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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

「最後のダンス」

訳詞への思いカット
 五月になりました。眩しい日差しの中、街はもうすっかり初夏の装いですね。
 さて、今日は「訳詞への思い」。
 最近手がけたお気に入りの曲、「最後のダンス」をご紹介したいと思います。


               「最後のダンス」
                             訳詞への思い<15>     

   「踊る」ということ
 このテーマを語る資格を、私は全く持ち合わせていないのだけれど・・・。

 実は、6~7歳の頃、クラシックバレエを習っていたことがあり、ホールでの発表会なども経験したのだが、先生の指導は非常に厳格で、容赦ないスパルタ式だった。
 運動能力に優れていない自分にとって、楽しいはずの入門期のこの試練は大きすぎたようで、焦燥感や怖れ、果ては、世の中にはどんなに努力してもどうにもならない適性とか相性とかがあるものだという、一種の諦念のようなものまで、子供心に深く刻みつけられることとなった。
 それ以来、現在に至るまで、バレエは勿論、ダンス全般に重度のトラウマが生じているらしい。・・・・という悲しい言い訳をした上で、話を進めていこう。

 「歌と舞踊」、シャンソンに携わる日々の中で、この結びつきについて、非常に興味深く感じることが多い。

 「歌う」とは、普通には<声を使って、メロディーやリズムやテンポなどからなる「音」に、「言葉」を乗せ表現してゆくこと>と言えるだろう。
 
 「音と言葉とに宿る魂のようなものを、心身に染み込ませて、それが強い力で溢れ出てくるのを掬(すく)い上げる」・・・「歌う」ということに私はそんなイメージを持っている。
 自分というフィルターを通って歌が生まれてゆく、不思議で敬虔な感覚とでも言おうか。
 
 そして「踊り」にもきっと、「歌」と同様な部分があるのではという気がする。
 自分の意志で体を動かすというよりも、音楽が自分に宿って、自分の体が媒体となって表出するというようなある種の陶酔感があるのではと。
 (たとえ「無音」の中で踊る場合であったとしても、音なき音がそこには必ず流れているのではと思われる)

 素朴な古代の舞踊であっても、現代のアーティスティックなダンスであっても、作為を超えて自然に身体がほとばしるように動き出すのを見る時、<これぞ舞踏の醍醐味>という厳粛な気持ちに包まれる。

 「歌を聴いていたら物語が鮮やかに浮かんできて、その物語を今度は自分が歌に乗せて無性に踊ってみたくなりました」・・・・ダンサーをしている理知的でとてもチャーミングな若い友人がいるのだけれど、つい最近、そんな風に話してくれた彼女の言葉が、心に深く残っている。


   Indila
 さて、長い前置きを終え、これからが本題であるが。

 Indila(インディラ)が歌っている『dernière danse(最後のダンス)』という曲をご紹介してみたいと思う。

 インディラは1982年生まれ、今年30歳になるシンガーソングライターである。パリに生まれ育った生粋のパリジェンヌだが、アルジェリア、カンボジア、エジプト、インドの血筋を受けた、黒髪のオリエンタルな魅力にあふれた女性だ。
 そしてその音楽にも、多民族の特性が融合するどこかエキゾチックな香りが強く感じられる。
インディラのアルバム
 2013年にデビューし、翌2014年に発表したCDアルバム「mini world」が一躍脚光を浴びることとなった。
 特に、この中の収録曲『dernière danse(最後のダンス)』は爆発的ヒットとなり、現在、大いに注目されているフランス音楽界期待の新星である。

 CD売上げも長期にわたり最上位に入っているが、現代はyoutubeで自由に視聴する時代。・・・何とこの曲の視聴回数は、2億回(2015年5月現在)という想像を絶する桁外れの世界的記録で、現在もこの記録を更新し続けている。
 それでも、日本では、彼女の存在すら紹介されないことが不思議だ。フランスの音楽は、まだまだ遠い処にあるのかもしれないと折に触れ実感させられる。

 日本的感覚なら、30歳のデビューというのは、ベストヒットを出すアイドルとしては高年齢とされるのだろうが、フランスでは音楽の質こそが重要で、さすが享受する側の成熟度も高い。


   『dernière danse(最後のダンス)』
 さて、『最後のダンス』の原詩は次のように始まる。

   Oh ma douce souffrance   
    ああ 私の甘い苦しみ
   Pourquoi s’acharne tu r’commences
    何故かむきになって 貴方はまた始める
   Je ne suis qu’un être sans importance
    私は意味のない存在でしかない
   Sans lui je suis un peu « paro »
    彼なしで 私は少し滑稽だ
   Je déambule seule dans le métro
    メトロを私は一人で彷徨う


 Souffrance  r’commences  importance と文末に韻が踏まれていて、切れ目なく揺れ続けるような独特なメロディーの中に、音の響きが刻まれる。

 私の訳詞もまた、文末に「ウ」音を揃え響かせることを留意しながら次のように始めてみた。

   貴方を探す  探し続けて歩く
   一人ぼっちのメトロ 心を突き刺す
   最後のダンス

   夢がクルクル回る 甘い痛みが回る
   壊れてゆく


 そして、原詩は更に次のように続く。

   Je remue le ciel, le jour, la nuit
   Je danse avec le vent, la pluie
   Un peu d’amour, un brin de miel
   Et je danse, danse, danse, danse ・・・・・
    (私は空をゆすぶる 昼も 夜も  風と 雨と 一緒に踊る
    少しの愛  蜜   そして 私は 踊る 踊る 踊る・・・・)


 恋人を失う焦燥感の中で、主人公は「甘い痛み」から逃れようとしてパリの街を走り続け、踊り続け、どこかに飛翔しようと試みる。

 「甘い痛み」が詩中のキーワードとなっていて、これは少し不思議な言葉でもあるのだが、深い喪失感や絶望感が心に作用する、現実から離反した一種の酩酊状態なのではと私には思われる。

 何故、主人公はひたすら踊り続けるのだろう。
 彼女にとって「踊ること」は、念じ続けること、祈り続けることなのかもしれない。
 打ちひしがれた心を再生すべく<歌い><踊る>。
 終わりなく歌い、踊り続ける主人公の姿が、曲の中で鮮やかに浮かび上がってくる。

 感覚的な言葉が散りばめられている飛躍の多い難解ともいえる原詩なのだが、そうであることがマイナスにはならず、インディラの歌を聴いていると、むしろ言葉そのものも跳躍しているような気さえしてくる。

 フレンチポップスの新しい風、この曲を今度のコンサートでは是非取り上げてみたいと思っている。

                                 Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 では、2億回を超える伝説のyoutube、彼女の歌をお楽しみください。
      ↓
 https://www.youtube.com/watch?v=K5KAc5CoCuk



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