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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

京都街歩き 会場探しその二

 さて今日も、京都街歩き、前回「京都街歩き 会場探しその一」の続編です。

   町家を訪ねる ~ちおん舎
 幾星霜を経た建物には、負ってきた時間の独自の香りや風格が感じられます。
 欧風文化への憧憬とか矜持のようなものが、どう日本的な生活風土と折り合いをつけてゆくのか、そんなことを思いながら、前回の記事に記した「駒井家住宅」などの洋館を巡っていたのですが、ふと、趣を異にする「町家」の対極の魅力を味わってみたくなりました。
 
 京都には、未来への<町づくり>や、伝統を後世に残そうとする<街並み保全再生>のプロジェクトなどがあり、現存する「町家」の有効利用もその活動の一つになっています。
 そのような働きかけが徐々に実って、修復保存し一般に公開されたり、公共施設・展示会演奏会の会場・宿泊施設・レストラン・カフェなど、様々な用途に使われるようになってきました。

 コンサートをするとしたら・・・。
 いつもと違うそんな目線で眺めながら、今回は町家を巡る京都街歩きです。

 幾つか訪ねた町家の中から、素敵な場所を一つご紹介してみたいと思います。

 地下鉄烏丸御池駅から徒歩3分。「好立地ですね!」と、不動産情報誌の謳い文句のように一人呟きながら向かいます。
ちおん舎の入口
 路地を入ると、落ち着いた門構えに「ちおん舎」という表札が表れました。

「ちおん舎」のHPの説明には、次のように記されています。

  ちおん舎は、㈱千吉商店が京都・衣棚三条で運営する京町家の名称です。
  名前は、「温故知新」から「知」と「温」をとり千・智と音・恩の意味も含ませました。
  伝統の智恵を現代の生活に生かすことにこの空間の「場」の力を利用したいと思います。


 そして、「京都における最古の商家の家柄として世に知られた千切屋一門西村家の遠祖は、遠く奈良時代の・・・」と続き、長い歴史を背負った由緒正しき旧家であることがわかります。

 古都の中にあって、代々住まいする人たちによって手を加えられながら、大切に守り続けてきた重厚な日本家屋の持つ圧倒的な力は、きっと生活そのものを支える揺るぎない価値観とも融合して、生半可な近代建築などの及ぶところではないのでしょう。
ちおん舎の和室空間
 玄関を上がると、控えの間から覗ける中庭が、穏やかに来客を迎え入れてくれます。
 立派な床の間、そして大広間、雪見障子から日差しが柔らかく畳に差し込んで、和室の快さを充分に体感させてくれました。
 
 町家再生の動きの中で、この「ちおん舎」も、「茶道」・「香道」、「講演会」・「発表会」、「落語会」・「展示会」と、学び・集い・楽しむ空間として、積極的な活用がされています。

 この家の当主でもあるオーナーの方からの丁寧なご説明を受け、優しい余韻を感じながら、「ちおん舎」を後にしました。


   カフェで一休み ~GOSPEL
 眩しい春の日差しに、さすがに歩き疲れ、どこかで休憩したくなりました。
 「カフェでコンサートも良いのでは?」と、若い友人が推薦してくれたお店を思い出し、ではお茶しながらもう一軒と思い、今度は銀閣寺の近く、哲学の道沿いにあるGOSPELというカフェに向かいました。
満開の桜
 「哲学の道」の桜は、私のお気に入りスポットです。
 これまで、ブログでもこの辺りの桜便りを何回かお伝えしてきましたが、毎年、足を運びたくなってしまいます。

 心地よい風に吹かれて、気持ちも桜色に染まり始めます。
ゴスペル外観2
 ぶらぶらと散策しながら、お目当てのカフェを見つけました。
 哲学の道の1本西側にある鹿ケ谷通りの「GOSPEL」。
 何となくどこかで見たことのあるような懐かしさのある建物です。
 ツタの絡まるアンティークな洋館、周囲の喧騒からかけ離れた静かな佇まいです。
 
 手すりのついた急な階段を二階に上がるとそこがカフェ。
 誰かのリビングに招かれたようなアットホームな雰囲気がありました。

 大きな木製のテーブル、ソファー、チェスト、古いピアノ、そして沢山のレコードが納められている棚、様々な形の椅子が広い空間にゆったりと配置されて、それがセンスの良い調和を保っていました。
ゴスペルカフェ  ゴスペル カウンター
 外国のインテリア雑誌に出てきそうな大きなキッチンですが、ここが半オープンの厨房です。

 一杯の珈琲をゆっくりと、映画のシーンを演じているみたいにちょっと気取って味わっていると、疲れがすうっと癒えてゆきます。

 この居心地や空気感が、初めてのような気がしなくて、お店の方に伺ってみると、ヴォーリズ建築事務所の設計建築だとわかりました。

 ヴォーリズは前回ご紹介した「駒井家住宅」の設計者ですね。
 この建物は、彼の死後にその意思を受け継いだヴォーリズ建築事務所によって1982年に建てられたということ。個人の住宅だったのが、今はこうしてカフェレストランとなって生まれ変わって、たくさんの人を迎えているのですね。

 こんな家に住んで、好きな音楽を静かに聴いたり、時間を忘れて読書をしたり、親しい友人たちを招いて、気の置けないホーム パーティーをしたりできたらどんなにか心豊かな生活だろうなどと、気持ちは夢の世界を飛んでいましたが、我に返り、会場としての可能性を探るべく、スタッフの方にリサーチもしっかりとして参りました。

 京都街歩きの数日間、他にも随分沢山、建物とそれを囲む風景を満喫できた楽しい時間でした。

 今、それぞれの良さの中でのコンサートの情景が、心の中で広がっていますが、しばし考えを巡らせ、決定したらご報告したいと思います。
 
   おまけの話
 数日前の京都大学吉田キャンパス構内、時計台記念館。
京大の時計台
 青空に開花したばかりの桜が瑞々しく映えています。

 ちょっと良いことがあり、時計台記念館の中にあるフレンチレストランla tourでお祝いのパーティーを開いて頂きました。
 ラトゥール

 連日の京都街歩きの所産か、どこに行っても反射的に「会場としては・・・」とポイントチェックをしていることに思わず苦笑い。

 クラシック調の重厚なインテリアとゆったりとしたスペース、天井高の古色蒼然とした造り、恭しいサーブ、威風堂々とした佇まいの全てが素敵でした。
 花束
 この日は若い研究者や大学院生たちの集まりで、楽しそうに交わし合っている研究のお話などに静かに耳を傾けるのも何とも好ましく心地よい時間に感じられました。

 こんな素敵な花束も頂き、気持ちが優しくなった休日です。



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京都街歩き 会場探しその一

 京都の桜も開き始めました。
 この数日は花冷えで、少し踏み留まっていますが、明日からの暖かさですぐ満開になることでしょうね。
今にも咲きそうな桜  木屋町通り
 美しい季節到来の中、またまた花粉症の話で恐縮ですが、今年はかなりのダメージで、睡眠不足、食欲減退で、目下苦しんでおります。
 花粉だか黄砂だかが、五臓六腑に張り付いてくる感覚、おわかりになるでしょうか。
 痒いし痛いし息苦しいし・・・大げさと思われるでしょうが、本当です。
 じっと蟄居しておりましたが、でも、一向に良くなる気配もないので、では、逆療法をと、この数日、京都の街を歩き回っていました。
 今日のテーマは<よろよろと京都街歩き>です。

  コンサート会場の条件
 次回のコンサートは8月21日、内幸町ホールで行うこととなり、今まさに準備を重ねていることはこれまでにご報告した通りです。
 そして更に、9月初旬に予定している京都コンサートは、ここ数年『巴里野郎』で行っていますが、少し趣向を変えることも視野に入れて、いくつか候補探しも試みています。

 シャンソンは、伝えたい気持ちが一番、極言すれば歌う場所は選ばないわけですが、それでも、聴きに来て下さる方たちがより居心地良く、好条件で音楽を味わっていただける環境を整えたいですし、それが企画するこちら側のセンスというか、気概というものかなというこだわりを持っています。

 私のコンサートは自主企画のものが多いですので、こうしたいと思う自分としての思いを優先し、その時々のコンサートのコンセプトに最も近い形で実現することに集中してきました。

 でもその分、プロデューサーも歌い手も演出も全て一人で行うこととなり、それぞれの立場からのバランスの中で最良の選択をしてゆく必要が生じてきます。

 例えば、コンサートの会場は、歌い手、演出家としては、音響と照明には正直、かなり細かいこだわりがあります。
 音楽をベストな条件で聴いて頂けるか。
 照明も、・・・聴く側と歌う側双方の集中力を微妙に左右しますので、決して侮れないのです。

 プロデューサーとしては、客席数、客席の作りや居心地など。音楽会場に漂う空気に一種の品格があるか等も直感的に感じます。
 そして地の利。コスト・・・・

 コンサートホール、ライブハウスが、なんといっても音楽を生かす意味では一番相応しい造りになっていますが、今回「京都街歩き」の一環として、少し視点を変えて探してみました。

   洋館を訪ねる ~駒井家住宅
 京都は、由緒ある神社仏閣に囲まれた街ですが、明治、大正期に建てられた瀟洒な、或いは豪奢な洋館も数多く点在しており、普通に歩いていても街中でよく目にします。

 大学の校舎であったり、銀行、博物館、或いはレストラン、カフェなどとして今も使われているものも多いですし、歴史的建造物として文化財に認定され、保護されている建物も数多く残っています。
 そういう、洋館のサロンコンサートも、素敵なのでは。
 シャンソンには雰囲気が合いそうですよね。
 京都の洋館を研究し、可能性のありそうな建物を、楽しみつつ、いくつか歩いてみたのでした。

 その中の一つ。 
駒井家全景
 一般の観光の方には、あまり知られていないのですが、北白川、白川疏水沿いの一角に、今も残されている閑静な住宅、『駒井家(こまいけ)住宅』に行ってみました。 
 ナショナルトラストに寄贈され、今はその管理のもとに運営され、週末だけ一般公開されています。
 詳しくは下記のHPをご覧ください。
   http://www.national-trust.or.jp/properties/komaike/k.html
 この中から主な説明部分を抜粋しご紹介してみますね。(全景を写した写真を撮り損ねたので、HPからこの一枚を拝借させていただきました)
 
 大正末期から昭和初期に形成され、「学者村」といわれた北白川の閑静な住宅地にあって、比叡山が一望される東に庭を広く設けた洋館建築です。わが国の動物遺伝学、動物分類学に大きな功績を残した、京都大学名誉教授・駒井卓博士(1886~1972)の私邸として、昭和2年、ヴォーリズ建築事務所の設計により建てられました。
 昭和初期の洋風住宅として質が高く、また建築当初の状態がよく保存されています。米国人建築家W.M.ヴォーリズが円熟期にさしかかった時代の住宅建築で、昭和初期における代表的な作品ともいえます。1998(平成10)年、歴史的、文化的価値が高い建造物として、京都市指定有形文化財(建造物)に指定されました。
 所有者であった駒井喜雄氏とそのご家族が、「この建物と景観、ならびに駒井卓・静江夫妻の実績を未来に伝え残したい」と念願され、2002(平成14)年、土地および建物を公益財団法人日本ナショナルトラスト(JNT)に寄贈されました。

リビングからサンルーム
 音楽に造詣が深かったという静江夫人が奏でたピアノが歳月の重みを増して、この瀟洒で居心地の良いサロンに端然と置かれてありました。
これがリビングのスペース、その奥はサンルーム。


サンルームをステージにして歌うのも素敵かもしれませんね。
リビングのソファー
 こんなソファーに腰かけて、管楽器やピアノの調べに耳を傾けたなら時を忘れてしまいそうです。

 この「駒井家住宅」の設計者であるW.M.ヴォーリズの名はご存知でしょうか?
 明治から昭和を通して、我が国の西洋建築史上に大きな足跡を残した高名な建築家です。
 そういえば、先日のNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」で、主人公のあさと少し話している場面が出てきました 。
 実際には広岡浅子さんですが、彼女にとてもゆかりの深い人物でもあったのです。
 外国人と結婚することは好奇の目で見られた当時、娘婿の妹との婚姻を後押ししたのも彼女で、ヴォーリズは浅子さんの親戚筋となっています。

 個人の住居のリビングでもあり、コンサート会場というよりは、もう少し小さな規模の、気の置けないホームコンサート風のしつらえで行う時には、とても心地よい落ち着いたサロンだと感じました。
 ティーパーティー音楽会など素敵でしょうね。
駒井家書斎
 いくつか今回の条件と合わないところがあり、残念だったのですが、こだわりを持って作られた住居というものは歳月を経ても、そこで住まいした人の思いや暮らしぶりを息づかせているのだということを改めて感じました。
 駒井博士夫妻の清廉な人柄と進取の気を清々しく感じながら、ここを後にし、そして更に街歩きは続きます。

後いくつかのスポットがあるのですが、次回、<その二>に続けたいと思います。
すぐに更新致しますので、楽しみになさって下さい。




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年の瀬に思いを澄ませば

 ブログの更新が大変遅くなり失礼致しました。
 「どうしたの、大丈夫?」とご心配を頂き、申し訳なく思っています。
 この二週間、体調を崩していたこともあるのですが、親族や友人に不慮の事故や病気が続いて、心痛めつつバタバタと東奔西走しておりました。それに事寄せ、生来の筆不精が顔を出して・・・お恥ずかしい限りです。
 そうこうしているうちに、今日はもう30日ですね。
 今頃、皆様は余裕を持って一年を振り返っていらっしゃいますか。或いは私のように、師走を駆け巡っておいででしょうか。
 この時期になると、新聞やテレビで今年亡くなられた著名人を偲ぶ特集などが紹介されます。
  29日~31日の朝、NHKで、今年ご逝去された方の中から、NHKアーカイブスに残っているインタビュー映像を紹介する『耳をすませば』という番組を放映しているのですが、ご覧になりましたか。
 何気なくテレビを付けて、思わず釘付けになりました。

   『耳をすませば』 ~三代目桂米朝さんの言葉
 一日目、29日は、食生活ジャーナリストとして「本当に豊かな食とは何か」を問い続けてきた岸朝子さん、そして日本にコメディーを根付かせたいと精力的な演劇活動を発信し、また声優の先駆者でもある熊倉一雄さん、このお二人を取り上げていました。
 そして今日30日は、文学座の俳優として舞台・映画に活躍した加藤武さんと、上方落語の第一人者、三代目桂米朝さんでした。
桂米朝
 それぞれの方たちの生き様が、その語る言葉の中に豊かに溢れていて、四人の方に共通するのは、ご自身が真に目指す道をいつもしっかりと見つめながら、信念と、そして喜びとを持ってひた向きに歩み続けていらした姿勢だと感じました。
 新しい世界を追求しようとすれば、勿論、様々な困難は生じますが、それを苦とせず、決して周りに振り回されず、生涯の終わりまで、強い情熱を持って貫き通していらっしゃったことに大きな感動を覚えます。
 インタビューに応える表情、言葉の全てが、気負わず、穏やかで、そして終始楽しげであること、自分の人生をこのように全う出来たらと思える素敵さがありました。

 沢山ご紹介したい言葉があるのですが、その中から桂米朝さんの言葉です。

 「10代にたった一度聞いた、それを頼りに復活した噺もあります。技術的なことをみますと、大工さんでも10代に覚えなければと言うんです。体で覚えるのは10代やというんです」(『耳をすませば』より)

 「本人でも、あるいは親御さんでも噺家になって弟子入り許されたら就職したように思われると一番困るんですね。苦労の始まりですよ、何の保証もない。全責任は1人やから。面白くなかったらお客さんは無反応ですわな。10年やったらなんとかなるとか、そんなものでは決してないです」(『耳をすませば』より)

 「私の好きな言葉に『一期一会』というのがあります。落語という芸は、この言葉の通り常に一生に一度です。」(読売新聞12/30より)

 生涯、胸に刻み続けた師匠米団治の教え。「芸人は米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良いの悪いのと言って、好きな芸をやって一生を送る。芸を磨く以外に世間にお返しする道はない。芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで。」(読売新聞12/30 より)


   晦日の京都 市場の賑わい
 いつものように、錦市場を通り抜けて。

 「すぐき」は少し癖のある京都ならではのお漬物。大きいままで飛ぶように売れるのも年末ならの風物詩です。
お正月の細工が施された色鮮やかな蒲鉾。
すぐき かまぼこ おもち
京都では「てんぷら」と呼ばれるさつま揚げも人気です。

 お餅屋さんの店内ではつきたてのお餅を食べさせてくれます。
 京都では「鯛」と「はも」が縁起物です。
おもち 祝鯛 みそ
 お味噌の量り売り。主流は何と言っても白味噌です。

   鴨川べりから蛸薬師へ
 年賀状も書き終えて、大掃除も一段落しましたので、晦日の京都の街を少し散策してみたくなりました。

 錦市場の雑踏を抜けて、四条大橋から鴨川べりを三条大橋までゆっくりと歩きます。
冬の雲
 暖かい年の瀬ですがやはり雲と空は冬の色、川面がキラキラと反射して眩しく輝いています。
 夏なら川床を張り出している料亭の佇まいに静かな年の終わりを感じました。
鴨

鴨川の中州は鳥達の格好の遊び場になっています。
つがいの鴨が悠々と渡っていました。餌をついばむと川面に水紋が生まれます。

 どこまでも続く川べりの散歩道。 
カモメ2
 真っ白いカモメたちがこんなに沢山羽を休めていました。
 京都とパリとは姉妹都市なのですが、こうして鴨川沿いを歩いていると、セーヌ川の岸辺の風景が重なって思われます。
散歩道
 街中を大きな川がゆったりと流れて、その両岸に、街の賑わいがあり、しかも古い建物や寺社が混在している、そんな相似した街なのかもしれませんね。
 少しモノトーン風に撮ってみました。

三条大橋を渡り、再び街中へ。

昔ながらのお煎餅屋さんと、たわしと箒を売っているお店が少しレトロな雰囲気を醸し出していました。
せんべいや たわしや

 新京極の通りに入り、永福寺、通称蛸薬師へ参拝しました。
 この蛸薬師は、薬師如来を祀る病い平癒の寺なのですが、蛸の彫像がお祀りされている珍しいお寺です。
 蛸薬師
 蛸の丸い頭を撫でると病気治癒に霊験があるということで参拝者が多く訪れています。
 
 新年も病床から離れられないであろう大切な友人と親戚と身内と・・・。
 そして、一年の時間の中で、悲喜こもごもの様々な出来事があり、それでもこうして無事、今、年の瀬を迎えられていることを・・・・。
 
色々な思いに、心を澄ましながら手を合わせた私の晦日でした。


今年もこのブログをご愛読下さり、温かく応援して下さいました皆様、本当に有難うございました。

どうぞご自愛の上、佳き新年をお迎え下さいね。 



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嵐峡を渡る月 ~「嵐響夜舟」~

 涼やかな夜風の中で、いつまでもそぞろ歩きしていたくなるようなこの季節。

 「スーパームーン」はご覧になりましたか。

 私は、嵐山で素敵なお月見をしてきました。
 長月、風雅な観月の会がそこここで催されるのは京都ならではの情趣で、さすが古(いにしえ)からの雅と感じ入ってしまいます。
 今日は、初めて体験した「嵐響夜舟」を、写真と共にご紹介してみたいと思います。

   「嵐響夜舟(らんきょうやふね)」に乗る
 阪急嵐山線に乗って、終点の嵐山で下車し、中ノ島公園を通るとやがて渡月橋にさしかかります。
渡月橋の月3
 京都と言えば、すぐに思い浮かぶ、渡月橋から嵐山を臨む風景、嵯峨野巡りの出発点でもありますね。
 写真は夕暮れ時、6時過ぎの情景ですが、大きな月が既に煌々と昇り始め、渡月橋を美しく照らし、川面に映えています。
渡月橋の月2
 渡月橋が架かる川は、「大堰川(おおいがわ)」で、ここから上流が「保津川」、そして下流が「桂川」と呼称は変わっていきます。

 法輪寺橋というのが、渡月橋の正式名称ですが、「鎌倉時代に亀山天皇が、満月の晩、舟遊びをされ、月が橋の上を渡るように見えることから、 「くまなき月の渡るに似る」と詠われたことに由来します。」と解説書にありました。

 <月が橋の上を渡って行く>・・・幻想的で心憎いイメージですよね。
行き交う屋形舟
渡月橋を渡った対岸に「夜舟」乗り場が設置されていました。

 12~16人乗りの屋形船が、次々と船着き場に戻っては、また出航していきます。

 「嵐響夜舟(らんきょうやふね)」と呼ばれるこの屋形船ですが、昔ながらの、船頭さんのゆったりとした櫂さばきに任せて、大堰川を20分程周遊する、さながら亀山天皇の頃の舟遊びを彷彿とさせるような優雅なひと時が流れます。
屋形舟 屋形舟からの月
 
 そして、中秋の満月の夜、二日間だけ、川岸に小さな舞台が設えられて、大堰川と嵐山に向かって、音曲の生演奏が行われるのです。
 今年は、中国の二弦の弦楽器「二胡(にこ)」と、「横笛」の演奏が、数曲毎に交代で、絶え間なく流れていました。
二胡の調べ
 二胡のやるせなくノスタルジックな弦の響き、そして、横笛の端正で、古代の物語の世界に引きこまれるような風雅な残響が、川面を揺らすように響き渡ってゆきます。
 舟に揺られながら、美しい月に照らされながら、染み入ってくる音曲に心を傾ける素敵な時間でした。

 ふと気が付くと、どこからともなく一艘の舟が迫ってきて横付けになり・・・
 それは、焼きイカやみたらし団子や、お茶やビールや、お漬物まで売る屋形船ならぬ屋台船でした。
屋台舟 去ってゆく屋形舟
 お醤油の香ばしい匂いに誘われるのか、結構な売れ行きで、一商売すると、さっと離れて行き、また次の屋形船へ。
 熟練の早業にびっくりです。

 向こうに行き交う屋形船の提灯の灯りがキラキラと輝いています。
提灯の鵜と渡月橋
 提灯に描かれているのは「鵜(う)」と「渡月橋」。
 大堰川では鵜飼が行われており、夏は同じ屋形船に乗って、かがり火に映し出される鵜匠の鮮やかな手さばきを見ることができるのです。
船着き場
 
灯りに映える船着き場。

 舟は戻ろうとしています。

横笛の調べ


 岸辺に近づき、横笛の演奏者の姿も夜の中に再びくっきりと見え始めました。


 川沿いの老舗料亭から観月の灯りが輝いています。
川沿いの料亭






 船を下りると、いつの間にか渡月橋の上に高く昇っていた満月でした。

 演奏は川べりにも響き渡っていますので、のんびりと散歩したり、川辺に腰を下ろしたりしながら、秋の夜長を楽しむのも素敵です。
 九月の京都にいらしたら、一度は是非いかがでしょうか。

   小さい秋、見つけた
 ススキ
 
 季節は確実に流れています。
 
 ススキが揺れています。




  歩道に落ちていた栗の実。
     栗2
 まだ青いので、熟して落ちたのではなく、鳥か小動物の仕業かもしれません。
 イガが割られて、栗の実も齧られていました。
栗1

 栗ご飯と栗きんとんを早く作りたくなります。






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七月の点描(一)嵐の中の祇園祭

 夜になってもまだ激しい雨が降り続いています。
 
 今回の台風11号、四国に上陸し、強い風雨を伴って北上しながら、西日本を中心に各地に大きな被害をもたらしています。
 皆様のところは大丈夫でしょうか?お見舞い申し上げます。
 
   祇園祭、決行 
 京都は地形の関係からか、台風の影響は他の地域に比べるといつも比較的緩やかであるように思うのですが、それでも今回は祇園祭を直撃、数日前から台風情報とその話題で持ちきりでした。

 7月に入ると京都の街は祇園祭一色となり、山鉾が組み立てられ、昼は様々な神事、夜は、14日の宵宵宵山(よいよいよいやま)、15日の宵宵山(よいよいやま)、16日の宵山(よいやま)と、17日の巡行に向かって熱気を帯びてきます。
 
 昨年から祇園祭は、前祭(さきまつり)として山鉾を23基、後祭(あとまつり)として残り10基を巡行させるというように二回に分けて行われているのですが、これについて、昨年の記事「祇園祭の季節」の中で詳細を説明していますので、お読みになってみてくださいね。

 更に、山鉾の組み立て方をレポートした記事も2011年の「七月の京都 祇園祭点描(一)」「祇園祭点描(二)」で記していました。よろしければこちらもご覧ください。

 こうして七月といえば祇園祭。
 それが、予期せぬ台風到来のニュースでした。

 巡行の最終決定は、今朝5時半の台風情報によってということで、地元放送では山鉾連合会の様子などをずっと放映していました。

 大型の鉾は強風で倒れることも懸念されるため、暴風警報が発令されれば巡行を中止せざるを得ないという苦渋の決断がなされていたのですが、幸い5時半の時点では、警報は発令されていなかったため、決行が決まったのです。

 連合会は既に15日には、山鉾を飾る懸装品(けそうひん)や駒形提灯(こまがたちょうちん)を撤去するなどの対応を検討するよう喚起し、その決定は各山鉾町の判断に任せたのだと聞きました。
 鉾の転倒等の危険があっては大変ですし、山鉾の装飾には文化財に指定されている貴重な品々も多いので、雨に晒しでもしたら取り返しがつかなくなってしまいます。
 関係の皆様は、完全な形で山鉾を出したいという願いと、それを損傷することは許されないという責任との狭間で揺れる日々だったことかと思います。

 これまで山鉾巡行が中止になったのは、太平洋戦争の混乱期、そして直近では、四条通の地下で鉄道延伸工事があった50年前の1962年だったそうですが、悪天候のための中止は130年前の1884年が最後だったと聞き、祇園祭に垣間見える京都の伝統の重みを改めて実感しました。

 祇園祭の起源は、平安時代、疫病を鎮めるための「祇園御霊会(ごりょうえ)」からで、天候については「小雨決行、大雨強行」と言われ続けてきたとのこと、この、肝入りの<嵐の中の祇園祭>、今日、見てきましたので、人ごみに流されながら撮った写真と共にご報告致しますね。

   祇園祭前夜
 まずは、2日前の街の様子です。
四条通りの山鉾
 山鉾が例年と変わらず四条通りに立ち並んでいます。
 今年、四条通りは歩道を広げ、その分、車道を狭くしたので、山鉾を設置する場所が取れるのかしらと気になっていたのですが、鉾の入るスペースは歩道を削る形で確保し設計してあったようです。 
 さすが<山鉾ありき>の京都の街です。
祭り提灯
 駒形提灯がお祭り気分を盛り上げます。

 細い辻々にも出店が立ち並んで、夕方も35℃を下がらない熱気の中、浴衣姿の家族連れが楽しげにそぞろ歩きしていました。
車道の通行止め
 宵々山の四条通りは夕方から歩行者天国に。
 警察官の方たちがテキパキと整備し、あっという間に車道は歩道へと変身です。

 ・・・そして昨日から雨。
 残念ながら昨夕の宵山の写真はないのですが、山鉾から提灯が外され、ビニールシートが掛けられて、万全の雨準備がなされていました。

   祇園祭 山鉾巡行
早朝の四条通りです。まだ閑散としていますが、雨は時折激しく、関係者は皆、心配そうに空を見上げていました。
早朝の四条通 長刀鉾
 出発の9時を前に、先頭を切る「長刀鉾(なぎなたぼこ)」の様子です。

 傘をかぶり、鉾のてっぺんに登っているのは屋根方(やねかた)と呼ばれる方たち、今日は強風に煽られないよう命綱をつけていますが、まだ始まる前だというのに、風雨を受け、体中、もうびっしょりでした。
スタンバイ

 お稚児(ちご)さんもスタンバイします。

 ビニールシートをかけた長刀鉾ですが、皆、毅然とした面持ちで出発の準備が整います。
しめ縄切り

お稚児さんの「締め縄切り」も、見事な出来、無事大任を果たせました。


鉾を引く人たち、介添えの人たち、清々しい神事の装束と浴衣姿とが、やはり激しい雨にびっしょりと濡れていました。




車の手入れ
 悠然と粛々と進んでいるように見えますが、でも介添えの方たちは力仕事、実はこんなに大変なのです。
汗と雨をぬぐいながら、車輪の調整に余念がありません。

 でもどの方たちの顔もいつにもまして晴れやかで、誇らしげにみえます。
 平安時代から続いている伝統を何があっても絶やさず引き継いでいる、その自負に裏付けされた愛着のようなものが、京都の街の底力であるように感じられ、祇園祭の場に共に居ながら、何だか圧倒される気がしました。
力仕事 山鉾巡行

 今年の台風の中の祇園祭は、関係者の方たちにとって、そして観光の人の心にもとりわけ印象に残るものになるに違いありません。

 一週間後の24日(金)は後祭山鉾巡行が行われます。
 今度はきっと夏空で、かなり暑くなるでしょうけれど、万全の準備をなさって、是非いらして下さいね。



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京都の春 ~桜三昧

 桜満開、京都の街も、桜色に染まっています。
 この数日、我が家は千客万来で、友人知人と共に、桜を追いかける幸せな毎日が続いています。
 一昨日は、抜けるような青空で格別素敵な桜でした。
 昨日は、時々雨降りのしっとりとした風情。
 今日は、この両日撮ってきた写真で、京都桜歩きをしてみたいと思います。

   桜街歩き
 友人のMさんと、そしてHさんも今年はご一緒。
 お二人は朝の新幹線で、昼食を予約した老舗料亭「菊乃井」に現地集合です。

 地の利を生かして、私は途中寄り道、散策しながら向かいました。

   <木屋町 高瀬川沿いの桜>
 川面に桜がキラキラと映っていました。
  
高瀬川沿いの桜並木    青空に映える
 青空に映えて、朗らかに弾むように花開く桜。
 その傍らに、木蓮と雪柳が可憐に咲いています。
鴨川と四条大橋

振り返ると、鴨川にかかる四条大橋とその向うに山並みがくっきりと続きます。



   <祇園南座に近い辺りの遊歩道>
ボケと枝垂桜


 真っ赤に鮮やかに咲く木瓜(ぼけ)と、しだれ柳の柔らかい新緑、そして枝垂桜が絢爛と咲き誇って、美しいアーチを作っています。

   <菊乃井>
 円山公園を抜けて坂道をずっと登ってゆくと、「菊乃井」の看板が見えてきました。一筋入ると閑静な京都の春が広がります。
菊乃井
 
 久しぶりの再会に三人、おしゃべりに花を咲かせつつ、「菊乃井」はミシェラン三つ星の京料理の老舗、繊細で贅を凝らしたお料理を美味しく頂き大満足でした。

   <再び円山公園>
 「ブルーシートは景観を損なう為、使用しないで下さい。ご希望の方はゴザを無料で貸し出します」の看板があって、お花見も一昔前とは様変わりしてきているのですね。
円山公園の枝垂桜

「円山公園のしだれ桜」、やはり人気スポットです。

<敢えて、桜の名所を訪ねてみる>一日にしようと決めて、混雑を覚悟の上、次の南禅寺に向かいました。

   <南禅寺>
 威風堂々と聳える南禅寺の三門はやはり美しく、柔らかい春に包まれていました。
南禅寺三門  水楼閣
   <水楼閣>
 名だたる南禅寺の水楼閣。
 写真を撮る人で大賑わいです。
 「ミステリードラマのロケ地」、「ここでいつも真犯人が自供するんだ」、「テレビでは犯人と探偵しかいないのに、あれは早朝撮影しているのだろうか」、等々、異口同音にあちこちから聞こえてきました。
 京都には、何ヵ所か、いつもドラマに出てくる場所があるのをご存じですか。
 水楼閣は、皆様が言う通り、その名所でもあるのです。
インクラインの混雑
<インクラインの道>

 南禅寺から続く<インクラインの道>も、何事が起こったかと思うほどの大渋滞で、先に進む事も出来ないほどでした。同じく写真スポットなのですね。 
速やかに迂回して抜け出しました。

   <岡崎桜回廊十石舟めぐり>
 南禅寺を出て、十石舟が出航する南禅寺舟溜り乗船場へと向かいます。
 何日も前に予約して、チケットを入手していましたので、問題なくすぐに乗船することができましたが、そうでなければ、乗ることが出来るのだろうかと思われるほどの長い行列です。
平安神宮の鳥居  すれ違う十石舟
 琵琶湖疏水を行く定員24名の十石舟、夷川ダムまでの約1.5㎞を25分かけて往復します。眩しい日差しの中で、舟から眺める川岸の桜も美しく、春風が心地よく感じられました。
すれ違う十石舟。
平安神宮の鳥居が現れてきます。

   <木屋町の夜桜>
 再び木屋町に戻り、高瀬川沿いのお洒落なイタリアンで夕食にしました。
その筋向いにある素敵なギャラリー「高瀬川 四季AIR」は、知人の方のご紹介で知ったのですが、二階から見る桜が実に美しくて、うっとりしてしまいました。
 町屋の趣を最大限に残しつつ、ひっそりとした隠れ家のような佇まいの、居心地の良い空間を創り上げています。
高瀬川 四季AIRからの眺め 高瀬川沿いの夜桜
 昔ながらの設えの硝子窓を額縁にして、下を流れる高瀬川と、手を伸ばせば届きそうな絢爛とした桜の風情が、心に優しく刻まれました。
 そして夜桜。
 桜で目も心も一杯に満たされた一日が幕を閉じました。

  <都をどり>
 一夜明けると、雨模様でした。

 MさんとHさんのリクエストで、前もってチケットを取っておいた「都をどり」に向かいました。
歌舞練場
 祇園花見小路の少し先にある祇園甲部歌舞練場で、祇園の舞妓さん、芸妓さんたちが一堂に集い、日頃磨いた歌舞を披露する華やかな舞台です。

 4月一杯、一日4回、公演されています。

お茶席券付チケットでしたので、公演前、芸妓さんの立礼式お点前の後、お抹茶が振る舞われます。
日本の古い伝統に注目が集まっているのでしょう。外人の観光客が以前よりとても増えている気がしました。
開演前のお点前  歌舞練場の内部
 開演前の歌舞練場の内部です。
 公演中は写真撮影が出来ませんので、ご紹介できず残念ですが、白塗りのお化粧の下にまだ初々しい面差しを残して、一生懸命踊っている舞妓さん達の姿が可憐で清々しく感じられました。

   <白川筋の桜と鷺>
 都をどりが終わると、雨が上がっていました。
 ぶらぶらと、近くの白川筋を散策。
 川向うには、ずらっと料亭が並んでいます。板前さんが甲斐甲斐しく立ち働いているのも窓越しに見えます。
 川向うに並ぶ料亭    白川に憩うサギ
 そして、白川には鷺が悠然と身繕いをしていました。

 心和む友人と共に春を満喫した、とても贅沢な桜散歩の時間でした。

   おまけの話
 NHKBSプレミアムで放映されている「岩合光昭の世界ネコ歩き」ってご覧になったことがおありでしょうか。
 ネコ歩きパンフレット
 この写真展が今、京都大丸店で開催中で、先日観に行ってきました。

 モロッコ、ギリシャ、キューバ、・・・様々な国で暮らす猫たちの様子を実に生き生きと捉えていて、猫好きの私にはもうたまらない写真展でした。
 心なしか、猫もお国柄によって「面構え」が違うような気がして、ちょっと面白かったです。

桜の枝にぶら下がって遊ぶこの写真は、ポスターにもなっていましたが、日本で撮影したもので、岩合さんの愛猫の「にゃんきっちゃん」という名前の猫だそうです。
にゃんきっちゃんの絵葉書

何だか日本の顔をしている気がしませんか。
桜にちなんでご紹介してみました。

(写真は、買い求めた絵葉書です。)

もう一枚の絵葉書、あまり可愛くて思わず買ったのですが、こちらは「海(かい)ちゃん」という、これも岩合さんの飼い猫だそうで、この二匹の写真に、私は特に心魅かれるものを感じました。
海ちゃんの絵葉書

 とすると、<撮影者=飼い主との愛情の通い合い>みたいなものが写真には期せずして現れるものなのかもしれません。

 4月15日からは、大阪の阪急うめだ本店で開催されます。






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幸せの双葉葵 ~上賀茂神社参拝の記

 今朝起きたら、昨晩からの雪で外はすっかり雪景色でした。
 如月、寒気厳しき季節の到来ですが、めげずに元気で乗り切って行きたいですね。

   ちょっとだけ楽しいお話 ~二葉タクシー
 今日は、ローカルな話題なのですが。

 京都は観光地ですので、おそらく他の土地よりも格段に、走っているタクシーの数が多いのではと思います。
 市内、郊外を問わず、個人タクシーに加えて、様々なタクシー会社が競って活発な営業を行っています。
 その中の代表的なタクシー会社の一つ、弥榮(ヤサカ)タクシー。
ヤサカタクシーのロゴ
 運転手さんの対応が、総じて感じが良い気がして、私は好きなのですが、この会社のロゴは三つ葉のクローバーで、通常、緑のこんなロゴを天井灯に付けて走っています。

 地元ではすでに認知度が高いのですが、1200台も運行しているこの三つ葉のタクシーに混ざって、四つ葉のロゴの車がたった4台、街を走っているのです。
四葉のタクシー
 しかもこの4台は予約や指名は一切できず、客待ちもせず、ただ街を流しているので、見かけることも稀ですし、ましてや偶然それに乗車することはほぼ叶わない幻のタクシーと呼ばれています。
 万一偶然に四つ葉印のタクシーに乗車することが出来れば、本当にラッキーで、このタクシーに乗ると、幸せの記念ステッカーを貰えるというのが巷(ちまた)では、有名な伝説です。
ピンクの三つ葉
 この人気に気を良くしたのかどうかわかりませんが、次なる企画はバレンタインのラブ・クローバー号という車で(といっても2004年からで、もう10年も続いているそうですが)こちらは、2月13日と14日の二日間の限定で、女性ドライバーが運転する20台のみが、緑ではなくピンクの三つ葉に変えて運行しています。こちらも記念ステッカーを貰えて、これは垂涎の<恋の成就お守り>なのだとか。
 バレンタインはもうすぐですが、今年もきっとこのピンクの三つ葉のクローバー号が京都の街を颯爽と走るのでしょう。

 さてここで、本題です。
双葉葵のロゴ
 スペシャル企画として、このヤサカタクシーでは、今、「あふひ(葵)の二葉タクシー」の市内のみの運行が行われています。
 これは、1200台中、最も希少のたった二台。
 街で見かけたというだけでネットに投稿される超レアなタクシーです。
 上賀茂神社の「式年遷宮」に向けたタイアップ企画で、「式年遷宮」が行われる2015年10月末までを期限とし、三つ葉を、上賀茂神社の家紋の二葉葵(ふたばあおい)に代え、車のナンバーも「2828」=「ふたばふたば」と趣向を凝らしています。

 実は、私、昨年の冬、この双葉葵のタクシーに偶然乗車したのでした!!
乗車記念のレシート
 こういう情報はそれまで全く知らず、ただタクシーを止め乗り込んだだけだったのですが、車中で運転手さんにこの仔細を聞き、びっくり!
 そして、降りる時にレシートを渡され、「このレシートを上賀茂神社に持って行くと記念品がもらえるので是非参拝して下さいね」と言われたのです。
 そのレシートは、こちらです。

 生れてこのかた、くじ運には全く恵まれず、あらゆるくじ引きに当たったことのない私なのですが、なぜかヤサカタクシーとは相性が良いらしくて、実は、実は、何を隠そう、この双葉葵の前に、何と二回も四葉のクローバータクシーに乗っているのです。
 こういうとまるで相当頻繁にタクシーを使っているように思われるかもしれませんが、そんなことは全くなく、本当にたまにしか乗らないのに不思議です。
 その話を運転手さんにして、持っていた四つ葉のシールを見せたところ、「そんな話は聞いたことがない。凄い強運の持ち主ですねえ!!」と興奮して絶賛されてしまいました。
四つ葉の記念証とシール
 嘘ではありません。証拠の品も持っております。
 こちらが記念のカードとシールです。

 これは、言ってみればたわいのない天下泰平な話なので、気楽に人に自慢できますし、事情の分かっている京都の人には特に大うけで、「ところで、記念品は何なのだろう?」ということになります。
 それで、これを究明すべく、先週のお天気の良い日に、一年近く放ったらかしにしておいたレシートを携え、上賀茂神社に参拝に出掛けることにしたのでした。

   上賀茂神社へ
 抜けるように澄んだ冬空の一日でした。
 上賀茂神社の赤い鳥居が青空に映えています。
青空に映える鳥居 式年遷宮
 鳥居の前には「式年遷宮」の文字が掲げられて、来たるべき遷宮への準備が着々と進められています。
 21年ごとに営々と続いてきたこの式年遷宮のおかげで、儀式の伝統や、宮大工の技術などが次の世代へと引き継がれて行くのですね。

 上賀茂神社、下賀茂神社は共に賀茂神社と総称され、両社で京都三大祭りの一つ「葵祭」が催されますが、賀茂神社の「葵」の家紋は双葉が寄り添い相和すという縁結びの霊験に繋がって信仰の対象ともなってきたようです。
結婚式の撮影 花嫁姿
 陽射し麗らかなこの日も、境内には挙式を行うカップルの姿が何組も居て、とても長閑な情感を醸し出していました。

 京都では神社で挙式というカップルも増えてきているようですが、こういう厳かな趣の中での神事は、新たな出発に誠に相応しいのではと感じられました。
ハート形の絵馬
 上賀茂神社の絵馬はハートのような葵の葉の形をしています。「ご縁が結ばれますように」という願い事がそれぞれに書かれ、奉納されていました。
 
双葉の記念シール
そして、例のレシートを手に、社務所に向かいました。 「あの~、これを・・・。」とおずおずと渡すと、引き換えに手渡してくれた記念品はこちら。

 ただ一枚のシール!
 「欲張ってはいけません」という新年の戒めかと。
 ちょっとがっかりと、こみあげてくる笑いと。
 友人に早速話して、また盛り上がろうかと思っています。

   そして下賀茂神社へ
 気を取り直し、せっかくここまで来たのだからと、バスを途中下車して、下賀茂神社にも立ち寄ってみました。
 静寂な糺(ただす)の森を通って、神社へと向かいます。
 森の中の縁結びのご神木。
  縁結びのご神木   糺の森
 そして、森を流れるせせらぎが静かな水音を響かせていました。
 
さざれ石
 国歌「君が代」に歌われるさざれ石。

 さざれ石とは、「小さな石」の意味で、歳月と共に大きく成長し、やがて岩になると信じられている心霊の宿る石です。

下賀茂神社の鳥居もやはり青空に映えて聳えます。

 御手洗(みたらし)三本杉の縁起が記されているお清めの水が清々しい美しさを湛えています。
お清めの水 下賀茂神社境内
 静謐な雰囲気の漂う境内。

 「世界文化遺産」の文字が刻まれた石碑。 
 大きな羊の干支の「絵馬」。
  世界文化遺産   羊の絵馬
 美しい「楼門」。 
 葵祭の折に勅使が御祭文を奏上する「舞殿」。 

 双葉葵が誘ってくれた古都の麗らかな新春散歩の一日でした。



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年の瀬 京都街歩き

 今日はもう晦日、いよいよ押し迫ってきましたね。

 例年ですと、今頃はまだ仕事を抱えたまま、お正月を迎える準備に慌ただしく過ごしているのですが、今年はどうしたことか、半端ではない数の年賀状も、超ビックな大掃除も、整理本が書けそうなほどの徹底した断捨離も、コンサートが終わったら着手しようと思っていたいくつかのデスクワークも、全て早々と終えて、新曲の訳詩まで完成し、わが生涯の中では初めてではないかと思うくらいの余裕で12月30日を過ごしております。
 <何かの前兆ではないか?><反動が新年から起こったらどうしよう!>とか、ちょっと怖くもあるのですが。
 そんな不安を紛らわすべく、今日は、年末の京都の街を散策してきました。

   恒例、錦市場の賑わい
 わが家からの通り道が錦市場なのですが、ともかく年末の混み具合は尋常ではないのです。
錦市場の賑わい
 いつもなら1分かからず抜けられる道が、午前中早い時間なのに、大渋滞でまったく身動きが出来ません。地元の買い出し組と観光の見物組がごちゃごちゃに混ざり合って、カーニバルみたいな空気が漂っています。
 アメ横や築地も年末はこんな感じですが、こういう混雑も含めての<錦>なので、誰も別に文句も言わず、むしろ雑踏を楽しんでいる風ですらあります。  
 前に進めない分、何となく暇で、結構皆、写真なんか撮って楽しんでおり、撮られるお店の人も慣れていてポーズなど作ってくれます。
 
 「餅は餅屋で」・・・納得!
    餅は餅屋で     京都ののし餅
 京都の「のし餅」は、関東のように板状のものではなく、蒲鉾みたいな形のものをスライスして売っていて、お雑煮用も角形ではなく丸餅になります。
 正月飾りの出店
 
 正月飾りの大きな売り声が年末の活気を誘っていましたが、でも、「来年はもう店を出せないと思う」とぽそりと一言。
  「作りたくても輪飾りを編む藁(わら)が手に入らなくなっている」と少し寂しそうでした。
堀川ごぼう
 

 京野菜の一つで、通常より太くて短い「堀川ごぼう」もおせち料理にはなくてはならない食材のようです。途中で引き抜き、地を這わせて育てるので柔らかく太く育つのだと聞いたことがあります。

お魚屋さんには鱧(はも)が所狭しと。
京都は、鯛より、鰻より、何と言っても鱧なのですね。 

錦湯 
 錦市場からちょっと下がったところには、銭湯寄席などもやって評判の「錦湯」があります。明日の大晦日も営業すると書いてありました。まだ一度も行ったことがないので、来年は挑戦し、探検レポートでも書いてみようかなって思っています。


   東寺 晦日の風景
 九条まで足を延ばして、久しぶりに東寺に行ってきました。
 東寺は平安遷都の際、京都の南、羅城門の東に建立され、弘法大師によって造営された、世界遺産にもなっている威風堂々とした真言宗総本山です。
東寺の山門
 毎月21日には弘法市が立ち、広い境内に、骨董、古着、植木など、多くの出店が立ち並び、賑わいを見せることで知られていますが、特に12月21日は「終い弘法(しまいこうぼう)」と呼ばれ、全国から数十万人もの人出となります。
 その「終い弘法」も終わり、今日は、人もまばらで、明後日の初詣を前に静寂に包まれていました。
東寺の五重塔
 五重塔の佇まいが端正で、歴史を経た揺るぎない美しさを感じさせます。

 初詣ならいざ知らず、晦日にお寺参りというのもどうなのかしらという気もしていたのですが、金堂の薬師三尊、講堂に安置された大日如来に祈っていたら、何とも言えない厳かな落ち着いた気持ちになって、今年一年の出来事が心に巡ってきました。
五重塔と道風ゆかりの柳
 一年の終わりにいつも思うことは、時の流れの中には、かけがいのない、人との、時間との、一期一会が積み重なっているということです。
 新たな出会い、感動、喜び、様々な幸せがある一方で、心に痛く刻まれて消えないことも、また、積み重なってゆきます。
今年も友人や教え子たちの結婚や出産など、嬉しい出来事がいくつもあり、そういう輝いている時間を共有し祝福できるのは何より幸せですが、反対に、色々な形での人との別離は何より辛いことでもあります。
病で急逝された優しい先輩、不慮の事故で逝かれた友人、親戚、亡き人との思い出が、東寺のひんやりとしたお堂の中で思い起こされてきました。
東寺香
 東京の友人に「もし東寺に行くことがあったら「東寺香」というお香を買ってきてほしい」と頼まれていて、これを買い求めることが、今日のここを訪れた目的でもありました。
 東寺でしか手に入らないという白檀の香りがゆかしいお香です。
 自分の分も入手して、今部屋に焚き込めていますが、何か、年の終わりの感慨が増してくる気がします。

   芸能の神様 車折神社へ
 東寺から、車折(くるまざき)神社へと更に足を延ばしてみました。
 四条大宮から嵐電に乗って20分ほどのところにあります。
嵐電
 嵐電は路面電車、今日乗ったのは一両編成のレトロな仕様でした。
 街の信号で自動車と並んで止まり、降車客の切符は運転手さんが受け取ったり、のんびりとした小旅行の気分になります。
 途中、太秦映画村の駅では、水戸黄門のテーマソングが車内に流れたりとユーモアもたっぷりです。

 車折神社はプラットホームを下りたすぐ正面にありました。
「車折神社は芸能神社ではありません!」と社務所に大きく明示されていましたが、でも芸能神社として、知名度が高いです。
車折神社  石に書かれた願い事
 「清めの社(やしろ)」が境内に祭られていて、これに思いを込めて願い事をすると不思議なくらいよく成就し、成就の暁には、小石にお礼の言葉を書いて奉納するのだそうです。
 その石の納め処が本殿の前にあります。
 最近パワースポットとして紹介され、訪れる人が急増していると聞きました。

そして、本殿の近くの「芸能神社」です。
芸能神社  奉納された玉垣
 朱塗りの玉垣にはこれを奉納した歌舞伎役者、映画俳優、歌手・・・・、著名な芸能人の名前がずらりと並んでいて、その思いの深さが伝わってきます。

 「人事を尽くして天命を待つ」・・・・そのような天命を求める多くの舞台人の願いがこの場所に漂っている、そういう意味では、まさに、パワースポットであることを強く感じました。

 今年は、2月から12月まで計5回に及ぶvol.7、vol.8の二回の訳詞コンサートの開催と、その間にラジオの出演が何回かあり、果たしてやり通せるか、実は、心配にもなっていたのですが、兎も角も無事、終えることが出来たことを、今、本当に有難く思うばかりです。
 ステージは全力を尽くしても、それだけでは如何ともしがたい、体調や周囲の状況などの不可抗力も含めて、最後は運任せでもありますので、アクシデントなく終えられたことが如何に幸せだったか、そのことに静かに思いを馳せ、手を合わせました。

 何かに挑戦すれば、その分傷ついたり、消耗したりするリスクは負いますが、それでも、来年も、そういう全てを含めて、新しい出発をしてゆくことが出来ればと思っています。
 
 今年も一年、本当にありがとうございました。
 このブログも、いつもご愛読いただいて感謝致します。

 どうぞ風邪などひかれませんよう気をつけて、良いお年をお迎えくださいね。



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太夫と過ごした日

 先日、京都を訪れた友人が、「ふと曲がる通りなどの至る所に、歴史の教科書に載っていた有名な寺社仏閣、地名などが、次々と出てきて、やはり、京都の歴史と伝統は生半可なものではないと思い知らされた」としみじみと漏らしていました。
 私も京都に暮らして10年になりますが、同じ感慨を日々感じています。
 そう思うにつけ、折角なのだから、もっと学んで見識を深めねばと反省するのですが、でも住んでいるといつでもチャンスがある気がして、京都歴史探訪も先延ばしになってしまいます。

 そんな、京都にあって未だ京都を充分知らない私ですが、先日、まさに古都ならではの雅やかな体験をしてきましたので、今日はそのご報告をしてみたいと思います。

   高瀬川 下木屋町界隈 
 高瀬川のほとりに町屋を改造して作られた「高瀬川・四季AIR」というギャラリー(フリーアートスペース)があります。今年三月にオープンしたのですが、絵画・工芸などの美術作品の個展や、多様なジャンルのミニライヴなどの音楽スペースとしても様々に活用されています。
 高瀬川のせせらぎを聴きながら、そして時折、川面に降り立つ美しい白鷺や鴨などの風情を楽しみながら、実にはんなりとした雰囲気に包まれた空間なのですが、この主催者の方が企画なさった、『京都島原・菊川太夫と京料理の宴』という催しのご案内を頂き、先日、参加してきました。

 「木屋町通り松原上がる」にある「割烹旅館 田鶴」が会場でした。
 ここで、少しだけ、京都の街の道案内をしてみますね。

 京都の中心は、碁盤の目のように整然と区切られていることはご存じの通りですが、縦横のそれぞれの通りには、そこでしかない独特な空気があり、その辻々が独自のすみわけの中で、固有の文化を積み上げてきたのを肌で感じます。
 今度の私のコンサートは『街の素描』というタイトルで、パリのそれぞれの通りで繰り広げられる物語をデッサンしてゆくという趣向で進めて行きますが、京都の通りを題材に取ったとしても、まさに、通りの素描がくっきりと描けそうな気がします。
 さて、高島屋のある四条河原町の交差点辺りが一番の繁華街で、銀座で言えば、四丁目交差点でしょうか。その四条通りをまっすぐ東に行くと河原町通りと並行して木屋町通り、そして先斗町(ぽんとちょう)、鴨川が流れ、川を越えると祇園のいくつかの粋な通りが続き、やがて八坂神社のある東大路通りへと突き当たります。
桜並木の高瀬川
 高瀬川に沿った木屋町通りを南に下がってゆく(時々コンサートを開催するシャンソニエ『巴里野郎』もこの道沿いです)下木屋町に、料亭「田鶴」はあります。春は桜並木にぼんぼりがともり、美しい通りです。
 
 この会の初めに、お世話役の方からも、高瀬川、及びこの界隈の歴史について興味深いご説明があったのですが、高瀬川は、角倉了以によって江戸時代に開削された、京都と伏見を結ぶ全長11キロにわたる運河です。
 大阪から淀川で運ばれてきた様々な物資が伏見で高瀬川に積み替えられて京都まで、輸送の大動脈の役割を果たしていました。
今年はその開削400年にあたり、様々な記念事業が計画されているようです。
 この物資の集積地として栄えたのが木屋町で、今でもその頃の名残りの、豪奢で粋な老舗の料亭や旅館が立ち並んでいます。
高瀬川一の舟入に復元された高瀬舟
 当時、運搬に使われたのが高瀬舟。
 高瀬舟は物資だけではなく、京都と大阪を結ぶ人の往来にも重宝され、幕末の頃は、高瀬舟で大阪から上洛する土佐、長州の藩士たちの波乱万丈な幕末史を彩っています。

 高瀬舟というと、私は、鴎外の小説『高瀬舟』をまず思い浮かべます。
 弟を安楽死させた罪人喜助を搬送する高瀬舟の中で、喜助の無欲で曇りのない幸せそうな様子を不審に思い、その身の上話を聞く護送の役人の心情と、彼が見上げた朧月夜の不思議な哀愁とが、高瀬川辺りを散策する時、いつも重なり合って思われます。

 高瀬川のせせらぎに街の灯がほんのり映える夕刻ともなれば、玄関の打ち水も清々しく、店々には暖簾が下げられて、しっとりと落ち着いた佇まいの木屋町界隈は、俄かにあでやかな表情を見せはじめます。
 と、木屋町を紹介するパンフレットにありましたが、落ち着いた京都を味わえるお薦めスポットです。

   京都島原・菊川太夫との宴
 本物の太夫さんをお座敷に招いて、舞と音曲を堪能するなどということは 生粋の京都人でも滅多に出来ませんので、是非この機会にと思い、仲良しのMさんと一緒に参加することにしました。40名の定員はすぐに締め切られ、満席での当日。
「田鶴」の会席料理
 鴨川のほとり、東山を眺望する料亭「田鶴」の大広間での箱膳に美味しい懐石が運ばれてきて、華やかに宴が始まりました。

元高砂太夫さんが介添えに同行され、初めに島原の歴史や太夫について色々説明して下さいました。巧みな話術ですっかり座は盛り上がり、やがて、お待ちかねの菊川太夫の登場です。
元高砂太夫のお話 菊川太夫の登場

まずはお琴を一曲。
琴の調べ
 ほっそりとした指先で、優雅な調べが奏でられ、ここで既に幽玄の世界に誘われます。

 私の席は最前席で、手を伸ばせば届く距離、写真はズームで撮ったのではなく、正真正銘この距離感なので、写真の頭が切れています。

そして、あでやかな舞い姿。
舞
 白塗りで、口紅は下唇のみに塗り、お歯黒を付けています。帯の形も変わっていますが、前で5角形に結ぶ「心」の字を模したものだそうです。

 舞台の袖に高下駄が置かれてあります。これを履いて道中をするのでしょうが、重い衣装、大きな簪を着けて、この履物は余程の修行が必要でしょうね。
高下駄
 お座敷で舞う時には、下駄は勿論ですが足袋も履かず、素足のままだということも特等席の特権でしっかり確認しました。

 「太夫」という呼び名は関東のもので、関西では「こったい」さんと呼ぶのが通例なのだと教えていただきました。
 京都島原の太夫は、いわゆる遊女とは異なり、御所の公家や皇族、大大名だけにお目通りをしていたため、太夫自身の身分も高く、そのため、それに応え得るだけの、歌舞音曲のみならず、茶道、華道、詩歌をはじめ、あらゆる教養に長けていなければならず、そのお稽古は現在も、大変厳しいものだということです。
 現存の太夫は京都に4名で、菊川太夫は、大学を卒業してから高砂太夫の元に弟子入りをし、修行を積んだのだそうです。
 お客様の間を回って、一人一人に楽しげに話しかけ、記念撮影も。
私達も一緒に撮って頂きました。左は友人のMさん。右が私です。
太夫と 会話がはずみます
 島原の太夫は、現在もお座敷を中心に、京都の数々の行事やイベントに参加しているということで、菊川太夫も伝統の若き継承者として志を持って頑張っているのだと、舞が終わった後のお話しタイムの中で静かに語って下さいました。
 
 主催者の方は、閉会のご挨拶で、高瀬川の景観の事、島原の文化の継承の事、などに再度触れた上で、古都の歴史や伝統を知り、自分たちの財産として愛おしみ、大切に守ってゆこうという強い思いを述べられました。
 
 高瀬川のせせらぎを聴きながらの帰路に感じた、京都の魂にふわっと包まれているような感覚が、今もまだ残っています。
 


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祇園祭の季節

 盆地の底に湿度と熱気が容赦なく溜まり込むような、京都の耐えがたい暑さはいよいよ本格的になってきました。
 それでも絽(ろ)や紗(しゃ)等の夏の着物をすっきりと着こなして、日傘に包まれ、涼しげに道行く女性を目にすると、何たる底力、これぞ、何代にもわたる生粋の都人に違いないと、ひたすら感じ入ってしまいます。
 町家の玄関先には、朝夕、打ち水をする家人の姿が見られますし、そういう家の窓辺には、よしずやすだれが美しく陰を作り出しています。
 友人のMさんは,京都の旧家の生まれ。彼女のお母様は今でも梅雨明けと共に、家の和室の襖(ふすま)や障子を全て取り外し、すだれや格子戸に清々しく掛けかえていらっしゃるそうです。
 全ては、暑さにしなやかに向かう京都人の風雅な心意気なのでしょうか。

 そんな京都の7月は、祇園祭で始まります。
 7月に入ると、街中では、祇園囃子の「コンチキチン」(と、聴こえることになっています)の音が賑やかに響き渡り、10日からは山鉾(やまほこ)建てや飾り付けが始まり、そうこうしているうちに、デパートや銀行などでも、女性の店員・職員の方たちが浴衣で接客を行い、道行く人は、街頭で配られる祇園祭のうちわを手にしながら涼を取り、・・・・街は皆で祇園祭を盛り立て、最高潮となる17日の巡行の日を今や遅しと待っているかのようです。

 毎年7月1日から31日まで一カ月間に渡り神事が行われる祇園祭は、1100年余りの伝統に支えられているのですが、今年は、49年ぶりに後祭(あとまつり)が復活することになりましたし、150年ぶりに再興されたという大船鉾もお目見えする、変化の年でもあります。
 その大船鉾の装飾を任された織物職人さんのこだわりの話や、長刀鉾のお稚児さんに選ばれた男子の取材など、京都版の新聞、テレビなどでは、連日、祇園祭関連の話題が取り上げられ、伝統に守られた誇り高き祭事であることを改めて印象づけられます。
 ちなみに京都では、祇園祭のお稚児さんに選ばれるということは、子々孫々に至るまで、本人及びその家の「最高の栄誉」であることは間違いなく、実際、私自身も、70歳を超えていると思われる知人が、嘗て幼少期にお稚児さんの大役を果たしたことを、情熱を込めてこの上なく誇らしげに語っていたのに遭遇したことがありました。

 昨年までは、山鉾の総数32基が一斉に、17日の巡行の日に都大路を典雅に巡っていたのですが、今年からは17日までを「前祭(さきまつり)」として、23基を巡行させ、その後24日に「後祭(あとまつり)」として、残りの10基を巡行させるという、二回に分けて行われることになりました。
 従って祇園祭の巡行は、これまでより一週間長く続くわけです。

 「後祭」を復活させたのは、本来の伝統に回帰するという意味合いからでしょうけれど、でも、もう一つの側面としては、恐らく観光客が余りにも一時に殺到してしまって、危険を伴う所まで来ており、その回避が急務だったとも聞いています。

 7月14日は宵々々山(よいよいよいやま)、15日は宵々山(よいよいやま)、16日は宵山(よいやま)と呼ばれて、四条通りは歩行者天国となり、屋台も出る夜の街に祇園囃子が賑やかに響く一方で、神霊を神輿に遷す神事などが厳かに取り行われ、祇園祭巡行の日に備えてゆきます。
 クリスマスのイブとかイブイブとかいう言い方に似ていますが、イブイブに何か特別なイベントが行われたりするわけでもありませんので、一カ月近い日数をかけて周到に準備される祇園祭は、類まれなる勇壮な神事と言えるかもしれません。

   前祭の賑わい
 前祭山鉾巡行は、17日午前9時に四条烏丸をスタートして約2時間かけて市中心部を巡行します。
 数ある山鉾の中でも、その筆頭は何と言っても、先頭を切る長刀鉾(なぎなたぼこ)かと思うのですが、これを見るために、午前9時を目指し、全国各地から観光客が集結する中で、なんと我が家は長刀鉾から徒歩2~3分の距離、ちょっと外に出れば、祇園祭の特等席、スタートラインが目の前にあると言うわけなのです。

 いつもは祇園祭と入れ違いに、東京で仕事をすることが多い私なのですが、今年は、珍しく在宅でしたので、これは見にゆかなくては観光で訪れる皆様に申し訳が立たない??という気がして、9時10分前に所定の位置についていました。

 長刀鉾に乗り込んだ稚児が行う、「しめ縄切り」(神域との境界を示すしめ縄を太刀で切り落とすという神事)の瞬間をキャッチです。
  長刀鉾に乗る稚児(1)  長刀鉾に乗る稚児(2)
 余りの雑踏の中で、充分に写真が撮れませんでしたが、実際に間近にみると、この上なく真剣なまなざしの稚児役の男の子が、衆人の見守るプレッシャーをはねのけつつ、健気に堂々と任務を遂行していました。
巡行を見送る
 この後、いよいよ先祭りの山鉾巡行のスタートです。 

 この子も70歳を過ぎた頃、この日の事を懐かしく語るのでしょうか?

 今年も17日の巡行が滞りなく終わり、出発点に戻ってきた山鉾は、その日のうちにあっけない程の手際の良さで解体されてゆきました。
長刀鉾の解体の様子
 ・・・・重量も高さも巨大で、威風堂々とした山鉾ですので、このままの状態では、これを33基も保管する場所などないでしょうから、釘一本使わず、縄だけで木材を山鉾の形に組み立てるという名人技が生み出されたのでしょうね。組み立ての様子は以前の記事→をクリック)をご覧ください。
 山鉾は太く頑強な木片に戻り、所定の場所に収められ、再び引き継がれてゆく「来年」をまた、静かに待つのでしょう。

 そして、それと入れ替わるように、この17日中に次の後祭の主役になる残りの10基が組み立てられます。
 24日の花傘巡行の後に始まる還幸祭は、神幸祭(17日の神事)とは逆コースで巡行されるのです。

 夏の京都の祭り、とにかく暑さは尋常ではありませんから、熱中症にならないように留意なさって、それでも一見の価値はやはりあるのではと思います。

 「後祭」はこれからです。
 「そうだ、京都に行こう!」・・・よろしかったら是非!
 ゆったりと流れる古人の風雅と、その風雅を誘う音曲の音色を、心ゆくまで五感に沁み渡らせてみてください。




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