
阪急電車の中で
一週間ほど前、梅田で所用を終え、京都河原町行きの阪急電車で帰路に向かったときのことです。
ピンクの文字で大きく女性専用と記されている車両に乗り込みました。

平日の昼下がり、殺気立った通勤電車の気忙しさとは違って、束の間の女性だけの空間に、ふんわりとした空気が流れていました。
一両だけ用意されているこの女性専用車両の中では、皆、少し無防備になって、それぞれが思い思いのことをしながら素の顔を見せているように感じます。

コンパクトを開いてお化粧直しをする人たち、10代の女の子の何人かはマスカラまで取り出して入念なメイクタイムを繰り広げています。
ごそごそとバックを広げて、おにぎりとかサンドイッチを頬張っている人たちも。
電車ランチでお腹を満たす人も明らかに普通車両より多いのではと思われます。
そしてひとしきりメールチェックなど済ますと午後の午睡。
そんな長閑で弛緩した空間なのですが、いつも大体2~3人の男性が乗り込んでいます。
周囲の女性たちは例外なくジロリと、或いはキッっと睨んで牽制するのですが、それでも禁制の場に足を踏み入れた罪には気付かず、彼らはしばらく平然と居続けます。
そのうち、何となく歓迎されていないムードを察知して、きょろきょろ見回すとドアにピンクの文字を発見、で、ばつが悪そうに隣の車両に移る男性が3人中2人の割合でしょうか。
その際、慌てふためいて荷物を抱え逃げるように去ってゆく人と、自分はそんなこと気にしていませんという風を装って敢えて次の駅まで席を立たず、降りるふりして車両を変わる男性とに分かれます。でも周りの女性たちはじっと全てを見ていて、少し勝ち誇ったみたいな目の動きをするんですね。
後一人は全然気づかず座り続けるタイプで、途中で廻ってくる車掌さんに注意されて恐縮したり合点がいかない不快感を表したりしながら、結局は退散してゆくというパターンです。
そんな女性専用車両に乗るのが私は結構好きなのですが、この日注目したのは男性ではなく10代後半から20代初め位の一人の女の子でした。
クリームパンの涙
服装もメイクもギャル風の弾けている雰囲気だったのですが、知り合いの女の子に顔立ちが良く似ていたので、乗り込んできた初めから、私は何となく彼女に注目していたのです。
彼女は、席に座ってしばらく俯いていましたが、そのうち傍目にもわかるような大粒の涙を流し始めました。
目頭を手で拭っても拭っても、とめどなく溢れてくるようです。
かすかな吐息のようでもあり、嗚咽をこらえるようでもあり、早い呼吸の中から押し殺したような泣き声が小さく間断なく聞こえてきました。
ずっと、涙は流れ続け、彼女は時折スマホを凝視し、同じ画面を何回も読み返します。
車両中の人の神経が彼女に注がれているのがひしひしと伝わってくるようでした。
彼女に起こった事情はもちろん衆人には分からないのですが、あまりにも悲しそうな呆然とした表情に、憐憫の思いが次第に広がってゆきます。
武士の情け、皆目を伏せて、気づかないふり、寝たふりをし始めています。
その時、彼女は、やおら、持っていたバックからコンビニの袋を取り出して、その中のパンを膝に置きました。
ビニールに入った、コンビニで売ってる普通のクリームパン。
ごそごそ、ビリビリっと破って、大きく口に頬張り始めました。
悲しい顔をして、涙も拭わないで、クリームパンをちぎりながらゆっくりゆっくり食べ続けていました。
隣の女性はさりげなく席を移り、彼女の回りには不思議な空間が生れていました。
スポットライトに照らされて、独り芝居のステージの真ん中にいるヒロインのようでした。
きっと大事な人と悲しい別れがあったのでしょう。恋人かもしれないし、そうでないかもしれない・・・。
彼女を巡る様々な物語が私の頭をよぎりました。
クリームパンを食べる彼女。
食べないではいられなかった彼女。
この日のクリームパンの味をきっと彼女はずっと忘れることはないのでしょう。
ノスタルジックなパンたち
幼い頃から我が家の朝食はパンでしたし、ずっと食べ続けても飽きないくらい好きですが、強烈に残っているパンの思い出というとすぐには浮かんできません。
朝のトーストを父はカリカリに焼くのが好きで、母は殆ど焼かずに柔らかいままを好んでいましたので、これが交代で朝の食卓に供せられていたことなど思い出します。ちなみに私は、二人の中間くらいの焼き具合が良いのではと密かに思っていました。
甘いものはあまり得意ではなかったので、ジャムパン、クリームパン等の菓子パンは実は殆ど食べなかったのです。
ふと思い出すパンのこと 四題。
もう80歳になられる恩師Y先生曰く。
「開通したばかりの新幹線の車内で売りに来たサンドウィッチ。
透けて見えそうな位薄いハムにキュウリも薄く挟まれていて、辛子バターが塗ってある、パンも薄くて食べた気がしない・・・僕にとってはあれこそがサンドウィッチの最高峰だ。最近のは贅沢になりすぎてつまらないよ」
小さい頃お母様が作って下さった通りの懐かしい味がしたのだそうです。
ワインが良く似合うダンディーな知人Tさん曰く。
「卵サンドが実は僕の大好物なのです。マヨネーズを大目にいれてたっぷりこぼれそうな卵を口いっぱいに頬張るのが良いですね」
これもお母様の手作りの味なのかしらとふと感じました。
次も男性、70歳を過ぎた穏やかな紳士Iさん曰く。
「子供の頃、毎日近くのパン屋さんが食パンを届けてくれましてね。
焼き立てで湯気が立ってるみたいに温かいのを兄弟揃って早速頬張るんです。
もちもちとして柔らかく、あのふわふわ感が何とも言えず美味しかった。パンの耳も別に持ってきてもらって、これはおやつに母がお砂糖をつけて揚げてくれたんですよ」
男性のノスタルジーは、おふくろの味と直結していることが多いようですね。
フランス語のクラスメート、年下の友人Eさん曰く。
「パンフリークなので、関西地区のパン屋さんは全て制覇しました。これから関東にも進出します。
パンは何か入っているおかずパンは邪道で、何と言ってもどんな粉を使っているかというのが勝敗の分かれ目。シンプルなパンが一番美味しいんですよ」
いつか一緒にパン食べ放題のお店に行ったら、底なしに美味しそうに食べて、小柄な体のどこにこんなに入るのかしらとびっくりしたことがありました。
彼女の作ったロールパンもクロワッサンも格別美味しかったのを思い出します。
阪急電車の余韻がまだ残っていて、クリームパンを久しぶりに買ってみました

グローブの形は昔から変わらないのですね。

カスタードはケーキみたいに美味しくなっていて、Y先生ならきっと、「これは昔の味じゃない」って言われるのではと思いました。
一週間ほど前、梅田で所用を終え、京都河原町行きの阪急電車で帰路に向かったときのことです。
ピンクの文字で大きく女性専用と記されている車両に乗り込みました。

平日の昼下がり、殺気立った通勤電車の気忙しさとは違って、束の間の女性だけの空間に、ふんわりとした空気が流れていました。
一両だけ用意されているこの女性専用車両の中では、皆、少し無防備になって、それぞれが思い思いのことをしながら素の顔を見せているように感じます。

コンパクトを開いてお化粧直しをする人たち、10代の女の子の何人かはマスカラまで取り出して入念なメイクタイムを繰り広げています。
ごそごそとバックを広げて、おにぎりとかサンドイッチを頬張っている人たちも。
電車ランチでお腹を満たす人も明らかに普通車両より多いのではと思われます。
そしてひとしきりメールチェックなど済ますと午後の午睡。
そんな長閑で弛緩した空間なのですが、いつも大体2~3人の男性が乗り込んでいます。
周囲の女性たちは例外なくジロリと、或いはキッっと睨んで牽制するのですが、それでも禁制の場に足を踏み入れた罪には気付かず、彼らはしばらく平然と居続けます。
そのうち、何となく歓迎されていないムードを察知して、きょろきょろ見回すとドアにピンクの文字を発見、で、ばつが悪そうに隣の車両に移る男性が3人中2人の割合でしょうか。
その際、慌てふためいて荷物を抱え逃げるように去ってゆく人と、自分はそんなこと気にしていませんという風を装って敢えて次の駅まで席を立たず、降りるふりして車両を変わる男性とに分かれます。でも周りの女性たちはじっと全てを見ていて、少し勝ち誇ったみたいな目の動きをするんですね。
後一人は全然気づかず座り続けるタイプで、途中で廻ってくる車掌さんに注意されて恐縮したり合点がいかない不快感を表したりしながら、結局は退散してゆくというパターンです。
そんな女性専用車両に乗るのが私は結構好きなのですが、この日注目したのは男性ではなく10代後半から20代初め位の一人の女の子でした。
クリームパンの涙
服装もメイクもギャル風の弾けている雰囲気だったのですが、知り合いの女の子に顔立ちが良く似ていたので、乗り込んできた初めから、私は何となく彼女に注目していたのです。
彼女は、席に座ってしばらく俯いていましたが、そのうち傍目にもわかるような大粒の涙を流し始めました。
目頭を手で拭っても拭っても、とめどなく溢れてくるようです。
かすかな吐息のようでもあり、嗚咽をこらえるようでもあり、早い呼吸の中から押し殺したような泣き声が小さく間断なく聞こえてきました。
ずっと、涙は流れ続け、彼女は時折スマホを凝視し、同じ画面を何回も読み返します。
車両中の人の神経が彼女に注がれているのがひしひしと伝わってくるようでした。
彼女に起こった事情はもちろん衆人には分からないのですが、あまりにも悲しそうな呆然とした表情に、憐憫の思いが次第に広がってゆきます。
武士の情け、皆目を伏せて、気づかないふり、寝たふりをし始めています。
その時、彼女は、やおら、持っていたバックからコンビニの袋を取り出して、その中のパンを膝に置きました。
ビニールに入った、コンビニで売ってる普通のクリームパン。
ごそごそ、ビリビリっと破って、大きく口に頬張り始めました。
悲しい顔をして、涙も拭わないで、クリームパンをちぎりながらゆっくりゆっくり食べ続けていました。
隣の女性はさりげなく席を移り、彼女の回りには不思議な空間が生れていました。
スポットライトに照らされて、独り芝居のステージの真ん中にいるヒロインのようでした。
きっと大事な人と悲しい別れがあったのでしょう。恋人かもしれないし、そうでないかもしれない・・・。
彼女を巡る様々な物語が私の頭をよぎりました。
クリームパンを食べる彼女。
食べないではいられなかった彼女。
この日のクリームパンの味をきっと彼女はずっと忘れることはないのでしょう。
ノスタルジックなパンたち
幼い頃から我が家の朝食はパンでしたし、ずっと食べ続けても飽きないくらい好きですが、強烈に残っているパンの思い出というとすぐには浮かんできません。
朝のトーストを父はカリカリに焼くのが好きで、母は殆ど焼かずに柔らかいままを好んでいましたので、これが交代で朝の食卓に供せられていたことなど思い出します。ちなみに私は、二人の中間くらいの焼き具合が良いのではと密かに思っていました。
甘いものはあまり得意ではなかったので、ジャムパン、クリームパン等の菓子パンは実は殆ど食べなかったのです。
ふと思い出すパンのこと 四題。
もう80歳になられる恩師Y先生曰く。
「開通したばかりの新幹線の車内で売りに来たサンドウィッチ。
透けて見えそうな位薄いハムにキュウリも薄く挟まれていて、辛子バターが塗ってある、パンも薄くて食べた気がしない・・・僕にとってはあれこそがサンドウィッチの最高峰だ。最近のは贅沢になりすぎてつまらないよ」
小さい頃お母様が作って下さった通りの懐かしい味がしたのだそうです。
ワインが良く似合うダンディーな知人Tさん曰く。
「卵サンドが実は僕の大好物なのです。マヨネーズを大目にいれてたっぷりこぼれそうな卵を口いっぱいに頬張るのが良いですね」
これもお母様の手作りの味なのかしらとふと感じました。
次も男性、70歳を過ぎた穏やかな紳士Iさん曰く。
「子供の頃、毎日近くのパン屋さんが食パンを届けてくれましてね。
焼き立てで湯気が立ってるみたいに温かいのを兄弟揃って早速頬張るんです。
もちもちとして柔らかく、あのふわふわ感が何とも言えず美味しかった。パンの耳も別に持ってきてもらって、これはおやつに母がお砂糖をつけて揚げてくれたんですよ」
男性のノスタルジーは、おふくろの味と直結していることが多いようですね。
フランス語のクラスメート、年下の友人Eさん曰く。
「パンフリークなので、関西地区のパン屋さんは全て制覇しました。これから関東にも進出します。
パンは何か入っているおかずパンは邪道で、何と言ってもどんな粉を使っているかというのが勝敗の分かれ目。シンプルなパンが一番美味しいんですよ」
いつか一緒にパン食べ放題のお店に行ったら、底なしに美味しそうに食べて、小柄な体のどこにこんなに入るのかしらとびっくりしたことがありました。
彼女の作ったロールパンもクロワッサンも格別美味しかったのを思い出します。
阪急電車の余韻がまだ残っていて、クリームパンを久しぶりに買ってみました

グローブの形は昔から変わらないのですね。

カスタードはケーキみたいに美味しくなっていて、Y先生ならきっと、「これは昔の味じゃない」って言われるのではと思いました。


