
掌編『雨傘』
師走となりました。早いですね。
そして、12月16日の「雨の日の物語」までちょうど二週間、かなりハイテンションで過ごしています。
今回の『雨の日の物語』は「シャンソンと朗読の夕べ」シリーズの三回目となるのですが、初披露の曲を多く取り入れてみました。
どうしてもご紹介したくて、無謀にも、つい最近作詞とアレンジ譜が出来上がったばかりの曲まで入れてしまったのですが、どうぞお楽しみになさって下さいね。
そして朗読は、優しい感性が広がってゆくような掌編と詩を選んでみました。
雨のイメージを柔らかく煙るように伝えられたら、色々な雨を、聴く方たちの心に降らせることが出来たらなどと思っています。
その中の一編、川端康成の『雨傘』
ある少年と少女が、雨の日に写真館で記念写真を撮るという、それだけの、物語とも言えないくらいの小編で、束の間の感情の流露を捉えた淡い初恋のお話なのですが、文章と、発せられる一語一語が何とも言えず嫋(たお)やかで、川端文学の醍醐味を伝えるしっとりとした艶やかさに溢れている気がします。
何気なく朗読をしていても、仄かで隠微なエロティシズムのようなものをふっと感じて、読み込むほどにドキッとしてしまいます。

川端氏の作品の真骨頂は、耽美的で、生々しい危うい世界そのものなのかもしれないなどとも思いました。

小説の具体的な内容は今は明かしませんが、よろしかったら、この掌編が収められている『掌の小説』をお読みになってみて下さい。
今日は川端康成氏にまつわるお話しを少ししてみたいと思います。
逗子の海
私の実家は逗子、家から5分位で海に出ることが出来ます。
久しぶりに海岸を散歩してみました。
春霞がかかっているような茫洋とした海の光景です。
誰もいない初冬の海岸。向こうに稲村ケ崎、江の島。富士山は霞んでいます。

打ち上げられた流木。そして静かに寄せる波頭。ヨット。

夏の名残りのサーフボードが砂浜の景色に溶け込んでいます。
材木座から小坪浜、左側に逗子マリーナが見えます。
子供の頃から毎日のように海岸を散歩していました。
季節を映す風、光、空、潮騒、海の香り。

幼い頃の小坪浜は、本当に鄙びた漁村で、2月頃になると、ワカメ取りが始まるのですが、海岸に、一斉に作業小屋が立ち並び、大きな茹で釜でワカメを茹で上げ、それを洗濯物を干すように、ロープを張り、洗濯ばさみで挟んで砂浜いっぱいに天日干しする、その情景は圧巻でした。
いつの間にかその数もまばらとなったそんな情景。
浜辺に広がる強烈な海藻の香りが冬の風物詩そのもので、私の中の原風景でもあります。
向こうに見える逗子マリーナは実は川端康成氏が亡くなった場所でもあるのです。
川端氏は鎌倉に住んでいて、名士中の名士でしたから、訃報に地元は衝撃を受けました。私も子供心にショックだったことを思い出します。
川端氏の家に出入りしていたお魚屋さんや八百屋さんが、我が家にも御用聞きに来ていましたので、その生活ぶりなどを母は自然に耳にすることも多く、私たち家族ですら、どこかで親しみを持っていたためかもしれません。
朗読に、『雨傘』を取り上げるにあたり、他の小説も集中して読み返しているので、突然この海辺の風景に、そんな昔のことが蘇ってきました。
江ノ電での邂逅
邂逅と言っても一方的な思いなのですが。
川端氏の家は長谷にありました。

江ノ電=江の島電鉄は今は観光のスポットにもなって人気ですが、鎌倉と藤沢を繋ぐ、二両編成の路面電車です。
長谷は鎌倉寄りの江ノ電の駅、実は私、2回ほど江ノ電の中で川端氏に会ったことがあるのです。
最初は2月だったでしょうか。夕暮れ時、海が鴇(とき)色に染まっていました。
部活か何かの帰りらしく男子学生たちが沢山乗り合わせて、賑やかな話し声が響いていました。

満員の車両に長谷駅から川端氏が乗り込んできました。
よく写真で見かける通りの和服の着こなしでステッキを携え、確か防寒のコートを羽織っておられたかと思います。
小柄な方だったのですが、でも、車両は瞬時で、水を打ったように静まりました。
川端氏と皆が気づいたのかどうか、・・・でも眼光が異様とも言うほど鋭くて、真っ直ぐにすべてを透すような眼差しに独特のオーラが溢れていました。
近寄りがたい、冒すべからざる威光というか、そういう凄さだったのかもしれません。
席に座っていた男子学生たちは物も言わず一斉に立ち上がり、後ずさりした不思議な瞬間でした。
川端氏は、黙って何事もないように静かに片隅の席に腰かけました。
長谷から鎌倉までの、10分ほどのあの時間の静謐な空気を今でも忘れません。
私は・・・幼い頃から本の虫でしたから、既に川端氏の作品も読んでいましたので、本の見開きページで目にしていた作家が、本当に目の前にいることに大感激で、固唾を呑んで見入っていました。
圧倒される威厳は感じましたが、怖いとは思いませんでした。
むしろ何故か、寂しい感じが漂っていると思いました。あの感覚は何だったのかと今でも思います。
それから偶然なのですが、やはり江ノ電でもう一度同じような場面に遭遇し、その数日後(4月だったと思います)に、訃報を聞いたのです。
ですので、私にはいつまでも、川端氏は寂しさの中にいる人というイメージがあり、川端文学もそんなフィルター越しに読んできた気がするのです。
伊豆の踊子 ~天城の旅~
代表作の「伊豆の踊子」も好きな作品です。
作品の足跡を訪ねて、天城越えをする文学散歩をこれまで数知れず行ってきました。
嘗て教鞭を執っていた頃、長きにわたり文芸部の顧問をしていましたので、生徒たちを伴って、川端文学を訪ねる軌跡を辿ったその一環でした。

天城山を越える旅、4時間余り、かなり急な山道ですので、今でしたら、きつく感じるかもしれません。
旅するときは、いつも新年度に入る前の3月末、春休み。
山裾に雪の名残りが残っている頃、でも木々の芽はほころび始めて、枯れ枝も薄赤く色づき、天城峠の冷気が心地よく感じられる美しい季節でした。
主人公は、下田までの道を旅芸人一座と同行するのですが、その時、年端もいかない踊り子が、彼の事を噂します。
この場面の文章が私はとても好きなのです。
しばらく低い声がつづいてから踊り子の言うのが聞こえた。
「いい人ね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「本当にいい人ね。いい人はいいね。」
この物言いは単純であけっぱなしなひびきを持っていた。感情のかたむきをぽいと幼くなげだして見せた声だった。わたし自身にも自分をいい人だとすなおに感じることができた。晴れ晴れと目を上げ明るい山々をながめた。
川端康成への所感を、今日は取り留めなく綴ってみました。
師走となりました。早いですね。
そして、12月16日の「雨の日の物語」までちょうど二週間、かなりハイテンションで過ごしています。
今回の『雨の日の物語』は「シャンソンと朗読の夕べ」シリーズの三回目となるのですが、初披露の曲を多く取り入れてみました。
どうしてもご紹介したくて、無謀にも、つい最近作詞とアレンジ譜が出来上がったばかりの曲まで入れてしまったのですが、どうぞお楽しみになさって下さいね。
そして朗読は、優しい感性が広がってゆくような掌編と詩を選んでみました。
雨のイメージを柔らかく煙るように伝えられたら、色々な雨を、聴く方たちの心に降らせることが出来たらなどと思っています。
その中の一編、川端康成の『雨傘』
ある少年と少女が、雨の日に写真館で記念写真を撮るという、それだけの、物語とも言えないくらいの小編で、束の間の感情の流露を捉えた淡い初恋のお話なのですが、文章と、発せられる一語一語が何とも言えず嫋(たお)やかで、川端文学の醍醐味を伝えるしっとりとした艶やかさに溢れている気がします。
何気なく朗読をしていても、仄かで隠微なエロティシズムのようなものをふっと感じて、読み込むほどにドキッとしてしまいます。

川端氏の作品の真骨頂は、耽美的で、生々しい危うい世界そのものなのかもしれないなどとも思いました。

小説の具体的な内容は今は明かしませんが、よろしかったら、この掌編が収められている『掌の小説』をお読みになってみて下さい。
今日は川端康成氏にまつわるお話しを少ししてみたいと思います。
逗子の海
私の実家は逗子、家から5分位で海に出ることが出来ます。
久しぶりに海岸を散歩してみました。
春霞がかかっているような茫洋とした海の光景です。
誰もいない初冬の海岸。向こうに稲村ケ崎、江の島。富士山は霞んでいます。



打ち上げられた流木。そして静かに寄せる波頭。ヨット。

夏の名残りのサーフボードが砂浜の景色に溶け込んでいます。
材木座から小坪浜、左側に逗子マリーナが見えます。
子供の頃から毎日のように海岸を散歩していました。
季節を映す風、光、空、潮騒、海の香り。

幼い頃の小坪浜は、本当に鄙びた漁村で、2月頃になると、ワカメ取りが始まるのですが、海岸に、一斉に作業小屋が立ち並び、大きな茹で釜でワカメを茹で上げ、それを洗濯物を干すように、ロープを張り、洗濯ばさみで挟んで砂浜いっぱいに天日干しする、その情景は圧巻でした。
いつの間にかその数もまばらとなったそんな情景。
浜辺に広がる強烈な海藻の香りが冬の風物詩そのもので、私の中の原風景でもあります。
向こうに見える逗子マリーナは実は川端康成氏が亡くなった場所でもあるのです。
川端氏は鎌倉に住んでいて、名士中の名士でしたから、訃報に地元は衝撃を受けました。私も子供心にショックだったことを思い出します。
川端氏の家に出入りしていたお魚屋さんや八百屋さんが、我が家にも御用聞きに来ていましたので、その生活ぶりなどを母は自然に耳にすることも多く、私たち家族ですら、どこかで親しみを持っていたためかもしれません。
朗読に、『雨傘』を取り上げるにあたり、他の小説も集中して読み返しているので、突然この海辺の風景に、そんな昔のことが蘇ってきました。
江ノ電での邂逅
邂逅と言っても一方的な思いなのですが。
川端氏の家は長谷にありました。

江ノ電=江の島電鉄は今は観光のスポットにもなって人気ですが、鎌倉と藤沢を繋ぐ、二両編成の路面電車です。
長谷は鎌倉寄りの江ノ電の駅、実は私、2回ほど江ノ電の中で川端氏に会ったことがあるのです。
最初は2月だったでしょうか。夕暮れ時、海が鴇(とき)色に染まっていました。
部活か何かの帰りらしく男子学生たちが沢山乗り合わせて、賑やかな話し声が響いていました。

満員の車両に長谷駅から川端氏が乗り込んできました。
よく写真で見かける通りの和服の着こなしでステッキを携え、確か防寒のコートを羽織っておられたかと思います。
小柄な方だったのですが、でも、車両は瞬時で、水を打ったように静まりました。
川端氏と皆が気づいたのかどうか、・・・でも眼光が異様とも言うほど鋭くて、真っ直ぐにすべてを透すような眼差しに独特のオーラが溢れていました。
近寄りがたい、冒すべからざる威光というか、そういう凄さだったのかもしれません。
席に座っていた男子学生たちは物も言わず一斉に立ち上がり、後ずさりした不思議な瞬間でした。
川端氏は、黙って何事もないように静かに片隅の席に腰かけました。
長谷から鎌倉までの、10分ほどのあの時間の静謐な空気を今でも忘れません。
私は・・・幼い頃から本の虫でしたから、既に川端氏の作品も読んでいましたので、本の見開きページで目にしていた作家が、本当に目の前にいることに大感激で、固唾を呑んで見入っていました。
圧倒される威厳は感じましたが、怖いとは思いませんでした。
むしろ何故か、寂しい感じが漂っていると思いました。あの感覚は何だったのかと今でも思います。
それから偶然なのですが、やはり江ノ電でもう一度同じような場面に遭遇し、その数日後(4月だったと思います)に、訃報を聞いたのです。
ですので、私にはいつまでも、川端氏は寂しさの中にいる人というイメージがあり、川端文学もそんなフィルター越しに読んできた気がするのです。
伊豆の踊子 ~天城の旅~
代表作の「伊豆の踊子」も好きな作品です。
作品の足跡を訪ねて、天城越えをする文学散歩をこれまで数知れず行ってきました。
嘗て教鞭を執っていた頃、長きにわたり文芸部の顧問をしていましたので、生徒たちを伴って、川端文学を訪ねる軌跡を辿ったその一環でした。

天城山を越える旅、4時間余り、かなり急な山道ですので、今でしたら、きつく感じるかもしれません。
旅するときは、いつも新年度に入る前の3月末、春休み。
山裾に雪の名残りが残っている頃、でも木々の芽はほころび始めて、枯れ枝も薄赤く色づき、天城峠の冷気が心地よく感じられる美しい季節でした。
主人公は、下田までの道を旅芸人一座と同行するのですが、その時、年端もいかない踊り子が、彼の事を噂します。
この場面の文章が私はとても好きなのです。
しばらく低い声がつづいてから踊り子の言うのが聞こえた。
「いい人ね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「本当にいい人ね。いい人はいいね。」
この物言いは単純であけっぱなしなひびきを持っていた。感情のかたむきをぽいと幼くなげだして見せた声だった。わたし自身にも自分をいい人だとすなおに感じることができた。晴れ晴れと目を上げ明るい山々をながめた。
川端康成への所感を、今日は取り留めなく綴ってみました。


