
コンサートまで後二週間です
今年は春の訪れが早いですね。
既に桜も咲き始め、コンサートの日は散華の中かもしれません。
後二週間、それまでに、プログラム作り・会場やスタッフとの打ち合わせ・演目の仕上げ練習・リハーサル等々、最終準備が色々あり忙しい毎日を過ごしています。
しかも、なぜかそういうときほど千客万来、急な仕事が入ったり、冠婚葬祭が重なったりと様々な用事が続くもので・・・・おまけに、花粉も黄砂も今年は一段とひどいですし、・・・などとぼやいているのですが、でも本当はそんなに苦痛でもなく、忙しさを結構楽しんでいるみたいです。
横浜ゲーテ座にて

数日前、横浜の会場、山手ゲーテ座ホールに日帰りで打ち合わせに行ってきました。スタッフの皆様とも久しぶりの再会で、コンサートに向けて大盛り上がり、文化祭前夜のようなノリで大いに気合が入りました。気心の知れた仲間たちと気持ちよく協力し合えているという実感が、何より大きな力となります。
アメリカ山公園を抜け、外人墓地を横に見ながらのゲーテ座までの散策路には、春の花々が一斉に咲いていました。

薔薇のアーチの設えも既に整えられていて、よく見ると薔薇の蕾が紅色に膨らみかけていました。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
子規がこの歌を詠んだのは確か四月頃だったかと・・・やはり今年は格段に季節の訪れが早いのでしょう。

昨年・一昨年とステージに立った時の思い出と感覚が、ゲーテ座に足を踏み入れた瞬間に蘇ってきました。ホールのスタッフの方々ともいつの間にか懇意になっていて、時の流れの中でいつの間にか様々な絆が積みあげられてゆくのが嬉しいです。
今年もベストを尽くして、更に良いステージにしていきたいと改めて思いました。
今回の演目を説明していたら、「ゲーテ座なので『山月記』を取り上げたのですか?」とホールのスタッフの方から問われました。
作者の中島敦は、この横浜山手にはとりわけ深い縁があって、当時の住まいも、長く教鞭を執っていた女子校も、このゲーテ座の近隣で、「ホールのすぐ横には彼の文学碑もあるのですよ」とのこと。

これは全くの偶然で、そういえば横浜にゆかりの文学者だったと改めて思い至ったのでした。そんな話をしていた最中、ふと目をあげたらホールの掲示板に貼ってあった中島敦の写真と目が合いました。
よく見ると、すぐ近くの神奈川近代文学館のフライヤーでした。

ちょうど今、「芥川龍之介から中島敦まで」という常設展が開催されていたのです。それで、招かれているような気がして、これは仁義を通さねばと、帰りに神奈川近代文学館にも立ち寄ってきました。
東海道四谷怪談の公演の前に出演者全員で西巣鴨の妙行寺に災難除けのお参りをするみたいに、あるいは忠臣蔵の舞台の前の泉岳寺詣みたいに、我ながらちょっと面白かったです。
京都文化博物館ホールにて
京都に戻って二日後、今度は京都のホールでの打ち合わせがありました。
こちらもホールの方とはもうすでに旧知のような間柄で、何かとアドバイスをしていただき、打ち合わせも順調で阿吽の呼吸が嬉しいです。

横浜もそうでしたが、京都も、昨年までのコロナ感染予防への厳しい規制は殆どなくなっていて、様々な対応がコロナ前に戻ってきているのをひしひしと感じます。
いよいよ安心して音楽を発信できる時が近づいたと関係者は異口同音で嬉しそうな笑顔。私自身にとっても、コロナと向き合ってきた3年半、本当に大変でしたが、それでもその中で歩みを止めずに活動を継続してきてよかったと感無量です。
でももちろん、今回も出来うる限りの安全対策は怠らず、細やかに配慮していきますのでご安心くださいね。
『山月記』と『地獄変』
『山月記』はコンサートの中で全編を朗読するには長い作品ですので、ところどころ要約を挟みながら短くしてご紹介しようかと思っています。
それにしても、テーマが重く、胸に迫ってくる内容で、果たして客席の皆様にどのように受け止めて頂けるか、少し迷いましたが、どうしても取り上げたかった作品であり、今回思い切っての挑戦です。
主人公の李徴は、詩人としての自負心と、名声を得たいとの野心にとらわれ過ぎたために生活を破綻し、ついには心を病んで、身は虎に変えられてしまいます。
これはかなり微妙で紙一重の話で、何かを目指そうとするとき、特に創造することに関わる場合はより強く、そういうある種の執着や自尊心は必要なのかもしれず。そこに競争心も湧いてくるでしょうし、当然のように葛藤も生まれるでしょう。そういう意味では、誰の中にも虎が住みついてしまう可能性は否めないのではないでしょうか。
一方で、人としての謙虚さとか思いやりとか無我無欲の境地とか、品格の高さとの折り合いが求められるのでしょう。全てにおいて、真に中庸であることが大切なのではと思います。
この感覚は、芥川龍之介の『地獄変』を読んだときと共通のものがある気がしています。完璧な『地獄絵』を描くためにみずからの娘を焼き殺してしまう絵師の悲劇を描いた作品です。
でもコンサートはこのような重い作品だけではなく、ここからより良いものに向ってゆく美しい世界、明るく力強い世界を取り上げますので、大いに楽しんで頂けたらと思います。
コンサートのお申し込みはまだ少し余裕がありますので、よろしかったら!
4月2日京都、4月9日横浜、是非お越しくださいね。
今年は春の訪れが早いですね。
既に桜も咲き始め、コンサートの日は散華の中かもしれません。
後二週間、それまでに、プログラム作り・会場やスタッフとの打ち合わせ・演目の仕上げ練習・リハーサル等々、最終準備が色々あり忙しい毎日を過ごしています。
しかも、なぜかそういうときほど千客万来、急な仕事が入ったり、冠婚葬祭が重なったりと様々な用事が続くもので・・・・おまけに、花粉も黄砂も今年は一段とひどいですし、・・・などとぼやいているのですが、でも本当はそんなに苦痛でもなく、忙しさを結構楽しんでいるみたいです。
横浜ゲーテ座にて

数日前、横浜の会場、山手ゲーテ座ホールに日帰りで打ち合わせに行ってきました。スタッフの皆様とも久しぶりの再会で、コンサートに向けて大盛り上がり、文化祭前夜のようなノリで大いに気合が入りました。気心の知れた仲間たちと気持ちよく協力し合えているという実感が、何より大きな力となります。
アメリカ山公園を抜け、外人墓地を横に見ながらのゲーテ座までの散策路には、春の花々が一斉に咲いていました。


薔薇のアーチの設えも既に整えられていて、よく見ると薔薇の蕾が紅色に膨らみかけていました。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
子規がこの歌を詠んだのは確か四月頃だったかと・・・やはり今年は格段に季節の訪れが早いのでしょう。

昨年・一昨年とステージに立った時の思い出と感覚が、ゲーテ座に足を踏み入れた瞬間に蘇ってきました。ホールのスタッフの方々ともいつの間にか懇意になっていて、時の流れの中でいつの間にか様々な絆が積みあげられてゆくのが嬉しいです。
今年もベストを尽くして、更に良いステージにしていきたいと改めて思いました。
今回の演目を説明していたら、「ゲーテ座なので『山月記』を取り上げたのですか?」とホールのスタッフの方から問われました。
作者の中島敦は、この横浜山手にはとりわけ深い縁があって、当時の住まいも、長く教鞭を執っていた女子校も、このゲーテ座の近隣で、「ホールのすぐ横には彼の文学碑もあるのですよ」とのこと。

これは全くの偶然で、そういえば横浜にゆかりの文学者だったと改めて思い至ったのでした。そんな話をしていた最中、ふと目をあげたらホールの掲示板に貼ってあった中島敦の写真と目が合いました。
よく見ると、すぐ近くの神奈川近代文学館のフライヤーでした。

ちょうど今、「芥川龍之介から中島敦まで」という常設展が開催されていたのです。それで、招かれているような気がして、これは仁義を通さねばと、帰りに神奈川近代文学館にも立ち寄ってきました。
東海道四谷怪談の公演の前に出演者全員で西巣鴨の妙行寺に災難除けのお参りをするみたいに、あるいは忠臣蔵の舞台の前の泉岳寺詣みたいに、我ながらちょっと面白かったです。
京都文化博物館ホールにて
京都に戻って二日後、今度は京都のホールでの打ち合わせがありました。
こちらもホールの方とはもうすでに旧知のような間柄で、何かとアドバイスをしていただき、打ち合わせも順調で阿吽の呼吸が嬉しいです。

横浜もそうでしたが、京都も、昨年までのコロナ感染予防への厳しい規制は殆どなくなっていて、様々な対応がコロナ前に戻ってきているのをひしひしと感じます。
いよいよ安心して音楽を発信できる時が近づいたと関係者は異口同音で嬉しそうな笑顔。私自身にとっても、コロナと向き合ってきた3年半、本当に大変でしたが、それでもその中で歩みを止めずに活動を継続してきてよかったと感無量です。
でももちろん、今回も出来うる限りの安全対策は怠らず、細やかに配慮していきますのでご安心くださいね。
『山月記』と『地獄変』
『山月記』はコンサートの中で全編を朗読するには長い作品ですので、ところどころ要約を挟みながら短くしてご紹介しようかと思っています。
それにしても、テーマが重く、胸に迫ってくる内容で、果たして客席の皆様にどのように受け止めて頂けるか、少し迷いましたが、どうしても取り上げたかった作品であり、今回思い切っての挑戦です。
主人公の李徴は、詩人としての自負心と、名声を得たいとの野心にとらわれ過ぎたために生活を破綻し、ついには心を病んで、身は虎に変えられてしまいます。
これはかなり微妙で紙一重の話で、何かを目指そうとするとき、特に創造することに関わる場合はより強く、そういうある種の執着や自尊心は必要なのかもしれず。そこに競争心も湧いてくるでしょうし、当然のように葛藤も生まれるでしょう。そういう意味では、誰の中にも虎が住みついてしまう可能性は否めないのではないでしょうか。
一方で、人としての謙虚さとか思いやりとか無我無欲の境地とか、品格の高さとの折り合いが求められるのでしょう。全てにおいて、真に中庸であることが大切なのではと思います。
この感覚は、芥川龍之介の『地獄変』を読んだときと共通のものがある気がしています。完璧な『地獄絵』を描くためにみずからの娘を焼き殺してしまう絵師の悲劇を描いた作品です。
でもコンサートはこのような重い作品だけではなく、ここからより良いものに向ってゆく美しい世界、明るく力強い世界を取り上げますので、大いに楽しんで頂けたらと思います。
コンサートのお申し込みはまだ少し余裕がありますので、よろしかったら!
4月2日京都、4月9日横浜、是非お越しくださいね。


