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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

母を送る日

 十一月一日朝、母が永眠致しました。
 とても安らかな顔でした。
 母は戦争を体験した世代ですから、怒涛のような時代と、時代の大きな変遷の中で、様々な困難と向き合い、乗り越えて、天寿を全うしたと言えるのでしょう。
 その生きてきた日々を偲びながら、静かにねぎらい、見送るべきなのでしょうが、でもやはり、その分、母娘として共有してきた時間も長いわけで、通夜・葬儀を終えて二十日余りが経っても、言いようのない喪失感というか、しみじみと悼む気持ちが募ってきています。

 これが、親を亡くす感慨なのかと、実感します。
 そして、そういう気持ちに自然に包まれるほど長く、私たち姉弟の母として生きていてくれたことに今さらながら有難さを感じてもいます。
 でも、まだ子供のうちに親に死に別れる衝撃や悲嘆はきっと、もっともっと言いようのないものなのでしょうね。

 葬儀関係の一切を終えて、京都に戻る新幹線の中で急に強い感情が湧き出てきて、言葉が溢れました。
 その時、ペンを一気に走らせたのですが、四編の詩が自然に出来上がりました。
 その時の言葉のまま手直しをせず、小冊子に製本して、今、母の写真の前に供えてあります。私からのささやかな供養になるでしょうか。

 プライベートなことで本当に恐縮なのですが、今日はもう少しだけお話させてください。
 四編の詩の中の一編に『引導法話』という題を付けました。
 その冒頭を。
 葬儀の様子を記したものです。

 
   引導法話

  窓のある明るい葬儀の会場だった
  棺はその中央奥に安置され、花々が取り囲んでいた
  わあ、綺麗
  と弔問の声があがる
  とりどりの白花の中に
  ピンクの大輪の薔薇とカーネーション、スイトピーが鮮やかに映えて
  黄色のオンシジュームが華やかなアクセントとなっていた
  その真ん中に真っ白な胡蝶蘭

  披露宴のひな壇を飾るような

  華やかなドレスを着た遺影としっくり調和して

  花がこうであるだけで
  悲しみは少し遠のく
  お洒落三昧だった母のおくりに相応しいはなむけだ

  きっと母は喜んでいるだろう
  棺を花でいっぱいに埋めたい
  こちら側の小さななぐさめ


  ほどなく
  まだ若いすらりと背の高いお坊様が到着する
  昨夜の通夜の読経は良く通る力のある声で
  それが私には何故だかとても嬉しかった

  今
  葬儀が始まったその発声も
  それにまして
  凛と張った声
  心地よい抑揚

  読経はしめやかに進んでいく

 この詩はまだ長く続きます。
 でも、このあとは、何よりも母の心に微妙に触れていく部分なので、母はきっと独りでそっと受け止めたいのではと思い、途中省略いたします。
 そして最後、詩の締めくくりです。

  読経の終わりに
  導師は力を込めて
  「喝」と
  長く響き渡る一喝を加えた

  母は
  これまでの時間の中で堆積したすべての煩悩から解き放たれたのだろうか
  「喝」のひと声が
  死者を静かな彼岸にいざなったに違いないと

  葬儀は
  そういう
  残されたものにも引導を渡す行為なのだと

  そして
  私たちが次々と手向ける花々にいっぱいに包まれて

  棺は静かに閉ざされて
  訣れの時が過ぎた


 もちろん、これは私だけでなく、特別な事でもなく、色々な思いを抱えながら誰しも順番で経験してゆくことなのでしょう。

 今というこの時間を大切にしながら、心を込めて過ごしていきたいと改めて思います。



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