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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

* 雪の日のウエディング

 雪の日は好きですか? 
 今日も京都は雪が降っています。ちぎった綿の様にふわふわ回りながら舞落ちてくる雪を見上げていると不思議なものに包まれているようでシーンとした気持ちになります。

 シャンソンだったら、アダモの「雪が降る」がこの時期定番の名曲ですが、何かの拍子にふと口ずさむんでしまったりすると、耳の奥でエンドレスに鳴り続けてどうしようもなくなってしまいます。
 「雪は降る 貴方は来ない 
  雪は降る 重い心に
  虚しい夢 白い涙 鳥は遊ぶ 夜は更ける
  貴方は来ない いくら呼んでも
  白い雪がただ降るばかり ラ~ラララ~ラララ~ラララ」
よく知られた安井かずみさんの訳詞です。「雪が降る」は何だか演歌っぽいと色々な人が言うけれど、確かにこの詩を朗読してみると、かなり日本的な臭いがする・・・・五七調のリズムがベースなんですよね。アダモの節回しや情感の入れ方などと相まって、日本でのヒットソングの要素満載の曲なのかもと思います。
 
 ところで、好きな雪の詩はありますか?
センチメンタルな話題だけれど、この数日雪の街を歩きながら何となく心に浮かんできているのは中原中也の「汚れちまった悲しみに」と吉野弘の「雪の日に」。
 「汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる・・・」で始まる、誰でも知っている・・・かな?・・・有名な詩。
 かたや、「・・・雪は 一度 世界を包んでしまうと  そのあと 限りなく降りつづけねばならない。 純白をあとからあとからかさねてゆかないと  雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。・・・」というこちらは吉野さんの少しマイナーな詩。

 二編の詩から、純粋に生きることができないでいる悲しみと、雪は人の心の汚れを隠すために降っているのだ・・・そしてその雪さえも真っ白であり続けるために、もはや降り止むことは出来ないのだ・・・という自らの不実を真っ直ぐに見つめる時の悲しみが見えてきます。
 こういう発想は、詩人特有の繊細な感性なのでしょうけれど、「なぜ貴方は来ないのだ」という理不尽さをひたすら訴え続けるフランス人の範疇にあるのだろうかと思ってしまいました。アダモに降る雪は、自分の不遇を嘆く悲劇性を際立たせるために降っている背景としての雪かな・・・などと少し大袈裟だけれど感じてしまいました。
 
 ・・・でも、私が一番好きな雪の詩は何と言ってもこれ!
「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
 次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ。」
という三好達冶のたった二行だけの「雪」という詩。絵も物語も浮かんできて本当に素敵です。

 雪のお話の最後に。
先日M教会で知人の結婚式に列席しました。
ステンドグラスの美しい古色蒼然とした荘厳な教会、パイプオルガンの響きが高い天井に柔らかく響いて格調高く、なかなか素敵だったのですが、前日の大雪が朝まで続き、時折流れるように雪が舞っている中でした。凍りつくように寒かった!!・・・・高い高い天井は暖房を入れても何の効果もなく・・・参列者も皆震えを堪えながら、それでも心頭滅却すればと・・・コートを凛々しく脱いで静かに讃美歌を歌ったり・・でも、ウエディングドレス姿の花嫁さんはこの雪の中でとても凛として美しく感動的でした。
 神父様は、人生には寒い寒い雪の日もあり・・・とか、・・・それでも皆で温かい心を持って祝福すれば身も心も温かくなり・・・とか・・・ひときわ印象的で妙に説得力のある胸に残るお言葉を述べていらっしゃいました。これから雪が降ったらきっと何回も思い出すのに違いありません。・・でもおそらく神父様もあの薄い祭事服で、たぶんやはりお寒かったのでしょうね。

 2月の花嫁さんは幸せに、そして逞しくなれる気がしました。どうぞお幸せに。

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