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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

梅一輪 ~『幼き日のこと』~

 三寒四温とは言い得て妙、春の訪れを待つ3月は、本当に気候が安定しなくて、私の周りでも、体調を崩す方達が続出です。
 皆様は、大丈夫ですか?
 
 特にこの数日、京都は真冬に戻ってしまったかのような厳しい底冷えの毎日です。
 一昨日など一日中、雪が降ったり止んだりで、その雪も、霰(あられ)のようにパラパラ音を立てて叩きつけてきたかと思うと、じっとりと重い霙(みぞれ)に変わってみたり、それが今度は、急にふわふわの牡丹(ぼたん)雪になって舞い、また突然、青空が覗いたり、何とも変な目まぐるしい空模様でした。

浅間高原の大雪
 でも、山国はもっと大変。
 昨日、群馬県の浅間高原で暮らす友人から、懐かしい便りと雪景色の写真とが届きました。
 あちらは今、かなりの大雪で、雪かき、雪降ろしの日々は、痛めた肩に辛い作業なのだと記されていました。
 一斉に花が咲き乱れる遅い春は、どんなに美しいことか、くっきりと彩られた季節感は厳しい自然との生活の中でこそ、一層際立つのでしょうね。


 そして、東京は麗らかな天気だと、母からの今日の電話。


 小さな日本なのに、春があちこちで色々に動いているのですね。


 でも、私は今、非常に機嫌が悪く、体調が優れません。

 今年もついに始まってしまったようです。
 ・・・花粉症とのお付き合いは、いつも重度の鬱状態からスタートです。
 デビューしたのは、3年くらい前で、それまでは私に限って大丈夫、と、涼しい顔をして威張っていたのですが、デビューが遅い分、発症するとかなり重症になるらしく、どうすれば少しはマシになるのか、良い知恵があったらどうか教えて下さいませんか?

 病院で薬も頂いて、いくつか試したのですが、どれも合わなくて、却って体調が悪くなる始末で、・・・お茶とか飴とか色々やってみてもどうも今一つですし、結局、現在、なすすべなく、家にいるときは空気清浄機を付けっぱなしにして、夜もマスクしたままの哀れな様相で・・・・。
 昔は花粉症なんてかかる人いなかったのに・・・と一人呟く姿は、人様にお見せ出来ない悲哀が漂っております。

 さて、そんな試練の日々を密かに飲み込み、今日は春の花のお話をしたいと思います。

 この季節に芳しく咲く梅の花。
 梅一輪 一輪ほどの 暖かさ
 香り高く、でもひっそりと静かな風情で春を告げる花
 雪をかぶって雪と溶けあいながら咲く健気な初春の花

 「飛び梅」とか、梅にまつわる古来からの美しい話は色々ありますが、井上靖氏のこんなエッセイをご存知でしたでしょうか?

 『幼き日のこと』という、井上靖氏の幼少期の思い出が綴られている随想集の中からの文章なのですが、少し要約しながらご紹介してみたいと思います。

 大好きな親戚の小父さんが、幼かった彼を連れて庭の梅の木のあるところへ行き、彼を抱き上げて、顔を梅の花の傍に持って行くというところから話は始まります。

  ---いい匂いがするだろう。
  ---うん。
  更に他の梅の木のところへ行って、
  ---じゃ、この梅の方はどうだ。
  ---いい匂いがする。
  ---うまいことを言って!ほんとか!
  おそらくこんなやり取りがあったのであろうと思う。こんなことのためか、いつとはなしに、私は梅の花を見ると、顔を梅の花の方へ持って行くような癖を身に着けてしまった。現在も、庭の梅が花をつけると、時々その匂いを嗅ぐし、幼い者でも傍に居ると、かつて自分がされたように、抱き上げて、梅の匂いを嗅がせてやる。自分の場合のように、いま自分が抱き上げてやっている幼い者がこのことを憶えているかもしれないと思うと、ある楽しさがある。甚だ当てにならぬ賭けではあるが、幼い者の心に、梅の花の匂いという時限爆弾でも仕掛けているような気持である。
  ---いい匂いがするだろう。
  ---うん。
 甚だ不得要領な顔をしているが、案外このことを憶えているかも知れないと思う。

 
 
 のどかな情景が浮かんでくるような瑞々しい文章で、さすがです。

 嘗てこの文章を初めて読んだ時、それまで格別意識したことのなかった「梅」という花が、この幼い子供の小さな物語を包みこんで、突然、自分の中で、魅力ある花に変容してゆくような気がして、とても感動したのを思い出します。
 言葉の力が、事物に息を吹き込んでゆくということなのでしょうか。
 
 「時限爆弾を仕掛ける」という表現も、なかなか含蓄がありますよね。
 何事にも即効性のある効果を期待し、ゆっくり待つことができなくなった忙しい時代ですけれど、いつ爆発するか、・・・果たして花開くのか否か、いくら仕掛けてもそれすら誰からも認めてもらえない、誰が仕掛けたのかもわからなくなるような、ずっと先の結実を楽しみにそっと待つ、そっと贈り物をする、という心の余裕と言うか、豊かさをしみじみと感じます。
 子供を育むという事も、そして生きてゆく道程の中に自分の足跡を残すというのも、こういう事なのかなと・・・・。

 よろしかったらゆっくりとお読みになってみて下さい。お薦めできるエッセイです。

 空気清浄機のある部屋から出て、梅を見に行きたくなりました。


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