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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『見果てぬ世界』

訳詞への思い   コンサートを前に

 「松峰綾音訳詞コンサートvol.9『吟遊詩人の系譜』」、今週末土曜日の本番までいよいよカウントダウンとなりました。
 昼の部は、ほぼ一杯になりましたが、夜の部はあと少しお席がありますので、お申込みはどうぞお急ぎ下さいますように。

 ところで、本番数日前の最終調整期間、どのように過ごすのが賢明なのか、といつも考えてしまいます。

 「本番に向けて、自分を追い込みながら練習の加速度をあげて最高潮に持ってゆくべき」なのか、「間際は何にもしないで、ひたすら休息を取り、力が存分に発揮できるよう、エネルギーを温存しておくべき」なのか。

 それぞれの性格や体力、その時のコンディション、準備の進み具合、などによっても異なるでしょうから、勿論、一概には言えないわけですが、いずれにしても、体調管理やイメージトレーニングは重要で、コンサート前ってスポーツ選手の試合前とも似ているところがあるのかもしれません。

 コンサートの日を、お客様にも自分自身にも、飛び切りの一日にできるようベストを尽くしたいと思います。

 「訳詞への思い」、今日は、コンサートで取り上げる曲、ゴールドマンの『見果てぬ世界』をご紹介致します。


       『見果てぬ世界』
                     訳詞への思い<19>

 
『là-bas』 
 この曲が発表されたのはJ.J.ゴールドマン36歳(1987年)の時だが、デビュー当時(28歳)から現在(64歳)に至るまで、彼には、そして彼の曲には、色褪せない<青春>のイメージがあるように感じている。
ジャケット
 内省的で、理不尽なものに妥協せず、世間の常識や圧力に縛り付けられることを拒絶して、いつも自分らしく自由に羽ばたこうとするような、1980年代という時代が持っていた青春の香りが、彼の世界の中心にあり続けている気がするのだ。

 この曲の原題は『là-bas』で、「あそこ・向こう・彼方」というような意味である。
 今居るここではない、どこか別の<向こう側の世界>を指しているのだろう。

 原詩の冒頭は次のように始まる。(松峰対訳)

   あそこでは 
   全てが新しく全てが野生的だ
   鉄格子のない自由な大陸だ
   ここでは 僕達の夢は窮屈になる 
   だから僕はあそこに行きたいのだ

   あそこでは
   意志と勇気が必要だ
   けれど すべては僕の年齢で可能だ
   もし力と信念を持ってさえいれば
   金は手の届くところにある
   だから僕はあそこに行くんだ


 私の訳詞『見果てぬ世界』の冒頭は次のようである。

    là-bas
   そこには きっとある  何もかも 変えられる
   だから 僕は出てゆく   
   自由に生きる là-bas

   là-bas
   君さえも 褪せてゆく  何もかも 死んでゆく
   だから 僕は出てゆく 
   賭けてみたい 夢に  
   必ずある  là-bas


   『木綿のハンカチーフ』
 『見果てぬ世界』には、もう一人、主人公の恋人が登場する。
 彼の思いを危ういものに感じ、それが二人の愛の終焉に繋がることを予感して、必死で引き留めようとしている。

 彼女の言葉を次のように訳詞してみた。

   là-bas
   私の傍にいて    どこにも行かないで
   見知らぬ世界の   渦の中で
   貴方の心は 壊れてしまうから
   気付いて欲しい 愛はここにある


 だから、どんなことがあっても出て行ってはならないのだと、強くどこまでも引き留め続ける。

 1975年の日本のヒット曲、太田裕美が歌った『木綿のハンカチーフ』という曲がなぜか重なって思い出された。

 1  恋人よ ぼくは旅立つ 東へと向かう列車で
   はなやいだ街で 君への贈りもの  探す 探すつもりだ
   いいえ あなた 私は  欲しいものはないのよ
   ただ都会の絵の具に
   染まらないで帰って 染まらないで帰って
   
       <略>

 4  恋人よ 君を忘れて   変わってく ぼくを許して
   毎日愉快に 過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない
   あなた 最後のわがまま 贈りものをねだるわ
   ねえ 涙拭く木綿の
   ハンカチーフください ハンカチーフください


 彼女が最後に望んだのは、木綿のハンカチーフだったという切ない幕切れだ。

 彼はただ都会に流された軽佻浮薄な輩だったわけであり、それでもそんな彼のために流す涙を拭く「ハンカチーフを下さい」という、どこまでも彼を受け入れ、許し続ける女性は、まず絶対的にフランス人の女性には存在しないのではと思われる。
 『見果てぬ世界』の中には、愛を獲得するために相手を引き留め続けようとする強い女性像が垣間見え、似て非なる、日本とフランスの文化の差異が興味深い。

   『たびだち』
 話を戻すと。
 『見果てぬ世界』の中のこの恋が間違っていたわけでもなく、彼か彼女、どちらかが悪かったわけでもなく、ただ青春の彷徨・旅立ちというものは時としてそういう残酷な側面を抱えているのだということなのだろう。
 常に自分らしく生き、プライドを持ち続けようとする青年の、ヒリヒリとした青春の痛みが伝わってくるように思える。

 以前、「訳詞への思い」の「たびだちその一」「たびだち その二」に記した「puisque tu pars(『たびだち』松峰邦題)」は、この『見果てぬ世界』と同年の1987年に発表された曲で、閉塞された現状を打破すべく今居る場所を飛び出して、新しい世界に羽ばたいてゆく若者を見送る側の視点で書かれたアンサーソングのような作品になっている。  
 人生には、いつも、幾つもの旅立つ者、見送る者のドラマが繰り返されるのだろう。
 そんな様々な感慨を含みつつ、数日後のコンサートではこの二つの曲の世界を心を込めて歌ってみたいと思っている。
                         Fin

  (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
 では、ゴールドマンの原曲をこちらのyoutubeでお楽しみください。https://www.youtube.com/watch?v=zFwaRmpzvjo




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『冷たい夜のダンス』

カット   10月つれづれ
 秋もいよいよ深まり、でも寒いという程でもない気持ちの良い季節。
 柿色や栗色やワイン色のショールを肩に掛けて、ロングブーツで街を闊歩してみたくなります。

 今日は眩しい陽射しの一日だったので、クローゼットを<晩夏・初秋>から<晩秋・初冬>ヴァージョンへと入れ替えてみました。
でも<厳冬>のコートなどはまだこの季節には似合わないので、仕舞ったままにしてあります。

 私は昔から、季節に合わせて、まめに衣替えや部屋の模様替えをすることに、かなり頑固なこだわりを持っています。
 扇風機も暖房機も一緒に部屋の中に置かれてあったり、ダウンジャケットとノースリーブのワンピースが一緒に掛けてあったりするのは、自分の中の日本的美意識に照らすと、「よろしくない」と感じてしまう古いタイプの人間なので、その結果、何だかいつも忙しいのですけれど。

      ・・・・・・・・・・・

 バーモントの秋の写真
 書斎に掛けてあるカレンダーはアメリカの北東部バーモントに暮らす友人が毎年贈ってくれるもの、10月はもうこんな紅葉の景色で染まっています。

  この時期のバーモントを嘗て訪れたことがありますが、大きなメープルの木々が一斉に紅く色付き、やがて枯れ落ちて道を埋め尽くす様は何とも穏やかでしみじみとした寂寥感もあり、静謐な情景です。
 バーモントでは、長く厳しい冬がもう始まろうとしているのでしょうね。

 そして行く秋を惜しむようにこの時期、どこの家でも飾られるこんなハロウィンの飾り。
ハロウィンの絵葉書
 私は20年近く前にアメリカに住んでいたことがあるのですが、この頃は日本ではまだハロウィンの事はほとんど知られていなくて、カボチャのお化けみたいなものを初めて見た時、かなり驚きました。
 ハロウィンの仮装行列やハロウィン・パーティーのこともこの頃、初めて知りました。
 アパートの私の部屋の前に、夕暮れ時、大勢の子供たちが仮装して訪れてきて、それがハロウィンキャンディーを貰いに来たのだと知って、慌てまくったことなども懐かしく思い出します。

 京都の街でも、ハロウィンの飾りが賑やかなのを見ていたら、そんなことを脈絡なく思い出してしまいました。
   
   ・・・・・・・・・

 さて、今日は、「訳詞への思い」、11月と12月のコンサートで歌いたいと思っている『冷たい夜のダンス』という曲をご紹介します。


    『冷たい夜のダンス』
                  訳詞への思い<18>


 Axelle Red(アクセル・レッド)という歌手は日本では殆ど知られていないが、1990年代にデビューしたフレンチポップス界のアイドルスターである。
 1993年のファーストアルバム『sans plus attendre』(もう待たない)に、原曲の『Elle danse seule』(彼女は一人でダンスをする)が収められている。
アクセルレッド
 けれど、私がこの曲を初めて聴いたのは、2004年のアルバム『french Soul』(フレンチ・ソウル)にある別ヴァージョンのほうで、こちらは、初出のものよりも、かなりハードなソウルっぽい作りになっている。
 まさに『フレンチ・ソウル』というアルバムタイトル通りで、心の奥を突き動かすように響いて来るリズムと旋律がメランコリックで心地良かった。

 部屋の灯りを思いっきり落として、テーブルにカットグラスを置けば、自然とセンチメンタルな気分に浸れそうな、ツボにはまる感じの曲である。

 アクセル・レッドの、ちょっと背伸びした女の子の思い詰めたような声が、この歌詞を却って切なくしているようで、イメージが自然に広がっていく。
 
 私の日本語詩の書き出しは次のようである。

   流れてゆく 昼と夜
   彼女だけを 置いて
   傷の痛みは もう 感じないけど
   心は 夢を 探す

   すべて賭け 愛してきた
   彼は なぜ 信じない
 
   Elle danse seule
   彼女は 一人で 踊り続ける
   影に 答えを 尋ねる
   裸足のステップ 冷たい床に 凍える
   夜の ダンス


 夜が更けてなお、一人ダンスを続ける。
 「Contre le sol trop froid」・・・冷たすぎる床に対してor接して・・・彼女が踊る音楽はまさにこの<気だるく止むことのないスローなソウル>で、彼女は裸足で冷たく硬いフロアーを感じながら踊っているに違いない。
 つま先から、踵から、心まで、真っ直ぐに伝わってくるような痛さを身に感じているのに違いない。
 床に崩れるように倒れ、その冷たさに凍えるように眠るのかもしれない。
 凍えてしまいたいと思って、飽くことなく踊り続けているのかもしれない。
 
 もうずっと前だが、『ひとりぼっちの青春』というアメリカ映画を見たことを思い出した。
 1930年代の大恐慌の中での貧困がもたらした悲劇が描かれていた。
 「マラソン・ダンス」という名の、何日も何日も昼夜休むことなく踊り続けて、最後の一人になるまで競い、勝ち残った者が懸賞金を手にするという、過酷極まりない競技。
 それに参加する人々の苦悩がスクリーンに繰り広げられていた。細部の記憶はもう曖昧だが、主演がジェーン・フォンダで、極限を超え、疲労困憊し意識が空ろになっても猶も踊る、彼女の壮絶で悲痛に満ちた表情が突然思い出された。

 踊り続けることの意味は勿論全く違うのだが、踊っている姿の孤独、悲しさがここに重なって感じられた。

 映画の女主人公にとっては、踊ることが、やがて理不尽な社会や無責任な悪意ある好奇心への強烈な批判に高められていく。
 曲の中の彼女もまた、自らのダンスを止めない。
 彼女が自分を確認する最後の術であり、生きてきた証ででもあるかのように。
 愛を繫げようとするかのように。

 アクセル・レッド、その名の通り髪を赤く染めたシンガー。
 灯りを暗くして聴きたくなる、こんな歌手のこんな魅力的な曲もあることを、是非今度のコンサートでもご紹介してみたいと思っている。
     
                           Fin
                                                               
 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
    取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
 ではアクセル・レッドの歌う原曲をお楽しみ下さい。



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『お茶の時間』

訳詞への思い 9月に入りふと感じる涼風に、そろそろ秋の装いを、などと思うのですが、油断大敵、まだ残暑は居座っているようですね。

 9月13日の東福寺コンサートもいよいよ後一週間と迫ってきました。
 万端整ったわけではありませんが、でもここまで来ると覚悟は定まり、粛々と最終調整に努める毎日で、不安よりも楽しみのほうが加速度を増しています。

 以前の記事「『採薪亭演奏会』が近づいてきます」にも記しましたが、東福寺でのコンサートでは一部と二部の間に休憩が一時間入るのです。
お茶の時間プログラム
 この間、ケーキと珈琲で寛いで頂きますが、それではというわけで、一部の終わりに『お茶の時間』という曲を歌ってみようかと考えました。
 思えば2007年の訳詞コンサートvol.1で最初にご紹介した曲で、この時のコンサートタイトルも同名の『お茶の時間』でした。
ヴァンサン・ドゥレルムプログラム
 その後vol.3『ヴァンサン・ドゥレルムを知っていますか』でも取り上げています。
 (HPのコンサートヒストリーのページをご参照ください)
  
 「訳詞への思い」、今日はこの曲『お茶の時間』をご紹介致します。


      『お茶の時間』
               訳詞への思い<17>


 この曲の作詞作曲はVincent Delerm(ヴァンサン・ドゥレルム)。
シャンソン、フレンチポップスの旗手として、フランスでは評価が高く、まさに現在活躍中のシンガーソングライターである。
以前『そして 君』という彼の曲を取り上げたので( 「そして 君」 その一「そして 君」 その二 )、併せてご参照頂ければと思うが、日本における彼の認知度は未だ低いことが残念に思われる。
   
   『l’heure du thé(お茶の時間)』
 <J’etais passé pour prendre un thé> が、この曲の冒頭のフレーズで、「私はお茶を飲むために過ごしていた」という意味である。

    カラメル あるいは バニラ
    ああ違う バニラだけしかない
    私は楽しい話をするためにやって来ていた


  と、原詩は続いていく。

 彼女は、恋人とお茶を飲みたかった。ただそのために彼を訪れた。
 そしていつものように、ゆっくりと二人でお茶を味わった。
 おしゃべりし、お茶を飲むためだけにあった時間だった。
 そして、けれど、・・・・彼と夜を過ごすことになった。
 それが最後の夜になってしまった。

   「その時 私はお茶を飲むために過ごしていたのだ」

 と彼女は繰り返し確認する。

 ・・・何気ないが、なかなか意味深長な言葉だ。
 「成り行きでそういうことになってしまったけれど、所詮その場限りの恋だったのだから・・・。」とも読める。
 しかしまた、「どんなに修復しようとしても、二人の間に、お茶の時間以上の意味は見いだせない。最初の夜は、恋の終結を自らに告げる最後の夜となった。あの時間はお茶を飲むためだけにあった時間、それだけだったのだから・・・。」という、自らに告げる密かな挽歌のようなものとも。これはかなり切ない。

 あらゆる始まりは、終わりに向かって動いて行くのだろうか。

 この曲の、どこか曖昧模糊とした、それでいて、紅茶の湯気の中に、カラメルやバニラがほろ甘く香ってくるような気だるさにかなり惹かれる。
 Vincent Delerm(ヴァンサン・ドレルム)の泣き出しそうにも、面倒くさそうにも思われる頼りなげな独特な歌い方が妙に気になって、いつの間にか嵌(はま)り込んでしまう。

 そもそも『お茶の時間』というタイトル自体、そこら辺にありそうでいて、実はなかなかお洒落なのではないか。
 フランス人が好むというカラメルやバニラフレーバーの紅茶を飲みながらこの曲を聴くことがやはりお薦めかもしれない。

 私の訳詞の冒頭は
お茶の時間
    昼下がり 貴方と
    キャラメルティー それとも バニラ
    ああ バニラしかなかったわ


 とした。あくまでも、さりげなく始まる。
 「お茶を飲むために過ごしていた」という冒頭の原詩をそのままダイレクトに詩にしたくなかった。

  この曲<l’heure du thé>は2002年に発表されたアルバム<Vincent Delerm>に収められている。
 ライブ版DVDも入手できたので鑑賞してみたが、多種多様な曲想の強烈でユニークな世界を持っているにもかかわらず、彼自身は物静かな青年で、少しはにかみつつ知的な雰囲気を漂わせているステージであり、不思議な印象があった。


   メタフォール(隠喩表現)について
 ところで、詩的修辞法の代表的なものに、具体的事物をそのまま多数並べることによってそこから受けるイメージを重層させてゆくという一種の隠喩表現<メタフォール>があるが、彼のほとんどの作品にはこの隠喩的表現が多用されているようだ。
 「お茶の時間」の中では、モジリアーニ、ガブリエル・フォーレ、モーツァルト、ローラン・ヴルズィー、カラン・ルダンジェ、・・・・ 古今名だたる画家、音楽家、俳優等が登場してくる。
 カラン・ルダンジェはフランスで人気の高い女優であり、原詩中で「彼」が「私」におしゃべりする話題の一つになっているのだが、この女優は私の訳詞の中には登場しない。日本の歌詞に置き換えたとき、一般的知名度の点で難ありと判断したことによる。

 具象物そのものが享受者に熟知されていることがこのレトリックの成功の必須条件となるのではないか。

 そのような意味で、この作法を多用する外国の詩人の翻訳は大変難しいと言えるだろう。そのまま写さないと忠実ではないが、受け取る方が知らなければ、「何のことだ?」と、共感を得られないばかりか、そこでイメージが断絶してしまう。

 <l’heure du thé>の中では、人名以外でも更に具象物が続く。
 カラメルティー、バニラティーは言うに及ばず、サン・セヴラン通り、ハム、ピューレ、蝋燭(ろうそく)、・・・・。
 サン・セヴラン通りは、実際には知らなくても、フランスっぽいどこかの洒落た通りだろうと感じられれば、それで良いのではと、訳詞の中に採用した。
 ハム、ピューレ(マッシュポテトなどの裏ごし野菜)、蝋燭は、「お茶の時間」から「夕食の時間」へ、テーブルに供されたのだろうけれど、こちらは割愛した。日本語で突然出てきてもあまりイメージは広がらないと判断したので。

 この<ハム、ピューレ>の類、言い換えるなら、異文化への理解とその伝え方の問題は、実はなかなか奥が深いのではないだろうか。
 
 先ほどの<モジリアーニ・・・>も同様で、モジリアーニのポスターを部屋に飾り、モーツァルトとフォーレ、ローラン・ヴルズィーを聴く恋人たち、それを列挙するだけで、極言すれば、何も説明しなくても、その生活ぶり、習慣やセンス、部屋の様子、恋人同士のあり方まで見えてしまう。共通の土壌・文化であることが、メタフォールを成り立たせる重要な要素の一つと言えるのではないだろうか。

 <原詩のニュアンスを出来るだけ忠実に、メロディーに乗せて伝えたい、しかも自然で美しく共感できる日本語で>というこだわりとどう共存してゆくか、難しいけれど、訳詞の醍醐味がそこにある。

 東福寺のコンサート、お洒落で切ないこの曲のニュアンスを楽しんで頂けたらと思っている。

                                     Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
 ではヴァンサン・ドゥレルムの歌う原曲をお楽しみ下さい。

       


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『たびだち』 その二

訳詞への思いカット
 夕方から雨が降ってきました。
 霧のようにしっとりとして肌に沁み込んでくる雨です。
 心地よい夜気に触れていたくて、少し冷えるのですが窓を開けています。

 シャンソンの往年の名曲「巴里祭」、この日本語詩の一節に
 「絹糸のような あのこぬか雨に・・・」というフレーズがあるのですが、こんな雨のことなのかもしれませんね。

 さて、お待たせ致しました。
 前回の記事、『たびだち』 その一 からの続きです。


          『たびだち』 その二
                         訳詞への思い<16>


  「Puisque tu pars」 =「君は出て行くのだから」。
 自由で可能性に満ちた世界を夢見て、故郷を出て行く「君」を、寂しさや祈りの中で見送る、そんな原詩である事は既に述べた通りである。

 では、出て行く「君」と見送る「私」は誰なのか。
 どんな設定の中であれば、より自然にこの詩を味わうことが出来るのか。
 詩に溢れている思いを受け止め、イメージを膨らましつつ、けれど、物語を作り過ぎて原詩を狭めてしまわないよう留意しつつの日本語詩作りとなった。

   いくつかの日本語詩
 この曲の日本語詩は、何人かの訳詞者によって既に作られているのだが、その中から二作を紹介してみることとする。
 『思い出の扉』、『お前の空を飛んでごらん』という邦題がそれぞれに付いている。

 『思い出の扉』の中の「おまえ」は、家を出て独立してゆこうとする我が子で、「私達」はそれを見送る両親という設定の詩となっている。
 内容は以下のように展開する。

 人は<希望を求めて、自立してゆくのだから素晴らしいことだ>というけれど。引き留めるすべもなく、ただ自分たちはおまえの幸せを遠くから祈るだけだ。

 もっとおまえを愛せたかもしれない
 力が足りなかったことばかりが悔やまれる
 でも今はもう遅いのだ もう遅い・・・・

 という内容である。
 離れてゆく我が子を見守る時の一抹の寂しさと、充分に愛を注ぎ切れなかったのではという後悔の念、そして前途の幸せを祈る親の切なる願いとに、詩の焦点があてられている。

 一方、『お前の空を飛んでごらん』だが。
 こちらは、男手一つで育ててきた我が子の旅立ちへの感慨を父が語るという設定である。
 <自分の人生を大切にして自分のために生きる>ことを教えてきたはずなのに、なぜ今寂しさを感じるのだろう、と思いを噛みしめて、幼い頃の思い出を脳裏に蘇らせる。(・・・この辺りは完全に作詞と言える)
 そんな思いを抱きながら、<翼を広げて大きな空へ飛び立ってほしい>と祈る切なさが伝わってくる。
 この詩の我が子は、息子ではなく、どうやら「娘」で、それもまた、訳詞者の創意が加わっている。

 原詩の性質によって、対訳にできるだけ忠実に仕上げたくなる場合と、イメージを拠り所にして創意を加えたくなる場合とがあると思うが、上記の二編とも、後者のタイプで、子供と親という関係に読み解かれていると言えよう。


    『たびだち』
 人が今在るところから出発しようとするとき、色々な思いとドラマがある。

 私にはこの曲は<卒業>のイメージ。
 <卒業>という言葉とその情景がこの原詩から浮かんできた。

 私が作った日本語詩の邦題は『たびだち』。 そして冒頭は次のようである。

   光が射している
   あなたは見知らぬ世界の 扉の前で 立ちすくんでいる
   大丈夫だから 
   何も恐れないで 夢だけを信じて進めばよい

   頑張ってみても 心を尽しても
   はじき返される事ばかりだと
   悩んでいたのは あなたの優しさだけど
   引き留めることはもうできない
     旅立つ今

   春がやってくる 卒業の風に乗って
   新しい出会いの中に 今旅立つ
   あなたがいつも
   あなたらしく生きるように
   輝き続けてゆくように


 そして、
   私はいつもここにいるから大丈夫 
   夢だけを信じて進んでほしい 
   疲れたらいつでも戻って良いから 
   いつも幸せを祈って待っているから

 
という言葉が続いてゆく。


 この詩を作ったのはもう随分前になる。
 教職にあった頃。
 担任をしていた学年が高校を卒業する日、卒業式で生徒たちの顔を見ていたら、突然この曲が心に流れた。
 それに重なるように、とても自然に言葉が溢れてきて、あとで書き留めてみたのだが、この詩は殆どその時のままの言葉である。

 設定を限定したくなかったので、具体的に卒業式などという言葉も、教師としてなどとも一切入れていないが、<たびだつ>者へのはなむけの辞として、共感してもらえればと願っている。

 今でも曲と共に、あの卒業式の日が胸に蘇ってきて、私には、殊の外、愛着の深い作品となった。

 けれど、思い入れが深いと、却ってなかなか歌えなくなってしまうもののようで、実は、これまでにたった一度だけ、訳詞コンサートvol.2の『もう一つのたびだち』で初披露しただけで留まっている。

 あのコンサートは内幸町ホールで初めて行った時であり、スタッフとして手伝ってくれた教え子たちが8人、バックコーラスで加わった。
 ステージで彼女たちと目を合せながら歌ったことが本当に懐かしく思い出される。

 あれから久しぶりに、今年は11月と12月のコンサートで歌ってみたいと思っている。
 

                         Fin

  (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
 では、ゴールドマンの原曲をこちらのライヴ盤、youtubeでお楽しみください。
      ↓
http://www.dailymotion.com/video/x3dlji_jean-jacques-goldman-puisque-tu-par_music





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『たびだち』その一

訳詞への思いカット
 毎年、5月最後の日曜日に、教え子達の同窓会があります。
 教職にあった頃、長年顧問をしていたクラブ活動の部員たちの同窓会、独創的、かつ、文化的香り高い会で、スペシャルな企画を毎年練りに練って、教え子たちと協力し合いながら主催して、もう7回目となりました。

 ・・・このことも、いつか改めてご紹介してみたいとても素敵な話題なのですが、兎も角も、その会が昨日行われたのでした。

 20名ほどが集い、和気藹藹とした温かい会でした。
 今回は新たな試みに皆で向かうその初回、話し合いも活発に進み、3年をかける大プロジェクトがまさに始動したところです。
 早速、更に忙しくなりそうですが、実現を目指して若い彼女たちと共に力を合わせることの楽しみでワクワクしています。

 青春とは、停滞せず、常に今在る場所から出発すること、折々の決別と挑戦の中にこそ、次に続く道があるのだと、教え子達と再会する時、いつも思います。

 それでも、かつて繋ぎ合った絆はそのままで、旅立った後の月日を持ち寄って、お互いを認め合い、仲間同士、師弟間にまた新たな時間を積み重ねてゆける・・・・それは得難い宝ですよね。

 昨日のそんな感慨を込めながら、今日は「訳詞への思い」、『たびたち』という曲のご紹介をしてみたいと思います。


            『たびだち』 その一
                              訳詞への思い<16>

   J.J.ゴールドマンのこと

 ジャン・ジャック・ゴールドマン。
 1970年代にデビューしてから今日まで、常に不動の人気と実力で、フレンチポップス、シャンソン界を圧倒的な求心力を持ってリードし続けているビックアーティストである。
 彼は、フランスのJJD紙で毎年2回行われる「フランス人が好きな人物」アンケート調査で今年も1位(4回連続1位)という、世代を超えた人気と敬愛を集める「フランス人の中のフランス人」なのだが、日本では知名度は皆無に等しい。
 シャンソン歌手、シャンソンに関わるミュージシャンですら彼の名前さえも知らなかったりすることも多く、<日本におけるフランス音楽の普及度は、未だかくの如し>と改めて痛感してしまう。

 さてその、J.J.ゴールドマンだが。
 彼は、1951年生まれ、今年64歳の生粋のパリジャンである。
 1975年人気ロックバンド「タイフォン」を結成、デビューアルバムを発売後、1979年からシンガーソングライターとしてソロ活動に転向。
 次々にヒット曲、ヒットアルバムを世に送り出し、一躍フランスポップス界の中心となって行く。

 アルバム制作、コンサート活動で活躍する一方、セリーヌ・ディオン、パトリシア・カース、ジョニー・アルディ、最近ではザーズなど、多くのアーティストたちに楽曲を提供している。
 コンサートやアルバムのプロデュースも手掛け、彼らの才能を引き出し世に送り出す名プロデューサーとしても名高い。

 この数年は、プロデューサーとしての楽曲提供に力を注いでおり、自らのコンサート活動を休止しているのだが、それでも彼が中心になって設立に関わり尽力している慈善運動の「resto du coeur(心のレストラン)」は、今や国家的な規模にまで広がり、その支援募金を募るためのコンサート「レ・ザンフォワレ」も、これに賛同するミュージシャン達が多数集う国民的なイベントになっている。
若き日のゴールドマン 彼のアイドル時代、しなやかで精悍な佇まいに、キラキラとした涼しげな眼差しが魅力的な、なかなかの好青年なのだが、その歌声を聴くにつけ、また、コンサートの映像など見るにつけ、かつての日本のフォークソング、グループサウンズ時代と共通するような、独特な雰囲気を私は感じてしまう。
どこかノスタルジックな青春の香りのする、少し青臭くもピュアで一途な曲の世界が充満しているように思うのだ。

 「若き日のゴールドマン」
 そして、それはもしかしたら、ゴールドマンの今も変わらない<音楽と詩>の根幹である気もして、・・・・30年以上経った現在までも彼の中には<青春の旅立ち>というような一貫したテーマが流れているのかもしれない、そんな風に思われてくる。

  「真っ直ぐで、思慮深く哲学的であり、それでいて甘く敏感な感性や痛みをいつも持ち続けている」、そんな青年の面影が、私のゴールドマン像であり、彼の音楽と詩の世界へのイメージでもある。
 
   puisque tu pars
「グレーの世界」CDジャケット
 1987年のアルバム「entre clears et gris fonce(邦題「グレーの世界)」の収録曲に、この「puisque tu pars」がある。
 ゴールドマンの代表曲の一つとなっているが、この原題の意味は「君は出て行くのだから」。
 私は『たびだち』という邦題を付けた。


 「グレーの世界」のCDジャケット
 ゴールドマン自身も自らのコンサートの中でいつも取り上げていて、恐らく、愛着の深い大事なレパートリーなのではないかと思われる。

 原詩冒頭の対訳の一部を次に記してみる。

  闇が訪れて来るから
  それは風を越えて 忘却の歩みより高い山からではないから
  理解が足りないことを学ばなければならないから

  時には全てを与えることさえも必ずしも充分ではないと君は考えたのだから

  君の心がより高なるのは他の場所だから
  君を引きとめるには私達は君を愛しすぎているのだから
  君は行ってしまうから


 というように始まる。
 冒頭から「puisque=~なのだから」で始まる様々な文が綴られているのだが、これ自体が既に判じ物のようで難解で哲学的な内容になっている。
 「闇が訪れて来るのだから」・・・「君は行ってしまうのだから」。
 だからどうあってほしいと言うのか?

  私達よりもっと君を愛してくれる場所に風が君を連れて行ってくれますように
  人生が君に多くを教えてくれますように
  君が自分自身に嘘をつかないでいてくれますように
 
  いつまでも君が変わらないでいてほしい
  チャンスを大事にしてほしい

  放浪にあるとき戻ることを覚えていてくれますように
  私達の別れを記憶に留めてくれますように


 「君は行ってしまうのだから」、それだから、「私」は、<君の行く手に幸あれかし>と思いを贈る。はなむけの言葉を贈る。

 けれど、今在る場所は君にはもはや窮屈で、脱出すべき枷(かせ)になっていて、そして、「私」自身も、いつの間にかその枷の一つになっていたのかもしれないと気付く。
 一方では、そんな後ろめたさや寂しさもまた、この原詩から感じとれる気がする。

 更には、未知の世界への希望は、未知であるがゆえの不安でもあるわけで、夢が挫折と表裏になっていることを予感させてもいる。

 実は挫折の後にこそ、それを乗り越えてゆけるかという本当の試練が待っている。

 そんな色々なことを思わせる、繊細な感性に溢れた原詩であるが、では、日本語詩を作り上げてゆくにあたって、実際にどのような場面設定の中でこれを伝えて行けばよいのか。
 具体的なイメージを持たなければ味わいにくい詩と言えるかもしれない。

 そんなことを考えながら作った訳詞、『たびだち』のご紹介をしてみたいと思う。


 長くなってきたので、一度筆を置き、次の「その二」に続けたいと思います。
 次回もどうぞお読みくださいね。




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「最後のダンス」

訳詞への思いカット
 五月になりました。眩しい日差しの中、街はもうすっかり初夏の装いですね。
 さて、今日は「訳詞への思い」。
 最近手がけたお気に入りの曲、「最後のダンス」をご紹介したいと思います。


               「最後のダンス」
                             訳詞への思い<15>     

   「踊る」ということ
 このテーマを語る資格を、私は全く持ち合わせていないのだけれど・・・。

 実は、6~7歳の頃、クラシックバレエを習っていたことがあり、ホールでの発表会なども経験したのだが、先生の指導は非常に厳格で、容赦ないスパルタ式だった。
 運動能力に優れていない自分にとって、楽しいはずの入門期のこの試練は大きすぎたようで、焦燥感や怖れ、果ては、世の中にはどんなに努力してもどうにもならない適性とか相性とかがあるものだという、一種の諦念のようなものまで、子供心に深く刻みつけられることとなった。
 それ以来、現在に至るまで、バレエは勿論、ダンス全般に重度のトラウマが生じているらしい。・・・・という悲しい言い訳をした上で、話を進めていこう。

 「歌と舞踊」、シャンソンに携わる日々の中で、この結びつきについて、非常に興味深く感じることが多い。

 「歌う」とは、普通には<声を使って、メロディーやリズムやテンポなどからなる「音」に、「言葉」を乗せ表現してゆくこと>と言えるだろう。
 
 「音と言葉とに宿る魂のようなものを、心身に染み込ませて、それが強い力で溢れ出てくるのを掬(すく)い上げる」・・・「歌う」ということに私はそんなイメージを持っている。
 自分というフィルターを通って歌が生まれてゆく、不思議で敬虔な感覚とでも言おうか。
 
 そして「踊り」にもきっと、「歌」と同様な部分があるのではという気がする。
 自分の意志で体を動かすというよりも、音楽が自分に宿って、自分の体が媒体となって表出するというようなある種の陶酔感があるのではと。
 (たとえ「無音」の中で踊る場合であったとしても、音なき音がそこには必ず流れているのではと思われる)

 素朴な古代の舞踊であっても、現代のアーティスティックなダンスであっても、作為を超えて自然に身体がほとばしるように動き出すのを見る時、<これぞ舞踏の醍醐味>という厳粛な気持ちに包まれる。

 「歌を聴いていたら物語が鮮やかに浮かんできて、その物語を今度は自分が歌に乗せて無性に踊ってみたくなりました」・・・・ダンサーをしている理知的でとてもチャーミングな若い友人がいるのだけれど、つい最近、そんな風に話してくれた彼女の言葉が、心に深く残っている。


   Indila
 さて、長い前置きを終え、これからが本題であるが。

 Indila(インディラ)が歌っている『dernière danse(最後のダンス)』という曲をご紹介してみたいと思う。

 インディラは1982年生まれ、今年30歳になるシンガーソングライターである。パリに生まれ育った生粋のパリジェンヌだが、アルジェリア、カンボジア、エジプト、インドの血筋を受けた、黒髪のオリエンタルな魅力にあふれた女性だ。
 そしてその音楽にも、多民族の特性が融合するどこかエキゾチックな香りが強く感じられる。
インディラのアルバム
 2013年にデビューし、翌2014年に発表したCDアルバム「mini world」が一躍脚光を浴びることとなった。
 特に、この中の収録曲『dernière danse(最後のダンス)』は爆発的ヒットとなり、現在、大いに注目されているフランス音楽界期待の新星である。

 CD売上げも長期にわたり最上位に入っているが、現代はyoutubeで自由に視聴する時代。・・・何とこの曲の視聴回数は、2億回(2015年5月現在)という想像を絶する桁外れの世界的記録で、現在もこの記録を更新し続けている。
 それでも、日本では、彼女の存在すら紹介されないことが不思議だ。フランスの音楽は、まだまだ遠い処にあるのかもしれないと折に触れ実感させられる。

 日本的感覚なら、30歳のデビューというのは、ベストヒットを出すアイドルとしては高年齢とされるのだろうが、フランスでは音楽の質こそが重要で、さすが享受する側の成熟度も高い。


   『dernière danse(最後のダンス)』
 さて、『最後のダンス』の原詩は次のように始まる。

   Oh ma douce souffrance   
    ああ 私の甘い苦しみ
   Pourquoi s’acharne tu r’commences
    何故かむきになって 貴方はまた始める
   Je ne suis qu’un être sans importance
    私は意味のない存在でしかない
   Sans lui je suis un peu « paro »
    彼なしで 私は少し滑稽だ
   Je déambule seule dans le métro
    メトロを私は一人で彷徨う


 Souffrance  r’commences  importance と文末に韻が踏まれていて、切れ目なく揺れ続けるような独特なメロディーの中に、音の響きが刻まれる。

 私の訳詞もまた、文末に「ウ」音を揃え響かせることを留意しながら次のように始めてみた。

   貴方を探す  探し続けて歩く
   一人ぼっちのメトロ 心を突き刺す
   最後のダンス

   夢がクルクル回る 甘い痛みが回る
   壊れてゆく


 そして、原詩は更に次のように続く。

   Je remue le ciel, le jour, la nuit
   Je danse avec le vent, la pluie
   Un peu d’amour, un brin de miel
   Et je danse, danse, danse, danse ・・・・・
    (私は空をゆすぶる 昼も 夜も  風と 雨と 一緒に踊る
    少しの愛  蜜   そして 私は 踊る 踊る 踊る・・・・)


 恋人を失う焦燥感の中で、主人公は「甘い痛み」から逃れようとしてパリの街を走り続け、踊り続け、どこかに飛翔しようと試みる。

 「甘い痛み」が詩中のキーワードとなっていて、これは少し不思議な言葉でもあるのだが、深い喪失感や絶望感が心に作用する、現実から離反した一種の酩酊状態なのではと私には思われる。

 何故、主人公はひたすら踊り続けるのだろう。
 彼女にとって「踊ること」は、念じ続けること、祈り続けることなのかもしれない。
 打ちひしがれた心を再生すべく<歌い><踊る>。
 終わりなく歌い、踊り続ける主人公の姿が、曲の中で鮮やかに浮かび上がってくる。

 感覚的な言葉が散りばめられている飛躍の多い難解ともいえる原詩なのだが、そうであることがマイナスにはならず、インディラの歌を聴いていると、むしろ言葉そのものも跳躍しているような気さえしてくる。

 フレンチポップスの新しい風、この曲を今度のコンサートでは是非取り上げてみたいと思っている。

                                 Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 では、2億回を超える伝説のyoutube、彼女の歌をお楽しみください。
      ↓
 https://www.youtube.com/watch?v=K5KAc5CoCuk



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「ロスト・ソング」

   春節 雨水
 2月19日、今日は春節、上海に住む友人が毎年日めくりカレンダーと春節の飾りを送って下さるので、我が家では中国暦も身近に思えるのですが、これによると、昨日は大晦日、そして数日間続く旧正月GWは祝日色の赤い字で記されています。
上海からの贈り物
 そして、今日の日めくりの中に「雨水」の文字、「寒気が緩み雪が雨に変わる時期」ということでしょう。「立春」から「雨水」、「啓蟄」と細やかに気象の変化を感じ取る言葉が美しいなと思います。

「春は名のみの 風の寒さや」と鼻歌の道すがら、四条大橋からの眺めを写してみました。
麗らかな陽射しの中、鴨川べりには腰を下ろす人たちの姿が増え、空は高く澄んで、川の流れを青く染めるようでした。
鴨川の水鳥  春を待つ鴨川
 早春の鴨川を鴨たちがスイスイと泳いでゆく姿にも心が留まります。

 さて、今日は<訳詞への思い>、「ロスト・ソング」を取り上げてみたいと思います。


       「ロスト・ソング」
                           訳詞への思い<14>


   
   
    「ペール・ギュント組曲」
 「ロスト・ソング」・・・メランコリックなサウンドに乗って,ジェーン・バーキンが儚げに吐息交じりで歌っているが,メロディーを聴くと,<どこかで聴き覚えがある曲>と思われるのではないだろうか。     
ジェーン・バーキンとゲンズブール
 作詞、編曲はセルジュ・ゲンズブール、彼がペール・ギュント組曲2番作品55「Solveig’s Song (ソルヴェーグの歌)」を下敷きにして、アレンジを加え、新たに詞を付けたものである。

 「ペール・ギュント」は,元々ノルウエーを代表する劇作家ヘンリク・イプセンの戯曲である。
 スウェーデンに古くから伝わる伝説上の人物をモデルにして描かれた作品と言われ、当初イプセンは上演を目的としない戯曲=文学作品として執筆したのだが、作品の加筆に伴い、これを音楽詩劇として舞台上演することとし、この作曲を当時30歳だった新進気鋭の作曲家グリークに依頼した。
 楽曲は全幕で23曲からなり,1876年に初演され大成功を収め、以後、グリーク自身が8曲をここから選び、二つに分けて組曲として再構成した。現在「ペール・ギュント組曲」として演奏され親しまれているのはこの形である。

 「ペール・ギュント組曲」との私の出会いは、中学一年の頃に遡る。
 「音楽鑑賞」という授業の第一回目に、この「ペール・ギュント組曲」が取り上げられたと記憶している。
 まず、物語のダイジェストを先生が解説して下さった後,二時間の授業の間、組曲全曲をただひたすら聴き続けた。
 静寂の中でクラッシック音楽に集中するのは、大人の世界に一気に踏み入るようでもあり、音楽が訴えてくる圧倒的な力を体感していた気がする。

 今朝、久しぶりに聴いてみたが、「朝」「オーゼの死」「アニトラの踊り」「山の魔王の宮殿にて」「アラビアの踊り」「ソルヴェーグの歌」,嘗て心に描いたイメージが、そのまま再び鮮やかに蘇ってくるようだった。 
 子供の頃の感覚というものは、思いの外鋭敏で侮りがたいものだと思う。

 そのようなわけで,この組曲には今も強い印象を持っているのだが,でも物語自体には、当時から必ずしも全面的には共感していなかった。

   「ソルヴェーグの歌」
 主人公の「ペール・ギュント」は、言ってみれば大言壮語の空想家で女好きな放蕩者であり、いくら、彼の波乱万丈の冒険物語といわれても,身勝手で我が儘な男が,考えなしに行動し周りを不幸にしているだけではないかと,密かに義憤を感じていたのを思い出す。
 中学一年の私は、特にペール・ギュントの、恋人ソルヴェーグに対しての仕打ちには納得できないものを感じていた。
 勝手に妄想や野望を抱いて放浪を繰り返し,純真一途な可愛い許婚の彼女を故郷に置いたまま、他人の花嫁を略奪したり、挙句の果て,落ちぶれて心弱ったときだけソルヴェーグの元に泣きついて帰る。
 それがわかっているはずなのに,恨み言一つ言わず,いつでも彼を許し,優しく迎え入れ,また送り出し,長い不在に耐え,老い傷ついた彼の最期を優しく子守唄を歌いながら看取るという彼女が,あまりにも哀れで衝撃的だった。
 
 「人形の家」など女性の自立をテーマに作品を書いていたイプセンが,なぜソルヴェーグのような女性をヒロインにしたのか、当時は、腑に落ちないままだったが,今になってみれば見えてくるものもある。
 前時代的な愚かしい従順さ、純粋さとも思えてしまうが、でも翻ってみると、本当に徹底して<信じること>、<待つこと>、<許すこと>は、究極の愛の形であり、真に聡明で揺るぎない心を持っていなければこれを貫き通すことは難しい。
 ソルヴェーグは、そういう自立した、強く美しい理想の女性として描かれているのではないか。
 加えて、他人には図ることのできない男女の愛情の機微を思えば、最後に自らの腕の中で恋人を看取った彼女は、悲しい愛の勝利者であったといえるのかもしれない。
 
 この音楽鑑賞の時間の最後に、日本語の訳詩で「ソルベーグの歌」を習ったことを思い出した。
 堀内敬三氏の訳詞だったのだが、この歌いだしは次のようである。
   
     冬は過ぎて 春過ぎて 春過ぎて
     夏も巡りて 年経(ふ)れど 年経れど
     君が帰りを ただ我れは ただ我れは
     誓いし儘に 待ちわぶる 待ちわぶる
   

 これは、何年頃の訳詩なのだろうか。
 イプセンの原詩の内容に、ほぼ忠実に訳されているが,文語体と相俟って今は非常に古典的に感じられ,ここには慎ましく誇り高いソルヴェーグの像がくっきりと刻まれている。

   「lost song」
 では、ゲンズブールが「ロスト・ソング(原題lost song)」の中で描いた女主人公はどのような女性なのか。

 この曲「ロスト・ソング」は,1987年に発表された同名のアルバム「ロスト・ソング」に収録されている。
ジェーン・バーキン ロスト・ソング
 先ほどから触れている「ペール・ギュント組曲」の中の「ソルヴェーグの歌」の旋律をそのまま採りつつも,重くスローなロック風のサウンドに替えて,曲中の女主人公の虚脱感を醸し出している。

 詩の内容は、ゲンズブールの完全オリジナルで,狂おしく燃え上がったはずの二人の恋はすれ違い,今や破局を向かえ,冷ややかに去って行く男への、女の思いが語られている。

 詩を読んだときにまず,「Dans la jungle de nos amours éperdues(狂おしいまでの恋のジャングル(密林)の中で)」という表現が強烈に心に飛び込んできた。
 それから,「私達は傷つけ壊し合い」という言葉にも、本来のソルヴェーグのなよやかで柔和な愛とは対極にあるような愛憎の世界が見えてくる。
 「愛は貴方にとっては賭け事のようなもので,このゲームで貴方の上に出ることがついには出来ず,私は敗北してしまった」と彼女は言う。
 嘘をつき,裏切り,ただ恋を弄び,今は白々しく他人行儀に振舞おうとする、貴方はそういう人なのだと言っている。

 イプセンが創り上げた原典の中の純潔無垢なソルヴェーグの心を反転させて,ゲンズブールは、この曲の中で、新たなソルヴェーグの像を描き出そうとしているのではないだろうか。

 <信じて、待って、耐えて、愛し続けて>の対極にあるものは何か。

 <耐えて待つ>というと、日本的、演歌的世界のような感じがするが、必ずしもそんなことはなく、シャンソンの中にも、待ち続ける女性の心情はかなり沢山歌われている。けれど、そのどの歌にも、<待つこと>に自分としての希望や意味を見据えて、主体的な意思が貫かれていて、これこそがフランス的な自我のあり方であり、香りであるのか、とも思ってしまう。
 「ロスト・ソング」の中の女主人公は、愛の不毛を見てしまったからにはもはやどんなに喪失感が深くても、待つことに何の意味も感じないと思い定め、恋に決着をつけようと佇んでいるように見える。
 ゲンズブールが生み出そうとしたソルヴェーグは、<待たない女性><切り捨てることを決断する女性>だったのではないだろうか。

 「ロスト・ソング」の原詩は次のように締めくくられている。

   私は認めていたし、わかっていた
   私がもう既に打ち負かされていたことを
   恐れが 貴方の傲慢が 私を殺す
   貴方はもう私のことを<きみ>ではなく<あなた>と呼ぶ 


 この最後の部分の「私を殺す」という言葉にイメージを大いに喚起されて、私の日本語詩は以下のように閉じてみた。

   私は貴方のものじゃない 心が壊れてゆく
   優しげに私を呼ぶ 貴方の声が遠ざかる
   道に迷った 私の恋は 最後の悲鳴をあげる


 ゲンズブールの詩からのイメージを受けつつも、言葉としては完全に私の創作になっている。
 この日本語詩の中で、私は、愛の最後を見尽くしてしまった絶望を、脱却からのエネルギーに変えてゆく、そういう潔くしたたかなもう一人のソルヴェーグを生み出してみたかった。
 ソルヴェーグの姿を様々に思い描きながら、久しぶりにまたコンサートの中で歌ってみようかと思っている。
                         Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
   取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)



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「火星はたいくつ」

  1月11 日は「残り福」です
 京都のお正月も何十年ぶりかの大雪で始まりましたが、今年は例年以上に寒い冬になりそうです。
 昨日1月10日は「十日戎(ゑびす)」=「初戎」でした。
 9日は「宵戎」、今日11日は「残り福」と称される祭礼の日が続きます。

 商売繁盛の神、「えべっさん」の祭事、京都でも参拝の人が多く、今日も街で飾りの付いている華やかな笹を抱えている人たちに出会いました。
 確かこのブログでも十日戎のことを取り上げたことがあったのではと思い、以前の記事を辿ってみましたら、もう三年前になるのですね。詳しく書いていましたので、よろしかったらクリックしてお読みになってみてください。→「京のえべっさん~ぶらり十日戎」

 さて、私のお正月は、三が日を逗子で過ごし、京都に戻ってからは、もっぱら書斎(実態は、本や書類や譜面やCDなどで埋まっている狭い<勉強部屋兼作業場>、秘密の<機織り部屋>です)にこもっての日々でした。
 部屋のレイアウトを少し変え、コンサートでしばらく滞っていた譜面や訳詞の整理も終えて、まさに今、ウォーミングアップ完了の感ありです。
 コンサートが近づいて来ると、なかなか新曲の発掘や訳詞制作に着手できないのが現実だったのですが、あちこち片づけながら、こうして改めて身辺を眺めてみると、これまで蓄えてきた、原石みたいな色々な音楽が今や遅しと出番を待っていたことに気付かされます。
 その一つ一つを丹精込めて磨き上げて、素敵な曲にしてゆきたいと、気持ちが高まってきます。
 そんな中で、今日は、新春出来立ての訳詞をご紹介してみたいと思います。
 「訳詞への思い」を記すのは久しぶりです。

       「火星はたいくつ」
                        訳詞への思い<13>


   「mars is no fun」
 一昨年パリに旅行したとき、どっさり仕入れてきたCDの中の一枚で、心に残り、折ある毎に聴いていたアルバム『ilo veyou』。
カミーユのCDジャケット カミーユの2011年発表のアルバムだが、これに収められている「mars is no fun(火星は面白くない)」という奇妙なタイトルの曲である。
 シンガーソングライターとして、鬼才を発揮し、その実験的な音楽活動で評価の高いカミーユ、前衛的で才知に満ちた、現代フランス音楽界の旗手であると、私は前々から注目していて、彼女の曲も既に何曲か訳詞してきたのだが、楽曲自体は、曲想も詩もかなり難解でシュールだったりするので、なかなか享受しにくいところがあり、日本で普通に受け入れられるのには、未だ障壁も大きいのではという気がしている。
 『火星はたいくつ』という邦題を付けてみたが、ラップのリズムに乗った軽快なタッチがベースになっていて、全体にとぼけたファンキーな雰囲気を醸し出している。その一方で、サビの部分はメロディックで印象が強く、ラップの衣を纏った、一筋縄ではいかない大人のシャンソンという感じがして、最初からとても心魅かれた曲だった。

 原詩の内容は、かなり変わっている。
 
 歌の主人公の女性は、「地球の外にも生活があることを示す初めての人類になりませんか。火星では、すべてが未知で純粋なのです。」という、火星移住へのお誘いパンフレットの文句に乗せられて、火星にやってきたらしい。 
 ところが、来てみると、売り文句と実態は全く違って、彼女の世界は狭いバンガローの中だけ。
 空気がないので窓は開けられないし、水が充分にないのでビーチで遊ぶこともできない。そんな状態で、もはや帰還することもできず、どうやら5年が過ぎたようだ。
 <こんなことなら来なければ良かった。地球に戻りたい。戻ったら一日中あなたと一緒にショッピングモールを歩くのに>そんなことをいつも考えて過ごしている。
  でも、引力の関係で、満足に動くこともできないのがここでの現実だ。
 <火星は面白くない>

 
 火星には生き物が生息するのではないかという仮説。
 火星には水蒸気や酸素も微量だが存在し、他の惑星に比べると、地球に酷似する要素が多いので、条件さえ整えば、人類が暮らすことも可能なのではないかとの学説。・・・昔から、夢や幻想も含めて、火星を巡って様々な議論がある中、『マーズワン計画』のことが頭に浮かんできた。

   火星そしてマーズワン計画
 『マーズワン計画』とは、・・・宇宙移民を実現しようという計画で、人類が火星に移住し、火星の環境の中で生活基盤を形成するという植民計画のことである。
 突拍子もない夢物語のようにしかとらえていなかったのだが、実際にはかなり具体的に計画は進んでいて、オランダの民間非営利団体「マーズワン財団」が2025年からの火星移住計画を目下推進しているのだという。

 以下、これを説明したいくつかのサイトから主だった点をご紹介してみたいと思う。

 *2011年にスタートし、2014年4月から火星移住希望者を募集したところ、世界から20万人が殺到した。日本人は396人が応募し、既に10人が選ばれている。最終選考後、7年間の訓練を経て、2025年から2年ごとに4人ずつ火星に旅立ち、2033年には計20人が火星に移住する、としている。

 *火星から地球に戻る宇宙船を打ち上げるのは技術的に不可能なため、移住者は二度と地球には戻れない、片道切符である。

 *火星は地球のすぐ外側に軌道を持つ惑星。地球と比べると直径は約半分、表面積は約4分の1、重力は約40%。平均気温はマイナス43度。火星の大気は二酸化炭素が95%、水蒸気は0.03%、酸素が0.13%である。

          火星の植民計画(Mars One.comのHPより
              (Mars One.com のHPより)
 現在の宇宙開発も、嘗ての見果てぬ夢の所産であったことを思えば、いたずらに、尻込みすることが良いかどうかはわからないけれど、それにしても、
   *あと十年後という短期間でロケット開発は果たして可能なのか。
   *火星への入植を許可する国家的な判断の問題は解決できるのか。
   *火星入植のために火星環境を変えて良いのかという人類としての問いをどう考えるのか。
   *飛行士たちの身体影響の問題はクリアされるのか。生存し続けることが本当に出来るのか。
   *個人の冒険心に全てを負わせることの倫理上の問題をどう考えるのか。

 正直、これらの膨大な未解決要素を抱えて、本当にスケジュール通りに実現するのかと考えてしまう。
 そしてまずは、希望すれば安全に帰還できることを大前提にすべきではないだろうかと思う。
 
   「火星はたいくつ」
 この曲は2011年の作であるから、これはマーズワン計画が表明された年と合致している。カミーユはこれを意識して作ったのだろうと私は勝手に確信しているのだが、これは本人に訊いたわけではないので定かではない。

 この曲の主人公は、未知の世界への冒険心と好奇心に駆りたてられて、これまでの自らの世界と決別して、火星にやってきた。
 帰還不能な片道切符を受け取ったからには、何があっても新たな世界の中で生きないわけにはゆかない。

 けれど、たとえ覚悟できていたとしても、彼女のように、或る時突然、ショッピングモールを無性に歩きたくなることだってある筈だ。

 過去そのものが、現在のその人を形成していることを思えば、いくら割り切っても、完全にその絆を断ち切ることは、人にはなかなかできないのではないだろうか。
 人間は、過去と今との狭間に揺れながら生きる生き物かもしれず、更に、失って二度と手に入らないものであればなおさら、懐かしさや、未練、失くした後悔が募ってくるような気がする。
 社会、周囲の人間関係、或いは恋、他者と繋がりながら生きて行くことを断ち切られる孤独は耐え難い。
 火星に行かなくても、街の雑踏の中でも、自分の部屋にこもっていても、同様の孤独は押し寄せてくる。

 この曲を聴いていると<火星移住>が現代の寓話の様に思えてきて、私には、切ない恋物語が曲の背後からうっすらと見えてくる気もして、そんないくつかのイメージを重層させて、この詩を作ってみた。

 まだ出来立ての詩、少し熟成させ、また改めてご紹介できたらと思っている。

                              Fin


 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
   取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)




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「go to the river 」

 この夏の暑さも相当なものですね。
 先日の京都は、観測史上初めての38.3℃を記録したそうです。
 そういえば、昔、ボストンで暮らしていた時、それこそ稀に見る酷暑だったことがあり、「ヒート・エマージェンシー」が発令されたことがあったのを思い出しました。
 ボストンは、冬は-10℃以下の厳寒で、その代わり、夏は涼しく過ごし易いのですが、そういう土地に番狂わせの猛暑がやってくると一大事、エアコンなどない家が普通で、熱中症で倒れる人、そのための死者まで続出で、一日中、救急車のけたたましいサイレンが響いていました。
 そして<ヒート・エマージェンシー(熱波緊急警報)>の発令。
 学校は休校、勤務も打ち切られ、自宅を出て、公共の建物に避難するよう強く促されます。
 「公共の建物」とは、図書館、公民館、デパート、ショッピングモール・・・、特にデパートやモールに、人々が殺到する様は、今でも鮮明に思い出されます。
 当時は、ヒート・エマージェンシーという言葉も、異国の出来事のように感じていましたが、もはや日本でも、他人事ではない現実となってきたのですね。

 さて今日は、久々の<訳詞への思い>、「go to the river」という曲についてお話をしてみたいと思います。


    「go to the river」
           訳詞への思い<12>

   ヤエル・ナイム
 「go to the river」を歌っているヤエル・ナイム、彼女は1978年生まれ、今年36歳になる新進気鋭のシンガーソングライターである。
 エキゾチックな名前に異邦の香りを感じるが、チュニジア系ユダヤ人の両親のもと、パリで生まれ、イスラエルで幼少期を過ごし、現在パリで音楽活動を展開している。

 今年の2月の訳詞コンサートで、私はケレン・アンを特集したのだが、彼女も、父はユダヤ系ロシア人、母はジャワ系オランダ人で、イスラエルに生まれ、オランダに暮らした後、パリで音楽活動を行っていて、彼女に限らず、フランスのミュージシャンやシャンソンと関わる時、「フランスは多民族国家である」ことを改めて強く実感させられる。
 <フランスで生まれたこと>、<フランスに育ったこと>、<今フランスで暮らしていること>、<フランス語を話していること>、その全てを網羅しているか、または、どれかに当てはまるか、同じフランス人と言っても、その関わり方に濃淡があるのが、今のフランスなのだと思う。

 英語、ヘブライ語、フランス語を自在に操って、ヤエルは歌詞を作る。
 「シャンソン」であることの第一条件を「フランス語で歌っている」こととするなら、彼女の歌は、シャンソンの範疇から逸脱した無国籍なエトランゼの音楽と言えるかもしれないが、漂泊の想いや孤独感、渇望感が常に漂うポエティカルな詩句と、クラッシックやソウル、ジャズ、ロック、ポップなどの多様な音楽のエッセンスが融合したメロディーとが、国籍を超えた普遍性を持つ気もして、だとするなら、そういう意味では、最も「今日的」「フランス的」で、<フランスで生まれたフランスの音楽の担い手>と言えるのではないだろうか。

 2007年のアルバム『ヤエル・ナイム』に収録された「ニュー・ソウル」が、macbook airのCM曲に使われて大ブレイクしたことから彼女の名は全米を中心に一気に世に出ることとなった。
 このアルバムの殆どの曲は、ヘブライ語で歌われているのだが、ヘブライ語の耳慣れない響きはどこか儚げであり、不思議な透明感に満ちていて、別世界に誘われる気がする。
 
ヤエル・ナイム「She was a Boy」
 私は、嘗て、このアルバムから、気に入った何曲かを訳詞したのだが、さすがにヘブライ語が相手では、手も足も出ない状態でいたところ、天の助け、持つべきは良き友人、比較言語学を専門にしている語学の達人を紹介してくれて、その方の全面的な協力を得て、ヘブライ語の原詩の解読をすることが出来た次第である。

 今回、ご紹介する「go to the river」という曲は、ヘブライ語でも、フランス語でもなく、英語の歌詞で書かれている。
2010年発表のアルバム『She was a Boy』に収められた曲である。

   最後から二番目の恋
 このテレビドラマについては、先日のブログ記事私の中の風景(1)~『最後から二番目の恋』と、私の中の風景(2)~『最後から二番目の恋』に詳しく紹介した。
 このドラマを初めて見た時に、BGMとして流れてきた曲が「go to the river」で、本当に驚いてしまった。ちょうど、この曲を訳詞してみようと思っていた矢先だったので。
 砂漠の中に埋まっている宝物を探し出すような思いで、世間から埋もれているレアな曲を聴きまくり、自分の感性に飛び込んでくるものだけを訳詞に作り上げて行く日々なので、私の場合、そういう曲が街で流れていることに遭遇することなど皆無に等しい。ましてテレビドラマの中で・・・。
 ドラマの女主人公「吉野千明」の、感情が高ぶったり、心理状態が屈折して微妙に揺れ動いたりする時に、その鼓動と共に流れ出すような毎回のBGMで、現代的で洒脱な面白い効果を生んでいたのだが、「やはりこれは訳詞せねば!」という使命みたいなものを勝手に感じてしまった。
 リズムとメロディーと言葉の流れとが、心身に浸み入ってくるような強い魅力のある曲だと思う。

   go to the river

  when you feel ashamed go to the river
  when you’re feeling sad go to the river
  when you’re feeling blue inside, immersed and tied
  when you’re feeling stuck in pain, forever

  (罪の意識を感じるとき 悲しみを感じるとき 川に行け
  ブルーな感情に縛られて 永遠に突き刺されるような痛みを感じるとき)
  
 曲の冒頭は上記のように始まっている。

 自分らしく人生を送るために 今すぐ川に行けば良い
 川を泳ぎ、潜り、流れに身を任せれば良い 
 自分で抱え込んでいる価値観の中で戦うのではなく 
 緩やかな川の流れの中で ただ自然に経験することを信じてみれば
 見えなかったものが発見できるはず

 「go to the river」・・・川に行くことは、心を再生すること。
 <いつも新しい命や希望を獲得し続けて行こう>という、強い願いのこもった曲なのだと思う。
 <再生する心>、ヤエルが歌うと、どこかエキゾチックで、インドの川で禊をするようなイメージも浮かんでくるし、ゲンズブールの「ノワイエ」のように川を流れ、美しい異次元の世界に運ばれてゆくような不思議な感覚もある。

私の作った訳詞の書き出しは次のようである。

   悲しい時 川に行こう
   後ろめたい時 川に行こう
   痛みが突き刺さる 胸深く
   何もない自分 抱え

   ため息ばかり 吐(つ)くのはやめて 川に行こう 今すぐ川に行こう
   優しい風が吹き抜けて行く 川の流れに身を任せ
   何処までもずっと泳いでゆこう 何処までもずっと潜ってみよう
   失くした自分 取り戻すために

 
 目下、この曲が、心地よい酩酊感の中で、頭の中を回り続けている。

                                        Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
   取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)


 「go to the river」←youtubeです。クリックしてお聴きになってみてください。
 この曲、10月18日の内幸町ホールでのコンサートで初披露致します!

 もう一曲、アルバム『ヤエル・ナイム』から、「paris (パリジェンヌ(松峰邦題))」という、ヘブライ語を訳した労作があるのですが、これも素敵な曲ですので、やはり10月のコンサートでご紹介するつもりです。この原曲はこちらをクリックしてお聴きください→「paris」

 よろしかったら是非10月のコンサート、お聴きにいらして下さいね。



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『この路地で』

秋の雲 そして木
 早朝。
 ふと見上げると、空・・・雲・・・木。
 夏の終わり。
 久しぶりで爽やかな高い空を見ました。


秋の雲 そして木2
 
両親の健康にひたすら留意しながら共に過ごしたこの夏の名残は、まだ私の身体に刻まれていて、夜明けと共に目覚め、早朝散歩、丁寧な朝食作り・・・・元の生活に戻った今も、毎日、勤勉で模範的な生活が続いています。
 
 さて、今日は久しぶりに「訳詞への思い」を綴ってみようかと思います。
 つい最近、訳詞した『この路地で』です。


   「この路地で」
              訳詞への思い<11>


   dans ma rue  ~ピアフとザーズ~
 1946年にエディット・ピアフによって歌われた曲で、原題は<dans ma rue>である。
エディット ピアフ
rueは、<ストリート・通り>を指す言葉なので、 <dans ma rue>は「私の通りで」という意味になるのだが、そのままタイトルにすると、「私の言うとおり!」のようにも聞こえて、少し紛らわしいし、原曲のイメージからも、<通り>よりはもう少しうらぶれた感じが欲しくて、『この路地で』としてみた。
 1946年というと、67年前。フランスにおいても充分「懐メロ」の範疇に入るのではと思う。
 
 これまで私は、1980年代以降の現代の曲を中心に訳詞してきており、また、ピアフの曲については殆ど取り上げることはなかったので、自分としては、これはかなり例外的な選曲と言える。
 ピアフの数多くの名曲は、日本でも既に充分紹介され尽しているので、敢えて・・・という思いがどこかにあったためかもしれない。
 けれど、今年はピアフ没後50年で、映画や演劇、コンサートなどいくつも鑑賞する機会を得、改めて<ピアフ>がずっと心に刻まれていた。

 そして、この<dans ma rue>は、昨年2012年に来日して、日本でも大ブレークしたZaz(ザーズ)が、CDアルバム「Zaz」(邦名タイトル「モンマルトルからのラブレター」2010年発売)にカヴァーしていて、印象に残っていた曲だった。
ZAZ CDジャケット 
 この曲は、ピアフのレパートリーの中でも、知名度は高くはないし(ピアフファンでも聴いたことがないという人が多いようだ)、まして、誰かがカヴァーすることもこれまでなかったのだが、斬新な現代ポップスの最前線を自由に闊歩しているようなザーズという若い女性シンガーが、この曲に注目したことも大変に興味深い。

 モンマルトルのストリート・ミュージシャンとして路上ライヴを繰り広げてきたザーズが、苦境の中で同じくモンマルトルの街角で歌っていた若かりし頃のピアフと、自らを重ね合わさるものがあったためかもしれない。
 実際、「モンマルトルの歌姫」と彼女は称されて、その個性的なハスキーボイスとエネルギッシュな歌唱力とで、「ピアフの再来」との呼び名も高い。
 そして、<Dans ma rue>曲中の女主人公もまた、モンマルトルに生まれ、苦界に戦っていて、やるせなく響くピアフ、そしてザーズの歌を聴いていると、そういう曲中の世界が繋がって見えてくる気がする。


   「この路地で」
 
  モンマルトルの片隅で 私は生まれた
  飲んだくれの父と 働きづめの母と
  私は いつでも 病気ばかりしてた
  ベッドの窓の下 路地を いつも見てた


 私の訳詞の冒頭は上記のとおりである。
 始まりを一読しただけで、<可哀想>な感じがそこはかとなく漂ってくるのではと思う。
 予想に違わず、主人公の悲劇は続いてゆく。
 
 いつもじっと路地を眺めていた女の子は、時が経ち、やがて、荒んだ生活の中で酒に溺れる父に、「自分の力で食いぶちを稼げ」と命じられる。「他の女と同じように夜の街に立てば済むことなのだ」と言う。

 彼女は街に立つことになるが、その生活を甘受することが出来ない。
 そうしているうちに、一家は離散し、やがて住む家もなく、惨めに落ちぶれて人からの施しを待つ身となる
 そして最後は・・・。

 という、いかにもありそうな往年のシャンソンで、定番のクラシカルな悲劇という気はするが、でも、だからこそ、心を強く揺さぶられる。

 命尽きる最期の時に、彼女はひたすら神に魂の救済を求める。
 <神様の元に導かれて、温めてもらえるように>
 <今、天使たちが自分を連れてゆくのだ>・・・そう感じながら彼女は息を引き取る・・・。

 ゾラの長編小説「居酒屋」を思い出してしまった。
 健気で働き者の洗濯女ジェルヴェーズが、平凡な幸せを夢見て苦境に立ち向かってゆくのだが、過酷な運命と貧困とに翻弄され、ついには自らも自堕落な生活に転落し、絶望の中で、無残に死にゆくという物語で、人間は、その人格も倫理観も幸不幸も、全ては社会環境によっていかようにも変化し得るものだ、というゾラ特有の自然主義哲学が貫かれている作品だ。
 この小説はこれまでに何回も読んでいるが、それにしても話の展開や描写が、余りにも救いがなく悲惨すぎて、いつも最後まで読むのが辛くなってしまう。

 フランスに限らず日本でも、長い歴史の中で、家族を救うため身売りする女の子たちの実話は山の様にあるし、現実は小説より更に悲惨なはずで、戦争や貧困のもたらす悲劇を思うと胸塞がれる。

 <Dans ma rue>の最後のフレーズに、祈りの様に語られている「神様が温めてくれる」という言葉に胸を打たれる。
 「天使」や「神」という言葉に西洋的な匂いを感じるが、私の訳詞では、「神」や「天使」を繰り返すことは敢えて避け、

   神様の元に こうして向かう
 
 の一言だけで万感を表してみた。

   星の流れに・・・・
 終戦記念日が近づくとテレビ、ラジオ、新聞などでも、戦後の歴史を改めて辿り、思いを馳せる様々な特集などが組まれる。
 先日、戦後の歌謡史とその時代背景を重ね合わせて語るテレビ番組を観た。
 その中で、1947年(昭和22年)のヒット曲、「星の流れに」を取り上げていた。
 「終戦で、奉天から単身引き揚げてきた従軍看護婦の女性が、東京の焼け野原の中に一人置かれ、働くすべもなく、飢餓状態に陥った末、ついには娼婦へと身を落としてしまった」・・・その女性が自らの転落の顛末を手記にして新聞に投稿した、その記事に触発され、彼女をモデルに作られた曲なのだそうだ。
 最初は「こんな女に誰がした」というタイトルで発表されたのだが、日本人の反米感情を煽る事になると、GHQからクレームがきたため、急遽「星の流れに」というタイトルに変更されたのだという。
  
  星の流れに 身を占って  何処をねぐらの 今日の宿
  荒(すさ)む心で いるのじゃないが  泣けて涙も 涸れ果てた
  こんな女に誰がした (1番のみ)


 「Dans ma rue」は1946年、そしてこの曲は1947年、ほぼ時を同じくして東西で歌われた曲に、同様の心境を感じるが、しかし一方では、「dans ma rue」には、女性に起こった運命の一部始終を淡々と事実として物語ってゆく客観的な視点があるのに対し、「星の流れに」には、怒りや絶望や喪失感などが、主人公と一つに重なって情感に訴えて語られてゆく、そんな差異もある。
 フランスのシャンソン、日本の歌謡曲のそれぞれが持つ典型的な特徴の一つを見るような気がしてとても興味深く思われる。

 「この路地で」が、古くて新しい、心に沁み入る歌として、共感を持って受け止めていただけるようになればと思う。 

                                          Fin

 
 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)



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