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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

「京の冬の旅」 その二 幕末の足跡

 お待たせ致しました。
 前回の記事「京の冬の旅」その一 序章の続きです。

   「清水寺成就院」~西郷隆盛と月照上人
 前回は観光バスに乗り込んだところまで、お話ししましたね。
 バスは最初の観光スポット、東山にある「音羽山 清水寺 成就院」に向かいました。

 産寧坂(さんねんざか)駐車場で下車、ここから清水寺へ向かう急坂を上るのですが、一年中大変な人だかり、京都中で、或いは日本の観光地の中で、一番人口密度が高いのではと思ってしまいます。
 そして今や日本語を凌駕し、様々な外国語がテンション高く飛び交ってもいます。
 バスの仲間たちはその熱気に押されて、黙々と清水坂を歩き続けました。

 やがて清水寺に到着。
 仁王門、西門、三重塔、その奥に清水の舞台も見え隠れしています。
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 着物姿の女性も目に立ちますが、京都でのこの数年のレンタル着物の流行はすっかり定着してきて、海外からの観光客も着物を着て街を歩き、記念撮影するのが常道になっています。最初は派手な柄や色彩などに驚いたものの・・もう目は慣れています。

 桜の枯れ枝も赤味を帯びてきて、あと少しで花の季節ですね。
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トランペット100人の演奏をする西門の化粧直しももう終わり、朱塗りの門が鮮やかに目に飛び込みます。

何を見ても6月21日に繋がり・・・。


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目的地の「成就院」に到着。

この日、ツアーで巡ったお寺は全て室内外撮影禁止でしたので、写真でご紹介できず残念です。
(音楽の祭日の打ち合わせのときの記事をご覧下さい。)

 高台寺山を借景とした「成就院」の庭園は、古来より「雪月花の三名園」の一つ“月の庭”と称されており、国の名勝に指定されています。「成就院」は、幕末の勤王僧として知られた月照上人とその実弟、信海上人が住職を務めたことで知られるほか、西郷隆盛や近衛忠煕(このえただひろ)らが集まって密談が行われたとも言われます。今回は、安政の大獄で幕府から追われた西郷隆盛と月照上人が、鹿児島湾で入水した時に身に付けていたとされる衣や、月照、信海両上人の木像などの寺宝も展示されます。

 上記観光案内の解説にある、小堀遠州作の「月の庭」、どこまでも続いているように見えますが、実は広さ自体はそれほどではなく、周囲の山を借景に取り込み、遠近法も巧みに取り入れて、広がりを演出していることがよくわかりました。
 そして「月の庭」と銘打っているにもかかわらず、縁先に廂(ひさし)が大きく伸びているため、見上げても月を見ることはできません。
 月は直接眺めるものではなく、庭の中心にある池に、月が映るのを楽しむのだとのこと、古の都人の観月とはかくあるもの、幽玄な、まさに陰翳礼賛の日本の美学だと感じ入ってしまいました。

 すでに幕府方に、その行動を危険視されていた月照上人は、安政の大獄で、京都を追われ、鹿児島、薩摩藩に身を置きますが、西郷隆盛と共に、島流しされます。その途中、死を覚悟した二人は、錦江湾に身を投げます。月照上人、享年46歳。その弟である信海上人も捕えられ、獄死したと伝えられます。西郷隆盛は、一命を取り留め、その後、薩摩に戻され、幕府打倒へと、その力を注ぎます。

 西郷隆盛と月照上人の着物は、私が想像の中で描いていたものとは違って、サイズも普通、柄も普通で、今でもそのまま着ることが出来そうな、あまりにもあたり前すぎるように思われました。
 歴史に思いを馳せているうちに、身に着けていた衣までもがどこか特別でなければならないと思い込んでいたのでしょうか。
 西郷さんも月照上人も、血肉の通った一人の人間で、今という時間の流れを遡って存在していたのだと、そのことが妙に生々しく思われ、遠い歴史の彼方に居た人に急に引き寄せられた気がしました。

 <今という時間、今居る場所は長い歴史の中のただの一点に過ぎないけれど、でも確実に人が受け渡してきた時間の延長上に人間の存在がある>という、当然のことが身に迫って感じられる感覚、大仰な言い方をすれば、最近友人と話したプルーストの『失われた時を求めて』を彷彿とさせられるような感覚とでも言えるでしょうか
 プルーストが語る「人間は超時間的存在である」ということと、歴史を丹念に辿ってみることとは一見対極にあるように思われますが、実は同じなのではないかという奇妙な実感です。

 飛躍するのですが、少しぼんやりとした頭で、3カ月半後には、ここで座談会が行われ、自分もその中に居るのだと思っていました。

 さて、そうこうしているうちにお昼。
産寧坂の途中にある日月庵というお店で、皆で懐石弁当を頂いた後、午後の部へと移りました。
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 お店の坪庭に咲いていた赤い椿と花桃が鮮やかに春を彩っています。

   「宝鏡寺」~皇女ゆかりの寺
 臨済宗の尼門跡寺院である宝鏡寺は、歴代の皇女が住職を務めた由緒ある寺院。天皇から贈られた人形や襖絵に、気品が漂う。
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 地元では「人形の寺」とも呼ばれる、人形供養で有名なお寺です。
 私も以前、奥深くずっと仕舞い込んでいた雛人形を、さんざん迷った挙句、思い切ってこのお寺に納めたことがありました。
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 この時期は「春の人形展」が開催されていて、孝明天皇遺愛の人形や、宮中から贈られた雛人形などが展示されて雅やかな雰囲気を伝えていました。

この「宝鏡寺」が「幕末・維新の歴史を訪ねて」のツアーコースに含まれているのは、公武合体の為、徳川家に降嫁された皇女和宮に縁の深い寺社であったからで、和宮の遺品の数々が今もそのまま残されていて、この動乱の時代に巻かれ数奇な運命を辿った彼女の姿を彷彿とさせていました。

   「常林寺」~海舟が愛した庵
 通称「萩の寺」で知られる「京の冬の旅」初公開の「常林寺」では、勝海舟が常宿にしていたという書院が特別公開される。本堂のきらびやかな仏像や天井絵も必見。
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 戊辰戦争時に幕府代表として西郷隆盛と会談し「江戸城無血開城」を成し遂げた勝海舟が京都での常宿とし、時には坂本龍馬も逗留したという、それぞれの部屋が公開されていました。
 陽の深く射す明るく清楚な客間でしたが、どこか田舎の親戚の家に泊まりに来たような和やかな気安さも漂っていて、都の豪奢な設えとも、幕末の緊迫した世界とも、無縁のまま時が流れているという印象を受けました。
 「萩の寺」もさることながら、地元では「世継ぎ子育て地蔵尊」として人気のあるお寺でもあります。
 質実剛健で下町江戸っ子気質の海舟が、束の間、寛いで逗留できた場所だったのでしょう。

 観光コースは後一つ、「東福寺即宗院」を残すのみとなりました。
 でも、長くなりましたので、ここでまた一休み。
 今度はすぐに続きを掲載致しますね。
 今回の見学を通して、特に強く、西郷隆盛、そして幕末・維新の空気を感じることが出来た場所でしたので、更に気合を入れてご報告したいと思います。どうぞお楽しみに。



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