
今日は春分の日。
暑さ寒さも・・の筈ですが、かなり肌寒い一日でしたね。
でも、前回のブログに「梅一輪」・・と書いてしまったからには、これは観梅しかないかと思い立ち、今朝、早速出掛けてみました。
京都で梅といえば、まずは北野天満宮かと。
私は、人混みに紛れるのが好きなわけではなく、梅なら尚更、人も通わぬ小さな庵にひっそりと咲く慎ましやかな風情のほうを好ましく感じるのですけれど、たまには・・・ご一緒にぶらり散歩を。
「北野天満宮」という文字通りの停留所でバスを降りると、すぐ鳥居が見えます。
天神様といえば、守りの牛。牛は天満宮の神徒とされていて、臥牛は天神様のシンボルですね。
季節柄、出店が賑やかに出ていました。小さな庵にひっそりと・・・は早くも挫折です。諦めて雑踏の中に。
ここにも守りの牛。
なで牛などとも言われて、神体を撫でると健康になるとか病が治るとかよく聞きますが、参拝の方達は、皆通りすがりに撫でてゆき、よく見るとどの牛もピカピカに光っていました。
牛の向こうに紅白の梅が美しく、ようやく心が少しだけ躍り始めました。
境内を歩き、山門に辿りつくと、官公の名歌が。
東風吹かば
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」
家族連れの一団がこの歌に注目して大きな声で楽しそうに話しているのが聞えてきました。
大学生くらいの男の子 「<ひがしかぜ>?」
お父さん 「あほちゃう。<こち>やろ」
たぶん妹 「そういえば学校で習ったわ。
<こち>や」
男の子 「習ったっけ?」
お父さん 「・・・・(菅原道真の太宰府左遷の話など
の説明をかなり滔々と)・・」
お母さん 「でもこの看板、間違ってると思う。絶対<春を忘るな>じゃない!」
お母さんは、たぶん<春な忘れそ>って言いたかったのでは?
<春を忘るな>は拾遺集に、<春な忘れそ>は大鏡の流布本や十訓集などに載っているのですが、写本の関係でこのような異本が生まれたので、実はどちらも正しいのです。
<春を忘るな>という言い回しの方が何となく新しい気がしますから、お母さんには違和感があったのでしょうね。 でも、拾遺集の方が実は制作年代は古いのです。・・・・などと国文学専攻の私は、こういうことだけは得意なので思わず解説をしたくなったのですが、ぐっと飲み込みました。
ちなみに言うと。
この歌は、菅原道真が太宰府に流される前、京都の自宅の庭の梅を読んだ歌なのですが、この梅が、主人の道真を慕って、彼の居る太宰府にひと夜で飛んで行ったというのが後日譚の飛梅(とびうめ)伝説で、それから梅は健気な花のイメージを持つようになったようです。
絵馬
本殿手前を少し横道に入ってゆくと、願掛けの絵馬が沢山掛っている場所に行きつきました。
思いの外の静けさで、やはり静寂の中で見る梅の花の佇まいは端正で美しく感じられます。
目の前に広がる絵馬の奉納場所です。
一カ月ほど前でしたら、きっとここも長蛇の列だったのでしょうね。
天神様は学問の神様ですから、受験シーズンは学業成就を願って、こぞって受験生が絵馬の奉納に訪れたのに違いありません。
願いは叶ったのでしょうか?
絵馬に書かれた様々な言葉を、しみじみと眺めてしまいました。
<○大学○学部○学科合格祈願 >の文字が何校分も小さな字でどっさり書き込まれてある絵馬もとても多かったです。
天神様はどの願いを優先して叶えるのでしょうか?
一生懸命の気持ちがわかるだけに、願いを叶える神様も大変かもしれませんね。
受験が終わって、皆、お礼参りには訪れたのでしょうか?
「○大学必勝」の絵馬が重なる中に、パラパラと「ありがとうございました」の字が見えて少しほっとしました。
一枚、「おばあちゃんの病気が少しでもよくなりますように」というのがあり、もっと心が和みました。
このブログでも前に何回かご紹介したことのある私の祖母が、よく言っていた言葉を思い出します。
「神様に祈るのは感謝をすることだけ。後は皆自分の責任」
厳しい人だったなと思います。
その薫陶を受けて育った私としては、もし受験祈願を絵馬に記すなら「健康で当日を迎え、これまで頑張った力が充分発揮できますように」と記すのが理想なのですが、でも、人は誰でも、「困った時の・・・」ですから、きっと私もいざとなるとで、・・・言うは易し・・・なのかもしれません。
観梅
梅苑という看板に魅かれて、入ってみました。ここからは有料です。
この時期の花、大好きな馬酔花(あせび)。
眼下に紙屋川の清流が流れます。
そして目を上げると春の色。
いつの間にかこんなに柔らかく美しい春色に木々は染まり始めていたのですね。淡いピンクと淡い緑と、木々が膨らみかけて幹も枝も赤く染まっています。冬から目覚めて樹の幹や枝に樹液が通い始めたような、流れる血が透けて見えるような、淡い赤です。
梅苑は、まあ・・・・・なので、その代わりというわけなのか、茶菓子付き入場券でした。この時期限定なのでしょうか、茶店がしつらえてあって、皆、梅茶と官公梅というお煎餅で一息です。
見上げれば寺社の甍。梅の香りに青い空。
帰路に、袴姿で小さな花束を手にした女性達と何人も出会いました。
大学の卒業式か、謝恩会に向かう所なのでしょうか?
春、まさに旅立ちの季節です。
暑さ寒さも・・の筈ですが、かなり肌寒い一日でしたね。
でも、前回のブログに「梅一輪」・・と書いてしまったからには、これは観梅しかないかと思い立ち、今朝、早速出掛けてみました。
京都で梅といえば、まずは北野天満宮かと。
私は、人混みに紛れるのが好きなわけではなく、梅なら尚更、人も通わぬ小さな庵にひっそりと咲く慎ましやかな風情のほうを好ましく感じるのですけれど、たまには・・・ご一緒にぶらり散歩を。

「北野天満宮」という文字通りの停留所でバスを降りると、すぐ鳥居が見えます。
天神様といえば、守りの牛。牛は天満宮の神徒とされていて、臥牛は天神様のシンボルですね。


季節柄、出店が賑やかに出ていました。小さな庵にひっそりと・・・は早くも挫折です。諦めて雑踏の中に。

ここにも守りの牛。
なで牛などとも言われて、神体を撫でると健康になるとか病が治るとかよく聞きますが、参拝の方達は、皆通りすがりに撫でてゆき、よく見るとどの牛もピカピカに光っていました。
牛の向こうに紅白の梅が美しく、ようやく心が少しだけ躍り始めました。
境内を歩き、山門に辿りつくと、官公の名歌が。
東風吹かば

「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」
家族連れの一団がこの歌に注目して大きな声で楽しそうに話しているのが聞えてきました。
大学生くらいの男の子 「<ひがしかぜ>?」
お父さん 「あほちゃう。<こち>やろ」
たぶん妹 「そういえば学校で習ったわ。
<こち>や」
男の子 「習ったっけ?」
お父さん 「・・・・(菅原道真の太宰府左遷の話など
の説明をかなり滔々と)・・」
お母さん 「でもこの看板、間違ってると思う。絶対<春を忘るな>じゃない!」
お母さんは、たぶん<春な忘れそ>って言いたかったのでは?

<春を忘るな>という言い回しの方が何となく新しい気がしますから、お母さんには違和感があったのでしょうね。 でも、拾遺集の方が実は制作年代は古いのです。・・・・などと国文学専攻の私は、こういうことだけは得意なので思わず解説をしたくなったのですが、ぐっと飲み込みました。
ちなみに言うと。
この歌は、菅原道真が太宰府に流される前、京都の自宅の庭の梅を読んだ歌なのですが、この梅が、主人の道真を慕って、彼の居る太宰府にひと夜で飛んで行ったというのが後日譚の飛梅(とびうめ)伝説で、それから梅は健気な花のイメージを持つようになったようです。
絵馬
本殿手前を少し横道に入ってゆくと、願掛けの絵馬が沢山掛っている場所に行きつきました。
思いの外の静けさで、やはり静寂の中で見る梅の花の佇まいは端正で美しく感じられます。

目の前に広がる絵馬の奉納場所です。
一カ月ほど前でしたら、きっとここも長蛇の列だったのでしょうね。
天神様は学問の神様ですから、受験シーズンは学業成就を願って、こぞって受験生が絵馬の奉納に訪れたのに違いありません。
願いは叶ったのでしょうか?
絵馬に書かれた様々な言葉を、しみじみと眺めてしまいました。

<○大学○学部○学科合格祈願 >の文字が何校分も小さな字でどっさり書き込まれてある絵馬もとても多かったです。
天神様はどの願いを優先して叶えるのでしょうか?
一生懸命の気持ちがわかるだけに、願いを叶える神様も大変かもしれませんね。
受験が終わって、皆、お礼参りには訪れたのでしょうか?
「○大学必勝」の絵馬が重なる中に、パラパラと「ありがとうございました」の字が見えて少しほっとしました。
一枚、「おばあちゃんの病気が少しでもよくなりますように」というのがあり、もっと心が和みました。

このブログでも前に何回かご紹介したことのある私の祖母が、よく言っていた言葉を思い出します。
「神様に祈るのは感謝をすることだけ。後は皆自分の責任」
厳しい人だったなと思います。
その薫陶を受けて育った私としては、もし受験祈願を絵馬に記すなら「健康で当日を迎え、これまで頑張った力が充分発揮できますように」と記すのが理想なのですが、でも、人は誰でも、「困った時の・・・」ですから、きっと私もいざとなるとで、・・・言うは易し・・・なのかもしれません。
観梅
梅苑という看板に魅かれて、入ってみました。ここからは有料です。
この時期の花、大好きな馬酔花(あせび)。
眼下に紙屋川の清流が流れます。


そして目を上げると春の色。
いつの間にかこんなに柔らかく美しい春色に木々は染まり始めていたのですね。淡いピンクと淡い緑と、木々が膨らみかけて幹も枝も赤く染まっています。冬から目覚めて樹の幹や枝に樹液が通い始めたような、流れる血が透けて見えるような、淡い赤です。


梅苑は、まあ・・・・・なので、その代わりというわけなのか、茶菓子付き入場券でした。この時期限定なのでしょうか、茶店がしつらえてあって、皆、梅茶と官公梅というお煎餅で一息です。
見上げれば寺社の甍。梅の香りに青い空。

帰路に、袴姿で小さな花束を手にした女性達と何人も出会いました。
大学の卒業式か、謝恩会に向かう所なのでしょうか?
春、まさに旅立ちの季節です。


