
吉田神社の節分祭
節分も終わり、また新しい年が始まりました。
節分はただ豆まきの日と思われがちですが、旧暦の大晦日、一年の邪気を払い清め、新たな年明け=立春を迎えるまさに節目の意味を持っていますね。
2月2日、アンスティチュ・フランセ関西(旧日仏学館)での授業の後、すぐ近くの吉田神社の節分祭に行ってきました。
京都の節分といえば何と言っても吉田神社、今年も大変な賑わいを見せていました。
室町時代から続く、信仰と伝統を誇る京洛の一大行事、約50万人もの参拝者、800店余りの露店が軒を列ねると言われます。

2日は前日祭でしたが、すでに大変な人出で、鬼たちが境内を行き来し、参拝客と記念撮影をしたりの大サービスです。

いずれも優しくて剽軽な鬼なのに、それでも幼児にはかなり恐ろしいものに映るらしく、鬼が傍に近づくと大抵の子供は火がついたように泣き出します。

秋田のナマハゲなどと同様に、邪を払い幸せをもたらすという認識があるのでしょうか、赤ちゃんや幼い子供が大声で威勢よく泣き叫ぶほど、傍で両親は喜ぶという光景をいくつも目にして、とても面白く感じました。
参拝をし、「厄除け福豆」を買い求めながら、鬼のことをふと考えました。
『泣いた赤鬼』
童話作家浜田廣介が書いた『泣いた赤鬼』、子供の頃にお読みになったのではと思います。
人間に忌み嫌われる鬼の身を嘆いて、赤鬼は、親友の青鬼に人間と仲良くなれる方法はないかと相談する。青鬼は、自分が人間に悪さをして脅かすので、それをやっつけるヒーローになれば、きっと人間と仲良くなれるとアドバイスをし、一芝居打つことになる。

青鬼の策略は功を制し、赤鬼は人間から愛され、楽しい毎日を過ごすが、それ以来、青鬼は一度も姿を見せることがなくなった。気になって、ある日、青鬼の家を訪ねてみると、赤鬼にあてた手紙を見つける。そこには、次のように記されていた。

「赤鬼くん、人間たちとはどこまでも仲良くして、真面目に付き合って楽しく暮らしてください。僕はしばらく君にはお目にかかりません。このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつでも君を忘れません。さようなら、君。体を大事にしてください。どこまでも君の友達 青鬼」という青鬼からの置手紙であった。
赤鬼は黙ってそれを何度も読み、しくしくと涙を流して泣いた。
ざっとですが、こんなお話だったかと思います。
このお話は今でも小学校などで取り上げられているのでしょうか。
小学校低学年の頃、国語かホームルームか、クラスで感想や意見を言い合ったような気がします。青鬼礼賛派と少数の批判、赤鬼弾劾派と擁護説など、様々に意見が飛び交っていましたが、私は、子供の頃から犠牲的精神というものに非常に敏感に反応し感動するタイプでしたので、この青鬼の手紙に、まさに赤鬼のように涙したものでした。
今大人になった目でこの物語を考えるとまた違った興味深いものを感じます。
青鬼は、赤鬼のように自らの身を嘆くことはせず、静かにあるがままを受け入れているのですが、それでも友の幸せのために犠牲的精神を発揮する、その結果、自分が窮地に立たされてもそれを厭わない、実に善良な心根を持った、そして自己確立の出来ている鬼です。
宿命を受け入れて動じない強さを感じますが、でも、それだったら、赤鬼にもその姿勢を貫いてありのままであればよいと諭すこともできたのではと、少し残念にも思います。
それでも敢えて、相手の気持ちに寄り添ってしまった所が、青鬼のほろりとした<生きる弱さ>でもあり、<優しさ>だったのかもしれませんが。
一方、赤鬼は、青鬼に比べるとずっと軟弱です。自分が疎外されることに大いなる不安を感じ、青鬼という親友がいるにも関わらず、人間とも仲間になりたいと望み、青鬼の善意に依存します。
そして、その結果もたらされた幸せに有頂天になり青鬼の身を案じることさえ忘れてしまい、後で後悔の涙を流すという情けない役回りです。
後悔したにも関わらず、最後に青鬼を何が何でも連れ戻そうと覚悟して旅に出た様子もないことからも、弱点多き人物像なわけですが、それがまたある意味、愛すべき人間臭さでもあるのかもしれません。
それにしても、負の部分を、独りですべて引き受けた青鬼は一体どこに向かったのでしょうか。
福は内 鬼も内
人間を襲う凶暴な青鬼は、実は自己犠牲に富んだ優しい性格だったわけで、内面世界とは、表層的にそう易々と割り切れるものでもなく、善・悪、美・醜、強さ・弱さ、そんなすべては表裏一体であり、渾然と混ざり合っているものなのでしょう。
そういう曖昧さを認めて、丸ごと許容して行こうとする日本的な考え方が、この『泣いた赤鬼』の童話の中にも見て取れるのではないかとふと思ったのでした。

奈良吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)では節分会には『福は内 鬼も内』と唱えるのだそうで、節分で全国から追われた鬼達はここに集まり、「鬼おどり」を舞うことで心を入れ替えるという不思議な言い伝えがあります。
人の中の佳きものを掬い出すようなこういう考え方は素敵ですし、ロマンチックなものを感じますね。
また一方、天河大弁財天社でも『鬼は内 福は内』と唱え、節分前夜には鬼の為に宿を用意するのだと聞いたことがあります。
鬼は人智を超えた大いなる力を持つ神なのだから追い払ってはいけないという信仰に基づいているのでしょう。
人は誰でも多かれ少なかれ、心の中に弱さや鬼の目を持っているのだとするなら、それをどう飼いならし、佳きものへと変貌させていくか、本当の意味での心の鍛錬が必要なのではと思うのです。
様々な思いと祈りの中で静かに手を合わせた今年の節分でした。
節分も終わり、また新しい年が始まりました。
節分はただ豆まきの日と思われがちですが、旧暦の大晦日、一年の邪気を払い清め、新たな年明け=立春を迎えるまさに節目の意味を持っていますね。
2月2日、アンスティチュ・フランセ関西(旧日仏学館)での授業の後、すぐ近くの吉田神社の節分祭に行ってきました。
京都の節分といえば何と言っても吉田神社、今年も大変な賑わいを見せていました。
室町時代から続く、信仰と伝統を誇る京洛の一大行事、約50万人もの参拝者、800店余りの露店が軒を列ねると言われます。


2日は前日祭でしたが、すでに大変な人出で、鬼たちが境内を行き来し、参拝客と記念撮影をしたりの大サービスです。

いずれも優しくて剽軽な鬼なのに、それでも幼児にはかなり恐ろしいものに映るらしく、鬼が傍に近づくと大抵の子供は火がついたように泣き出します。

秋田のナマハゲなどと同様に、邪を払い幸せをもたらすという認識があるのでしょうか、赤ちゃんや幼い子供が大声で威勢よく泣き叫ぶほど、傍で両親は喜ぶという光景をいくつも目にして、とても面白く感じました。
参拝をし、「厄除け福豆」を買い求めながら、鬼のことをふと考えました。
『泣いた赤鬼』
童話作家浜田廣介が書いた『泣いた赤鬼』、子供の頃にお読みになったのではと思います。
人間に忌み嫌われる鬼の身を嘆いて、赤鬼は、親友の青鬼に人間と仲良くなれる方法はないかと相談する。青鬼は、自分が人間に悪さをして脅かすので、それをやっつけるヒーローになれば、きっと人間と仲良くなれるとアドバイスをし、一芝居打つことになる。

青鬼の策略は功を制し、赤鬼は人間から愛され、楽しい毎日を過ごすが、それ以来、青鬼は一度も姿を見せることがなくなった。気になって、ある日、青鬼の家を訪ねてみると、赤鬼にあてた手紙を見つける。そこには、次のように記されていた。

「赤鬼くん、人間たちとはどこまでも仲良くして、真面目に付き合って楽しく暮らしてください。僕はしばらく君にはお目にかかりません。このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつでも君を忘れません。さようなら、君。体を大事にしてください。どこまでも君の友達 青鬼」という青鬼からの置手紙であった。
赤鬼は黙ってそれを何度も読み、しくしくと涙を流して泣いた。
ざっとですが、こんなお話だったかと思います。
このお話は今でも小学校などで取り上げられているのでしょうか。
小学校低学年の頃、国語かホームルームか、クラスで感想や意見を言い合ったような気がします。青鬼礼賛派と少数の批判、赤鬼弾劾派と擁護説など、様々に意見が飛び交っていましたが、私は、子供の頃から犠牲的精神というものに非常に敏感に反応し感動するタイプでしたので、この青鬼の手紙に、まさに赤鬼のように涙したものでした。
今大人になった目でこの物語を考えるとまた違った興味深いものを感じます。
青鬼は、赤鬼のように自らの身を嘆くことはせず、静かにあるがままを受け入れているのですが、それでも友の幸せのために犠牲的精神を発揮する、その結果、自分が窮地に立たされてもそれを厭わない、実に善良な心根を持った、そして自己確立の出来ている鬼です。
宿命を受け入れて動じない強さを感じますが、でも、それだったら、赤鬼にもその姿勢を貫いてありのままであればよいと諭すこともできたのではと、少し残念にも思います。
それでも敢えて、相手の気持ちに寄り添ってしまった所が、青鬼のほろりとした<生きる弱さ>でもあり、<優しさ>だったのかもしれませんが。
一方、赤鬼は、青鬼に比べるとずっと軟弱です。自分が疎外されることに大いなる不安を感じ、青鬼という親友がいるにも関わらず、人間とも仲間になりたいと望み、青鬼の善意に依存します。
そして、その結果もたらされた幸せに有頂天になり青鬼の身を案じることさえ忘れてしまい、後で後悔の涙を流すという情けない役回りです。
後悔したにも関わらず、最後に青鬼を何が何でも連れ戻そうと覚悟して旅に出た様子もないことからも、弱点多き人物像なわけですが、それがまたある意味、愛すべき人間臭さでもあるのかもしれません。
それにしても、負の部分を、独りですべて引き受けた青鬼は一体どこに向かったのでしょうか。
福は内 鬼も内
人間を襲う凶暴な青鬼は、実は自己犠牲に富んだ優しい性格だったわけで、内面世界とは、表層的にそう易々と割り切れるものでもなく、善・悪、美・醜、強さ・弱さ、そんなすべては表裏一体であり、渾然と混ざり合っているものなのでしょう。
そういう曖昧さを認めて、丸ごと許容して行こうとする日本的な考え方が、この『泣いた赤鬼』の童話の中にも見て取れるのではないかとふと思ったのでした。

奈良吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)では節分会には『福は内 鬼も内』と唱えるのだそうで、節分で全国から追われた鬼達はここに集まり、「鬼おどり」を舞うことで心を入れ替えるという不思議な言い伝えがあります。
人の中の佳きものを掬い出すようなこういう考え方は素敵ですし、ロマンチックなものを感じますね。
また一方、天河大弁財天社でも『鬼は内 福は内』と唱え、節分前夜には鬼の為に宿を用意するのだと聞いたことがあります。
鬼は人智を超えた大いなる力を持つ神なのだから追い払ってはいけないという信仰に基づいているのでしょう。
人は誰でも多かれ少なかれ、心の中に弱さや鬼の目を持っているのだとするなら、それをどう飼いならし、佳きものへと変貌させていくか、本当の意味での心の鍛錬が必要なのではと思うのです。
様々な思いと祈りの中で静かに手を合わせた今年の節分でした。


