
前回の記事から、更新が遅くなってしまい大変失礼致しました。
如何お過ごしでしたか?
あれから祇園祭りは本番を迎え・・・そしてそれも無事幕を閉じ、(何人か熱中症で運ばれた方が出てしまったようですが。本当に暑い日でしたものね。)・・・・直後、7月だと言うのに、風雨激しい台風が上陸し、・・・・で何と言っても、なでしこジャパンの快挙に大きな感銘を受け、皆が幸せと勇気を貰えた気がして・・・・大いにヒートアップした一週間(正確には10日間)でしたよね。
一昨日、震災以来の友人と会い、しみじみと語り合いました。
彼女、Eさんに前回お会いしたのは3月11日、あの震災の日だったんです。
京都で一緒にお茶していた時だったのですが、かなり気味の悪い揺れ方をしていたものの、まさかあんな状況が起こっているとは夢にも思わず、しばらくしてお互いに帰宅し、愕然とした次第でした。
・・・・「あの日」以降の近況をいつも以上に二人共、熱を込めて話してしまいました。
人って変なところで連帯感を感じるものみたいで、Eさんとは、戦時中のように、戦火の中を手を携え逃げ惑ったとかいうことでは全然ないわけですが、それなのに、一種それに似たような空気を共有しているというか・・・・。
3月11日にたまたま居合わせたビルのペンダントランプがユサユサと揺れ、波に乗せられて舟が緩やかに傾くような緩慢で長い揺れを共に経験したこと、・・・つまり、何かの変わり目となった「あの日のあの時間」を共に居たという事実によるのでしょうか?
こういう気持ちは少し奇妙で、上手に説明しがたいのですが。
ところで、今日の記事のタイトルは、『空白の10日間』です。(ミステリーみたい!こんな言葉を一度使ってみたかった!!)
・・・・ただいつもより少し忙しくあちこちを走りまわっていたら、いつの間にか日が経ってしまっていたということで、呆れないでもう少しだけお付き合いくださいね。
でも、一つ弁解しますと・・・。
忙しくあちこちを奔走していたことも事実なのですが、東京での所用から戻ってからは、部屋に籠って訳詞作りをしていたことによるのです。
お陰様で二曲出来上がりました!!!!!
脱力感・開放感・充実感・達成感・・・色々で、結構今ご機嫌なので、今日は、我が訳詞作業中の風景を少し実況紹介してみましょうか?
今回挑戦したのは、以前から懸案の曲の訳詞作りと、作詞を依頼された曲との二曲でした。
私は、日頃からシャンソンの訳詞に携わっていますので、原詩・・・シャンソンが殆どですのでフランス語ですが、・・・を熟考し、フランスの情景・詩の情景に思いを巡らし、曲を聴き込んで、そこから日本語で歌詞をつける(日本語の言葉付けやアクセントなどが自然に美しくメロディーに嵌(はま)っているか、曲想にしっくりと乗って音楽と言葉が共に生きているかなどを考慮して)という作業をするわけです。
作詞の場合は、これとは少し異なって、音だけの中からイメージを生み出して言葉を創り出してゆくことになります。
いずれにしても、出来上がった作品の優劣こそが総てですから、その舞台裏を見せ過ぎてしまうのは如何なものかと思っていますし、少し飛躍しますが、ドラマなどのNG特集などを放映する感覚は、私の美学からすると実は・・・ちょっとね???・・・でもあるのです。が、今日は少しご機嫌なので!
訳詞を作っていると、機織り(はたおり)をしている<おつうさん>みたいだなといつも『鶴の恩返し』のお話を思い出してしまうのですが、一口で言うと、心境としては、あんな感じなんです。
家事万端総て早々に終わらせた後、「ではこれにて。」
「織り終わるまでは決して中を覗いてはなりませぬぞ」というような勢いで舞い上がって(基本的に訳詞の仕事は大好きですので)、資料一式持って、穴ぐらに籠ります。
といっても、隔離され密閉された機織り部屋があるわけではなく、小さな住まいですので、何かと外界との行き来はあるのですが。
私は幼い頃から本の虫で、物心ついてから今日までの積年の読書で、集中力は相当養われてきたようなのです。 それが、訳詞作りの時は狂い咲きするようで、半端ではなく集中しています。
側に電話も置き、インターホンも部屋で取れるようになっていますが、始めると、嘘ではなくこれらあらゆる音は全く耳に入らなくなってしまいます。
時間に変に几帳面で、普段かなり規則正しく食事を取っている食いしん坊の私が、早朝から部屋に入って、ふと気がつくと暗くなっていたということなどしょっちゅうです。
これまでのギネス記録は、家人の旅行中、千載一遇のチャンスに、昼夜もわからなくなって、二日間貫徹で、食べることも殆どしなかったことがありました。作りあげて、機織り部屋から出てきたときは、羽を抜かれた夕鶴状態でした。流石に後にこたえましたので、反省してそれからは控えています。
その他、話し出すと背筋が寒くなるような前科は色々ありますが、誰からもお付き合いいただけなくなると困りますので、本日はこの位にしておきたいと思います。
訳詞も創作活動ですし、何かを創り出すということには、多かれ少なかれこういう、常軌を逸する位に夢中にさせるエネルギー、それを喚起させる不思議な大きな力が働くものなのかもしれません。
創作には生みの苦しみがあることは勿論ですが、でもそれと表裏したこの上ない喜びと楽しさもあり、こういうことに携わっていられることは本当に幸せだと思っています。
完成したばかりの幸せ発言なので、いつもこんな心境でいられるかは保証の限りではありませんが。
兎も角も、今回の二曲、結構気に入っています。
そのようなわけで、恥ずかしながら裏事情を告白致しましたので、これから、或る日、ぷっつりとブログが止まったら、また機織りを始めてしまったのだろうと、寛大なお気持ちで作業の終了をお待ちいただけると幸甚でございます。
最後に。
誰にでも何か一つ位、習慣というか、癖というか、何かする時のお守りみたいなジンクスがあるのではないでしょうか?
私は、訳詞をするときには、儀式みたいに薔薇の花を飾る習慣があります。
作品が出来上がるまで咲いていてほしいなと。
きっと出来上がる!という気持ちがどこかで働くようです。
あまりこだわると、夏の切り花は持ちが悪いので、萎れるまで、超特急で大変なのですが。
今回の薔薇の花です。
まだ綺麗に咲いていてくれました。
涼しげです。
如何お過ごしでしたか?
あれから祇園祭りは本番を迎え・・・そしてそれも無事幕を閉じ、(何人か熱中症で運ばれた方が出てしまったようですが。本当に暑い日でしたものね。)・・・・直後、7月だと言うのに、風雨激しい台風が上陸し、・・・・で何と言っても、なでしこジャパンの快挙に大きな感銘を受け、皆が幸せと勇気を貰えた気がして・・・・大いにヒートアップした一週間(正確には10日間)でしたよね。
一昨日、震災以来の友人と会い、しみじみと語り合いました。
彼女、Eさんに前回お会いしたのは3月11日、あの震災の日だったんです。
京都で一緒にお茶していた時だったのですが、かなり気味の悪い揺れ方をしていたものの、まさかあんな状況が起こっているとは夢にも思わず、しばらくしてお互いに帰宅し、愕然とした次第でした。
・・・・「あの日」以降の近況をいつも以上に二人共、熱を込めて話してしまいました。
人って変なところで連帯感を感じるものみたいで、Eさんとは、戦時中のように、戦火の中を手を携え逃げ惑ったとかいうことでは全然ないわけですが、それなのに、一種それに似たような空気を共有しているというか・・・・。
3月11日にたまたま居合わせたビルのペンダントランプがユサユサと揺れ、波に乗せられて舟が緩やかに傾くような緩慢で長い揺れを共に経験したこと、・・・つまり、何かの変わり目となった「あの日のあの時間」を共に居たという事実によるのでしょうか?
こういう気持ちは少し奇妙で、上手に説明しがたいのですが。
ところで、今日の記事のタイトルは、『空白の10日間』です。(ミステリーみたい!こんな言葉を一度使ってみたかった!!)
・・・・ただいつもより少し忙しくあちこちを走りまわっていたら、いつの間にか日が経ってしまっていたということで、呆れないでもう少しだけお付き合いくださいね。
でも、一つ弁解しますと・・・。
忙しくあちこちを奔走していたことも事実なのですが、東京での所用から戻ってからは、部屋に籠って訳詞作りをしていたことによるのです。
お陰様で二曲出来上がりました!!!!!
脱力感・開放感・充実感・達成感・・・色々で、結構今ご機嫌なので、今日は、我が訳詞作業中の風景を少し実況紹介してみましょうか?
今回挑戦したのは、以前から懸案の曲の訳詞作りと、作詞を依頼された曲との二曲でした。

作詞の場合は、これとは少し異なって、音だけの中からイメージを生み出して言葉を創り出してゆくことになります。
いずれにしても、出来上がった作品の優劣こそが総てですから、その舞台裏を見せ過ぎてしまうのは如何なものかと思っていますし、少し飛躍しますが、ドラマなどのNG特集などを放映する感覚は、私の美学からすると実は・・・ちょっとね???・・・でもあるのです。が、今日は少しご機嫌なので!

家事万端総て早々に終わらせた後、「ではこれにて。」
「織り終わるまでは決して中を覗いてはなりませぬぞ」というような勢いで舞い上がって(基本的に訳詞の仕事は大好きですので)、資料一式持って、穴ぐらに籠ります。
といっても、隔離され密閉された機織り部屋があるわけではなく、小さな住まいですので、何かと外界との行き来はあるのですが。
私は幼い頃から本の虫で、物心ついてから今日までの積年の読書で、集中力は相当養われてきたようなのです。 それが、訳詞作りの時は狂い咲きするようで、半端ではなく集中しています。
側に電話も置き、インターホンも部屋で取れるようになっていますが、始めると、嘘ではなくこれらあらゆる音は全く耳に入らなくなってしまいます。
時間に変に几帳面で、普段かなり規則正しく食事を取っている食いしん坊の私が、早朝から部屋に入って、ふと気がつくと暗くなっていたということなどしょっちゅうです。
これまでのギネス記録は、家人の旅行中、千載一遇のチャンスに、昼夜もわからなくなって、二日間貫徹で、食べることも殆どしなかったことがありました。作りあげて、機織り部屋から出てきたときは、羽を抜かれた夕鶴状態でした。流石に後にこたえましたので、反省してそれからは控えています。
その他、話し出すと背筋が寒くなるような前科は色々ありますが、誰からもお付き合いいただけなくなると困りますので、本日はこの位にしておきたいと思います。
訳詞も創作活動ですし、何かを創り出すということには、多かれ少なかれこういう、常軌を逸する位に夢中にさせるエネルギー、それを喚起させる不思議な大きな力が働くものなのかもしれません。
創作には生みの苦しみがあることは勿論ですが、でもそれと表裏したこの上ない喜びと楽しさもあり、こういうことに携わっていられることは本当に幸せだと思っています。
完成したばかりの幸せ発言なので、いつもこんな心境でいられるかは保証の限りではありませんが。
兎も角も、今回の二曲、結構気に入っています。
そのようなわけで、恥ずかしながら裏事情を告白致しましたので、これから、或る日、ぷっつりとブログが止まったら、また機織りを始めてしまったのだろうと、寛大なお気持ちで作業の終了をお待ちいただけると幸甚でございます。
最後に。
誰にでも何か一つ位、習慣というか、癖というか、何かする時のお守りみたいなジンクスがあるのではないでしょうか?

作品が出来上がるまで咲いていてほしいなと。
きっと出来上がる!という気持ちがどこかで働くようです。
あまりこだわると、夏の切り花は持ちが悪いので、萎れるまで、超特急で大変なのですが。
今回の薔薇の花です。
まだ綺麗に咲いていてくれました。
涼しげです。


