
夜になってもまだ激しい雨が降り続いています。
今回の台風11号、四国に上陸し、強い風雨を伴って北上しながら、西日本を中心に各地に大きな被害をもたらしています。
皆様のところは大丈夫でしょうか?お見舞い申し上げます。
祇園祭、決行
京都は地形の関係からか、台風の影響は他の地域に比べるといつも比較的緩やかであるように思うのですが、それでも今回は祇園祭を直撃、数日前から台風情報とその話題で持ちきりでした。
7月に入ると京都の街は祇園祭一色となり、山鉾が組み立てられ、昼は様々な神事、夜は、14日の宵宵宵山(よいよいよいやま)、15日の宵宵山(よいよいやま)、16日の宵山(よいやま)と、17日の巡行に向かって熱気を帯びてきます。
昨年から祇園祭は、前祭(さきまつり)として山鉾を23基、後祭(あとまつり)として残り10基を巡行させるというように二回に分けて行われているのですが、これについて、昨年の記事「祇園祭の季節」の中で詳細を説明していますので、お読みになってみてくださいね。
更に、山鉾の組み立て方をレポートした記事も2011年の「七月の京都 祇園祭点描(一)」、「祇園祭点描(二)」で記していました。よろしければこちらもご覧ください。
こうして七月といえば祇園祭。
それが、予期せぬ台風到来のニュースでした。
巡行の最終決定は、今朝5時半の台風情報によってということで、地元放送では山鉾連合会の様子などをずっと放映していました。
大型の鉾は強風で倒れることも懸念されるため、暴風警報が発令されれば巡行を中止せざるを得ないという苦渋の決断がなされていたのですが、幸い5時半の時点では、警報は発令されていなかったため、決行が決まったのです。
連合会は既に15日には、山鉾を飾る懸装品(けそうひん)や駒形提灯(こまがたちょうちん)を撤去するなどの対応を検討するよう喚起し、その決定は各山鉾町の判断に任せたのだと聞きました。
鉾の転倒等の危険があっては大変ですし、山鉾の装飾には文化財に指定されている貴重な品々も多いので、雨に晒しでもしたら取り返しがつかなくなってしまいます。
関係の皆様は、完全な形で山鉾を出したいという願いと、それを損傷することは許されないという責任との狭間で揺れる日々だったことかと思います。
これまで山鉾巡行が中止になったのは、太平洋戦争の混乱期、そして直近では、四条通の地下で鉄道延伸工事があった50年前の1962年だったそうですが、悪天候のための中止は130年前の1884年が最後だったと聞き、祇園祭に垣間見える京都の伝統の重みを改めて実感しました。
祇園祭の起源は、平安時代、疫病を鎮めるための「祇園御霊会(ごりょうえ)」からで、天候については「小雨決行、大雨強行」と言われ続けてきたとのこと、この、肝入りの<嵐の中の祇園祭>、今日、見てきましたので、人ごみに流されながら撮った写真と共にご報告致しますね。
祇園祭前夜
まずは、2日前の街の様子です。

山鉾が例年と変わらず四条通りに立ち並んでいます。
今年、四条通りは歩道を広げ、その分、車道を狭くしたので、山鉾を設置する場所が取れるのかしらと気になっていたのですが、鉾の入るスペースは歩道を削る形で確保し設計してあったようです。
さすが<山鉾ありき>の京都の街です。

駒形提灯がお祭り気分を盛り上げます。
細い辻々にも出店が立ち並んで、夕方も35℃を下がらない熱気の中、浴衣姿の家族連れが楽しげにそぞろ歩きしていました。

宵々山の四条通りは夕方から歩行者天国に。
警察官の方たちがテキパキと整備し、あっという間に車道は歩道へと変身です。
・・・そして昨日から雨。
残念ながら昨夕の宵山の写真はないのですが、山鉾から提灯が外され、ビニールシートが掛けられて、万全の雨準備がなされていました。
祇園祭 山鉾巡行
早朝の四条通りです。まだ閑散としていますが、雨は時折激しく、関係者は皆、心配そうに空を見上げていました。

出発の9時を前に、先頭を切る「長刀鉾(なぎなたぼこ)」の様子です。
傘をかぶり、鉾のてっぺんに登っているのは屋根方(やねかた)と呼ばれる方たち、今日は強風に煽られないよう命綱をつけていますが、まだ始まる前だというのに、風雨を受け、体中、もうびっしょりでした。

お稚児(ちご)さんもスタンバイします。
ビニールシートをかけた長刀鉾ですが、皆、毅然とした面持ちで出発の準備が整います。

お稚児さんの「締め縄切り」も、見事な出来、無事大任を果たせました。
鉾を引く人たち、介添えの人たち、清々しい神事の装束と浴衣姿とが、やはり激しい雨にびっしょりと濡れていました。

悠然と粛々と進んでいるように見えますが、でも介添えの方たちは力仕事、実はこんなに大変なのです。
汗と雨をぬぐいながら、車輪の調整に余念がありません。
でもどの方たちの顔もいつにもまして晴れやかで、誇らしげにみえます。
平安時代から続いている伝統を何があっても絶やさず引き継いでいる、その自負に裏付けされた愛着のようなものが、京都の街の底力であるように感じられ、祇園祭の場に共に居ながら、何だか圧倒される気がしました。

今年の台風の中の祇園祭は、関係者の方たちにとって、そして観光の人の心にもとりわけ印象に残るものになるに違いありません。
一週間後の24日(金)は後祭山鉾巡行が行われます。
今度はきっと夏空で、かなり暑くなるでしょうけれど、万全の準備をなさって、是非いらして下さいね。
今回の台風11号、四国に上陸し、強い風雨を伴って北上しながら、西日本を中心に各地に大きな被害をもたらしています。
皆様のところは大丈夫でしょうか?お見舞い申し上げます。
祇園祭、決行
京都は地形の関係からか、台風の影響は他の地域に比べるといつも比較的緩やかであるように思うのですが、それでも今回は祇園祭を直撃、数日前から台風情報とその話題で持ちきりでした。
7月に入ると京都の街は祇園祭一色となり、山鉾が組み立てられ、昼は様々な神事、夜は、14日の宵宵宵山(よいよいよいやま)、15日の宵宵山(よいよいやま)、16日の宵山(よいやま)と、17日の巡行に向かって熱気を帯びてきます。
昨年から祇園祭は、前祭(さきまつり)として山鉾を23基、後祭(あとまつり)として残り10基を巡行させるというように二回に分けて行われているのですが、これについて、昨年の記事「祇園祭の季節」の中で詳細を説明していますので、お読みになってみてくださいね。
更に、山鉾の組み立て方をレポートした記事も2011年の「七月の京都 祇園祭点描(一)」、「祇園祭点描(二)」で記していました。よろしければこちらもご覧ください。
こうして七月といえば祇園祭。
それが、予期せぬ台風到来のニュースでした。
巡行の最終決定は、今朝5時半の台風情報によってということで、地元放送では山鉾連合会の様子などをずっと放映していました。
大型の鉾は強風で倒れることも懸念されるため、暴風警報が発令されれば巡行を中止せざるを得ないという苦渋の決断がなされていたのですが、幸い5時半の時点では、警報は発令されていなかったため、決行が決まったのです。
連合会は既に15日には、山鉾を飾る懸装品(けそうひん)や駒形提灯(こまがたちょうちん)を撤去するなどの対応を検討するよう喚起し、その決定は各山鉾町の判断に任せたのだと聞きました。
鉾の転倒等の危険があっては大変ですし、山鉾の装飾には文化財に指定されている貴重な品々も多いので、雨に晒しでもしたら取り返しがつかなくなってしまいます。
関係の皆様は、完全な形で山鉾を出したいという願いと、それを損傷することは許されないという責任との狭間で揺れる日々だったことかと思います。
これまで山鉾巡行が中止になったのは、太平洋戦争の混乱期、そして直近では、四条通の地下で鉄道延伸工事があった50年前の1962年だったそうですが、悪天候のための中止は130年前の1884年が最後だったと聞き、祇園祭に垣間見える京都の伝統の重みを改めて実感しました。
祇園祭の起源は、平安時代、疫病を鎮めるための「祇園御霊会(ごりょうえ)」からで、天候については「小雨決行、大雨強行」と言われ続けてきたとのこと、この、肝入りの<嵐の中の祇園祭>、今日、見てきましたので、人ごみに流されながら撮った写真と共にご報告致しますね。
祇園祭前夜
まずは、2日前の街の様子です。

山鉾が例年と変わらず四条通りに立ち並んでいます。
今年、四条通りは歩道を広げ、その分、車道を狭くしたので、山鉾を設置する場所が取れるのかしらと気になっていたのですが、鉾の入るスペースは歩道を削る形で確保し設計してあったようです。
さすが<山鉾ありき>の京都の街です。

駒形提灯がお祭り気分を盛り上げます。
細い辻々にも出店が立ち並んで、夕方も35℃を下がらない熱気の中、浴衣姿の家族連れが楽しげにそぞろ歩きしていました。

宵々山の四条通りは夕方から歩行者天国に。
警察官の方たちがテキパキと整備し、あっという間に車道は歩道へと変身です。
・・・そして昨日から雨。
残念ながら昨夕の宵山の写真はないのですが、山鉾から提灯が外され、ビニールシートが掛けられて、万全の雨準備がなされていました。
祇園祭 山鉾巡行
早朝の四条通りです。まだ閑散としていますが、雨は時折激しく、関係者は皆、心配そうに空を見上げていました。


出発の9時を前に、先頭を切る「長刀鉾(なぎなたぼこ)」の様子です。
傘をかぶり、鉾のてっぺんに登っているのは屋根方(やねかた)と呼ばれる方たち、今日は強風に煽られないよう命綱をつけていますが、まだ始まる前だというのに、風雨を受け、体中、もうびっしょりでした。

お稚児(ちご)さんもスタンバイします。
ビニールシートをかけた長刀鉾ですが、皆、毅然とした面持ちで出発の準備が整います。

お稚児さんの「締め縄切り」も、見事な出来、無事大任を果たせました。
鉾を引く人たち、介添えの人たち、清々しい神事の装束と浴衣姿とが、やはり激しい雨にびっしょりと濡れていました。

悠然と粛々と進んでいるように見えますが、でも介添えの方たちは力仕事、実はこんなに大変なのです。
汗と雨をぬぐいながら、車輪の調整に余念がありません。
でもどの方たちの顔もいつにもまして晴れやかで、誇らしげにみえます。
平安時代から続いている伝統を何があっても絶やさず引き継いでいる、その自負に裏付けされた愛着のようなものが、京都の街の底力であるように感じられ、祇園祭の場に共に居ながら、何だか圧倒される気がしました。


今年の台風の中の祇園祭は、関係者の方たちにとって、そして観光の人の心にもとりわけ印象に残るものになるに違いありません。
一週間後の24日(金)は後祭山鉾巡行が行われます。
今度はきっと夏空で、かなり暑くなるでしょうけれど、万全の準備をなさって、是非いらして下さいね。


