
コロナ禍の中、4月5日にエリザベス女王が、イギリス国民に向けてビデオメッセージを発表されたその内容が国内外に感動を生んだことはまだ記憶に新しいですが、私もこのスピーチにとても感銘を受けました。
特に反響の大きかった「we will meet again」という言葉。
この言葉を今日は考えてみようかと思います。
三遊亭金馬さんのオンライン落語
先日NHKの「おはよう日本」で、「落語家・三遊亭金馬・91歳・戦争も新型コロナも乗り越えて」という特集を放映していました。
今年91歳になられる三遊亭金馬さん。
芸歴79年の現役落語家最長老ですが、2年前に脳梗塞で倒れて復帰が絶望的と思われていたそうです。けれど懸命なリハビリを続けられて、今は高座に復帰できるまでに回復なさいました。
このコロナの時期、寄席も次々中止となる中、今回、江戸東京博物館でのオンライン落語「えどはく寄席」に初挑戦なさるという話題でした。

ニコニコと終始微笑みを絶やさない金馬さん、江戸っ子の活舌で飄々と語る言葉が印象的でしたが、その中で「自分は長生きをしたおかげで、戦争も、闘病生活も、そして今度は未曾有のコロナまで経験させてもらうことができた。そういう中で考え感じてきた実感を落語に生かし、すべて笑いに変えてゆきたい」という強靭でしなやかなチャレンジ精神が本当に魅力的でした。
コロナの時代もこれまで経験したことのない貴重な気づきととらえ、笑いと共感のネタにしてゆく、渦中での人間の心模様をじっと見つめ受け入れることによって、それを乗り越える力を得、笑いに変えるエネルギーにしてゆく、品格のある生き方とはこういうものなのだと、強く感銘を受けた次第です。
誰もいない会場でただカメラに向かって落語を語り続ける金馬さんのその胸中には、きっと「we will meet again」と同様の思いが燃えていたに違いありません。
エリザベス女王のスピーチ
エリザベス女王のビデオメッセージは、新型コロナウイルスとの戦いに疲弊し混乱をきたしているイギリス国民に大きな勇気を与えたことでしょう。
女王が特別な事態に際して国民に語りかけるのは、即位68年の間でこれが5度目なのだそうです。

「私たちが、一丸となって団結し、強い意志を持ち続ければ、必ず病いは克服できる」
「自律と不屈の心こそが大事で、将来「この困難に自分がどう対応したのか振り返ったとき、誇らしく思えるようになる」ことを願っている」
そして、
「これからもまだ、色々耐えるべきことは多いが、必ず穏やかな日々が戻ってくる。それを支えにしてほしい。
友だちにきっとまた会える。
家族にもまた会える。
私たちも 再び会いましょう」
と結んでいました。
「私たちはまた会いましょう」=「We will meet again」という結びの言葉は、第2次世界大戦中にイギリスで応援歌として愛唱されたヴェラ・リンの曲、「We will meet again」を踏まえた言葉なのだと聞きました。
戦時下に愛する家族や恋人や友人と引き裂かれて、いつ再会できるとも知れないそんな不安なときの力強い応援歌だったのでしょう。
世界中の人々が今置かれているこのコロナの状況は、本来あるべき人と人との絆や生活が根柢から覆された出来事と言えます。
三密を避けて暮らさなければならない不自由な状態、リモートの距離感は、仕方がないとは言うものの、人が出会って、触れ合う本来の形とは言い難いのではないでしょうか。
人にとって最も自然で心地よい幸せがきっと再び訪れる、それが「We will meet again」、今、国境を越えて大きく共感できる言葉だと思うのです。
『スマホを捨てたい子どもたち』
京都大学総長、山極寿一氏の6月発刊の著書を読みました。

山極さんは、小学生から高校生までの多くの若い層に、「スマホを捨てたいと思う人は?」と尋ねたところ、多くの子どもたちが手を挙げたという経験から、若い世代も、実はスマホを持て余しつつあるのではないか、と感じたというのです。
コロナ禍の時代を見据えながらこのような提言をしておられます。
今、ぼくたちを取りまく環境はものすごいスピードで変化しています。人類はこれまで、農耕牧畜を始めた約1万2000年前の農業革命、18世紀の産業革命、そして現代の情報革命と、大きな文明の転換点を経験してきました。そして、その間隔はどんどん短くなっています。その中心にあるのがICT(Information and Communication Technology/情報通信技術)です。インターネットでつながるようになった人間の数は、狩猟採集民だった時代からは想像もできないくらい膨大になりました。
一方で、人間の脳は大きくなっていません。つまり、インターネットを通じてつながれる人数は劇的に増えたのに、人間が安定的な信頼関係を保てる集団のサイズ、信頼できる仲間の数は150人規模のままだということです。
テクノロジーが発達して、見知らぬ大勢の人たちとつながれるようになった人間は、そのことに気づかず、AIを駆使すればどんどん集団規模は拡大できるという幻想に取り憑かれている。こうした誤解や幻想が、意識のギャップや不安を生んでいるのではないか。 ぼくはそう考えています。そして、子どもたちの漠とした不安も、このギャップからきているのではないでしょうか。
山極総長の語られるこれらの言葉にもまた、「we will meet again」が重なりました。もちろん論点は別ですが、人と人との真のつながりという共通した問題を提起されているのだと思うのです。
また、「視覚と聴覚を使って他者と会話をすると、脳で、繋がったと錯覚するが、それだけでは、実は本当の信頼関係を築くことはできず、人とは、嗅覚、味覚、触角等の五感のすべてを使って人を信頼するようになる生き物だ」とも述べておられました。
AIが成し得ないものがあるとすればそれは五感を通しての実感、信頼そのもので、「スマホを捨てたい子どもたち」はそういう漠然とした渇望を感じていると言えるのかもしれません。
「we will meet again」の言葉がここでも切実な響きを持ってくるのでないでしょうか。
「早くお会いできるようになると良いですね」
友人・知人との電話の最後に、「早く穏やかな日々が戻って、またゆっくりお会いしてたくさんおしゃべりしたいですね」というのが最近の決まり文句になりました。
相手からも私からも自然に素直に口をついで出てくる言葉です。
早くそういう日が来ますように。
特に反響の大きかった「we will meet again」という言葉。
この言葉を今日は考えてみようかと思います。
三遊亭金馬さんのオンライン落語
先日NHKの「おはよう日本」で、「落語家・三遊亭金馬・91歳・戦争も新型コロナも乗り越えて」という特集を放映していました。
今年91歳になられる三遊亭金馬さん。
芸歴79年の現役落語家最長老ですが、2年前に脳梗塞で倒れて復帰が絶望的と思われていたそうです。けれど懸命なリハビリを続けられて、今は高座に復帰できるまでに回復なさいました。
このコロナの時期、寄席も次々中止となる中、今回、江戸東京博物館でのオンライン落語「えどはく寄席」に初挑戦なさるという話題でした。

ニコニコと終始微笑みを絶やさない金馬さん、江戸っ子の活舌で飄々と語る言葉が印象的でしたが、その中で「自分は長生きをしたおかげで、戦争も、闘病生活も、そして今度は未曾有のコロナまで経験させてもらうことができた。そういう中で考え感じてきた実感を落語に生かし、すべて笑いに変えてゆきたい」という強靭でしなやかなチャレンジ精神が本当に魅力的でした。
コロナの時代もこれまで経験したことのない貴重な気づきととらえ、笑いと共感のネタにしてゆく、渦中での人間の心模様をじっと見つめ受け入れることによって、それを乗り越える力を得、笑いに変えるエネルギーにしてゆく、品格のある生き方とはこういうものなのだと、強く感銘を受けた次第です。
誰もいない会場でただカメラに向かって落語を語り続ける金馬さんのその胸中には、きっと「we will meet again」と同様の思いが燃えていたに違いありません。
エリザベス女王のスピーチ
エリザベス女王のビデオメッセージは、新型コロナウイルスとの戦いに疲弊し混乱をきたしているイギリス国民に大きな勇気を与えたことでしょう。
女王が特別な事態に際して国民に語りかけるのは、即位68年の間でこれが5度目なのだそうです。

「私たちが、一丸となって団結し、強い意志を持ち続ければ、必ず病いは克服できる」
「自律と不屈の心こそが大事で、将来「この困難に自分がどう対応したのか振り返ったとき、誇らしく思えるようになる」ことを願っている」
そして、
「これからもまだ、色々耐えるべきことは多いが、必ず穏やかな日々が戻ってくる。それを支えにしてほしい。
友だちにきっとまた会える。
家族にもまた会える。
私たちも 再び会いましょう」
と結んでいました。
「私たちはまた会いましょう」=「We will meet again」という結びの言葉は、第2次世界大戦中にイギリスで応援歌として愛唱されたヴェラ・リンの曲、「We will meet again」を踏まえた言葉なのだと聞きました。
戦時下に愛する家族や恋人や友人と引き裂かれて、いつ再会できるとも知れないそんな不安なときの力強い応援歌だったのでしょう。
世界中の人々が今置かれているこのコロナの状況は、本来あるべき人と人との絆や生活が根柢から覆された出来事と言えます。
三密を避けて暮らさなければならない不自由な状態、リモートの距離感は、仕方がないとは言うものの、人が出会って、触れ合う本来の形とは言い難いのではないでしょうか。
人にとって最も自然で心地よい幸せがきっと再び訪れる、それが「We will meet again」、今、国境を越えて大きく共感できる言葉だと思うのです。
『スマホを捨てたい子どもたち』
京都大学総長、山極寿一氏の6月発刊の著書を読みました。

山極さんは、小学生から高校生までの多くの若い層に、「スマホを捨てたいと思う人は?」と尋ねたところ、多くの子どもたちが手を挙げたという経験から、若い世代も、実はスマホを持て余しつつあるのではないか、と感じたというのです。
コロナ禍の時代を見据えながらこのような提言をしておられます。
今、ぼくたちを取りまく環境はものすごいスピードで変化しています。人類はこれまで、農耕牧畜を始めた約1万2000年前の農業革命、18世紀の産業革命、そして現代の情報革命と、大きな文明の転換点を経験してきました。そして、その間隔はどんどん短くなっています。その中心にあるのがICT(Information and Communication Technology/情報通信技術)です。インターネットでつながるようになった人間の数は、狩猟採集民だった時代からは想像もできないくらい膨大になりました。
一方で、人間の脳は大きくなっていません。つまり、インターネットを通じてつながれる人数は劇的に増えたのに、人間が安定的な信頼関係を保てる集団のサイズ、信頼できる仲間の数は150人規模のままだということです。
テクノロジーが発達して、見知らぬ大勢の人たちとつながれるようになった人間は、そのことに気づかず、AIを駆使すればどんどん集団規模は拡大できるという幻想に取り憑かれている。こうした誤解や幻想が、意識のギャップや不安を生んでいるのではないか。 ぼくはそう考えています。そして、子どもたちの漠とした不安も、このギャップからきているのではないでしょうか。
山極総長の語られるこれらの言葉にもまた、「we will meet again」が重なりました。もちろん論点は別ですが、人と人との真のつながりという共通した問題を提起されているのだと思うのです。
また、「視覚と聴覚を使って他者と会話をすると、脳で、繋がったと錯覚するが、それだけでは、実は本当の信頼関係を築くことはできず、人とは、嗅覚、味覚、触角等の五感のすべてを使って人を信頼するようになる生き物だ」とも述べておられました。
AIが成し得ないものがあるとすればそれは五感を通しての実感、信頼そのもので、「スマホを捨てたい子どもたち」はそういう漠然とした渇望を感じていると言えるのかもしれません。
「we will meet again」の言葉がここでも切実な響きを持ってくるのでないでしょうか。
「早くお会いできるようになると良いですね」
友人・知人との電話の最後に、「早く穏やかな日々が戻って、またゆっくりお会いしてたくさんおしゃべりしたいですね」というのが最近の決まり文句になりました。
相手からも私からも自然に素直に口をついで出てくる言葉です。
早くそういう日が来ますように。


