
お待たせしました。
今日は、前回の記事 椅子の魅力(1)~いくつかの椅子~ の続きからです。
前回、<絵の中にある素敵な椅子>をご紹介したいと言いましたが、その椅子とは、東山魁夷画伯の描かれた椅子なのです。
東山魁夷のこと
東山魁夷画伯と言えば、日本画壇の第一人者。
いくつかの代表的な絵画がすぐ目に浮かんでくるのではないでしょうか?
風景画家として、繊細な情感のこもった、美しい自然を描き続けた方ですが、その絵画同様、私は随筆もとても好きです。
静謐で内省的な心境と人柄が伝わってきて、言葉から絵が、絵から言葉が、祈るように生まれ出てくるようで、心洗われ、いつも深い感銘を受けるのです。
画伯は1999年に90歳で亡くなられましたが、これは『自然のなかの喜び』(講談社)に載っている70歳の時の写真です。
<謙虚と誠実と清純>を自らの生活信条にも絵画の究極にも置いた、高い精神性と意志とが、端正な佇まいの中から滲み出てくるように感じられます。
群青と緑青の絵の具で、深い青の陰影を駆使して描いた唐招提寺の障壁画の『山雲』『涛声』、そして同じく唐招提寺の襖絵に描いた四十二面の水墨画を筆頭に、数多くの日本画の傑作を残していますが、私が一番初めに出会い心魅かれた絵は、中学の国語の教科書の見開きに載っていた『道』でした。
<夏の朝早い空気の中に、静かに息づくような画面にしたいと思った。
この作品の象徴する世界は私にとって遍歴の果てでもあり、また、新しく始まる道でもあった。それは絶望と希望を織り交ぜてはるかに続く一筋の道であった。>
このような『一筋の道』という随筆の一文が添えられていたのですが、心象を映しだすこの一枚の風景画と文章が、ちょうど多感な年頃だった自分の感覚に何か大きく作用したようで、それから「東山魁夷」の名はずっと特別なものとして胸に刻まれてきたみたいです。
日本画家の彼ですが、若い頃はドイツに留学をしていましたし、その後、幾度もの中国、ヨーロッパ各地への取材旅行に精力的に出掛けて、日本のみならず、様々な外国の幻想的で美しい風景画も数多く残しています。
自然に襟を正したくなるような重厚なイメージが強い中で、北欧旅行の折に描いた1969年の『窓』という小品のスケッチ画シリーズは、悪戯心で色々な窓辺を走り書きしたような楽しさに溢れていますし、1972年に発表された、よく知られている『白い馬の見える風景』の十八点の連作は、どの絵にも白い馬が登場していて、それまで風景に人や動物を入れることが殆どなかった彼の作品の中で意表を突き、不思議なメルヘン的世界に誘われる感じがします。
コンコルド広場の椅子(Les chaises de la Place de la Concorde)
67歳の時のパリ旅行の産物として、1976年に発表された詩画集で、『窓』や『白い馬の見える風景』と同様メルヘンチック・・・というより、メルヘンそのもの、絵と物語が並び立っている魁夷画伯創作の<詩画集>なのです。
パリに滞在し、パリを散策する魁夷画伯は、コンコルド広場のあちこちに何気なく置かれている小さな椅子に気が付きます。
その姿は素朴だけれど、洗練された感じもあり、ユーモアと淋しさがあり、・・・形は簡単な鉄製、色は黄色と濃緑の二種類。
<恐らく、これらの椅子は、パリの中心ともいうべきこの広場の中で、最も目立たない存在であろう。しかし、その形と色調の良さ、人間味の豊かさは、やはり、パリならではと思わせる。>
・・・彼が椅子に親しみを感じ始めると、椅子が低い声で彼に囁きかけてきます。
<昨夜の雨で マロニエも 菩提樹も 秋の色が濃くなった
路上の落ち葉も日一日と多くなる
パリを繞(めぐ)る森も美しいことだろう
私はただ ここに こうして移り過ぎて行く季節を見守っているだけだが>
そして、椅子は魁夷画伯に、自分たちがじっとここにいて この広場の長い歴史を見てきたことを語り始めます。
自分の上に腰かける様々な人間たち・・・観光客 美しい娘 小さな男の子
セーヌに身を投げた青年・・・・沢山の物語を。
椅子は、体が軽くなって、仲間の椅子たちとパリの空を自由に飛び回った夢の話も彼にしました。
エッフェル塔 ルーブル モンマルトルの丘 シャンゼリゼ・・・・
でも、朝目が覚めると、やはりいつもの広場にいたのだと言いました。
<落ち葉が舞い落ちて 私の上に止まった
もう すぐ冬が来るだろう> Fin
若い頃には気づかずにいた、
<ひっそりとこの広場に佇んでいる素朴なものにも、親しみが通い合うのを強く感じた。この椅子の中にも、パリの心が生きている。 広場の椅子が私に語りかける言葉を忘れずに書きとめて、それを絵にしようと、その時、私は考えた。>
と後記にあります。
・・・パリの広場に置かれている椅子たちにも、普段自分が使っている椅子にも机にも、全ての事物にも、心があって、きっといつも人間に向かって話しかけているに違いないという気が自然にしてきますね。
自然万物に思いをかけて、そのものの本質を静かに慈しむ目を持つことが豊かに生きるということなのかもしれません。
このところ、いつもより色々な場所にある椅子に目が行き、いつもより少しだけ愛情深く眺めている日々で、嬉しい気持ちになっています。
素敵なシャンソンを歌われ、訳詞家でもある、大好きな歌手、別府葉子さんが、今年の八月に、東山魁夷せとうち美術館で、この『コンコルド広場の椅子』をモチーフにして朗読とシャンソンを組み合わせたコンサートをなさいました。私は聴くことができずとても残念だったのですが、素敵なアイディアですよね。シャンソンの調べがしっくりとこの詩画集のイメージにはまると思います。
<落ち葉が舞い落ちて 私の上に止まった>
・・・・最後に椅子が呟くこの言葉には、やはり『枯葉』が似合うでしょうか。
今日は、前回の記事 椅子の魅力(1)~いくつかの椅子~ の続きからです。
前回、<絵の中にある素敵な椅子>をご紹介したいと言いましたが、その椅子とは、東山魁夷画伯の描かれた椅子なのです。
東山魁夷のこと
東山魁夷画伯と言えば、日本画壇の第一人者。
いくつかの代表的な絵画がすぐ目に浮かんでくるのではないでしょうか?
風景画家として、繊細な情感のこもった、美しい自然を描き続けた方ですが、その絵画同様、私は随筆もとても好きです。

画伯は1999年に90歳で亡くなられましたが、これは『自然のなかの喜び』(講談社)に載っている70歳の時の写真です。
<謙虚と誠実と清純>を自らの生活信条にも絵画の究極にも置いた、高い精神性と意志とが、端正な佇まいの中から滲み出てくるように感じられます。
群青と緑青の絵の具で、深い青の陰影を駆使して描いた唐招提寺の障壁画の『山雲』『涛声』、そして同じく唐招提寺の襖絵に描いた四十二面の水墨画を筆頭に、数多くの日本画の傑作を残していますが、私が一番初めに出会い心魅かれた絵は、中学の国語の教科書の見開きに載っていた『道』でした。

<夏の朝早い空気の中に、静かに息づくような画面にしたいと思った。
この作品の象徴する世界は私にとって遍歴の果てでもあり、また、新しく始まる道でもあった。それは絶望と希望を織り交ぜてはるかに続く一筋の道であった。>
このような『一筋の道』という随筆の一文が添えられていたのですが、心象を映しだすこの一枚の風景画と文章が、ちょうど多感な年頃だった自分の感覚に何か大きく作用したようで、それから「東山魁夷」の名はずっと特別なものとして胸に刻まれてきたみたいです。
日本画家の彼ですが、若い頃はドイツに留学をしていましたし、その後、幾度もの中国、ヨーロッパ各地への取材旅行に精力的に出掛けて、日本のみならず、様々な外国の幻想的で美しい風景画も数多く残しています。
自然に襟を正したくなるような重厚なイメージが強い中で、北欧旅行の折に描いた1969年の『窓』という小品のスケッチ画シリーズは、悪戯心で色々な窓辺を走り書きしたような楽しさに溢れていますし、1972年に発表された、よく知られている『白い馬の見える風景』の十八点の連作は、どの絵にも白い馬が登場していて、それまで風景に人や動物を入れることが殆どなかった彼の作品の中で意表を突き、不思議なメルヘン的世界に誘われる感じがします。
コンコルド広場の椅子(Les chaises de la Place de la Concorde)
67歳の時のパリ旅行の産物として、1976年に発表された詩画集で、『窓』や『白い馬の見える風景』と同様メルヘンチック・・・というより、メルヘンそのもの、絵と物語が並び立っている魁夷画伯創作の<詩画集>なのです。
パリに滞在し、パリを散策する魁夷画伯は、コンコルド広場のあちこちに何気なく置かれている小さな椅子に気が付きます。
その姿は素朴だけれど、洗練された感じもあり、ユーモアと淋しさがあり、・・・形は簡単な鉄製、色は黄色と濃緑の二種類。

<恐らく、これらの椅子は、パリの中心ともいうべきこの広場の中で、最も目立たない存在であろう。しかし、その形と色調の良さ、人間味の豊かさは、やはり、パリならではと思わせる。>
・・・彼が椅子に親しみを感じ始めると、椅子が低い声で彼に囁きかけてきます。
<昨夜の雨で マロニエも 菩提樹も 秋の色が濃くなった
路上の落ち葉も日一日と多くなる
パリを繞(めぐ)る森も美しいことだろう
私はただ ここに こうして移り過ぎて行く季節を見守っているだけだが>

そして、椅子は魁夷画伯に、自分たちがじっとここにいて この広場の長い歴史を見てきたことを語り始めます。
自分の上に腰かける様々な人間たち・・・観光客 美しい娘 小さな男の子
セーヌに身を投げた青年・・・・沢山の物語を。
椅子は、体が軽くなって、仲間の椅子たちとパリの空を自由に飛び回った夢の話も彼にしました。
エッフェル塔 ルーブル モンマルトルの丘 シャンゼリゼ・・・・
でも、朝目が覚めると、やはりいつもの広場にいたのだと言いました。
<落ち葉が舞い落ちて 私の上に止まった
もう すぐ冬が来るだろう> Fin
若い頃には気づかずにいた、
<ひっそりとこの広場に佇んでいる素朴なものにも、親しみが通い合うのを強く感じた。この椅子の中にも、パリの心が生きている。 広場の椅子が私に語りかける言葉を忘れずに書きとめて、それを絵にしようと、その時、私は考えた。>
と後記にあります。

・・・パリの広場に置かれている椅子たちにも、普段自分が使っている椅子にも机にも、全ての事物にも、心があって、きっといつも人間に向かって話しかけているに違いないという気が自然にしてきますね。
自然万物に思いをかけて、そのものの本質を静かに慈しむ目を持つことが豊かに生きるということなのかもしれません。
このところ、いつもより色々な場所にある椅子に目が行き、いつもより少しだけ愛情深く眺めている日々で、嬉しい気持ちになっています。
素敵なシャンソンを歌われ、訳詞家でもある、大好きな歌手、別府葉子さんが、今年の八月に、東山魁夷せとうち美術館で、この『コンコルド広場の椅子』をモチーフにして朗読とシャンソンを組み合わせたコンサートをなさいました。私は聴くことができずとても残念だったのですが、素敵なアイディアですよね。シャンソンの調べがしっくりとこの詩画集のイメージにはまると思います。

<落ち葉が舞い落ちて 私の上に止まった>
・・・・最後に椅子が呟くこの言葉には、やはり『枯葉』が似合うでしょうか。


