
『こどもの行事 しぜんと生活』
「私はかこさんの絵本が大好きなのです」と、以前の記事で告白したことがありましたが、最近、出版された『こどもの行事 しぜんと生活』という、かこさとしさんの児童書を今日はご紹介してみますね。
『こどもの行事 しぜんと生活 2月のまき』がこちらです。
小峰書店から、今年の元旦に出版になりました。
<2月のまき>・・・・ということは3月も? 遡って1月も?・・・・その通り、正解です!
昨年12月に、<1月のまき>が発行され、以後、毎月一冊ずつ刊行されてゆくそうです。
これは、<1月のまき>と共にプレゼントして頂いたものなのです。
<行事絵本の決定版>という書店のシールが貼られていますね。
<一月のまき>のあとがきに、このようにありました。
・・・日本の行事やならわしのうち、この本では、その理由と行事にこめられた人びとの思いやかんがえもあきらかにして、つぎの時代につたえるようにえらびました。むかしの人たちがもっていた力や知恵を総動員して、生活をささえようとしていたことを、この一月の巻でしっていただきたいとおもいます。
著者の、子供たちへのメッセージがわかりやすく伝わってきます。
<1月のまき>は、お正月の意味や行事を中心に、可愛く、けれど詳細で正確な絵と、興味深い説明の文章で展開されていますが、それぞれの月毎に、メインテーマがはっきりと据えられているのがよくわかります。
ちなみに、2月は「新旧の暦と天体の動き」がテーマで、新暦、旧暦の違いから始まり、二十四節気や十二支十干の説明なども詳細にされていて、それが子供相手だからと変に手を抜いたところが全くないのです。
私は昔、易学に凝って、詳しく学んだこともあるのですが、そういう目から見ても、基本が本当に的確に押さえられて正確そのものだと感激してしまいました。
子供向きにわかりやすい言葉で記されていても、内容は妥協なく惜しみなく伝えるという科学者の情熱みたいなものがあるのでしょうね。
子供達を健全で聡明な世界に育んでゆこうとする愛情が強く感じられ、そして、扱われている対象が天体かと思えば、季節に咲く花だったり、その花が梅であれば、天神様のお話や、梅の家紋の意匠にまで及んだりと、・・・・かこさん自身が、小さな子供のように好奇心に満ちて、柔軟な発想を持っていらして、それが、私が彼の世界に魅かれる所以なのかもしれません。
この続きをこれから自分で揃えようと思っています。そして、今年の末には、このシリーズ全12冊が蔵書として本棚に増え、それと共に色々な知識が増し、遅ればせながら私も少し賢くなっている予定なのですが・・・・。
子供は勿論ですが、大人にも・・・頭が疲れないで、心和ませながら、真面目に科学や歴史と親しめる、今更聞けない疑問が氷解する・・・本の収納場所さえあれば、是非お薦めしたいと思います。
本の思い出
私は、イン・ドア派、同じ親に育てられた弟はアウト・ドア派。
やはり持って生まれた性格というのがあるのでしょうけれど、私は物心ついてから、本の中に埋もれて過ごしてきた活字中毒みたいな子でした。
昔、文学全集を買い揃えるというのが流行った時期があったのでしょうか?
新潮社とか岩波書店とか講談社とかが、意気盛んな時代で、次々と色々な企画の全集が出版されていた気がします。我が家は、父も母も人文系で、科学的な読み物が導入されることは余りなかったのですが、その代わり、嘗ての文学少女の母はかなりの読書好きで、ハードケースに入った新潮社の世界文学全集・・・全50巻位だったのでしょうか?・・・が毎月配布されてきたのを楽しそうに読んでいたのを思い出します。
私はまだ、小学校に入る前でしたので、『風と共に去りぬ』とか『戦争と平和』とか流石に読むことはできませんでしたが、あの全集は憧れそのもので、書名だけは全部すぐ覚えて、早く大きくなってあれを全巻読みたい・・・なんて密かに思っていたものでした。
・・・禁断症状から解き放たれて、小学校5年の時、一気にすべて読みまくりました。今でも殆ど内容も登場人物の名前まで覚えていますから、鉄は熱いうちに・・子供の好奇心のなせる技とは凄いものだと思います。
宝物が目の前に並べられて、おあずけ状態であるのは限りなくハングリー精神を生むみたいで、「今は絶対読んではだめだから」などと言って、本棚の目に着くところに置いておくのも本好きの子を作る荒療治になるかもしれませんね。
それより前、幼稚園から小学校低学年の頃は『世界童話全集』と『世界偉人伝』という全集が私のバイブルでした。
それこそ暗唱する位読みふけったものでした。今でも捨てられず、押入れの奥の方に隠してあります。
『偉人伝』というのも当時の一種の流行りだったようで、キュリー夫人とかナイチンゲールとか、ワシントンとか、なぜか王貞治さんなども入っていたのですが、三つ子の魂で、偉い人というのは心が真直ぐで、高い志を持って努力し、人の為に尽くす人で、今でもそういう偉い人の話には、ひどく感動したり、そういう人にならなくてよいのか・・・と、どこか心の隅で煩悶したりするのは、きっとこの影響なのでしょう。
子供にどんな本を与えるかはやはりかなり重要ですね。
小さい時、もう少し科学的な読み物を読んでいたら、今頃は、少しは冷静な判断力や視野を持っていたのかしらとも思いますが、まあ仕方がありません。
本の手触り
今は、出版業界も、新聞社も購読者減少に苦慮していると聞きます。かさ張る本や、たまってゆく新聞紙に変わって、パソコン一台あれば・・・という便利な時代になって来てはいますが、でも、紙でしか得られない独特の感覚ってあると思うのです。
一冊の本がもたらしてくれる筈の未知の世界への予感とか期待は、本の重さを手の中に感じ、ページを開いてゆく手触りに実感される気がしますし、目に一気に飛び込んでくる活字が集中力を高めてくれると感じます。
ロマンチックな言い方かもしれませんが、言葉の力はパソコンのディスプレイ上よりも紙の上のインク文字の方が似合っていて、直接に読み手に迫ってくると思えてなりません。
そういう自分も、実際には、日々パソコンに張り付いていますし、ネットで本の注文まで済ませてしまったりしているのですが。
でも、本屋さんに行って、書棚をじいっと眺めていると背表紙が訴えかけてくるものを感じ、突然手にとって無性に読みたくなってしまったりもします。
本って、そういう生き物なのでしょうね。
私の経験では、幼い子供はそれを察知する能力を持っていますから、足しげく本屋さんに連れて行って、本を買って家に置くこと、積読(つんどく)などと言いますが、活字への感性を研いでおくためにも、ただそこに積んであるという、それだけでも充分意味がある気が、私はします。
<2月のまき>を一昨日読んで、感じたことを今日は記してみました。
「私はかこさんの絵本が大好きなのです」と、以前の記事で告白したことがありましたが、最近、出版された『こどもの行事 しぜんと生活』という、かこさとしさんの児童書を今日はご紹介してみますね。

『こどもの行事 しぜんと生活 2月のまき』がこちらです。
小峰書店から、今年の元旦に出版になりました。
<2月のまき>・・・・ということは3月も? 遡って1月も?・・・・その通り、正解です!
昨年12月に、<1月のまき>が発行され、以後、毎月一冊ずつ刊行されてゆくそうです。
これは、<1月のまき>と共にプレゼントして頂いたものなのです。
<行事絵本の決定版>という書店のシールが貼られていますね。

<一月のまき>のあとがきに、このようにありました。
・・・日本の行事やならわしのうち、この本では、その理由と行事にこめられた人びとの思いやかんがえもあきらかにして、つぎの時代につたえるようにえらびました。むかしの人たちがもっていた力や知恵を総動員して、生活をささえようとしていたことを、この一月の巻でしっていただきたいとおもいます。
著者の、子供たちへのメッセージがわかりやすく伝わってきます。
<1月のまき>は、お正月の意味や行事を中心に、可愛く、けれど詳細で正確な絵と、興味深い説明の文章で展開されていますが、それぞれの月毎に、メインテーマがはっきりと据えられているのがよくわかります。
ちなみに、2月は「新旧の暦と天体の動き」がテーマで、新暦、旧暦の違いから始まり、二十四節気や十二支十干の説明なども詳細にされていて、それが子供相手だからと変に手を抜いたところが全くないのです。
私は昔、易学に凝って、詳しく学んだこともあるのですが、そういう目から見ても、基本が本当に的確に押さえられて正確そのものだと感激してしまいました。
子供向きにわかりやすい言葉で記されていても、内容は妥協なく惜しみなく伝えるという科学者の情熱みたいなものがあるのでしょうね。
子供達を健全で聡明な世界に育んでゆこうとする愛情が強く感じられ、そして、扱われている対象が天体かと思えば、季節に咲く花だったり、その花が梅であれば、天神様のお話や、梅の家紋の意匠にまで及んだりと、・・・・かこさん自身が、小さな子供のように好奇心に満ちて、柔軟な発想を持っていらして、それが、私が彼の世界に魅かれる所以なのかもしれません。
この続きをこれから自分で揃えようと思っています。そして、今年の末には、このシリーズ全12冊が蔵書として本棚に増え、それと共に色々な知識が増し、遅ればせながら私も少し賢くなっている予定なのですが・・・・。
子供は勿論ですが、大人にも・・・頭が疲れないで、心和ませながら、真面目に科学や歴史と親しめる、今更聞けない疑問が氷解する・・・本の収納場所さえあれば、是非お薦めしたいと思います。
本の思い出
私は、イン・ドア派、同じ親に育てられた弟はアウト・ドア派。
やはり持って生まれた性格というのがあるのでしょうけれど、私は物心ついてから、本の中に埋もれて過ごしてきた活字中毒みたいな子でした。
昔、文学全集を買い揃えるというのが流行った時期があったのでしょうか?
新潮社とか岩波書店とか講談社とかが、意気盛んな時代で、次々と色々な企画の全集が出版されていた気がします。我が家は、父も母も人文系で、科学的な読み物が導入されることは余りなかったのですが、その代わり、嘗ての文学少女の母はかなりの読書好きで、ハードケースに入った新潮社の世界文学全集・・・全50巻位だったのでしょうか?・・・が毎月配布されてきたのを楽しそうに読んでいたのを思い出します。
私はまだ、小学校に入る前でしたので、『風と共に去りぬ』とか『戦争と平和』とか流石に読むことはできませんでしたが、あの全集は憧れそのもので、書名だけは全部すぐ覚えて、早く大きくなってあれを全巻読みたい・・・なんて密かに思っていたものでした。
・・・禁断症状から解き放たれて、小学校5年の時、一気にすべて読みまくりました。今でも殆ど内容も登場人物の名前まで覚えていますから、鉄は熱いうちに・・子供の好奇心のなせる技とは凄いものだと思います。
宝物が目の前に並べられて、おあずけ状態であるのは限りなくハングリー精神を生むみたいで、「今は絶対読んではだめだから」などと言って、本棚の目に着くところに置いておくのも本好きの子を作る荒療治になるかもしれませんね。
それより前、幼稚園から小学校低学年の頃は『世界童話全集』と『世界偉人伝』という全集が私のバイブルでした。
それこそ暗唱する位読みふけったものでした。今でも捨てられず、押入れの奥の方に隠してあります。
『偉人伝』というのも当時の一種の流行りだったようで、キュリー夫人とかナイチンゲールとか、ワシントンとか、なぜか王貞治さんなども入っていたのですが、三つ子の魂で、偉い人というのは心が真直ぐで、高い志を持って努力し、人の為に尽くす人で、今でもそういう偉い人の話には、ひどく感動したり、そういう人にならなくてよいのか・・・と、どこか心の隅で煩悶したりするのは、きっとこの影響なのでしょう。
子供にどんな本を与えるかはやはりかなり重要ですね。
小さい時、もう少し科学的な読み物を読んでいたら、今頃は、少しは冷静な判断力や視野を持っていたのかしらとも思いますが、まあ仕方がありません。
本の手触り
今は、出版業界も、新聞社も購読者減少に苦慮していると聞きます。かさ張る本や、たまってゆく新聞紙に変わって、パソコン一台あれば・・・という便利な時代になって来てはいますが、でも、紙でしか得られない独特の感覚ってあると思うのです。
一冊の本がもたらしてくれる筈の未知の世界への予感とか期待は、本の重さを手の中に感じ、ページを開いてゆく手触りに実感される気がしますし、目に一気に飛び込んでくる活字が集中力を高めてくれると感じます。
ロマンチックな言い方かもしれませんが、言葉の力はパソコンのディスプレイ上よりも紙の上のインク文字の方が似合っていて、直接に読み手に迫ってくると思えてなりません。
そういう自分も、実際には、日々パソコンに張り付いていますし、ネットで本の注文まで済ませてしまったりしているのですが。
でも、本屋さんに行って、書棚をじいっと眺めていると背表紙が訴えかけてくるものを感じ、突然手にとって無性に読みたくなってしまったりもします。
本って、そういう生き物なのでしょうね。
私の経験では、幼い子供はそれを察知する能力を持っていますから、足しげく本屋さんに連れて行って、本を買って家に置くこと、積読(つんどく)などと言いますが、活字への感性を研いでおくためにも、ただそこに積んであるという、それだけでも充分意味がある気が、私はします。
<2月のまき>を一昨日読んで、感じたことを今日は記してみました。


