
このブログで、ご紹介し始めました『紋次郎物語』ですが、思い出していると、次々と懐かしく「紋次郎」を巡る出来事が浮かんできて、このところ、タイムスリップしたような楽しい時間を過ごしています。
ただ、これから先、とてつもなく長くなりそうで、最後まで行き着くかどうか、我ながら少し心配になってきたのですが・・・。
それと共に、猫のことを書いた文章が、最近やけに目にとまります。
「猫が猫らしく暮らす島を訪ねて」
先日届いてきた『通販生活』の夏号にこんな記事が出ていました。
(注『通販生活』はカタログハウスという結構有名な通信販売の会社が出している、商品カタログ誌だが、ちょっとユニークで読み物としても面白い記事が時折出ている。以前何回か商品を購入したら、いつの間にか送られてくるようになった。私・・・密かに愛読している。)
この中に、「猫が猫らしく暮らす島を訪ねて」という山口規子さんという方が取材し書かれた文章が沢山の猫の写真と共に載っていてなかなか興味深かったので、ご紹介してみようと思います。
「宮城県・石巻湾に浮かぶ田代島は、人よりも猫のほうが多い島だ。主に高齢者ばかりの41世帯61人が暮らす周囲11.5キロメートルの小さな島に約100匹もの猫が住みついている」という文章から始まります。
一部猫好きには有名な<猫だらけ>の島なのだそうですが、漁業を生業とする島の生活の中で、猫達は港を中心にして生活していて、朝、船が漁から戻ると、漁師たちは売り物にならない獲れたての小魚をふんだんに猫達に分け与える、猫には申し分のない楽園であるようなのです。
「人間にいじめられたことがないらしく、どの猫も逃げないし、隠れない」
「ここでは人間と猫が同等に暮らしている。島民が猫の生活を尊重していることをひしひしと感じた」と記されています。
その昔は、米作のネズミよけとして、その後は大漁の守り神として尊重されてきたらしいのです。猫を守るため、この島には犬は一匹もいないというほど徹底しているようで、私が猫だったら、絶対田代島に移住したいと思うでしょうね。
この記事は、「私が子供だった頃は家の外には野良猫がいて、人間と折り合って生きていた。猫が猫らしく暮らし、島民も実にのんびりした生活を送っている田代島は、いまや特別な場所なのだろうか。」と締めくくられていて、前回の記事でご紹介しましたが、イスタンブールの猫達の暮らしと重なるものを大いに感じました。
自然との関わり方が大きく変化してきた現代の生活ですから、猫や犬などの動物も当然例外ではなくなっているわけですが、こういう記事を読んだりすると、文明が進み過ぎたことの意味を改めて考えさせられてしまいます。
「猫に名前をつけすぎると」(1998、河出文庫)
ずっと昔に読んだ、小説家阿部昭氏のエッセイ集が本棚の奥にあり、今朝、ふと目に留まりました。思わず一気に読み返してしまったのですが、軽妙なタッチの中に洒脱なユーモアと小動物への愛情や鋭敏な観察眼が感じ取れて楽しかったです。
「猫を飼ったら、いくら可愛くてもあまり名前を付け過ぎてはいけません。
名前はやはり一つだけ付けるのがいいのです」とあります。
たとえば、「クロ」を「クロすけ」と呼んだり、「クロコビッチ」と呼んだりしてはいけないというのですが・・・・。
これについては、私にもちょっとした経験がありますので、いずれ、『紋次郎物語』の続きの中で、取り上げてみる事にしたいと思います。
阿部昭氏はかなりの猫好きなようですが、彼に限らず、犬派ではなく、猫派の小説家や画家は結構多そうです。内側に深く入り込む感性は、どこか猫に惹かれ、引寄せられる要素を持っているのかもしれませんね。
今日は、閑話休題で、猫のことを書いた文章を紹介させていただきました。
さて明日は、巴里野郎での初ライブがあります。
お客様に楽しんでいただけるよう、ベストを尽くしてきたいと思います。
ただ、これから先、とてつもなく長くなりそうで、最後まで行き着くかどうか、我ながら少し心配になってきたのですが・・・。
それと共に、猫のことを書いた文章が、最近やけに目にとまります。
「猫が猫らしく暮らす島を訪ねて」
先日届いてきた『通販生活』の夏号にこんな記事が出ていました。
(注『通販生活』はカタログハウスという結構有名な通信販売の会社が出している、商品カタログ誌だが、ちょっとユニークで読み物としても面白い記事が時折出ている。以前何回か商品を購入したら、いつの間にか送られてくるようになった。私・・・密かに愛読している。)
この中に、「猫が猫らしく暮らす島を訪ねて」という山口規子さんという方が取材し書かれた文章が沢山の猫の写真と共に載っていてなかなか興味深かったので、ご紹介してみようと思います。
「宮城県・石巻湾に浮かぶ田代島は、人よりも猫のほうが多い島だ。主に高齢者ばかりの41世帯61人が暮らす周囲11.5キロメートルの小さな島に約100匹もの猫が住みついている」という文章から始まります。
一部猫好きには有名な<猫だらけ>の島なのだそうですが、漁業を生業とする島の生活の中で、猫達は港を中心にして生活していて、朝、船が漁から戻ると、漁師たちは売り物にならない獲れたての小魚をふんだんに猫達に分け与える、猫には申し分のない楽園であるようなのです。
「人間にいじめられたことがないらしく、どの猫も逃げないし、隠れない」
「ここでは人間と猫が同等に暮らしている。島民が猫の生活を尊重していることをひしひしと感じた」と記されています。
その昔は、米作のネズミよけとして、その後は大漁の守り神として尊重されてきたらしいのです。猫を守るため、この島には犬は一匹もいないというほど徹底しているようで、私が猫だったら、絶対田代島に移住したいと思うでしょうね。
この記事は、「私が子供だった頃は家の外には野良猫がいて、人間と折り合って生きていた。猫が猫らしく暮らし、島民も実にのんびりした生活を送っている田代島は、いまや特別な場所なのだろうか。」と締めくくられていて、前回の記事でご紹介しましたが、イスタンブールの猫達の暮らしと重なるものを大いに感じました。
自然との関わり方が大きく変化してきた現代の生活ですから、猫や犬などの動物も当然例外ではなくなっているわけですが、こういう記事を読んだりすると、文明が進み過ぎたことの意味を改めて考えさせられてしまいます。
「猫に名前をつけすぎると」(1998、河出文庫)

ずっと昔に読んだ、小説家阿部昭氏のエッセイ集が本棚の奥にあり、今朝、ふと目に留まりました。思わず一気に読み返してしまったのですが、軽妙なタッチの中に洒脱なユーモアと小動物への愛情や鋭敏な観察眼が感じ取れて楽しかったです。
「猫を飼ったら、いくら可愛くてもあまり名前を付け過ぎてはいけません。
名前はやはり一つだけ付けるのがいいのです」とあります。
たとえば、「クロ」を「クロすけ」と呼んだり、「クロコビッチ」と呼んだりしてはいけないというのですが・・・・。
これについては、私にもちょっとした経験がありますので、いずれ、『紋次郎物語』の続きの中で、取り上げてみる事にしたいと思います。
阿部昭氏はかなりの猫好きなようですが、彼に限らず、犬派ではなく、猫派の小説家や画家は結構多そうです。内側に深く入り込む感性は、どこか猫に惹かれ、引寄せられる要素を持っているのかもしれませんね。
今日は、閑話休題で、猫のことを書いた文章を紹介させていただきました。
さて明日は、巴里野郎での初ライブがあります。
お客様に楽しんでいただけるよう、ベストを尽くしてきたいと思います。


