
昨年末の東京での開催に引き続き、現在、京都の『美術館「えき」京都』で3月29日まで、「東山魁夷 わが愛しのコレクション展」が開催されています。
一昨日訪れましたので、今日はこのお話をしてみたいと思います。
東山魁夷のこと
このブログでもこれまでに何回か東山魁夷画伯と、その絵画についてご紹介したことがありました。
嘗ての記事をご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、久しぶりですし、改めてご紹介してみますね。
2011年に記した「椅子の魅力(2)~コンコルド広場の椅子~」という記事なのですが、その一部を引用します。(全文については上記をクリックしてお読み下さい。)
東山魁夷画伯と言えば、日本画壇の第一人者。
いくつかの代表的な絵画がすぐ目に浮かんでくるのではないでしょうか?
風景画家として、繊細な情感のこもった、美しい自然を描き続けた方ですが、その絵画同様、私は随筆もとても好きです。
静謐で内省的な心境と人柄が伝わってきて、言葉から絵が、絵から言葉が、祈るように生まれ出てくるようで、心洗われ、いつも深い感銘を受けるのです。

画伯は1999年に90歳で亡くなられましたが、これは『自然のなかの喜び』(講談社)に載っている70歳の時の写真です。
<謙虚と誠実と清純>を自らの生活信条にも絵画の究極にも置いた、高い精神性と意志とが、端正な佇まいの中から滲み出てくるように感じられます。
群青と緑青の絵の具で、深い青の陰影を駆使して描いた唐招提寺の障壁画の『山雲』『涛声』、そして同じく唐招提寺の襖絵に描いた四十二面の水墨画を筆頭に、数多くの日本画の傑作を残していますが、私が一番初めに出会い心魅かれた絵は、中学の国語の教科書の見開きに載っていた『道』でした。
<夏の朝早い空気の中に、静かに息づくような画面にしたいと思った。
この作品の象徴する世界は私にとって遍歴の果てでもあり、また、新しく始まる道でもあった。それは絶望と希望を織り交ぜてはるかに続く一筋の道であった。>
このような『一筋の道』という随筆の一文が添えられていたのですが、心象を映しだすこの一枚の風景画と文章が、ちょうど多感な年頃だった自分の感覚に何か大きく作用したようで、それから「東山魁夷」の名はずっと特別なものとして胸に刻まれてきたみたいです。
また、別の時に、「落葉松の帰路 ~画家の見た風景~」という記事で、長野の東山魁夷館と、晩秋の風景を描いた画伯の絵画とを紹介していますので、よろしかったらこちらももう一度、お読みになってみて下さいね。
「東山魁夷 わが愛しのコレクション展」
さて、今回の展覧会の特徴は、東山画伯の作品と共に、画伯愛蔵の多様な美術品が展示されていることにあります。

魁夷は、戦後、本格的に日本の古典の美に目覚め、蒐集活動を始めていきます。 魁夷の審美眼により、手元に集められた美術品は、その後、彼の大いなる創作の源泉となっていきます。本展では東山家に今も大切に保管されている古今東西の美術品など、魁夷の貴重な愛蔵のコレクションの数々、および創作の源となる下絵やスケッチを、選りすぐりの東山作品とともに展覧いたします。
と、パンフレットに説明がありましたが、本当に、実に多くの多種多様な蒐集であることに、まず驚きました。
古代エジプト、ギリシャ、中国、日本・・・・古美術、近代絵画、陶器、彫刻、仏像、書画、茶器、経典に至るまで、・・・・国、民族、時代、ジャンルを超えて、数知れぬ優れた美術品の蒐集を行っており、並々ならぬその情熱と造詣とが、展示品の一つ一つから溢れ出てくるように感じました。
画伯の中で、これらの美術品がどのように結びつき、そのどのような魅力が画伯自らの創造の世界に力を与えていくことになったのか、コレクションの数々を観賞しながら、次第に、時空を超えた美の世界に惹きこまれるような、不思議な心持ちがしてしまいました。
画伯は東京美術学校(現東京芸大)日本画科、及び研究科を終了の後、1933年にドイツ留学を果たしています。
ベルリン大学で東西の美術史を学ぶことになりますが、<外国にあって「日本美術」を味わい直す>という逆の立ち位置から、改めて日本美術の持つ本質的な特質と向き合うことになったのでしょう。
そして、それはきっと、画伯自身の、日本人としてのアイデンティティーを問われることに繋がっていたのではないでしょうか。
日本の風土に生まれた自分が、その中で育まれてきた従来の日本画の手法とどう向き合っていくのか、自分の中に脈々と流れる日本的なものと、西欧文化の洗礼を受けた、より現代的なものとのせめぎ合い、葛藤の日々があったのだと思われます。
今回の、あまりにも多様な美術蒐集の足跡を目の当たりにして、この葛藤の突破口が、二律背反する世界の融合に辿り着くことだったかもしれないと感じました。
簡単に言ってしまえば、<美しいものは美しい>ということで、古今東西、時空を自由に跨(また)いで、しなやかに貪欲に、普遍的な美の世界を追求しようとしていたのでしょうか。
目に優しい、懐かしいものに出会うような幸せを感じさせる魁夷画伯の絵画と収集品の数々を観賞しながら、しばしうっとりと日常から離れた世界に心を遊ばせました。
岩絵の具の美しさ
展示の中に、美術作品と並んで、画伯が使用していた絵具や絵筆などが紹介されているコーナーがあり、これもとても心に残りました。

日本画に使用する岩絵の具(いわえのぐ)、その顔料が細いガラス瓶の中に収められていて、それがグラデーションを作って美しく整理されているのです。
こんなにと思うほど、同色系であっても沢山のバリエーションが細やかに微妙に存在していて、これがどのように選び出され、組み合わされて、一幅の絵画に仕上がって行くのか、そんなことを思っていたらとても感動してしまいました。
特に「魁夷の青」と呼ばれる青・緑・群青・紺・・・微妙に変化する色調は本当に美しく豊かで、色自体が大きな力を持って誘いかけてくるようでした。
パンフレットにあった写真を(少しわかりにくいかもしれませんが)載せてみます。

先ほどの『道』という絵ですが。
宝石箱のようなこの多彩な顔料の中から、わずかに数色だけが採用され、<一筋の道>を完成しています。
まさに<魁夷の青>と言われる色調ですが、全てをそぎ落として、「道」が訴えかけてくる心象だけを画布に再現した絵画。
絵の中に自分が佇んでいるような臨場感と、精神性とが美しく胸に迫ってくる気がします。
これは絵葉書ですが、『朝雲』という作品。

やはり青が優しく、遠い峰々の陰影を写し出しています。湧き上がってくるような雲の冷気まで伝わってくるようです。
「本物」に触れる感動の中で、私はというと、日々の生活を省み恥じ入ることばかりで、身の引き締まる思いで一杯の一日でした。
最後に、東山魁夷画伯の『風景開眼』という随想の中から、大好きな一節をご紹介してみたいと思います。
私は生かされている。野の草と同じである。
路傍の小石とも同じである。
生かされているという宿命の中で、
せいいっぱい行きたいと思っている。
せいいっぱい生きるなどということは
難しいことだが、
生かされているという認識によって、
いくらか救われる。
一昨日訪れましたので、今日はこのお話をしてみたいと思います。
東山魁夷のこと
このブログでもこれまでに何回か東山魁夷画伯と、その絵画についてご紹介したことがありました。
嘗ての記事をご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、久しぶりですし、改めてご紹介してみますね。
2011年に記した「椅子の魅力(2)~コンコルド広場の椅子~」という記事なのですが、その一部を引用します。(全文については上記をクリックしてお読み下さい。)
東山魁夷画伯と言えば、日本画壇の第一人者。
いくつかの代表的な絵画がすぐ目に浮かんでくるのではないでしょうか?
風景画家として、繊細な情感のこもった、美しい自然を描き続けた方ですが、その絵画同様、私は随筆もとても好きです。
静謐で内省的な心境と人柄が伝わってきて、言葉から絵が、絵から言葉が、祈るように生まれ出てくるようで、心洗われ、いつも深い感銘を受けるのです。

画伯は1999年に90歳で亡くなられましたが、これは『自然のなかの喜び』(講談社)に載っている70歳の時の写真です。
<謙虚と誠実と清純>を自らの生活信条にも絵画の究極にも置いた、高い精神性と意志とが、端正な佇まいの中から滲み出てくるように感じられます。
群青と緑青の絵の具で、深い青の陰影を駆使して描いた唐招提寺の障壁画の『山雲』『涛声』、そして同じく唐招提寺の襖絵に描いた四十二面の水墨画を筆頭に、数多くの日本画の傑作を残していますが、私が一番初めに出会い心魅かれた絵は、中学の国語の教科書の見開きに載っていた『道』でした。
<夏の朝早い空気の中に、静かに息づくような画面にしたいと思った。
この作品の象徴する世界は私にとって遍歴の果てでもあり、また、新しく始まる道でもあった。それは絶望と希望を織り交ぜてはるかに続く一筋の道であった。>
このような『一筋の道』という随筆の一文が添えられていたのですが、心象を映しだすこの一枚の風景画と文章が、ちょうど多感な年頃だった自分の感覚に何か大きく作用したようで、それから「東山魁夷」の名はずっと特別なものとして胸に刻まれてきたみたいです。
また、別の時に、「落葉松の帰路 ~画家の見た風景~」という記事で、長野の東山魁夷館と、晩秋の風景を描いた画伯の絵画とを紹介していますので、よろしかったらこちらももう一度、お読みになってみて下さいね。
「東山魁夷 わが愛しのコレクション展」
さて、今回の展覧会の特徴は、東山画伯の作品と共に、画伯愛蔵の多様な美術品が展示されていることにあります。

魁夷は、戦後、本格的に日本の古典の美に目覚め、蒐集活動を始めていきます。 魁夷の審美眼により、手元に集められた美術品は、その後、彼の大いなる創作の源泉となっていきます。本展では東山家に今も大切に保管されている古今東西の美術品など、魁夷の貴重な愛蔵のコレクションの数々、および創作の源となる下絵やスケッチを、選りすぐりの東山作品とともに展覧いたします。
と、パンフレットに説明がありましたが、本当に、実に多くの多種多様な蒐集であることに、まず驚きました。
古代エジプト、ギリシャ、中国、日本・・・・古美術、近代絵画、陶器、彫刻、仏像、書画、茶器、経典に至るまで、・・・・国、民族、時代、ジャンルを超えて、数知れぬ優れた美術品の蒐集を行っており、並々ならぬその情熱と造詣とが、展示品の一つ一つから溢れ出てくるように感じました。
画伯の中で、これらの美術品がどのように結びつき、そのどのような魅力が画伯自らの創造の世界に力を与えていくことになったのか、コレクションの数々を観賞しながら、次第に、時空を超えた美の世界に惹きこまれるような、不思議な心持ちがしてしまいました。
画伯は東京美術学校(現東京芸大)日本画科、及び研究科を終了の後、1933年にドイツ留学を果たしています。
ベルリン大学で東西の美術史を学ぶことになりますが、<外国にあって「日本美術」を味わい直す>という逆の立ち位置から、改めて日本美術の持つ本質的な特質と向き合うことになったのでしょう。
そして、それはきっと、画伯自身の、日本人としてのアイデンティティーを問われることに繋がっていたのではないでしょうか。
日本の風土に生まれた自分が、その中で育まれてきた従来の日本画の手法とどう向き合っていくのか、自分の中に脈々と流れる日本的なものと、西欧文化の洗礼を受けた、より現代的なものとのせめぎ合い、葛藤の日々があったのだと思われます。
今回の、あまりにも多様な美術蒐集の足跡を目の当たりにして、この葛藤の突破口が、二律背反する世界の融合に辿り着くことだったかもしれないと感じました。
簡単に言ってしまえば、<美しいものは美しい>ということで、古今東西、時空を自由に跨(また)いで、しなやかに貪欲に、普遍的な美の世界を追求しようとしていたのでしょうか。
目に優しい、懐かしいものに出会うような幸せを感じさせる魁夷画伯の絵画と収集品の数々を観賞しながら、しばしうっとりと日常から離れた世界に心を遊ばせました。
岩絵の具の美しさ
展示の中に、美術作品と並んで、画伯が使用していた絵具や絵筆などが紹介されているコーナーがあり、これもとても心に残りました。

日本画に使用する岩絵の具(いわえのぐ)、その顔料が細いガラス瓶の中に収められていて、それがグラデーションを作って美しく整理されているのです。
こんなにと思うほど、同色系であっても沢山のバリエーションが細やかに微妙に存在していて、これがどのように選び出され、組み合わされて、一幅の絵画に仕上がって行くのか、そんなことを思っていたらとても感動してしまいました。
特に「魁夷の青」と呼ばれる青・緑・群青・紺・・・微妙に変化する色調は本当に美しく豊かで、色自体が大きな力を持って誘いかけてくるようでした。
パンフレットにあった写真を(少しわかりにくいかもしれませんが)載せてみます。

先ほどの『道』という絵ですが。
宝石箱のようなこの多彩な顔料の中から、わずかに数色だけが採用され、<一筋の道>を完成しています。
まさに<魁夷の青>と言われる色調ですが、全てをそぎ落として、「道」が訴えかけてくる心象だけを画布に再現した絵画。
絵の中に自分が佇んでいるような臨場感と、精神性とが美しく胸に迫ってくる気がします。
これは絵葉書ですが、『朝雲』という作品。

やはり青が優しく、遠い峰々の陰影を写し出しています。湧き上がってくるような雲の冷気まで伝わってくるようです。
「本物」に触れる感動の中で、私はというと、日々の生活を省み恥じ入ることばかりで、身の引き締まる思いで一杯の一日でした。
最後に、東山魁夷画伯の『風景開眼』という随想の中から、大好きな一節をご紹介してみたいと思います。
私は生かされている。野の草と同じである。
路傍の小石とも同じである。
生かされているという宿命の中で、
せいいっぱい行きたいと思っている。
せいいっぱい生きるなどということは
難しいことだが、
生かされているという認識によって、
いくらか救われる。


