
ブログの更新が大変遅くなり失礼致しました。
「どうしたの、大丈夫?」とご心配を頂き、申し訳なく思っています。
この二週間、体調を崩していたこともあるのですが、親族や友人に不慮の事故や病気が続いて、心痛めつつバタバタと東奔西走しておりました。それに事寄せ、生来の筆不精が顔を出して・・・お恥ずかしい限りです。
そうこうしているうちに、今日はもう30日ですね。
今頃、皆様は余裕を持って一年を振り返っていらっしゃいますか。或いは私のように、師走を駆け巡っておいででしょうか。
この時期になると、新聞やテレビで今年亡くなられた著名人を偲ぶ特集などが紹介されます。
29日~31日の朝、NHKで、今年ご逝去された方の中から、NHKアーカイブスに残っているインタビュー映像を紹介する『耳をすませば』という番組を放映しているのですが、ご覧になりましたか。
何気なくテレビを付けて、思わず釘付けになりました。
『耳をすませば』 ~三代目桂米朝さんの言葉
一日目、29日は、食生活ジャーナリストとして「本当に豊かな食とは何か」を問い続けてきた岸朝子さん、そして日本にコメディーを根付かせたいと精力的な演劇活動を発信し、また声優の先駆者でもある熊倉一雄さん、このお二人を取り上げていました。
そして今日30日は、文学座の俳優として舞台・映画に活躍した加藤武さんと、上方落語の第一人者、三代目桂米朝さんでした。

それぞれの方たちの生き様が、その語る言葉の中に豊かに溢れていて、四人の方に共通するのは、ご自身が真に目指す道をいつもしっかりと見つめながら、信念と、そして喜びとを持ってひた向きに歩み続けていらした姿勢だと感じました。
新しい世界を追求しようとすれば、勿論、様々な困難は生じますが、それを苦とせず、決して周りに振り回されず、生涯の終わりまで、強い情熱を持って貫き通していらっしゃったことに大きな感動を覚えます。
インタビューに応える表情、言葉の全てが、気負わず、穏やかで、そして終始楽しげであること、自分の人生をこのように全う出来たらと思える素敵さがありました。
沢山ご紹介したい言葉があるのですが、その中から桂米朝さんの言葉です。
「10代にたった一度聞いた、それを頼りに復活した噺もあります。技術的なことをみますと、大工さんでも10代に覚えなければと言うんです。体で覚えるのは10代やというんです」(『耳をすませば』より)
「本人でも、あるいは親御さんでも噺家になって弟子入り許されたら就職したように思われると一番困るんですね。苦労の始まりですよ、何の保証もない。全責任は1人やから。面白くなかったらお客さんは無反応ですわな。10年やったらなんとかなるとか、そんなものでは決してないです」(『耳をすませば』より)
「私の好きな言葉に『一期一会』というのがあります。落語という芸は、この言葉の通り常に一生に一度です。」(読売新聞12/30より)
生涯、胸に刻み続けた師匠米団治の教え。「芸人は米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良いの悪いのと言って、好きな芸をやって一生を送る。芸を磨く以外に世間にお返しする道はない。芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで。」(読売新聞12/30 より)
晦日の京都 市場の賑わい
いつものように、錦市場を通り抜けて。
「すぐき」は少し癖のある京都ならではのお漬物。大きいままで飛ぶように売れるのも年末ならの風物詩です。
お正月の細工が施された色鮮やかな蒲鉾。

京都では「てんぷら」と呼ばれるさつま揚げも人気です。
お餅屋さんの店内ではつきたてのお餅を食べさせてくれます。
京都では「鯛」と「はも」が縁起物です。

お味噌の量り売り。主流は何と言っても白味噌です。
鴨川べりから蛸薬師へ
年賀状も書き終えて、大掃除も一段落しましたので、晦日の京都の街を少し散策してみたくなりました。
錦市場の雑踏を抜けて、四条大橋から鴨川べりを三条大橋までゆっくりと歩きます。

暖かい年の瀬ですがやはり雲と空は冬の色、川面がキラキラと反射して眩しく輝いています。
夏なら川床を張り出している料亭の佇まいに静かな年の終わりを感じました。

鴨川の中州は鳥達の格好の遊び場になっています。
つがいの鴨が悠々と渡っていました。餌をついばむと川面に水紋が生まれます。
どこまでも続く川べりの散歩道。

真っ白いカモメたちがこんなに沢山羽を休めていました。
京都とパリとは姉妹都市なのですが、こうして鴨川沿いを歩いていると、セーヌ川の岸辺の風景が重なって思われます。

街中を大きな川がゆったりと流れて、その両岸に、街の賑わいがあり、しかも古い建物や寺社が混在している、そんな相似した街なのかもしれませんね。
少しモノトーン風に撮ってみました。
三条大橋を渡り、再び街中へ。
昔ながらのお煎餅屋さんと、たわしと箒を売っているお店が少しレトロな雰囲気を醸し出していました。

新京極の通りに入り、永福寺、通称蛸薬師へ参拝しました。
この蛸薬師は、薬師如来を祀る病い平癒の寺なのですが、蛸の彫像がお祀りされている珍しいお寺です。

蛸の丸い頭を撫でると病気治癒に霊験があるということで参拝者が多く訪れています。
新年も病床から離れられないであろう大切な友人と親戚と身内と・・・。
そして、一年の時間の中で、悲喜こもごもの様々な出来事があり、それでもこうして無事、今、年の瀬を迎えられていることを・・・・。
色々な思いに、心を澄ましながら手を合わせた私の晦日でした。
今年もこのブログをご愛読下さり、温かく応援して下さいました皆様、本当に有難うございました。
どうぞご自愛の上、佳き新年をお迎え下さいね。
「どうしたの、大丈夫?」とご心配を頂き、申し訳なく思っています。
この二週間、体調を崩していたこともあるのですが、親族や友人に不慮の事故や病気が続いて、心痛めつつバタバタと東奔西走しておりました。それに事寄せ、生来の筆不精が顔を出して・・・お恥ずかしい限りです。
そうこうしているうちに、今日はもう30日ですね。
今頃、皆様は余裕を持って一年を振り返っていらっしゃいますか。或いは私のように、師走を駆け巡っておいででしょうか。
この時期になると、新聞やテレビで今年亡くなられた著名人を偲ぶ特集などが紹介されます。
29日~31日の朝、NHKで、今年ご逝去された方の中から、NHKアーカイブスに残っているインタビュー映像を紹介する『耳をすませば』という番組を放映しているのですが、ご覧になりましたか。
何気なくテレビを付けて、思わず釘付けになりました。
『耳をすませば』 ~三代目桂米朝さんの言葉
一日目、29日は、食生活ジャーナリストとして「本当に豊かな食とは何か」を問い続けてきた岸朝子さん、そして日本にコメディーを根付かせたいと精力的な演劇活動を発信し、また声優の先駆者でもある熊倉一雄さん、このお二人を取り上げていました。
そして今日30日は、文学座の俳優として舞台・映画に活躍した加藤武さんと、上方落語の第一人者、三代目桂米朝さんでした。

それぞれの方たちの生き様が、その語る言葉の中に豊かに溢れていて、四人の方に共通するのは、ご自身が真に目指す道をいつもしっかりと見つめながら、信念と、そして喜びとを持ってひた向きに歩み続けていらした姿勢だと感じました。
新しい世界を追求しようとすれば、勿論、様々な困難は生じますが、それを苦とせず、決して周りに振り回されず、生涯の終わりまで、強い情熱を持って貫き通していらっしゃったことに大きな感動を覚えます。
インタビューに応える表情、言葉の全てが、気負わず、穏やかで、そして終始楽しげであること、自分の人生をこのように全う出来たらと思える素敵さがありました。
沢山ご紹介したい言葉があるのですが、その中から桂米朝さんの言葉です。
「10代にたった一度聞いた、それを頼りに復活した噺もあります。技術的なことをみますと、大工さんでも10代に覚えなければと言うんです。体で覚えるのは10代やというんです」(『耳をすませば』より)
「本人でも、あるいは親御さんでも噺家になって弟子入り許されたら就職したように思われると一番困るんですね。苦労の始まりですよ、何の保証もない。全責任は1人やから。面白くなかったらお客さんは無反応ですわな。10年やったらなんとかなるとか、そんなものでは決してないです」(『耳をすませば』より)
「私の好きな言葉に『一期一会』というのがあります。落語という芸は、この言葉の通り常に一生に一度です。」(読売新聞12/30より)
生涯、胸に刻み続けた師匠米団治の教え。「芸人は米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良いの悪いのと言って、好きな芸をやって一生を送る。芸を磨く以外に世間にお返しする道はない。芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで。」(読売新聞12/30 より)
晦日の京都 市場の賑わい
いつものように、錦市場を通り抜けて。
「すぐき」は少し癖のある京都ならではのお漬物。大きいままで飛ぶように売れるのも年末ならの風物詩です。
お正月の細工が施された色鮮やかな蒲鉾。



京都では「てんぷら」と呼ばれるさつま揚げも人気です。
お餅屋さんの店内ではつきたてのお餅を食べさせてくれます。
京都では「鯛」と「はも」が縁起物です。



お味噌の量り売り。主流は何と言っても白味噌です。
鴨川べりから蛸薬師へ
年賀状も書き終えて、大掃除も一段落しましたので、晦日の京都の街を少し散策してみたくなりました。
錦市場の雑踏を抜けて、四条大橋から鴨川べりを三条大橋までゆっくりと歩きます。

暖かい年の瀬ですがやはり雲と空は冬の色、川面がキラキラと反射して眩しく輝いています。
夏なら川床を張り出している料亭の佇まいに静かな年の終わりを感じました。

鴨川の中州は鳥達の格好の遊び場になっています。
つがいの鴨が悠々と渡っていました。餌をついばむと川面に水紋が生まれます。
どこまでも続く川べりの散歩道。

真っ白いカモメたちがこんなに沢山羽を休めていました。
京都とパリとは姉妹都市なのですが、こうして鴨川沿いを歩いていると、セーヌ川の岸辺の風景が重なって思われます。

街中を大きな川がゆったりと流れて、その両岸に、街の賑わいがあり、しかも古い建物や寺社が混在している、そんな相似した街なのかもしれませんね。
少しモノトーン風に撮ってみました。
三条大橋を渡り、再び街中へ。
昔ながらのお煎餅屋さんと、たわしと箒を売っているお店が少しレトロな雰囲気を醸し出していました。


新京極の通りに入り、永福寺、通称蛸薬師へ参拝しました。
この蛸薬師は、薬師如来を祀る病い平癒の寺なのですが、蛸の彫像がお祀りされている珍しいお寺です。

蛸の丸い頭を撫でると病気治癒に霊験があるということで参拝者が多く訪れています。
新年も病床から離れられないであろう大切な友人と親戚と身内と・・・。
そして、一年の時間の中で、悲喜こもごもの様々な出来事があり、それでもこうして無事、今、年の瀬を迎えられていることを・・・・。
色々な思いに、心を澄ましながら手を合わせた私の晦日でした。
今年もこのブログをご愛読下さり、温かく応援して下さいました皆様、本当に有難うございました。
どうぞご自愛の上、佳き新年をお迎え下さいね。


