
9月になりました。
残暑の中にも、どこか秋めいた朝夕の風を感じます。
「稲の穂先が黄色く色づき始めて、やはり秋なのだなと・・・」と書かれた友人の便りにはっとさせられました。季節は確実に移っているのですね。
最近、なかなか記事を更新できず、申し訳ありません。
今年は夏バテもせず、体調は万全なのですが、コンサート関係の諸事が今一度に動き出して、かなり時間に追われている状態です。
ご案内状やチケット発送などのお手紙三昧の日々、そして、コンサートの構成・演出の検討、事務的な諸事、プログラム冊子の原稿執筆、何よりも曲を完成させてゆく時期でもあり、コンサートをするからには、当たり前なのですが、多岐に渡る事柄のどれもが必要で、こういうプロセスを楽しみながら平常心で乗り切る力がいつも自分に試されている気がします。
9月はそんな種々の課題と向き合いつつ、何よりも自らに挑戦してゆく時。
健康でそういうことに邁進できる恩恵に感謝しつつ、ベストを尽くしたいと思います。
初夏 横浜にて ~フライヤーの写真~
さて、この写真、今度のコンサート『街の素描』のフライヤーに使用したものですが、実は、結構、反響=質問がきているのです。

一般的に、コンサートポスターには、歌い手の顔写真をメインに据えるものが多いかと思うのですが、私の場合、何となくそれが憚かられて、これまでは、小さく顔を載せるに留めていましたので、今回は異例中の異例、勇気ある決断でした。
『街の素描』というコンサートタイトルから、<素顔のまま、自然に歌の世界をデッサンしてみたい>というような思いもあり、それなら、普通に街を歩く姿を、と思い立ったのでした。
着慣れた白いワンピース。
さすがに何となく恥ずかしくて、この夏は、クローゼットにしまい込んでいます。
質問<その一>
「いつもの服でいつもの顔で、どういう心境の変化?」という鋭いご指摘へのお答えでした。
質問<その二>
「パリ?それとも日本?」。
<パリにも見えて、大成功!>と密かに大喜びしているのですが、以前ご説明しましたように、撮影場所は横浜なのです。
「後ろの何人かが何となく日本人ぽく見える」とか、「ランドマークタワーに似たビルが後ろに写っているのでは?」とか、 「うっすらとした道路標識が日本語のような気がする」とか、皆様、それぞれ鋭い観察力で感服です。
凝り性の私ですので、必要ならパリまででもの勢いはあるのですが、でもごく普通の街で素敵な雰囲気が出せれば、それは却ってお洒落でもあるわけで、そういう意味でも、とても気に入っている写真なのです。

『街の素描』ポスターにどちらを使おうか迷ったもう一枚の写真をご紹介します。
窓辺で街をじっと眺めている、そんな写真です。
質問<その三>
「どのように撮影したの?」。
初夏の早朝、横浜、少し小雨の降る中、カメラマンの沢木瑠璃さんと撮影助手を引き受けてくださったMさんと私の三人で、いくつかの写真スポットを巡りました。
フライヤーの写真は、山下公園通り周辺での撮影です。
朝で人通りはまばらだとはいうものの、人が途切れる時を見計らって、何度か同じ道を行ったり来たり・・・。
プロのモデルではありませんから、照れくさくて妙に居心地が悪く、何ともぎこちない動きとこわばった表情になってしまいます。
でも慣れは恐ろしいもので、繰り返しているうちに、程なく少しずつ平気になってくるものなのですね。沢木さんの自然なリードと、Mさんの的確な心配りのお陰で、写真を撮られているという意識も次第に消え、歌の主人公になったような楽しい気分での撮影でした。
「あっ、素敵だなと思う時」
私は昔から写真の観賞眼は結構あるのではと密かに自負しているのですが、撮影に関しては全くの素人ですから、常々機会があれば基本だけでも習いたいと思っていました。
絵画のように、無から有を生み出す創作とは違って、写真の場合、対象は既に目の前にあるわけですが、レンズ越しにそれを如何に捉えるか、どう切り取って一葉の写真に焼き付けるのかという、カメラマンのセンスと感性にかかってくるのでしょう。
対象の何に心を動かされるのか、どんな瞬間を撮りたいと思うか、そこには撮影者自身が投影されるのでしょうし、でももしかしたら、そういう撮影意図も忘れ、無心にシャッターを切る時、偶然に生み出される「この一枚」という僥倖もあるのかもしれません。
勿論、その偶然自体も撮影者によって導き出される必然なのでしょうが。
コンサート写真はこれまで沢木さんに撮って頂いていますので、彼女から、写真の魅力に触れる機会も多く頂いているわけです。
彼女の写真の一番好きな処、それは「対象に対しての慈しみがある」ところかなと思います。
「対象」は人であったり物であったり景色であったりするわけですが、いずれにしてもじっと心を澄まして、そのものの美しいところを繊細に捉えて、温めるようにシャッターを押していらっしゃるように思います。
「写真はお料理と同じ。どの味が正解ということはないんです。
それぞれの人がそれぞれにしか出せない味を出す。それを大切にして楽しんでゆくことが良いのではと思います。あっ、素敵だなって思う時を逃さずシャッターを押す。素敵さを一番生かすにはどうすればよいか、そこから工夫も生まれてくるのでは。」
との言葉が印象的でした。
美味しい写真
撮影も終わってほっとした後のお食事は、外人墓地近くの瀟洒なレストランでした。
皆で盛り上がりながら、出てくるお料理を撮影。
オードブル、そしてデザート。

彼女の写真です。
一口アドバイスは、「そのお皿だけ取るのではなく傍らのフォーク、ナイフとか、カップも一緒に奥行きを出しながら写すと美味しそうです。」
「そのお料理の中で何を一番撮りたいか、心が捉えるポイントにピントを合わせてみると良いです。」
受け売りのワンポイントレッスンでした。
試してみてくださいね。
今年の夏は、こんな写真撮影からスタートしたのでした。
次回は、もう一つの写真のお話をしたいと思っています。
残暑の中にも、どこか秋めいた朝夕の風を感じます。
「稲の穂先が黄色く色づき始めて、やはり秋なのだなと・・・」と書かれた友人の便りにはっとさせられました。季節は確実に移っているのですね。
最近、なかなか記事を更新できず、申し訳ありません。
今年は夏バテもせず、体調は万全なのですが、コンサート関係の諸事が今一度に動き出して、かなり時間に追われている状態です。
ご案内状やチケット発送などのお手紙三昧の日々、そして、コンサートの構成・演出の検討、事務的な諸事、プログラム冊子の原稿執筆、何よりも曲を完成させてゆく時期でもあり、コンサートをするからには、当たり前なのですが、多岐に渡る事柄のどれもが必要で、こういうプロセスを楽しみながら平常心で乗り切る力がいつも自分に試されている気がします。
9月はそんな種々の課題と向き合いつつ、何よりも自らに挑戦してゆく時。
健康でそういうことに邁進できる恩恵に感謝しつつ、ベストを尽くしたいと思います。
初夏 横浜にて ~フライヤーの写真~
さて、この写真、今度のコンサート『街の素描』のフライヤーに使用したものですが、実は、結構、反響=質問がきているのです。

一般的に、コンサートポスターには、歌い手の顔写真をメインに据えるものが多いかと思うのですが、私の場合、何となくそれが憚かられて、これまでは、小さく顔を載せるに留めていましたので、今回は異例中の異例、勇気ある決断でした。
『街の素描』というコンサートタイトルから、<素顔のまま、自然に歌の世界をデッサンしてみたい>というような思いもあり、それなら、普通に街を歩く姿を、と思い立ったのでした。
着慣れた白いワンピース。
さすがに何となく恥ずかしくて、この夏は、クローゼットにしまい込んでいます。
質問<その一>
「いつもの服でいつもの顔で、どういう心境の変化?」という鋭いご指摘へのお答えでした。
質問<その二>
「パリ?それとも日本?」。
<パリにも見えて、大成功!>と密かに大喜びしているのですが、以前ご説明しましたように、撮影場所は横浜なのです。
「後ろの何人かが何となく日本人ぽく見える」とか、「ランドマークタワーに似たビルが後ろに写っているのでは?」とか、 「うっすらとした道路標識が日本語のような気がする」とか、皆様、それぞれ鋭い観察力で感服です。
凝り性の私ですので、必要ならパリまででもの勢いはあるのですが、でもごく普通の街で素敵な雰囲気が出せれば、それは却ってお洒落でもあるわけで、そういう意味でも、とても気に入っている写真なのです。

『街の素描』ポスターにどちらを使おうか迷ったもう一枚の写真をご紹介します。
窓辺で街をじっと眺めている、そんな写真です。
質問<その三>
「どのように撮影したの?」。
初夏の早朝、横浜、少し小雨の降る中、カメラマンの沢木瑠璃さんと撮影助手を引き受けてくださったMさんと私の三人で、いくつかの写真スポットを巡りました。
フライヤーの写真は、山下公園通り周辺での撮影です。
朝で人通りはまばらだとはいうものの、人が途切れる時を見計らって、何度か同じ道を行ったり来たり・・・。
プロのモデルではありませんから、照れくさくて妙に居心地が悪く、何ともぎこちない動きとこわばった表情になってしまいます。
でも慣れは恐ろしいもので、繰り返しているうちに、程なく少しずつ平気になってくるものなのですね。沢木さんの自然なリードと、Mさんの的確な心配りのお陰で、写真を撮られているという意識も次第に消え、歌の主人公になったような楽しい気分での撮影でした。
「あっ、素敵だなと思う時」
私は昔から写真の観賞眼は結構あるのではと密かに自負しているのですが、撮影に関しては全くの素人ですから、常々機会があれば基本だけでも習いたいと思っていました。
絵画のように、無から有を生み出す創作とは違って、写真の場合、対象は既に目の前にあるわけですが、レンズ越しにそれを如何に捉えるか、どう切り取って一葉の写真に焼き付けるのかという、カメラマンのセンスと感性にかかってくるのでしょう。
対象の何に心を動かされるのか、どんな瞬間を撮りたいと思うか、そこには撮影者自身が投影されるのでしょうし、でももしかしたら、そういう撮影意図も忘れ、無心にシャッターを切る時、偶然に生み出される「この一枚」という僥倖もあるのかもしれません。
勿論、その偶然自体も撮影者によって導き出される必然なのでしょうが。
コンサート写真はこれまで沢木さんに撮って頂いていますので、彼女から、写真の魅力に触れる機会も多く頂いているわけです。
彼女の写真の一番好きな処、それは「対象に対しての慈しみがある」ところかなと思います。
「対象」は人であったり物であったり景色であったりするわけですが、いずれにしてもじっと心を澄まして、そのものの美しいところを繊細に捉えて、温めるようにシャッターを押していらっしゃるように思います。
「写真はお料理と同じ。どの味が正解ということはないんです。
それぞれの人がそれぞれにしか出せない味を出す。それを大切にして楽しんでゆくことが良いのではと思います。あっ、素敵だなって思う時を逃さずシャッターを押す。素敵さを一番生かすにはどうすればよいか、そこから工夫も生まれてくるのでは。」
との言葉が印象的でした。
美味しい写真
撮影も終わってほっとした後のお食事は、外人墓地近くの瀟洒なレストランでした。
皆で盛り上がりながら、出てくるお料理を撮影。
オードブル、そしてデザート。


彼女の写真です。
一口アドバイスは、「そのお皿だけ取るのではなく傍らのフォーク、ナイフとか、カップも一緒に奥行きを出しながら写すと美味しそうです。」
「そのお料理の中で何を一番撮りたいか、心が捉えるポイントにピントを合わせてみると良いです。」
受け売りのワンポイントレッスンでした。
試してみてくださいね。
今年の夏は、こんな写真撮影からスタートしたのでした。
次回は、もう一つの写真のお話をしたいと思っています。


