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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

節分の賑わいの中で

 一昨日は節分、そして昨日は立春、こうして旧暦の新年がまた始まって行きますね。
 関東で育った私は、子供の頃から、節分はただ「豆まき」をする日と思ってきましたが、京都に暮らしていると、<邪気を遠ざけ、身を正し新年を迎える>という、一年の節目の意識が生活の中に強く根付いていることを感じます。

 2日から4日までは節分会と呼ばれて、様々な神事が取り行われますが、3日がいわゆる豆まきで、それぞれの神社が独自の賑わいを見せています。

   吉田神社の節分
 吉田神社は節分厄除け詣り発祥の地として、京都でも人気の神社です。
 一昨日はフランス語のクラスがある日で、学校はご存じの通り、吉田神社に隣接していますので、早めに家を出て、まずお参りしてからクラスに行こうかと思い立ちました。
 ところが、想像をはるかに超えて、朝のバスは、もう既に何事が起こったかと思うほどのラッシュ。降りたバス停には、交通整理の警官の方たちまでが大勢動員されている状態でした。

 まずは吉田神社へ。
 いつもは静寂な吉田山を臨む参道は、行き交う人と露店の売り声で、朝から活気に満ちていました。鯛やき、お好み焼、焼きそばなどの定番の屋台、昔ながらの射的など、タイムスリップしたようないくつもの露店がひしめくように立ち並んで、京大へのアプローチを賑やかに埋め尽くしています。
参道の露店の賑わい  閉じられた京大の正門
 大学もこの日ばかりは全面協力なのでしょうか、神社の参道に面した正門は閉ざされて、露天商たちに門前を譲り、学生たちは狭い通用門から当たり前のように出入りをしています。

 神社への階段は、訪れた人で埋め尽くされていました。
吉田神社へ  お札授り所
 熱心に参拝する人の波、昨年までのお札を収めて新年のお札を買って行く人、お御籤を引く人、1月1日の賑わいがそのまま再現されたような新春の華やぎに溢れています。

 「節分」という旧暦からの慣習が今もそのまま生活に受け継がれてきて、季節の移り変わりにそれぞれの意味を感じ、それを尊んで自然に暮らす、・・・とても豊かなことと思われます。

総じて日本的な年中行事は、形骸化され、廃れて行く一方の昨今ですが、「この季節、この日は、これを食べて、ここに行って、これを願って、・・」というようなシンプルな習慣の中に生活のエネルギーのようなものがあることを、このような場に遭遇するにつけて、強く感じます。
福豆の売り場
 日本髪を美しく結った女性たちが扱っているのは、抽選券付き福豆(鬼打ち豆)です。
 福豆を神社で買い求めて、それで自宅の豆まきをする、そして、その余禄として、後で抽選を確かめる楽しみも付いてくるというわけです。
抽籤券つき福豆
 特賞は何と自動車一台という豪気な景品なのですが、高価なものからささやかなものまでどっさりと用意された景品は、地元の企業や、昔からの氏子(うじこ)さんたちがそれぞれ自分の家の氏神様=神社に寄進をして盛り立ててきたものなのでしょう。こうして脈々と、暮らしに根付く伝統や、日々の中に生きる大らかな信仰が受け継がれていることを感じます。

 自然に包まれ、何か目に見えない大きなものの意志の中で人は生かされていて、事ある毎に、それにふっと手を合わせたくなる、節分の一日も、そんな日本的な宗教心の一つの表れなのではと思います。

アンスティチュ・フランセ関西
 私も参拝を済ませ、福豆を購入して、学校に向かいました。
 「旧日仏学館」、現在の「アンスティチュ・フランセ関西」です。

 すぐ近くの喧騒が嘘のような静かな佇まいを見せています。
恵方巻き風がレット
 この日のランチスペシャルは、ガレット(そば粉のクレープ)でした。
 フランスでは、2月2日がchandeleur(シャンドルール)と呼ばれるキリスト教の祝日で、(キリスト誕生から40日目の<聖母御潔めの祝日>と呼ばれる日です)この日は春の到来と家族の幸せを祈って、クレープを食べるのが習慣になっているのです。
 でも、このガレットは、かなり不思議! 恵方巻きを模したのでしょうね。日仏合体のエスプリでしょうか?思わず注文してしまいました。

   祇園さんの節分
 帰路のバス停も長蛇の列でした。
 なかなか乗れそうもないので、違う経路のバスに替え、祇園で降車。
 目の前は八坂神社で、こちらも更に賑わっていましたが、ここで降りたのも何かのご縁、節分巡りの日と勝手に決めて、八坂神社にも参拝することに。
八坂神社の豆まき
 ちょうど舞舞台の上で、裃(かみしも)姿の大勢の男性、女性が、豆まきをしている最中でした。近づけないほどの雑踏で、手を伸ばしても福豆をキャッチできるような距離でもなく、でも、豆まきの興奮の渦に紛れ込んだのが何となく楽しかったです。
 八坂神社を地元の方たちは「祇園さん」と呼びますが、祇園さんの節分らしく、舞妓さんが撒き手として舞台に上っていて、華やかさを添えていました。
 
 豆まきが終了して、ぼんやりしていた私、舞妓さんを追いかけるカメラマンたちの波にいつの間にか巻きこまれてしまったようなのです。
 よくわからずに押されながら辿り着いたのが、どうやら舞妓さんたちが帰り支度を整えるために寄る休憩所の前で、気が付くと、周り中、一眼レフの大型カメラを持った方たちで一杯でした。
 しかも、成り行きとはいうものの、皆さんに羨ましがられるような玄関真正面の優先席を陣取っている格好になっていました。
 舞妓さんの出待ちをするつもりなど、全くなかったのですが、後ろもぎっしり一杯で、もはや人垣から抜け出ることもできない状態でしたから、初めての写真マニア体験をするしかないと覚悟を決め、待つこと15分。
 
 笑顔もこぼれます
 周囲は、写真愛好家同士の楽しそうな会話で弾んでいました。
 こういう天候の時、露出はどうすればよいのかとか、今撮ったばかりの豆まきの画像を見せ合ったりして、実にゆったりと。
 共通の趣味は心を結ぶものなのだと改めて思いました。
 
 そして、ようやく、舞妓さん三人、一斉にシャッターが切られて、芸能人の記者会見場みたいでした。シャッタースピードが速いこと!
豆まきを終えてホッと一息
 一仕事終えて、解放感に溢れた楽しそうな笑顔が印象的です。良く見るとまだあどけない顔立ちですね。 
 雨模様の空を見上げる様子もなかなか可愛らしいです。

八坂神社本殿

 ようやく落ち着いて、改めて参拝した「祇園さん」は、新春の化粧をして、ひと際、華やいでいました。




   思いを込めて
 この日、新春の寿ぎと華やいだ雑踏に紛れながら、ずっと胸に広がっていたのは、或る方への哀悼の思いでした。

 舞台監督、そして演出家として活躍していらっしゃった松浦進一さん。

 毎年の三浦先生主催のテタール・メランジェ・コンセールでも、そして、私の内幸町ホールでの訳詞コンサートでも、いつも舞台監督をして下さり、ずっとお世話になってきた方でした。

 2月2日、新春を待たず急逝されたという訃報を、この節分の日の朝受けたまま、全てが宙に浮いているような感覚に襲われていました。

 大勢の人たちが楽しげに行き交う節分の中で心を紛らわせようとしても、不在感ばかりが迫ってきて、ただひたすらにご冥福をお祈りしていました。

 ぼんやりとした心のままで、まだ今は、充分に言葉に表すことができません。

 時は過ぎて行くのに、新しい年は巡ってくるのに、明日は誰にもわからない、そういう人の世の儚さが胸にこたえます。

 松浦進一さん。
 お世話になった沢山の大切な思い出と、舞台への情熱と、優しい笑顔と、温かいお人柄と、いつも励まして下さった忘れられない言葉の数々と。

 沢山甦らせながら、ご冥福を心からお祈りしたいと思います。




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