安住しない謙虚さと。
100歳であっても、毅然と覚悟しながら、しかも楽しく感謝して生きてゆく生き方を示してくれる素敵な方に出会えた事に・・・勿論実際に会ったわけではありませんが、・・・感謝して、<誰しも明日の事はわからない>そういう中での今を、大事に生きてゆけたら思います。
まどさんの『臨終』という詩があるのですが、最後にご紹介したいと思います。
『臨終』
神様
私という耳かきに
海を
一どだけ掬(すく)わせてくださいまして
ありがとうございました
海
きれいでした
この一滴の
夕焼けを
だいじにだいじに
お届けにまいります


