
今日は「ロボットミューラとマーガレット」訳詞への思い<4>の最終回です。
「ロボットミューラとマーガレット」その一 及び 「ロボットミューラとマーガレット」その二 から内容が続いていますので、もしまだお読みでない方、何が書いてあったっけ?という方は、遡ってご参照くださいね。
「ロボットミューラとマーガッレット」その三
訳詞への思い<4>
「ロボットミューラとマーガレット」
この訳詞を私が作ったのは2005年、今から6年前になる。
自分としてはこの曲はかなり気に入っていて、これまで、訳詞コンサートでも何回か歌っているので、聴き覚えて下さった方もおられるのではと思う。
さて、まずこの訳詞のタイトルについて。
「ロボットに名前があったのか?」ということだが、原詩のどこを探しても何も出ていない。
実は「ミューラ」という名は私が勝手に命名してしまった名前なので。
ロボット考2「パックボット」と「パロ」で記してみたような、この曲の中のロボットへの親和感から敢えて命名したくなったのかもしれないし、自分の中に、そういうアトム誕生の国の根強いDNAがあるためかもしれないとも思う。
訳詞の冒頭は次のようである。
ナノテクロボット 彼の名はミューラ
家事ならお任せ 何でも 何でも パーフェクト
掃除 洗濯 Eメール 美味しい料理を作り
赤ちゃんに子守歌 犬のロックに餌をやる
金属アームを振り上げて花びらを引きちぎったり、赤ちゃんの皮をむいたりする、乾いたハードな西洋的ロボットは、少なくとも私の日本的感覚においては、この童話のような物語にはそぐわない、どうもしっくりこないという気がして、・・・でもそこがフランスのシャンソンなのに、と言われると困るのだけれど、・・・・今回は、毒を抜いてかなり親しみのある可愛らしいイメージに徹してみた。
ロボットにはミューラ、犬にもロックと名付けたら、個性を持った人間的な顔が見えてきた。
それぞれの名前の由来には、個人的なこだわりと愛着が勿論充分にあるのだけれど、これは秘密・・・・。どうしても話したくなるまで、言わないで我慢することとする。
後半、ミューラはマーガレットがなぜ咲いているのか、知りたくなって花びらをそっと一枚だけ飲み込んでみる。・・・そうすると、異変が起こるわけだが。
この部分は、こう訳してみた。
プログラムが狂いだす スープに手紙を煮込んで
犬のロックに 子守歌 哺乳瓶でミルク
<好き 嫌い>
一枚ずつ 花びら ちぎって飲み込み
<好き 嫌い>
<好き 嫌い>・・・・突然 動かなくなった
前回の記事で触れた、原曲の対訳と比べていただけると明白なのだが、言葉も、全体の雰囲気も、かなり変えている。
例の、皮をむくことなどは勿論やめて、せっかく名前が出来たロックに、代わりにもう少し登場してもらうことにした。
5分の1のpassionnément (熱烈に)も却下して、日本的に、オーソドックスな2分の1の賭けで、ミューラに占ってもらうことにした。
いつも訳詞を手掛けるときの信条として私は、出来得る限り、原詩に忠実に、ニュアンスをそのまま伝えることを大切に、と考え、努力しているのだが、今回、この詩に関してはむしろかなり原詩から離れ、創作部分を多く取り入れてしまっている。
この原詩をそのまま読めば、フランス人ならおそらく感じるであろう、現代のメルヘンとしての面白さ、ロボットが恋をするという発想の意外性、可愛さは、忠実な対訳でフランス語をそのまま日本語に置き換えることでは、却って伝わらないのではと考えたためでもある。
また、自分としてのロボット像がかなり明確に浮かんできたので、それをこのメロディーに組み込んで、原詩のエッセンスだけを残してゆければと思ってしまったためもあるかもしれない。
訳詞はどうあるべきか、・・・・一筋縄ではゆかない難しさ、それゆえの面白さをいつも感じている。
ともあれ、この「ロボットミューラとマーガレット」は、これからもコンサートの中で歌ってゆきたい大好きな曲の一つである。
リアルな現実ではないけれど、結構切なくもあり、こんなシャンソン、こんな恋の歌があっても、また楽しいのではないかと思っている。
FIN
(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)
おまけの話 一昨年、ベネトンで、こんな絵のついたタンクトップを見つけました。
ああ、ミューラだ、と思って思わず買ってしまいました。
私の中ではミューラはこんなに、のほほんとした平和な顔をしたロボットなのです。
何となく勿体なくて、これまで箪笥にしまって時々、眺めていただけでしたが、今年は着てみようかなと思っています。


