
京都の街は 桜が良く似合う
京都の街は 至る所に桜がある
京都の街は 今 桜に染まっている
「達人夜話」のあった4月6日に一気に花開き、それからずっと麗らかな桜日和なのです。
京都の街は 今 桜色
桜ってじっと見ていると、取り憑かれていくような奇妙な気分になりますね。
古くから「物狂いの花」と恐れられるのが何だかわかる気がしてきました。
今日は京都の桜のフォトレポートです。
<日仏学館(アンスティチュ・フランセ関西)からスタート>
9日(火)が春学期の初日でした。
毎年、この時期はもう葉桜になっているのに、今年はまさに今、真っ盛り。
朝の光の中、青空に淡い桜色が殊の外清々しく感じられます。

屋根にはためくフランス国旗とのコントラスト。
桜行脚の始まりです。
<白川沿いを行く>
日仏学館のある百万遍から、ひたすら歩いて白川筋まで。
サスペンスドラマによく出てくる、京都で有名なロケ地といえば、「南禅寺山門・水路閣」、「東福寺通天橋」、そして「白川のこの小さな橋(一本橋というのだそうです)」の三か所がまず挙げられるのではないでしょうか。

他の二か所が、大抵は犯人を追いつめたり、犯行の告白をしたりする緊迫した場面であるのに比べて、白川は事件が一件落着、しみじみと事の顛末を語り合うエンディングなどに出てくることが多いですよね・・・・柳が柔らかく揺れて、静かな佇まいを見せていました。

そのまま白川に沿って祇園に向かいます。
祇園巽橋付近の賑やかな人並、さすが人気のお花見スポット、人力車、着物姿の女性達、観光客で溢れていました。

吉井勇の歌碑。
かにかくに祗園はこひし 寝るときも 枕の下を水のながるる
この歌は桜の季節に味わうのが、一番しっくりくる気がします。
祇園を愛して、艶やかな歌を多く残した吉井勇ですが、同時代を生きた同じ明星派の歌人、与謝野晶子の歌が重なって思われます。
清水へ祗園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき
更に彼女の恋人であり後に夫となった与謝野鉄幹の、返し歌のようなこんな詩の一節。
祇園の桜散りがたに ひと夜の君は黒瞳がち
上目するとき身にしみき
祇園の桜は、こんなに艶めかしくもあります。
<高瀬川 一の船入>
高瀬川は、角倉了以が鴨川の水を引いて開いた運河ですが、この川で用いた舟を高瀬舟と呼んでいました。

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に乗せられて、大阪へ廻されることであつた。
鴎外の『高瀬舟』の冒頭ですが、当時の高瀬舟が川の起点である木屋町二条、「一の船入」に復元されて、ゆったりと往年の姿を伝えています。
桜に包まれた川沿いの風情が、時間を遡って、遠い夢に誘い込んでいるような気がしました。
<鴨川を北上>

四条大橋から見る鴨川は、川辺で遊ぶ人たちでいつも賑わっていますが、二条辺りまで来ると、人の姿もまばらになり、穏やかで静寂な春の風情が開けてきます。
水の流れ、川岸の雪柳。

< 岡崎 絢爛と咲く桜 桜 >
さて、翌日。
所用の合間、岡崎辺りを歩いてみました。
平安神宮の朱塗りの門は、やはり桜に映えます。

南禅寺舟溜りから夷川ダムまで、琵琶湖疏水を運行する十石舟が行き交っています。
毎年大人気のこの時期限定のイベントです。

この辺りの桜はしだれ桜、紅しだれ、ソメイヨシノ、八重桜、様々に混ざり合っていて、美しいグラデーションを見せてくれます。
山桜も光に映えて。
インクラインに沿って流れる疏水、水しぶきが桜を呑みこんでしまいそうです。

<毘沙門堂 「毘沙門しだれ」満開>
更に昨日。週末の喧騒を逃れて山科まで足を延ばし、天台宗 京都五門跡の一つである毘沙門堂を久しぶりに訪れました。
平安の頃から桜の名所で知られ、藤原定家も『名月記』に毘沙門堂の花見の事を綴っています。
宸殿前の「毘沙門しだれ」。

桜と山ツツジが共に咲いて、次の季節を受け渡しているかのように見えました。
修復されて鮮やかな朱塗りが桜と映える毘沙門堂

そしてひっそりと季節を終えてゆく八重椿。

春、まさに爛漫です。
京都の街は 至る所に桜がある
京都の街は 今 桜に染まっている
「達人夜話」のあった4月6日に一気に花開き、それからずっと麗らかな桜日和なのです。
京都の街は 今 桜色
桜ってじっと見ていると、取り憑かれていくような奇妙な気分になりますね。
古くから「物狂いの花」と恐れられるのが何だかわかる気がしてきました。
今日は京都の桜のフォトレポートです。
<日仏学館(アンスティチュ・フランセ関西)からスタート>
9日(火)が春学期の初日でした。
毎年、この時期はもう葉桜になっているのに、今年はまさに今、真っ盛り。
朝の光の中、青空に淡い桜色が殊の外清々しく感じられます。


屋根にはためくフランス国旗とのコントラスト。
桜行脚の始まりです。
<白川沿いを行く>
日仏学館のある百万遍から、ひたすら歩いて白川筋まで。
サスペンスドラマによく出てくる、京都で有名なロケ地といえば、「南禅寺山門・水路閣」、「東福寺通天橋」、そして「白川のこの小さな橋(一本橋というのだそうです)」の三か所がまず挙げられるのではないでしょうか。

他の二か所が、大抵は犯人を追いつめたり、犯行の告白をしたりする緊迫した場面であるのに比べて、白川は事件が一件落着、しみじみと事の顛末を語り合うエンディングなどに出てくることが多いですよね・・・・柳が柔らかく揺れて、静かな佇まいを見せていました。

そのまま白川に沿って祇園に向かいます。
祇園巽橋付近の賑やかな人並、さすが人気のお花見スポット、人力車、着物姿の女性達、観光客で溢れていました。

吉井勇の歌碑。
かにかくに祗園はこひし 寝るときも 枕の下を水のながるる
この歌は桜の季節に味わうのが、一番しっくりくる気がします。
祇園を愛して、艶やかな歌を多く残した吉井勇ですが、同時代を生きた同じ明星派の歌人、与謝野晶子の歌が重なって思われます。
清水へ祗園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき
更に彼女の恋人であり後に夫となった与謝野鉄幹の、返し歌のようなこんな詩の一節。
祇園の桜散りがたに ひと夜の君は黒瞳がち
上目するとき身にしみき
祇園の桜は、こんなに艶めかしくもあります。
<高瀬川 一の船入>
高瀬川は、角倉了以が鴨川の水を引いて開いた運河ですが、この川で用いた舟を高瀬舟と呼んでいました。

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に乗せられて、大阪へ廻されることであつた。
鴎外の『高瀬舟』の冒頭ですが、当時の高瀬舟が川の起点である木屋町二条、「一の船入」に復元されて、ゆったりと往年の姿を伝えています。
桜に包まれた川沿いの風情が、時間を遡って、遠い夢に誘い込んでいるような気がしました。
<鴨川を北上>

四条大橋から見る鴨川は、川辺で遊ぶ人たちでいつも賑わっていますが、二条辺りまで来ると、人の姿もまばらになり、穏やかで静寂な春の風情が開けてきます。
水の流れ、川岸の雪柳。


< 岡崎 絢爛と咲く桜 桜 >
さて、翌日。
所用の合間、岡崎辺りを歩いてみました。
平安神宮の朱塗りの門は、やはり桜に映えます。


南禅寺舟溜りから夷川ダムまで、琵琶湖疏水を運行する十石舟が行き交っています。
毎年大人気のこの時期限定のイベントです。

この辺りの桜はしだれ桜、紅しだれ、ソメイヨシノ、八重桜、様々に混ざり合っていて、美しいグラデーションを見せてくれます。
山桜も光に映えて。
インクラインに沿って流れる疏水、水しぶきが桜を呑みこんでしまいそうです。


<毘沙門堂 「毘沙門しだれ」満開>
更に昨日。週末の喧騒を逃れて山科まで足を延ばし、天台宗 京都五門跡の一つである毘沙門堂を久しぶりに訪れました。
平安の頃から桜の名所で知られ、藤原定家も『名月記』に毘沙門堂の花見の事を綴っています。
宸殿前の「毘沙門しだれ」。


桜と山ツツジが共に咲いて、次の季節を受け渡しているかのように見えました。
修復されて鮮やかな朱塗りが桜と映える毘沙門堂


そしてひっそりと季節を終えてゆく八重椿。

春、まさに爛漫です。


