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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

水無月 ~「守株」の雑感

 梅雨に入りましたね。

 6月はなぜ「水無月(みなづき)」と呼ばれるのか。
 元々は「水張月(みずはりづき)」で、雨でたっぷりと水がある時だから。
 あるいは反対に、暑さに向かい水不足になるから。
 諸説ありますが、夏を待つ雨に紫陽花が良く似合う季節です。

   FM京都の出演、無事終わりました
 5月27日(月)、FM京都「SUNNY SIDE BALCONY」に出演してきました。
 通称「αステーション」の名で親しまれているFM京都は、四条烏丸通りに面したCOCONというお洒落なビルの10階にあります。
FM京都
 早速、局の入り口に向かいます。

 放送局は、様々な資料が散乱し、いかにも情報番組・報道現場という雑然とした感じなのではという先入観がありますが、このαステーションは、資料室もスタジオも躍動感が一杯なのに整然と落ち着いて、優しい雰囲気があり、居心地の良い空気に包まれていました。

 スタッフの皆様の明るい声に迎えられ、一気に気持ちが高揚し・・・。

 この日のDJの慶元まさ美さんは、既に本番中でした。
 しばし、応接室でスタンバイして、やがてゲストコーナーの時間となり、スタジオに招き入れられました。
 慶元さんとの「初めまして」のご挨拶は、正真正銘「初めまして」。
 とてもチャーミングで聡明な感じの方で好印象、ぶっつけ本番のスタートです。

 「大体こんな質問を振ります」というメモ書きをディレクターの方から事前に頂いていたのですが、始まってみるとその通りには行かず・・・・。
 出だしの「日本のシャンソン訳詞の現状」辺りのお話で、既に慶元さんから細部に関わる質問が次々と投げかけられました。
 「そこを聞いてほしかった!」と思う的確な問いかけに、俄然、私も舌が滑らかになってゆきます。
FM京都スタジオ
 そうこうしているうちに、あっという間に時間が来て。
 気がつけば<長くて10分位で!>というタイムスケジュールのはずが、いつの間にか20分間も話していたのでした。
 でも、トーク番組ですから、自然に話が展開し盛り上がるのは、まずは成功ということですよね。

 素敵な機会を頂きましたこと、お世話になりました局の皆様に心からお礼申し上げます。
 リスナーの方々に、訳詞やシャンソン、言葉と音楽というものに、少しでも興味を持って頂き、何かが心に届いたなら、とても嬉しいです。

 ラジオはマイクの向こうの皆様のお顔が見えないので、一方的に声を飛ばすだけのような気がしてしまいますが、そんなことはなく、私の言葉・声を受け止めていて下さる方の存在が強く感じられます。
 そんな不思議な思いを身に沁みこませながら、楽しくお話しさせて頂いたのでした。

   「守株」その密やかな効用
 先頃、或る季刊誌からのご依頼を受けて、『「切り株」考 三つの物語』という随想を書きました。
切り株1
本当は丸ごとここでご紹介できればよいのですが、それも・・・・ですので、「守株」という言葉を取り上げた部分のみ転載してみようと思います。

 これを書いたときは、特別意識しなかったのですが、近づくコンサートを待つ今、そしてこれまでも、もしかしたら、まさに「守株」の心境をどこかで持ち続けてきたのではないかとも思われるのです。

  「守株」その密やかな効用

   宋人有耕田者。
   田中有株。兔走触株、折頸而死 。
   因釈其耒而守株、冀復得兔。
   兔不可復得、而身為宋国笑。(出典 韓非子)

 「株を守る」
 この中国の故事が、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の原典であることはご存知でしょうか。
 ある日、目の前で兎が切り株に躓いて死んだのを見た農夫が、それからというもの、耕すこともせずに、次の兎がぶつかってくるのをひたすら切り株の前で待ち続けます。いつの間にか畑は荒れ果て、それでも「待ちぼうけ」する彼は国中の笑い者になったというお話です。
 「人はきっかけさえあれば、どこまでも怠惰になる」、「美味い話はないのだから、やはり地道に努力するのが一番」、「一発逆転のギャンブルの魔力に溺れるな」等々教訓は山ほど出てきます。


 では、自分は、切り株の前で待ってはいないだろうか?
 そうしたいと思う衝動はないのだろうか?
 もしかしたら誰もが、切り株の前で佇みたいような気持ちがどこかにはあって、それは愚かしいけれど、また、漠然とした一種の生きる救い、夢のようなもので、その効用も、人にはあるのでは、などとも密かに感じたのでした。


切り株2
 一度、幸運にも兎を手にした経験があるからこそ、そういう僥倖が再びあることを信じたいと思う気持ち、希望、確信のようなものに夢を繋ごうとするのでしょうか?

 二匹目の兎がまた飛び込んでくるかもしれないと思う虫の良いこんな夢も、人の生きる力の一部になってくれているかもしれず、あながち悪いものではないと感じられてきます。

 勿論、「守株」の訓話の中の男のように、株の前で何もせずぼんやり居眠りばかりをしているのは論外ではありますが・・・。

 日々ベストを尽くしつつ、でもその中で、万事うまくいくという太平楽な夢を根拠なく、ぼおっと見るというのもまた心地よいのでは。

 コンサート一週間前、こんな水無月の雑感です。



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