
1月8日、今朝は、しめ縄、正月飾りなど外しました。
年賀状も一段落して、段々と日常が戻ってきますね。
ふと気づくと、コンサートまで一週間を切っています。
気合を入れ直して、またまた臨戦態勢に突入。
筋力も声も一日訓練を怠ると、その分弛緩していくと、よく言われますが、お正月を免罪符にして過ごした私には、身に染みる言葉です。
自戒と自浄への想いを持って、気を引き締めて過ごしてゆかなければ。
お年賀状の中に、何通か封書がありました。
その中から二通、その一部をご紹介したいと思います。
共に美しい自筆のお手紙で、心に深く残りました。
その一 手漉き和紙に記された『宝袋の口上』
年末に親しい知人から素敵なプレゼントが届きました。
永年の学究生活に一区切りを付けられ、現在、自然の中で悠々自適の生活を謳歌していらっしゃる尊敬する先輩。
大きな袋一杯に詰まった六つの贈り物の添え状に「六福」とありました。
ご自身で作られた手漉きの和紙にインクの文字で、それぞれの品物の「口上」がユーモアを交えて記されていました。
ご自宅の栗の実の渋皮煮。
大きく立派な栗が柔らかくほんのりと上品な甘味と共に口に広がりました。
形の良い、見るからに美味しそうな干し柿。
昔、田舎の大叔母が軒先に吊るしていた干し柿の懐かしい思い出が蘇ります。
大叔母が作ってくれる干し柿が一番美味しいと信じて疑わなかった子供の頃のあの味ととても良く似ていました。
喉の為、風邪予防の為と、贈って下さった生姜湯。
ご自身の畑で丹精込めて収穫したニンニク。
・・・・etc・・・ etc・・・
「七福神、七番目の福は新しい年になったら届きます!」
<福は続いてゆく>という洒脱で温かい言葉でした。
年末にお出ししたお礼状への再びのご返信=新年の封書には次のような言葉がありました。
「私は季節の折々毎にそれを感じ取れる事々を、それは毎年くり返されることではありますが大切にしようと思っています。」
その二 『発酵の歳月』 ~ブログが結んでくれた素敵な邂逅~
元々はこのブログでご縁が結ばれた方なのですが。
ご自身もシャンソンをお歌いになっていらっしゃって、偶然、私のブログをお読みになり、コンサートにいらして下さったのがきっかけでした。
お手紙の典雅な文字と、情感のこもった、そして歌への真っ直ぐな想いが伝わってくる素敵な文章に心を打たれて、折に触れてお便りを交わす間柄になりました。
しばらく体調を崩していらっしゃったとのこと、とても心配です。
早くご本復なさいますように。
肝胆相照らし、いつしか音楽や歌について想いを交わし合っているのですが、私が「歌うことには発酵の歳月が必要」と記したことに対してのお返事が新春のお便りに寄せて届きました。
こんな風に記して下さったお手紙、訳詞について、音楽について共感し考えるところが沢山ありましたので、その一部分だけでもご紹介させて頂こうと思います。
・・・・・・・
お手紙に「歌うことには発酵の歳月が必要である」とありましたが本当にそう思います。
ただ歌うだけではなく、その楽曲を表現するという点においては熟成させる時間が確かにとても大切なのではと思います。それではどうやって熟成させて行ったらよいのか、考えるととても悩みます。
詞を読み込むこと、原曲を繰り返し聴くこと、そして人様の前で歌うこと、他にもまだあるのでしょうね。
そして、同じ曲でも若い方と年輪を重ねた方が歌う場合(同一の歌詞で)時々違和感を覚えることもあります。
歌いたいなと思っても、あまりに若い感覚の歌詞だと何だか無理しているみたいで。自然に聞き手に届けられる日本語詞があればと・・・。
いつの時代でも、変わりないことや人生の歌が好きなのは年齢に関係なく歌えるからでしょうか。
作詞者、作曲者、そして訳詞者に思いを寄せながら、自分の人生をくぐらして、その歌を表現するということなのでしょうか。
自分の人生の中で、発酵させ熟成させてゆく作業は永遠に続くのかもしれません。
・・・・・・・・
歌うということのご自身にとっての意味をいつも真摯に見つめて、そして、言葉を大切に歌うことを心にしっかりと受け止めていらっしゃる、そういう観点から、私の訳詞創りの意味にも深い理解を示して下さることに、勇気付けられ、強い感銘を受けます。
発酵させ、熟成させ続けてゆくということは、実は歌うことだけに留まらず、誰にとっても、生きてゆくことそのものに関わる本質的な命題でもあるのでしょうね。
こうした日々の中で、素敵な方々と出会うことが出来ることに心から感謝しますし、それにお応えできるように、しっかり励んでいかなければと改めて思います。
新年の幕開けの素敵なお便りを今日はご紹介してみました。
年賀状も一段落して、段々と日常が戻ってきますね。
ふと気づくと、コンサートまで一週間を切っています。
気合を入れ直して、またまた臨戦態勢に突入。
筋力も声も一日訓練を怠ると、その分弛緩していくと、よく言われますが、お正月を免罪符にして過ごした私には、身に染みる言葉です。
自戒と自浄への想いを持って、気を引き締めて過ごしてゆかなければ。
お年賀状の中に、何通か封書がありました。
その中から二通、その一部をご紹介したいと思います。
共に美しい自筆のお手紙で、心に深く残りました。
その一 手漉き和紙に記された『宝袋の口上』
年末に親しい知人から素敵なプレゼントが届きました。
永年の学究生活に一区切りを付けられ、現在、自然の中で悠々自適の生活を謳歌していらっしゃる尊敬する先輩。
大きな袋一杯に詰まった六つの贈り物の添え状に「六福」とありました。
ご自身で作られた手漉きの和紙にインクの文字で、それぞれの品物の「口上」がユーモアを交えて記されていました。
ご自宅の栗の実の渋皮煮。
大きく立派な栗が柔らかくほんのりと上品な甘味と共に口に広がりました。
形の良い、見るからに美味しそうな干し柿。
昔、田舎の大叔母が軒先に吊るしていた干し柿の懐かしい思い出が蘇ります。
大叔母が作ってくれる干し柿が一番美味しいと信じて疑わなかった子供の頃のあの味ととても良く似ていました。
喉の為、風邪予防の為と、贈って下さった生姜湯。
ご自身の畑で丹精込めて収穫したニンニク。
・・・・etc・・・ etc・・・
「七福神、七番目の福は新しい年になったら届きます!」
<福は続いてゆく>という洒脱で温かい言葉でした。
年末にお出ししたお礼状への再びのご返信=新年の封書には次のような言葉がありました。
「私は季節の折々毎にそれを感じ取れる事々を、それは毎年くり返されることではありますが大切にしようと思っています。」
その二 『発酵の歳月』 ~ブログが結んでくれた素敵な邂逅~
元々はこのブログでご縁が結ばれた方なのですが。
ご自身もシャンソンをお歌いになっていらっしゃって、偶然、私のブログをお読みになり、コンサートにいらして下さったのがきっかけでした。
お手紙の典雅な文字と、情感のこもった、そして歌への真っ直ぐな想いが伝わってくる素敵な文章に心を打たれて、折に触れてお便りを交わす間柄になりました。
しばらく体調を崩していらっしゃったとのこと、とても心配です。
早くご本復なさいますように。
肝胆相照らし、いつしか音楽や歌について想いを交わし合っているのですが、私が「歌うことには発酵の歳月が必要」と記したことに対してのお返事が新春のお便りに寄せて届きました。
こんな風に記して下さったお手紙、訳詞について、音楽について共感し考えるところが沢山ありましたので、その一部分だけでもご紹介させて頂こうと思います。
・・・・・・・
お手紙に「歌うことには発酵の歳月が必要である」とありましたが本当にそう思います。
ただ歌うだけではなく、その楽曲を表現するという点においては熟成させる時間が確かにとても大切なのではと思います。それではどうやって熟成させて行ったらよいのか、考えるととても悩みます。
詞を読み込むこと、原曲を繰り返し聴くこと、そして人様の前で歌うこと、他にもまだあるのでしょうね。
そして、同じ曲でも若い方と年輪を重ねた方が歌う場合(同一の歌詞で)時々違和感を覚えることもあります。
歌いたいなと思っても、あまりに若い感覚の歌詞だと何だか無理しているみたいで。自然に聞き手に届けられる日本語詞があればと・・・。
いつの時代でも、変わりないことや人生の歌が好きなのは年齢に関係なく歌えるからでしょうか。
作詞者、作曲者、そして訳詞者に思いを寄せながら、自分の人生をくぐらして、その歌を表現するということなのでしょうか。
自分の人生の中で、発酵させ熟成させてゆく作業は永遠に続くのかもしれません。
・・・・・・・・
歌うということのご自身にとっての意味をいつも真摯に見つめて、そして、言葉を大切に歌うことを心にしっかりと受け止めていらっしゃる、そういう観点から、私の訳詞創りの意味にも深い理解を示して下さることに、勇気付けられ、強い感銘を受けます。
発酵させ、熟成させ続けてゆくということは、実は歌うことだけに留まらず、誰にとっても、生きてゆくことそのものに関わる本質的な命題でもあるのでしょうね。
こうした日々の中で、素敵な方々と出会うことが出来ることに心から感謝しますし、それにお応えできるように、しっかり励んでいかなければと改めて思います。
新年の幕開けの素敵なお便りを今日はご紹介してみました。


