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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

*ロボット考(2) 「アトム」と「ナイト」

 前回の記事、ロボット考(1)「パックボット」と「パロ」に引き続き、今日もロボットのお話の続きを!

 
 上野の東京国立博物館で、今「手塚治虫のブッダ展」が開催されていることはご存知でしたか。6月26日まで、ちょうど二カ月間開かれるそうです。
 
 「手塚の大作漫画「ブッダ」(1972年~1983年連載)と、ガンダーラや日本の仏像に表現されたブッダを対比させ、仏教の開祖の足跡を紹介する、かつてない展覧会だ。」(5月13日付読売新聞より)
 
 読売新聞社が後援していることもあってか、このような見出しでかなり詳しく内容が取り上げられていました。
直筆原画52点と、重要文化財の仏像など約20点とが、対比されながら、ブッダの生涯を追って展示されており、手塚ファン、仏像ファンのそれぞれが詰め掛けて好評だそうです。
 アニメーション映画「手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく!」がもうすぐ(5月28日)公開されることとタイアップして、このタイミングになったのでしょうね。こちらのアニメもかなり前評判が高く、吉永小百合さんを初めとする本格的な俳優陣の吹き替えによって丁寧に作られたアニメで、とにかく大長編であるため、今回は第1部完成で、今後2部3部へと続くと聞いています。

 今更私如きが言うのも何なのですが、手塚治虫氏は本当に凄い方ですね。
 手塚漫画のファンはおそらく日本中に溢れていて、氏のあらゆる漫画を精読、熟知しておられる方も数知れないと思いますので、生半可な私が話題にするのも実は憚られるのですが、おずおずと今日はお約束の「アトム」の話題に触れてみることと致します。

  鉄腕アトム
 ロボットと言えば、我々日本人、何をおいてもまず鉄腕アトムでしょう。

 子供時代から、本の虫だった私(専ら文学書中心でしたが)は、漫画はさほど得意ではなかったのですが、でも鉄腕アトムは可愛くて大好きでした。
 私と、4歳下の弟の幼少時代は、連載漫画雑誌・コミック・テレビアニメが目白押しで、弟はすっかりはまって、それはそれは詳しく、お小遣いのほとんどを投入して買い集めたそのコレクションも半端なものではありませんでした。
 本当に大切にしていましたから、もしかしたら今でもどこかに所蔵しているのではとも思われます。
 ・・・・もっとも、我が弟だけが特別オタクみたいだったわけでは断じてなく、当時の少年たちは皆同じ嗜好で連帯していたような気がします。
それだけ、少年漫画の世界の隆盛期で、生き生きと独創性に富んだ時代だったのかもしれません。発売日を心待ちにして、本屋さんに飛んで買いに行った嬉しそうな子供時代の弟の顔が今も懐かしく思い出されます。
 彼は気前がよかったので、自分が読み終わると必ず私にも見せてくれて、(こういう時には何をおいても、これに応えるべく、すぐ読まないわけにはゆかず)、読み終えるとここから延々と彼のレクチャーは始まり・・・門前の小僧で、お陰様で当時の女の子としては私はかなり少年漫画通だったのだと思われます。・・・よろしければ、昔、弟から伝授されたとびきりの知識の宝庫、いくらでもお話ししますが。・・・・
 でも、アトムに辿りつかなくなりそうですね。うんちくを傾けたい衝動をぐっと堪えて・・・。

 アトムの前身は、1951年に発表された「アトム大使」だそうですが、実際には1963年に日本初のテレビアニメとして放映されて以来、次々とテレビや映画で映像化されていますし、1981年に既に書籍の形での出版累計が一億冊を超えているということですので、想像を絶する桁違いのビッグな世界にアトムは居るわけです。
 
 登場人物設定や、アトムの持つ7つの威力や、アトムの活躍譚や・・・再び、うんちくを傾けたい衝動を更にぐっと抑え・・・。

 アトムの誕生にまつわるエピソードを。・・・ご存知ですか?
 まずはアトムのバースディーですが、2003年4月7日とされています。
 この誕生日が明らかにされているのは1966年の作品中ですので、当時としては40年ほど先の未来にアトム誕生を設定したのですね。
 手塚氏が亡くなられたのは1989年ですので、アトムの誕生日を生みの親として祝うことができなかったのはきっとどんなにか残念だったのではと思いますが、手塚氏が思い描いた未来社会にまさに今の私たちは生活しているわけですから、ちょっと不思議な気がしますね。

 ストーリーの中で、アトムを作ったのは天馬博士で(お茶の水博士ではありません)、天馬博士の一人息子の飛雄が幼くして交通事故で亡くなってしまい、それを悼んだ博士が、彼そっくりにアトムを作ったのでした。(当初はトビオと呼ばれていました。)人間とほぼ同等の感情と様々な能力を持つ優秀なロボットのトビオは、博士の本当の息子として大事に育てられたのですが、或る時、何年たっても人間のようには成長しないことに気づき、今更のように、「お前はトビオじゃない、人間じゃない、ただのロボットなんだ」と、アトムを責め、捨てる場面があったかと。
 そして、トビオはサーカスに売られ、アトムと名付けられ、やがてお茶の水博士に庇護されることとなり・・・と物語は続くのですが。
 ・・・この場面は弟と何度も読んだのですけれど、幼な心にアトムが可哀そうで可哀そうで、なんて切ない物語だろうと思った記憶があります。


 欧米人のロボットへの意識が、あくまでも人間のための道具、支配すべき武器であって、特別な感情移入はなされないのに対して、日本人のロボット観には、「からくり人形」などとの文化的つながりもあって、どこか憧れるような、人間と共存してゆくという親和的な意識が働いており、その結果、工場の組み立て用ロボットにまで愛称をつけたり、二足歩行ロボットの研究が日本でかなり盛んなのだということがよく言われています。
 また、現在の日本のロボット工学の研究者の方たちの中には、幼少期に「鉄腕アトム」に触れたことが技術者を志すきっかけとなった方も多くいると聞きます。
 前回、このブログでご紹介した支援型ロボット「パロ」なども、日本的、アトム的ベクトルの先にあるものと言えるのかもしれませんね。
 そして、今やアトムは世界的な認知度があるようですので、来るべき未来のロボット像の一つの重要なベースになっていると言っても過言ではないでしょう。
 
 そのアトムが出自において、天馬博士から、どんなに精密でも所詮ロボットだ。人間にはなり得ないと否定されたことは何か大変興味深い、人間とロボットとの関わりの重要なポイントを暗示しているように思われてなりません。
 
 やはり手塚先生は凄いなあ・・・と思ってしまいます。
 
 人の心に触れ合えるものは究極的には生身の人間でしかないのだという逆説的な真実を充分認識した上で、ロボットとの共存の在り方を考える時代になっているのではないかと、改めて考えさせられます。
 
 また、アトムの物語には、ロボット法というものが設定されており、この中で「ロボットは人間に服従しなければならない」とあって、これを巡って、アトムも敵役のロボットたちも様々に葛藤するのですが、このことも併せて大変興味深い問題を示唆しているように思います。


  絶対彼氏「ナイト」
 アトムのお話をしたので、もう一つ漫画がらみで。
 
 4年前の2008年に「絶対彼氏~完全無欠の恋人ロボット~」というテレビドラマが放映されていたのですが、ご覧になった方はいらっしゃいますか?
 渡瀬悠宇さんの少女漫画「絶対彼氏」という漫画をドラマ化した、まさに完璧な娯楽ドラマだったのですが、一度たまたまチャンネルを回したら映っていて、何となく観ていたら、奇想天外、愉快極まりないドラマで、笑っているうちにすっかり気分転換になったので、こういうのもたまには良いではないか…と、いつの間にか続けて最終回まで観てしまっていたドラマでした。

 元が漫画なので、本当にマンガチックなのです。
 梨衣子という主人公が、ひょんなことから怪しげなセールスマンから「理想の恋人ロボット」の購入を勧められ、それを注文するところから物語は始まります。
 初めは無料お試し期間で、一緒に過ごしてみて気に入ったら購入するという約束なのですが、これが、彼女が事前のアンケート調査に答えた理想の条件を全て満たした、完全無欠の恋人ロボットで、何一つ欠点がない。容姿端麗、性格は申し分なく、梨衣子を心から愛し尽くしてくれて、献身的にサポートしてくれる。・・・すべては精密なプログラムに組み込まれているわけなのですが。

 ドラマなので、色々な展開があるのですが、紆余曲折があって、初めは半信半疑、ロボットなんかと反感すらもっていた彼女が、この恋人ロボット「天城ナイト」と名付けられるのですが、彼の純粋この上ない性格と誠意にほだされ、魅かれるようになります。
 問題はここからで、プログラムで動いていた筈のナイトもまた、梨衣子を愛するあまり、プログラムを越えた自由な感情、本当に人間らしい熱い感情を持つように変化してくるのです。これはロボットとしては致命的な欠陥商品であり、その結果、ロボットの体?機械に変調をきたすようになって、ついには自滅への道を辿るという、可哀そうで、でも実に荒唐無稽な他愛ないお話ではあるのですが。
 この「絶対彼氏」は、<「あらゆる困難を乗り越え成就させてゆく純愛ドラマ」という少女マンガの王道が、ロボットと人間という意表を突いた設定の中で描かれている>ということもできるでしょう。
 でもロボットを人間のように愛することへの戸惑いや、ロボットは人間になれないことへの苦しみが、シンプルな物語の展開の中で伝わってきて、新しい時代の不条理をも示しているようで、やはり少しだけアトムの延長線上にあることを感じ、なかなか面白かったです。
 それに。・・・嘗て、私はこれに少し似た内容の訳詞を作ったことがあり、この詩をかなり気に入っていましたので。

 少し話が散漫になってしまいましたが、今日はこの辺で。
 次の機会に、その訳詞についてご紹介できたらと思っています。

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