
幼い頃からもっぱら本ばかり読んでいた私には、未だ、テレビをつける習慣が定着していないので、ドラマなども、普段、殆ど見ないのですが、珍しく最近はまっている番組があります。
フジテレビ系『最後から二番目の恋』。ご覧になっていますか?
遡ること、2年前、実家のCちゃんと電話をしていた時、「最近、面白いドラマが始まったんですよ。家の近くが沢山出てくるから、お義姉さんも一度見てください」(おねえさんって私のことです!)と、教えてもらい、それではと、見始めたらこれが結構面白く、あれから2年経った今、この続編がまた放送されています。
今日は、テレビドラマのお話で、見ていない方には何のことやらの超マイナーな話題で本当に恐縮なのですが、少しお付き合い頂けるでしょうか。
「最後から二番目の恋」
小泉今日子扮するところの、48歳の独身女性、吉野千明というテレビ局勤務のドラマプロデューサーと、中井貴一扮する、52歳の男性、鎌倉市役所の観光推進課に勤める長倉和平の二人が主人公の、なんというか、少しコメディックな大人のラブ・ストーリーです。
まずはタイトルの<最後から二番目の恋>って何かということですが、主人公千明の独白にこんな印象的な言葉がありました。(うろ覚えなので言い回しなど多少違っているかもしれません)
寂しくない大人なんていない
人生はいつか終わってしまうことに皆気付いているから
終わりの時は誰かと分かち合えないから
だからこそ悲しい時は泣き 楽しい時は思いっきり笑いたい
どちらも大切な時間だから
人生は自分の未来に恋をすることかもしれない
自分の未来に恋をしてゆけばきっと楽しくなれる
そして人生への恋は終わらない
もしこれから誰かと恋をするとしたら、
それを最後の恋だと思うのはやめよう
次の恋は最後から二番目の恋だ
その方が人生はファンキーだ
わかるような、わからないような・・・・ですけれど、<人生に限りがあることを知りつつ、でもだから諦めるのではなく、いつも見えない未来が待っていることを信じよう>、という、地味だけれど前向きなメッセージなのでしょう。
これというラブ・ロマンスが展開するわけでもなく、むしろ淡々と何気ない日常を描きつつ、物語は進行してゆくのですが、登場人物たちの殆どが30代後半から50代で、・・・・心に屈託を抱えつつも、でも一生懸命で、それが時には滑稽なくらい不器用で誠実で、・・・・それぞれがそういう歳月を生きてきた実感が、言動の端々に自然体のまま滲み出ていて、何だか共感できる部分がとても多いドラマなのです。
生きて行くことは基本的にそんなにかっこよいことではないけれど、でも、
<人が大人になるということはそれだけ多くの選択をしてきたことで、それは とても素敵なことなのだ>
<失敗できるって幸せなこと。何もないより絶対マシ。 傷ついたり失敗する方がずっと楽しいから、結果なんてどうでも良いことなのでは。>
じわっと温かい気分の中で、「どうやって年齢を重ねて行きたいのか」自分に改めて問いかけてみたくなる、そんなセリフがドラマの随所に散りばめられていて、結構余韻が残ります。
私の中の風景
でも、私がこのドラマを続けて観ている主な理由は、Cちゃんが知らせてくれたように「ご近所」が出てくる楽しさからなのです。
このドラマの一つの特徴は、舞台となる鎌倉、逗子周辺で、実際に撮影を行っていることでしょうか。
映像を見ていると、「あっ!この道もこの家も知っている」「あのお店のおばさんが出てる」みたいなことが多くて、それを見つけると胸がときめくような何とも言えない懐かしさを感じるのは不思議です。
しかも、何年も足を向けてない故郷とかいうわけではなく、頻繁に帰っているのに、この懐かしさは何なのでしょうね。
その場所にいた時々の自分の思い出を、風景に重ねて呼び起すためなのでしょうか?
今日は、そんな場所、鎌倉ドラマ散歩を少しだけしてみたいと思います。
極楽寺
主人公たちが暮らしているのが、江ノ電の極楽寺駅の近くで、頻繁にこの駅周辺の風景が登場します。
江ノ電=江の島電鉄は、鎌倉と藤沢を結ぶ、知る人ぞ知る、レトロな路面電車。

今は、すっかり鎌倉・江の島観光のスポットとなって、「ここまで来たら乗ってみましょう!」とばかり、そのレトロさゆえに大人気なようです。
現在の車両は、随分綺麗にお化粧直しされていますが、私がこの電車で通学していた中学生の頃は、それこそ、古びてガタピシとした二両編成で、いつ廃線になるのかしらなどと、失礼ながら密かに心配していたものでした。
主人公の長倉和平さん家族は、この極楽寺に住んでいて、弟の真平君は自宅の一角にカフェ『ナガクラ』を経営しています。ここがドラマのホームグラウンドで、この隣りの古民家に女主人公吉野千明さんが引っ越してきたところから、ドラマが動き始めます。

極楽寺は、昔ながらの鎌倉の閑静な風情が残る落ち着いた土地で、私も大好きな場所です。
実は、『ナガクラ』の極近隣に、私の親しい友人が、長年住んでいて、路地の一つ一つが、どの辺かよ~くわかります。
ドラマと同じ道を通って、友人Yさんの家をよくお訪ねしたものでした。
Yさんのお母様は令夫人という言葉がぴったりのエキゾチックでとても美しい方、私の事も娘のようにかわいがって下さって、大好きな憧れの方でした。
ツタの絡まる煉瓦造りの本格的な洋館に沢山のハーブやバラなどを育てていらして、物語のような生活ぶりでした。
Yさんが結婚で家を離れてからしばらく伺っていませんが、お元気にしていらっしゃるでしょうか?
光明寺と材木座海岸
材木座海岸に隣接する光明寺は、威風堂々とした浄土宗の大本山。
これぞ、実家のすぐ側、私のテリトリーです。

光明寺の裏山を登る道が、我が通学通勤路で、この裏山から鎌倉の海を臨む景色は絶景です。(「かながわの名勝50選」にも選ばれています)
その坂の高台に、我が家はあるのですが、坂の途中で、ふっと足を止め、海を眺めるのが大好きでした。

朝陽が昇る時、夕焼けで染まる時、富士山と江の島が大きくくっきりとシルエットを描いて、海の色、空の色を刻々と変えてゆくのが本当にロマンチックなのです。
光明寺での撮影も行われていました。ドラマでは確かフリマの設定でしたが、実際には光明寺でフリーマーケットが行われることはなく、秋も深まる10月半ばに十夜法要が営まれ、この時は境内に賑やかに露店が立ち並び、何とも言えない風情があります。
様々な露店に交じって、植木市も開かれていて、弟が幼い頃、お小遣いで小さなソテツの木を買ったことがあったのですが、それがいつの間にか我が家の庭で大きく育ちました。
そして主人公たちが海岸で語り合ったり、和平さんが独り夕暮れ時、亡き妻を偲びながら、桜貝を拾い集めたりしているのも、この材木座海岸から由比ヶ浜海岸にかけてです。
私も、桜貝集めなどに夢中になったことなど、ふと思い出しました。
潮騒と海の香り、ドラマを見ていてもそれが五感に蘇ってきて、何とも言えず懐かしく感じられるのかもしれません。
こういう帰巣本能って、きっとあるのでしょう。
書いていたら、もう少しご紹介したい場所と、その思い出話など、続けたくなりました。
長くなりそうですので、今日はとりあえず筆をおきます。
続きもまた是非お読みくださいね。
フジテレビ系『最後から二番目の恋』。ご覧になっていますか?
遡ること、2年前、実家のCちゃんと電話をしていた時、「最近、面白いドラマが始まったんですよ。家の近くが沢山出てくるから、お義姉さんも一度見てください」(おねえさんって私のことです!)と、教えてもらい、それではと、見始めたらこれが結構面白く、あれから2年経った今、この続編がまた放送されています。
今日は、テレビドラマのお話で、見ていない方には何のことやらの超マイナーな話題で本当に恐縮なのですが、少しお付き合い頂けるでしょうか。
「最後から二番目の恋」
小泉今日子扮するところの、48歳の独身女性、吉野千明というテレビ局勤務のドラマプロデューサーと、中井貴一扮する、52歳の男性、鎌倉市役所の観光推進課に勤める長倉和平の二人が主人公の、なんというか、少しコメディックな大人のラブ・ストーリーです。
まずはタイトルの<最後から二番目の恋>って何かということですが、主人公千明の独白にこんな印象的な言葉がありました。(うろ覚えなので言い回しなど多少違っているかもしれません)
寂しくない大人なんていない
人生はいつか終わってしまうことに皆気付いているから
終わりの時は誰かと分かち合えないから
だからこそ悲しい時は泣き 楽しい時は思いっきり笑いたい
どちらも大切な時間だから
人生は自分の未来に恋をすることかもしれない
自分の未来に恋をしてゆけばきっと楽しくなれる
そして人生への恋は終わらない
もしこれから誰かと恋をするとしたら、
それを最後の恋だと思うのはやめよう
次の恋は最後から二番目の恋だ
その方が人生はファンキーだ
わかるような、わからないような・・・・ですけれど、<人生に限りがあることを知りつつ、でもだから諦めるのではなく、いつも見えない未来が待っていることを信じよう>、という、地味だけれど前向きなメッセージなのでしょう。
これというラブ・ロマンスが展開するわけでもなく、むしろ淡々と何気ない日常を描きつつ、物語は進行してゆくのですが、登場人物たちの殆どが30代後半から50代で、・・・・心に屈託を抱えつつも、でも一生懸命で、それが時には滑稽なくらい不器用で誠実で、・・・・それぞれがそういう歳月を生きてきた実感が、言動の端々に自然体のまま滲み出ていて、何だか共感できる部分がとても多いドラマなのです。
生きて行くことは基本的にそんなにかっこよいことではないけれど、でも、
<人が大人になるということはそれだけ多くの選択をしてきたことで、それは とても素敵なことなのだ>
<失敗できるって幸せなこと。何もないより絶対マシ。 傷ついたり失敗する方がずっと楽しいから、結果なんてどうでも良いことなのでは。>
じわっと温かい気分の中で、「どうやって年齢を重ねて行きたいのか」自分に改めて問いかけてみたくなる、そんなセリフがドラマの随所に散りばめられていて、結構余韻が残ります。
私の中の風景
でも、私がこのドラマを続けて観ている主な理由は、Cちゃんが知らせてくれたように「ご近所」が出てくる楽しさからなのです。
このドラマの一つの特徴は、舞台となる鎌倉、逗子周辺で、実際に撮影を行っていることでしょうか。
映像を見ていると、「あっ!この道もこの家も知っている」「あのお店のおばさんが出てる」みたいなことが多くて、それを見つけると胸がときめくような何とも言えない懐かしさを感じるのは不思議です。
しかも、何年も足を向けてない故郷とかいうわけではなく、頻繁に帰っているのに、この懐かしさは何なのでしょうね。
その場所にいた時々の自分の思い出を、風景に重ねて呼び起すためなのでしょうか?
今日は、そんな場所、鎌倉ドラマ散歩を少しだけしてみたいと思います。
極楽寺
主人公たちが暮らしているのが、江ノ電の極楽寺駅の近くで、頻繁にこの駅周辺の風景が登場します。
江ノ電=江の島電鉄は、鎌倉と藤沢を結ぶ、知る人ぞ知る、レトロな路面電車。

今は、すっかり鎌倉・江の島観光のスポットとなって、「ここまで来たら乗ってみましょう!」とばかり、そのレトロさゆえに大人気なようです。
現在の車両は、随分綺麗にお化粧直しされていますが、私がこの電車で通学していた中学生の頃は、それこそ、古びてガタピシとした二両編成で、いつ廃線になるのかしらなどと、失礼ながら密かに心配していたものでした。
主人公の長倉和平さん家族は、この極楽寺に住んでいて、弟の真平君は自宅の一角にカフェ『ナガクラ』を経営しています。ここがドラマのホームグラウンドで、この隣りの古民家に女主人公吉野千明さんが引っ越してきたところから、ドラマが動き始めます。

極楽寺は、昔ながらの鎌倉の閑静な風情が残る落ち着いた土地で、私も大好きな場所です。
実は、『ナガクラ』の極近隣に、私の親しい友人が、長年住んでいて、路地の一つ一つが、どの辺かよ~くわかります。
ドラマと同じ道を通って、友人Yさんの家をよくお訪ねしたものでした。
Yさんのお母様は令夫人という言葉がぴったりのエキゾチックでとても美しい方、私の事も娘のようにかわいがって下さって、大好きな憧れの方でした。
ツタの絡まる煉瓦造りの本格的な洋館に沢山のハーブやバラなどを育てていらして、物語のような生活ぶりでした。
Yさんが結婚で家を離れてからしばらく伺っていませんが、お元気にしていらっしゃるでしょうか?
光明寺と材木座海岸
材木座海岸に隣接する光明寺は、威風堂々とした浄土宗の大本山。
これぞ、実家のすぐ側、私のテリトリーです。

光明寺の裏山を登る道が、我が通学通勤路で、この裏山から鎌倉の海を臨む景色は絶景です。(「かながわの名勝50選」にも選ばれています)
その坂の高台に、我が家はあるのですが、坂の途中で、ふっと足を止め、海を眺めるのが大好きでした。

朝陽が昇る時、夕焼けで染まる時、富士山と江の島が大きくくっきりとシルエットを描いて、海の色、空の色を刻々と変えてゆくのが本当にロマンチックなのです。
光明寺での撮影も行われていました。ドラマでは確かフリマの設定でしたが、実際には光明寺でフリーマーケットが行われることはなく、秋も深まる10月半ばに十夜法要が営まれ、この時は境内に賑やかに露店が立ち並び、何とも言えない風情があります。
様々な露店に交じって、植木市も開かれていて、弟が幼い頃、お小遣いで小さなソテツの木を買ったことがあったのですが、それがいつの間にか我が家の庭で大きく育ちました。
そして主人公たちが海岸で語り合ったり、和平さんが独り夕暮れ時、亡き妻を偲びながら、桜貝を拾い集めたりしているのも、この材木座海岸から由比ヶ浜海岸にかけてです。
私も、桜貝集めなどに夢中になったことなど、ふと思い出しました。
潮騒と海の香り、ドラマを見ていてもそれが五感に蘇ってきて、何とも言えず懐かしく感じられるのかもしれません。
こういう帰巣本能って、きっとあるのでしょう。
書いていたら、もう少しご紹介したい場所と、その思い出話など、続けたくなりました。
長くなりそうですので、今日はとりあえず筆をおきます。
続きもまた是非お読みくださいね。


