
前回の記事、 美味探訪~レモン トパーズ色の香気~ にこのようなcommentをいただきました。
そういえば今年初めて檸檬酒なるものを作りました。
作り方は簡単でお砂糖&良く洗った檸檬&ホワイトリカーを瓶にいれてねかすだけで
す!!3ケ月もすれば飲めるとか!!ついでに梅酒もつくりました。余り飲めないの
ですが---ママ友達が楽しみにしてるから飲んでいただこうかな---!
青々とした新緑に雨が降り続ける6月のこの季節を、青梅雨(あおつゆ)などと呼ぶこともありますが、まさに梅の実が青く実る季節でもありますね。
Commentへのお返事に代えて、梅酒について浮かんでくることを今日は少しお話ししようかなと思います。
* * * *
レモンについての前回の記事の中で、高村光太郎の『レモン哀歌』をご紹介しましたが、やはり光太郎の詩集『智恵子抄』の中に、『梅酒』という詩があります。
梅酒 高村光太郎
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱(よど)んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀(こはく)の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺(のこ)していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲(かなしみ)に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かを)りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤(きょうらんどとう)の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。
切ない詩ですよね。
或る日、光太郎は、台所の片隅に智恵子が自分のために作っておいてくれた10年物の梅酒の瓶を見つけるのですね。
『智恵子抄』は、精神の病に冒されて亡くなっていく愛妻、智恵子との日々を綴った詩集ですが、この詩は、もうそういう怒涛のような時間が通り過ぎてしまった後の喪失感の中で、亡妻への思いがしみじみと描かれています。
琥珀色の梅酒の、豊潤な香りを愛しみながら、杯を傾ける光太郎の姿が見えてくるようです。
この詩を知った中学生の頃から、私にとって、<梅酒>はどこか神聖でポエティカルな飲み物のイメージがあるのです。
* * * *
梅酒を毎日飲むと健康に良いという情報をどこかで耳にして、父が或る日、「我が家でも梅酒を作ろう」と言い出したのは私が小学校に入る頃だったでしょうか?
それ以来かなり長い間、母は毎年ずっと梅酒を作り続けていました。
(いつの頃かぱったりと止めてしまいましたが。)
当時余り体が丈夫ではなかった母に、夏は夏バテ防止、冬は冷え改善の効果があるという梅酒を、という父なりの愛情だったのかもしれませんが、何よりも、父はお酒の中で熟成した甘酸っぱく溶けそうな梅の実を瓶から取り出して食べるのが楽しみだったようです。
梅干しやお漬物など、面倒がって漬けることのなかった母が、青梅を丁寧に広げて干すところからかなり本格的に梅酒を作っていたのは、今思うと不思議なのですが(毎年いくつもの大きな瓶にかなりな量を仕込んでいました)、母の梅酒はなかなか本格的で絶品だと色々な方が褒めてくださっていたようです。
忘れもしません。我が家の初梅酒体験のこと。
初めの年に作った梅酒、・・・・仕込んでから、一年間寝かせてさあ解禁という、何かの除幕式のセレモニーのように、恭しく瓶を開ける父を真面目な顔で私と弟は見守っていました。
出来が良く大成功だったのですが、梅酒はお酒ではなく養命酒みたいな薬?!という観念が、父にはどこかに根強くあったらしく、あろうことか、私たち子供もご相伴する事となり・・・・勿論それまでアルコールを口にすることなどなかったのですが、・・・今思えば、ほんの数滴ほどを氷と水で薄めた、もしかしたら少しだけ甘酸っぱいかな?と思うくらいのものだったのですが、・・・それでも梅酒はアルコール・・・てきめんで・・・小学生の私は、頭が熱くなりその夜は覚醒した感じで全然眠れませんでした。幼稚園児の弟は陽気になって騒ぎ始め・・・・ それからは皆で懲りて、子供にとっては、長きにわたり眺めるだけの禁断の飲み物となったのでした。

それから程なく我が家では、梅酒は、三年間寝かせると美味しいという・・・??な法則が出来て、台所の梅酒保管場所に、いつも梅酒が必ず何瓶か、甕(かめ)みたいな大きな瓶に入って、三年目のご開帳を待つことになったのです。
* * * *
数年前でしたか、或る日母から電話があり「いつのかわからない古~~~い梅酒が出てきたのだけれど」と言うのです。
それで、見に行ってみますと、なるほど・・・・納戸の中に昔懐かしい甕(かめ)状の大きな瓶に入った梅酒が二瓶ありました。
よくよく見てみると、包んであった古びた新聞紙の日付けが、17年前のもので、どうやらこの頃に仕込んだものなのではと推測されるのです。
皆で茫然と見つめ、どうしたものかという事になりました。
父と母は、置き去りにされた梅酒は、誰のせいなのか、という責任追及に走りそうな雰囲気だったのですが、落ち着いて考えてみますと、どうも、嘗て転居した際にまとめた荷物を、荷解きをするまでの間という事で新しい納戸に保管して、そのまま忘れてしまっていたようなのです。
まず、瓶の蓋を開けるのも、一苦労・・・糖分が結晶化して瓶の縁にこびりついてしまっていて大変でした。
『梅酒』の詩ではありませんが、こちらは<17年の重み>です。
で、本当に「どんより澱んで光を葆み」で、濃い琥珀色の、梅の実が半ば溶けだしたような・・良く言えば深いコクが見られ、・・・要するにさらっとした液体ではなく、何か近寄りがたい不思議な雰囲気を醸し出しているのです。
これは果たして、飲めるのか、飲めないのか、捨てるべきか捨てざるべきか、という話になったのですが。
色々調べてみると、
「梅酒は寝かせれば寝かせるほど、熟成され味わい深くなってくる。」
「本当に価値のある梅酒は10年物で、本当の通はそういうものを味わうのだ」「家庭でも上手に管理すれば10年物を作ることも可能」
などと記されているのですが、10年ぐらいは大丈夫です!と書いてあっても、ではどこまでがリミットなのかは全く分からないのです。無制限なのでしょうか?
酒豪の知人にも、顔見知りの酒屋さんにも、念のため聞いてみたのですが、皆「たぶん大丈夫!」とは言うものの、納得のいく充分な解答は得られず・・・保管が良ければ、結構長いこと大丈夫らしい・・・濁りが出ていなければお腹を壊したりしない筈・・・などという怪しげなところ止まりでした。
結局、
* 貯蔵庫のようなところできちんと保管していたのではなく、あちらこちら運び回した末、ただ失念していたということ。
* 濁りがあるのかないのか、よく判断できない状態であること。
* 梅酒を飲まない生活をもう長くしてきているのだから、今更リスクを冒してまで挑戦する必要はないだろうということ。
で、捨てたのでした。(お粗末な顛末でした。)
長いこと共に側にあったものと離れる時は、誰しも、どことなく執着心が湧くものですが、この小さな梅酒騒動にも、つかの間、昔の思い出や、忘れていたとはいえ、17年間の月日が籠っている気がして、家中にいつまでも、 甘い果実酒の香りを放つ梅酒を捨てながら、「もしかしたらとても美味しくなっていたのかもしれないのに。ごめんなさい」と心で呟いたのでした。
* * * *
今日は取りとめなく梅酒の思い出話をしてしまいました。
ハンドルネームすずろさん、commentありがとうございました。
檸檬酒も梅酒も、美味しく出来上がると良いですね。
そういえば今年初めて檸檬酒なるものを作りました。
作り方は簡単でお砂糖&良く洗った檸檬&ホワイトリカーを瓶にいれてねかすだけで
す!!3ケ月もすれば飲めるとか!!ついでに梅酒もつくりました。余り飲めないの
ですが---ママ友達が楽しみにしてるから飲んでいただこうかな---!

青々とした新緑に雨が降り続ける6月のこの季節を、青梅雨(あおつゆ)などと呼ぶこともありますが、まさに梅の実が青く実る季節でもありますね。
Commentへのお返事に代えて、梅酒について浮かんでくることを今日は少しお話ししようかなと思います。
* * * *
レモンについての前回の記事の中で、高村光太郎の『レモン哀歌』をご紹介しましたが、やはり光太郎の詩集『智恵子抄』の中に、『梅酒』という詩があります。
梅酒 高村光太郎
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱(よど)んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀(こはく)の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺(のこ)していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲(かなしみ)に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かを)りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤(きょうらんどとう)の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。
切ない詩ですよね。
或る日、光太郎は、台所の片隅に智恵子が自分のために作っておいてくれた10年物の梅酒の瓶を見つけるのですね。
『智恵子抄』は、精神の病に冒されて亡くなっていく愛妻、智恵子との日々を綴った詩集ですが、この詩は、もうそういう怒涛のような時間が通り過ぎてしまった後の喪失感の中で、亡妻への思いがしみじみと描かれています。
琥珀色の梅酒の、豊潤な香りを愛しみながら、杯を傾ける光太郎の姿が見えてくるようです。
この詩を知った中学生の頃から、私にとって、<梅酒>はどこか神聖でポエティカルな飲み物のイメージがあるのです。
* * * *
梅酒を毎日飲むと健康に良いという情報をどこかで耳にして、父が或る日、「我が家でも梅酒を作ろう」と言い出したのは私が小学校に入る頃だったでしょうか?
それ以来かなり長い間、母は毎年ずっと梅酒を作り続けていました。
(いつの頃かぱったりと止めてしまいましたが。)
当時余り体が丈夫ではなかった母に、夏は夏バテ防止、冬は冷え改善の効果があるという梅酒を、という父なりの愛情だったのかもしれませんが、何よりも、父はお酒の中で熟成した甘酸っぱく溶けそうな梅の実を瓶から取り出して食べるのが楽しみだったようです。
梅干しやお漬物など、面倒がって漬けることのなかった母が、青梅を丁寧に広げて干すところからかなり本格的に梅酒を作っていたのは、今思うと不思議なのですが(毎年いくつもの大きな瓶にかなりな量を仕込んでいました)、母の梅酒はなかなか本格的で絶品だと色々な方が褒めてくださっていたようです。
忘れもしません。我が家の初梅酒体験のこと。
初めの年に作った梅酒、・・・・仕込んでから、一年間寝かせてさあ解禁という、何かの除幕式のセレモニーのように、恭しく瓶を開ける父を真面目な顔で私と弟は見守っていました。
出来が良く大成功だったのですが、梅酒はお酒ではなく養命酒みたいな薬?!という観念が、父にはどこかに根強くあったらしく、あろうことか、私たち子供もご相伴する事となり・・・・勿論それまでアルコールを口にすることなどなかったのですが、・・・今思えば、ほんの数滴ほどを氷と水で薄めた、もしかしたら少しだけ甘酸っぱいかな?と思うくらいのものだったのですが、・・・それでも梅酒はアルコール・・・てきめんで・・・小学生の私は、頭が熱くなりその夜は覚醒した感じで全然眠れませんでした。幼稚園児の弟は陽気になって騒ぎ始め・・・・ それからは皆で懲りて、子供にとっては、長きにわたり眺めるだけの禁断の飲み物となったのでした。

それから程なく我が家では、梅酒は、三年間寝かせると美味しいという・・・??な法則が出来て、台所の梅酒保管場所に、いつも梅酒が必ず何瓶か、甕(かめ)みたいな大きな瓶に入って、三年目のご開帳を待つことになったのです。
* * * *
数年前でしたか、或る日母から電話があり「いつのかわからない古~~~い梅酒が出てきたのだけれど」と言うのです。
それで、見に行ってみますと、なるほど・・・・納戸の中に昔懐かしい甕(かめ)状の大きな瓶に入った梅酒が二瓶ありました。
よくよく見てみると、包んであった古びた新聞紙の日付けが、17年前のもので、どうやらこの頃に仕込んだものなのではと推測されるのです。
皆で茫然と見つめ、どうしたものかという事になりました。
父と母は、置き去りにされた梅酒は、誰のせいなのか、という責任追及に走りそうな雰囲気だったのですが、落ち着いて考えてみますと、どうも、嘗て転居した際にまとめた荷物を、荷解きをするまでの間という事で新しい納戸に保管して、そのまま忘れてしまっていたようなのです。
まず、瓶の蓋を開けるのも、一苦労・・・糖分が結晶化して瓶の縁にこびりついてしまっていて大変でした。
『梅酒』の詩ではありませんが、こちらは<17年の重み>です。
で、本当に「どんより澱んで光を葆み」で、濃い琥珀色の、梅の実が半ば溶けだしたような・・良く言えば深いコクが見られ、・・・要するにさらっとした液体ではなく、何か近寄りがたい不思議な雰囲気を醸し出しているのです。
これは果たして、飲めるのか、飲めないのか、捨てるべきか捨てざるべきか、という話になったのですが。
色々調べてみると、
「梅酒は寝かせれば寝かせるほど、熟成され味わい深くなってくる。」
「本当に価値のある梅酒は10年物で、本当の通はそういうものを味わうのだ」「家庭でも上手に管理すれば10年物を作ることも可能」
などと記されているのですが、10年ぐらいは大丈夫です!と書いてあっても、ではどこまでがリミットなのかは全く分からないのです。無制限なのでしょうか?
酒豪の知人にも、顔見知りの酒屋さんにも、念のため聞いてみたのですが、皆「たぶん大丈夫!」とは言うものの、納得のいく充分な解答は得られず・・・保管が良ければ、結構長いこと大丈夫らしい・・・濁りが出ていなければお腹を壊したりしない筈・・・などという怪しげなところ止まりでした。
結局、
* 貯蔵庫のようなところできちんと保管していたのではなく、あちらこちら運び回した末、ただ失念していたということ。
* 濁りがあるのかないのか、よく判断できない状態であること。
* 梅酒を飲まない生活をもう長くしてきているのだから、今更リスクを冒してまで挑戦する必要はないだろうということ。
で、捨てたのでした。(お粗末な顛末でした。)
長いこと共に側にあったものと離れる時は、誰しも、どことなく執着心が湧くものですが、この小さな梅酒騒動にも、つかの間、昔の思い出や、忘れていたとはいえ、17年間の月日が籠っている気がして、家中にいつまでも、 甘い果実酒の香りを放つ梅酒を捨てながら、「もしかしたらとても美味しくなっていたのかもしれないのに。ごめんなさい」と心で呟いたのでした。
* * * *
今日は取りとめなく梅酒の思い出話をしてしまいました。
ハンドルネームすずろさん、commentありがとうございました。
檸檬酒も梅酒も、美味しく出来上がると良いですね。


